第24話 手に負えない
朱く暗くなり始めた夕方の空の下、この数日でやっと帰宅する事に慣れてきたマンションの自室、その玄関前で待っていた四ノ宮と共に部屋に入った。
ごく普通の1LDKだが一人で暮らすには少し広く感じるその部屋は、四ノ宮が一緒に居るだけで何となく手狭に思えた。
彼女は今朝に見た時と変わらない服装をしているが、なにやら野菜の類が見え隠れするエコバッグを片手に持っていた。
「……ご飯は?」
「俺はまだだけど……」
取り敢えず聞かれた事に答えると、四ノ宮はホッとした様に小さく頷いた。
「……キッチン、借りる」
四ノ宮は初めて入ったとは思えないスムーズな足取りで部屋の中を進んで行く。
何と言うか、この強引さに凄く姉さんと同じ匂いを感じる。
あの人が何か余計なアドバイスをした可能性もあるんじゃ……。
「あ、あの……四ノ宮」
「……なに……?」
「いや……その、何やって……?」
「……?ご飯、まだって」
「言ったけどさ、明らかに最初から作る気で来てたような……」
四ノ宮は微かに表情を柔らかくしただけで、すぐに料理に取り掛かった。
一体何を作るつもりなのやら、食材を見ただけでは分かりそうにない。取り敢えずパスタなのは分かるけど。
……いったん頭を冷やそう、そう思って俺は四ノ宮に声をかけた。
「……四ノ宮、俺風呂入ってくるから、何かあったら言って」
「ん……」
微かな返事が聞こえたような気がするので、俺はすぐにその場を離れた。
本当ならあとは寝るまでパジャマで過ごしたかったが、来客のある状況ではそうも行かないので、家の中で過ごす用にラフな着替えを持って脱衣場へ入った。
「……なんでこうなったんだ……?」
姉さんとの連絡を経由してこの部屋に来た以上、追い出すと姉さんに伝わる可能性があるのであまり無茶な行動はできない。
でも星野には関わるなって言われたし……いやでも勝手に、一方的に言ってきただけで、俺はそれに対して返答してないし……。
いや、そんな事はもうどうでも良い。
どこぞのいとこが原因でいつも以上の精神的疲労を感じているせいか、考えるのが嫌になってきた。
四ノ宮がここに来ていて、なんか俺のために料理を作っている事実は変えようがない訳だから、バレるとかバレないとかはもう全部彼女に任せてしまった方が良いんじゃないかな。
俺の知ったことじゃないって事にしておこう。
完全に彼女面してる四ノ宮に困惑することすら疲れる。今日一日で色々あり過ぎなんだよ。
その後も、物理的に冷たいシャワーを浴びて悲鳴をあげそうになったり、何かと気が散る状況にばかり陥り、俺は本格的に考える事を諦めてからダイニングに戻った。
少し湿り気のある髪を軽く掻き上げながらキッチンに入ると、そこで忙しなく動く四ノ宮に違和感を覚えた。
「あれ……」
「……?」
「四ノ宮って、コンタクトだっけ?」
「ん」
思わず聞くと、彼女は小さく頷いた。
四ノ宮は俺がバイト中にしている物とよく似た地味な眼鏡を着けていた。それに、いつもの見慣れたポニーテールも解かれて真っ直ぐに腰まで流れている。
普段ならまず見かけない姿だから、多分オフモードの時はこうなんだろうな。
……なんで家に来てオフの気分なんですかね。
それからも少し見ていたら、料理の手際良い事に気が付いた。普段からやってる訳じゃないだろうけど、慣れてるのかな。
しばらくの間大人しくして待っていると……四ノ宮が料理を出してくれた。
「……頂きま……」
……彼女が出してくれたのは、ほうれん草やベーコンの入ったクリームパスタと卵スープ。
それがどういうチョイスなのかはさておき、彼女が用意してくれた料理には確かな覚えがあった。
「あのさ……」
「……?」
「これ、もしかして?」
「……好きだって聞いた──」
別に良いんだけどさ、姉さんわざわざ何を話してんのかな。
「奏恵さんに」
「母さん!?なっ、なんで!?」
「……君のお姉さんと話してたら、割り込んで」
「何やってんのあの人……。ま、まあ取り敢えず頂きます」
四ノ宮が作ってくれたクリームパスタは少し黒胡椒が効いておりとても俺の好みに合っている。
分からないんだけど、なんで俺はいつの間にか外堀を埋められてるんだろう?
そしてなんでこの子はめちゃくちゃ彼女面してくるんだろう、俺まだ何も言ってないよ?
………………まあ、別に良いけどさぁ。
ただパスタを食べているだけの姿をジッと見つめられ続けるのは若干気不味いと言うか、居心地が悪かった。
「ごちそうさまでした……」
「……どう、だった?」
「……美味しかったよ。君の料理を食べる機会があるとは思わなかった」
「…………言ってくれれば、いつでも」
多分、俺からそれを言う機会は無いと思うけど。
食器類の片付けは俺がやって、そのついでに歯磨きやその他色々とやることを済ませていると……。
「お風呂、借りる」
「ん……」
何か四ノ宮の声が聞こえたような気がして、俺は適当な生返事を返した。
「……ん?」
気の所為じゃなかったら、四ノ宮が脱衣場の方に向かった様な……。
洗面所も同じ所にあるから、そっちに行ったんだと思っておくことにした。なんか嫌な予感がするけど。
キッチンの片付けを終わらせて、リビングのソファに腰を下ろすと……脱衣場の方から微かにシャワーの音が聞こえて来た。
防音対策はバッチリな一室だが、同じ部屋の中ではそうも行かないらしい。
そっちを意識すると不安な気持ちになるので洗面所の方から目を背けると、不意に四ノ宮が持っていた妙に多い荷物が入っているリュックが目に入った。
少し開いたジッパーの奥に、女性物の薄青い下着が見えた。
…………どういうつもりだ?
今現在彼女が行っている行動からして、今日一日泊まるというならまだギリギリ分からなくない。納得はできてないけど、今日ばかりはそのくらいの強引さを見せてるからまだ分からなくない。
でも、なんでちょっと多めに持ってきてんの?
えっ、なに?
もしかして半同棲か通い妻みたいな事を視野に入れてる?
俺まだ星野に殺されたくないんだけど。
星野は一応、話が分かる奴だと思う。でも勘違いとか見当違いとか変な思い込みとかするタイプだから、時々過激になる事がある。
でも、これは勘違いでも思い込みでもない。
完全に、俺が四ノ宮を家に連れ込んでる状況だ。
四ノ宮の方からここに来たのだとしても、もしこの状況を見た人が居たら星野に限らず九割くらいの人が俺が誘って連れ込んだと思うでしょ。
だって俺が同じ状況を発見したら男から誘ったのかなって思うもん。
……なんで可愛い同級生の女の子に告白されたり、家に来られたりしてるのに、こんなに憂鬱な方向の気分が強くなってるんだろう。
意味もなく深いため息を吐いて、L字のソファに横になる。
そのまま居ると、やはりうとうとしてしまい、眠りそうになった所で、不意に脱衣場のドアが開いた。
思ったより早かったな、と思いながら出てきた四ノ宮に目を向けると────
空色の少し派手な下着姿の少女がこちらに向かって歩いて来た。
「うぇぁっ!?なッ……!?なんで服着てなっ!??」
「忘れ物を……」
「せめて隠せよ!!」
そこまで言ってから、俺はやっと顔を背けるという行動に移れた。
「ん、下着くらい別に……」
「よくねえから!!早く戻って服着てこいって!!」
「……わ、分かった……」
脱衣場のドアが閉じた音を聞いて、俺はやっと背けていた顔を戻した。
「訳わかんねぇ、下着の何が『別に』なんだよ……」
付き合ってるのか付き合ってないのかよく分からないグレーゾーンの相手に見せるのはダメだろ。
四ノ宮は貞操観念という言葉を知らないんだろうか。
ずっと星野ばかりと居たからおかしくなったのか?
異性との距離感なんてとっくに狂ってる可能性が……?
いや、中学の時は普通の距離感だった。まだ普通のクラスメイトの距離だった筈だ。
なるほど、どうやら好意というのは簡単に人を変えるらしい。
知ってたけどねそんな事は。
……やばい、ホント眠い…今日思考が一向に纏まらない。
頭を悩ませる暇もなく、四ノ宮は脱衣場から、今度はちゃんと服を着て出てきた。黒のオーバーサイズシャツとカジュアルなショートパンツは、春らしいと言えば春らしいが、この季節には若干早い気がする。
「それ、寒くない?」
「……ん」
四ノ宮は首を横に振り、ベランダ側の窓の近くに掛けてあるタオルに、自身のバスタオルを並べて干した。
そうして戻ってくると、何の躊躇いもなく俺の隣に座った……肩が触れ合う距離で。
まあ確かに、この距離ならそりゃ寒くないですよね。
「……その……。今日はごめん、色々」
四ノ宮は俺の肩にもたれ掛かかり、小さな声で謝った。
「……悠岐のこと、とか。お姉さんのこと……。あと……」
今、この状況のこととか。
「……良くない、とは思った、けど…………」
「花ヶ崎の提案か?」
「……ん」
本当にお人好しが極まってるな花ヶ崎は。
「その……改めて、赤瀬くんに聴きたい事があって」
「ん、何?」
「…わ、私のこと……。君の、彼女にしてくれる?」
四ノ宮が改めてそんな事を聞いてきた。
多分、この問答にあまり意味はない。だから俺は思うままに答えた。
「君の好きにしてくれ」
「ん……。ふふ、分かった。好きにさせてもらうね」
少女が見せた柔らかな笑顔から俺はそっと目を逸らして、ため息を吐いた。
結局こうなるんだったら、最初から受け入れて、飲み込んで、嵐が過ぎるのを待っていた方が良かったかも知れない。
今回のことも、これから起こるだろう事も、きっと……どうせ俺の手には負えないから。
理桜くんの手には負えない人たち(ガチ)
母親と姉公認の彼女だもん、そりゃガンガン距離詰めるよね。




