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現場見学が終わり、ついに工作部隊の協力が始まります。
その最初の仕事は、見学中にあったアクシデントによるものでした。
仲間が巻き込まれてしまった以上、ついさっきまで信じていなかったことでももう知らぬふりはできないのです。
ゾンビではよくある状況ですね。
地下見学は、一人の感染者を除いて無事に終わった。
多くの者は実験区画の凄惨さに心を折られ、徐福たちのやっている事を真実と認めるしかなかった。
あんなに危険でおぞましい実験を、誰が好き好んでやるものか。
あそこまでのことをやるなら、それこそ不老不死くらいの目的がないと割に合わないであろう、と。
一行は地下離宮に戻ると、改めて資料に目を通した。
感染した検体がどうなったか、その絶望の経過。助手がそうなるのを防ぐために制定された、感染防御の手順。
現場を見るまではとうてい信じられなかった資料が、すっと頭に入っていく。
自分が感染しないためには、信じて守るしかないんだと。
こうして工作部隊たちは徐福の言う真実を受け入れ、力を貸すと約束した。
そのうえ、徐福にとって嬉しい誤算もあった。
何と、見学に参加した工作部隊の一部が、その日から地下で働きたいと願い出てきたのだ。予定より大幅に早い協力である。
もちろん、徐福がそれを拒むはずがなかった。すぐに徐福を頂点として、協力体制が組まれた。
「感染してしまった彼を、我々の手で治療させてください」
それが、工作部隊たちがすぐに地下で働きたい理由であった。
死んでも動く死体を認められず、何としても生きている証を見つけようと体液を舐めてしまった男……彼をどうにか助けたいと言うのだ。
その訴えに、徐福は素直にうなずいた。
「うむ、遠慮なくやってみるがいい。
我々が治療を試みても治せなかったが、ここで使える薬にも限りがあるのでな。
おまえたちが国中から集めた知識と薬を総動員して治療を試みてくれるなら、我々にとってもありがたい」
要は、治療の専門性をより高めた治療実験だ。
以前も感染してしまった助手で治療実験はやったが、その時は医術を施したのが正式な医者でない侯生と石生だけだった。
彼らとしては最善を尽くしたが、できた事には限りがあった。
しかし、今回協力してくれる工作部隊たちは国中のあらゆる分野の専門家を集めた部隊である。
以前とは質が全く違う、より良い治療を施せるだろう。
もしそれで治療法が見つかれば、徐福たちにとっても万々歳だ。
そういう訳で、徐福はその日から工作部隊たちにここで働く許可を与えた。
翌日、感染防御について基本的な研修を済ませた工作部隊たちに、徐福は治療の目標を説明する。
「この病は現時点で、感染性のある不治の病である。しかも死ぬと人食い死体になって人を襲うため、極めて危険だ。
よって、治療の目標はこの病での死を防ぐか、人食い死体になるのを防いだうえで感染性をなくすことである。
体内の病毒を消し去ることができれば、完璧だ」
徐福はそう言って、感染した隊員の血を仙黄草の煎液に落とす。
すると、煎液はゆっくりと黄緑色に変わる。
「そうだ、少し色が違うだろう。
感染してすぐは健常人と区別がつかぬが、感染が進むにつれ……おそらく体内の病毒が増えるにつれ、色が黄色を帯びさらに橙へ、最終的には仙紅布の赤に変わる。
これが青緑に戻れば、完全に治ったと思っていい。
ちなみに、我々はこれを定期的な検査に用いている」
そこで徐福は、工作部隊たちを見回して言う。
「ところで、今ここにはこの草の在庫が少ない。
先日おまえたちの隊長がやってくれた騒ぎのおかげで、生き残った助手と住人と検体全てを再検査する羽目になってな。
しかも、取り寄せようにも蓬莱側の在庫も少ないときている。
このままでは安全上まずいのだが……」
すると、その意図を汲んだ一人が答える。
「地上にいる、植物の専門家に尋ねてみましょう。
尉繚様が動く死体を見られた時に、この草も何であるか鑑定を依頼していたはずです。そろそろ、何か分かっているかも」
さすがに優秀な工作部隊だけあって、何をどうしたらいいかよく分かっている。
この状況を解決するのに一番いいのは、大陸のどこかで同じ草を見つけることだ。そうすれば、安定して検査に使える。
すぐに、地上にいる工作部隊に話を伝えさせた。
入れ替わりに、地上から医術薬学の専門家が地下に下りてきた。彼らを含む第二陣の現場見学が、その日のうちに行われる。
工作部隊が地下で働く体制は、急速に整えられていった。
工作部隊の医師薬師たちは、働けるようになるとすぐに動き始めた。
まずは、これまで徐福たちが感染者を観察した記録にしっかり目を通していく。そこには何の処置もしなかった者の分と、以前の治療実験の様子が詳細に記録されている。
「……これは助かる。
感染方法と感染からの日数ごとにこれほど克明な記録があれば、これから何が起こるか非常に分かりやすい。
我々が何をすべきか、計画を立てるのに大いに役立つ」
医師薬師たちは、この記録を賞賛した。
「ここまで詳細な記録を残してくれたとは、徐福殿の探求心には恐れ入ります。
病や薬の本質を見極めるには、詳細な記録が不可欠。それをこうして残しているということは、徐福殿が本当に安全に配慮しつつこれの本質を見極めんとしている証。
我々もその志を讃え、できる限りの協力をいたしましょう」
見る者が見れば、徐福の研究は非常にしっかりしていることが分かる。
記録の取り方、作業手順から感染防御の指針に至るまで、安全かつ正確な研究を行うための工夫があふれている。
決して、利益を追及したり破壊的な成果ばかりを求める者のそれではない。
これについては尉繚も部下からの進言を受け、味方を改めた。
「……すまなかった。俺の疑心でおまえの築いたものを壊してしまって。
確かにおまえのやり方には嘘偽りが含まれていたが、陛下の願いに本気で取り組む志は本物であった。
俺が、冷静に調査すべきであったのだ」
それから、鉄格子の向こうにいる感染した隊員に目をやって悲痛な面持ちで呟く。
「隊長の俺が冷静になれと皆を諭していれば、あいつもこうならずに済んだかもしれない。
無意味な死はもうたくさんだ。何とか、助けてやりたいが……」
「それこそ、おまえたちの腕の見せ所だろうよ」
徐福はそう言いながらも、内心で冷たく笑っていた。
(無意味な死、か……それはあくまで、おまえたちから見てだろうよ。俺にとっては生きようが死のうが、どちらにしろ意味はある)
感染した隊員を助けられなければ、工作部隊は更に誇りを失い、自分たちの力が及ばぬものを知ってさらに従順になるだろう。
それは結果として、徐福の支配力が強化されることにつながる。
ならば、徐福にとって無意味ではない。
工作部隊たちは今、徐福たちに対する詐欺師という偏見を捨てて、研究の意義を理解しつつある。
この勢いのまま、工作部隊には速やかに徐福たちの手足になってほしいところだ。そのための追い風は、いくらあってもいい。
徐福は感染した隊員がどうなっても面白いと思いながら、これまで通りしっかりと記録をつけつつ見守った。
感染してから数日は、隊員の様子に特に変わったところはなかった。
「なあ、俺は本当に感染しているのか?
前死体の毒に当たった時は、こんなもんじゃなかったぜ」
本人は自覚症状が出ていないため、まだ実感が湧かないようだ。しかし知識として病気に潜伏期間があることは知っているため、一応大人しくしている。
そんな隊員に、石生が説明する。
「直接噛まれたとかでない限り、これの発症は緩慢ですよ。
わずかな傷の場合は本人がおかしいと感じるまで最長一週間、死亡するまでが治療を施して最長四週間ですね」
「へえ、そりゃ厳重に管理する訳だ。
感染した奴が、健常人と区別がつかねえままどこまで行くか分からねえからな」
冷静に意見を言えるのは、実感がなくて他人事のように思っているからか。もしくはただの強がりか、仲間が助けてくれると信じているからか。
しかし、その仲間の医師薬師たちは既に額に汗を浮かべていた。
「……感染が進んでいる」
その隊員の血を混ぜた仙黄草液は、山吹色になっていた。初めて検査した時よりも、明らかに悪い方に進んでいる。
「浄血の薬は効いていない。
それに、あの熱薬でも体調に変化がないとは……」
「あれと釣り合うか、もしくはあれを抑えるほどの冷えが既に……」
仲間の薬師が調合して与えたのは、健常人が飲めば発熱して体調を崩すような代物だ。それで病邪を払ってしまおうとしたのだが……。
感染した隊員は、何事もないようにけろりとしている。
つまり、もう本来出るはずの熱が出せなくなっているということ。これは紛れもなく、主症状である冷えの兆候だ。
「循環を強化する薬を、早めた方が良いか?」
「あの薬は取り寄せに時間がかかります。
何とか、それまで体力をもたせなくては……」
工作部隊たちは、懸命に知恵を絞って死の病に立ち向かおうとする。だが、その病はこれまでこの世になかった、経験のないものだ。
それでも仲間を助け自分たちの誇りを守るために、力を尽くす。
その様子を徐福は、手当てをする側も含めて実験動物を眺めるような目で見つめていた。
飲むと熱が出る副作用のある薬は、古代中国に既にありました。
五石散という、麻薬だそうです。




