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危険を冒して潜入した尉繚は、悪事を暴くために必要としているものがありました。
ただし、それを持ち出すことはそれ自体が……。
尉繚たちは、助手に扮して行動を開始した。
徐福に顔を知られている尉繚が覆面のある服をまとい、他の二人がそれに従うようについて歩く。
だが、徐福たちの所に直行はできなかった。
「おい、新入りのあいつを見なかったか?」
「隔離区画でも、いなくなった奴がいるぞ!」
尉繚たちが捕らえた助手を尋問している間に、助手が数人いなくなったことが知れ渡ってしまったのだ。
坑道では、助手たちがさっきとは比べ物にならないほど慌ただしく歩き回っている。
これでは、見つからずに地下離宮まで行くのは至難の業だ。徐福に手が届くどころか、潜伏を続けるのも難しい。
「困りましたね、こんなに早く気づかれるなんて」
「ああ、予想以上に厳しく管理しているとみえる。
何せ、国どころか世を潰しかねない悪事だからな」
出鼻をくじかれたのもあって、尉繚はますます徐福たちを憎む。
「ここまで管理して隠さねばならぬと、少しでも漏れたら天下に居場所がなくなるとあいつらも分かっているんだろう。
つまり、そこまでの悪事ということだ」
だからこそ必ず潰さねばと、尉繚は奥歯を噛みしめる。
とはいえ、このままでは身動きが取れない。
「……これでは、徐福が危険を感じて守りを固めるかもしれん。
道中で出会った助手どもなどいくら斬り捨てても問題ないが、あちらの戦力が把握できていないのは問題だ。
何とか、人を別の場所に集めて奴の守りをはがさねば。
さしあたって、助手共の気を引けそうなのは……」
尉繚は、さっき歩き回って見てきたものを思い出す。すると、すぐに思い当たった。
助手たちが、そしておそらく徐福が非常に厳しく管理しているもの。もし管理から外れる事態が起これば、何を置いても対応しなければならないもの。
隔離区画の、鉄格子の向こうにいるモノたちだ。
「あの小さな牢屋に囚われている奴らのうち、一体でもいなくなれば、方士の仲間の目はそちらに向くだろう。
それに、方士どもを裁いて罰するには証拠か証人が必要だ」
尉繚の頭の中では、既に徐福たちを裁くところまで話が進んでいた。
自分たちは現状、信用で方士たちに負けている。このまま決定的な証拠を持ち出せずに撤退することになれば、方士たちに逆に陥れられ首が飛ぶのは目に見えている。
どうやっても言い逃れできない証拠と、そして自分たちの仲間以外の証人が必要だ。
その両方に該当するものが、ある。
「鉄格子の向こうにいる、まだ死んでいない人間だ。
どうやら方士どもは、人間に何かを感染させて化け物に作り変えているようだった。その被験者を、あの牢に閉じ込めている。
そこにいる、まだしっかり人間の意識がある奴を一体もらおう。
人間としてしゃべれる間は方士どもの罪をあらいざらい吐くだろうし、死んで化け物になれば動かぬ証拠に早変わりだ」
それを聞くと、部下の一人が少し不安そうな顔をした。
「あんなものに変わると分かっている奴を、出して大丈夫でしょうか?」
尉繚は、険しい顔で答える。
「確かに危険はある。
だが、やらなければもっと桁違いに危険で手がつけられぬ事になるだろう。方士どもがあれを地上で使う日を、座して待つ訳にはいかぬ。
それに、あの化け物ならもう既に地上で何も知らぬ業者の手で運ばれていたではないか。その途中で事故が起これば、知っている我々が連れ出すより百倍もひどい事になるだろう」
「確かに、それならば一度倒したことがある我々が率先して処理すべきですな」
部下たちは、納得してうなずく。
「では、尉繚様がそちらに?」
「ああ、幸い覆面のある服装だ。少し見ただけでは分かるまい。
俺がまず一人で鉄格子の所に向かい、まだ人間として行動できそうなのを一人逃がしてここに連れて来る。
それから再び合流して、地下離宮に向かう。
そこでできれば方士どもを制圧、できなければそのまま脱出だ!」
尉繚は、部下たちに作戦を伝えて再び魔窟の中に踏み出した。
隔離区画でも、助手たちは血眼になっていなくなった一人を探していた。ここからは、本来誰一人として行方をくらましてはならないのだ。
鉄格子で閉じ込められている被験者はもちろん、実験を行う側も。
万が一にも、ここから人食いの病毒を出してはならない。
そのあってはならない可能性に何とか早く対応するため、助手たちは頭の大部分をいなくなった助手の捜索に割いていた。
そこに、尉繚が声をかける。
「おーい、人手が足りないと聞いて手伝いに来たぞ。
いなくなった奴の担当は俺が代わる。鍵はどこだ?」
覆面をずらし、チラリと顔を見せて尋ねる。
「ん、見ない顔だな。新入りか?」
そう言いつつも、記録部屋にいた助手は鍵を一本取って尉繚に渡す。相手が怪しい者だとは、みじんも思っていない。
それもそうだろう、ここはそもそも部外者が入り込むことを想定されていない。地上への道から何者かが押し入ったという知らせもないし、ここに部外者がいるはずないのだ。
おまけに助手の中でも仕事によって働く場所が限られていることがあるため、助手の中に顔を知らない者がいてもふしぎではない。
外から隔絶された実験場の、弱みを突かれたのだ。
「鍵は全部の独房に共通だから、これでどこでも開けられる。
ただ、今は脱走者に気を付けて……むぐっ!?」
聞きたいことだけ聞くと、尉繚はそこにいた助手も絞め殺した。そして、素早く服をはぎ取って死体を机の下に押し込む。
「ご丁寧にありがとうよ。
しかし、脱走者ね……」
どうやら方士たちは、姿をくらました者は脱走を企てたと思っているらしい。外部からの攻撃を考えられないなら、順当なところか。
相手が事の本質を勘違いしてくれるなら、ありがたい。
尉繚は自分も慌てているふりをして、心の中では本当に急ぎ気味で独房に向かった。
独房にいる被験者たちも、助手たちの様子から何かが起こったことは感じ取っていた。そして中には、脱出への希望を持つ者もいた。
このままここにいても、殺されて人食い死体にされるだけ。
しかし、この騒ぎに乗じて逃げれば助かるかもしれない。
ただ、逃げるにはこの鉄格子をどうにかする必要があるが……それでも死を待つばかりの者たちは、希望を抱かずにいられなかった。
特にまだ逃げられる元気のある者は、鉄格子にかじりついて奇蹟を待っていた。
と、そこに一人の助手が現れて、声をかけてくる。
「おいおまえ、ここから出たいか?」
「当たり前だ!」
被験者の男は、即答する。
言っても意味がないかもしれないとは、分かっている。しかし何としても助かりたくて、言わずにおれないのだ。
すると、目の前の助手は覆面をずらし、被験者の男をじろじろと見つめた。
「おまえ……自分の足で走れるか?」
「おうともよ、ここから出してくれたらいくらでも走ってやる!」
「ふむ、元気は十分か。後は体の調子だが……見たところ腐ってはいないし死臭もない。そうだ、人の肉が食いたいとは思わぬか?」
「はあ!?誰が好き好んでそんなモンを!」
被験者の男は、驚きながらも首をぶんぶんと横に振る。
驚いているのは、質問の内容だけではない。これまで、助手がこんな風に必要以上の会話を投げかけてくることはなかった。
これはおかしい。何かが違う。犯罪生活で培われた勘が、そう告げている。
それに応えるように、目の前の助手が独房の鍵を取り出した。
「よく聞け。我々に協力して方士たちのやっている事をあらいざらい証言するならば、ここから出してやる。
俺は方士どもの秘密の悪行を暴きに来た、工作部隊の隊長である!」
その瞬間、被験者の男の顔に歓喜が弾けた。
罪を犯してこの驪山陵に送られ、終わりのない重労働に心が折れそうだった。たまりかねて脱走しようとしたら、捕まってこんな所に送られた。
暗いし臭いは酷いし、おまけに訳の分からない実験に使われるとかで、今度こそもうダメかと思っていたが……。
救いの神は、現れた。
「ああ、いくらでも協力する!だから出してくれ!」
男が叫ぶと、助手……のふりをした尉繚はすぐに独房の鍵を開けた。そして、隠し持っていた諜報道具で被験者を拘束する枷と鎖を壊す。
「さて、これで独房からは出られる。
しかし、ここからは俺と一緒に来て指示に従ってもらおうか。
もしおまえが俺の目からも逃れて勝手に逃げようとすれば、今度は俺がすぐさまおまえを殺す。
あくまで協力と引き替えということを忘れるな」
「も、もちろんだ……死刑はもうごめんだぜ」
「よし、ならばこれを着ろ」
尉繚が差し出した覆面付きの方士服を、被験者の男は大急ぎで身にまとった。途中通路の奥から足音が聞こえてきて焦ったが、様子を見に来た助手は尉繚が一瞬で排除した。
「ああ、行くぞ!」
こうして、徐福たちが厳重に管理していた感染者の一人が独房から脱出した。
もちろん尉繚は、それが危険なことであると分かっていた。
だが、やらねばもっと危険なことになるからと思って決死の覚悟でやった。
そのもっと大きな危険が、本当は影も形もない想像の産物だなどとは、考えようともしなかった。




