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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第十六章 仙才の色
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(80)

 いよいよ、始皇帝の検査です。

 冒頭から謎の布として登場していた、仙紅布の作り方が明らかに!


 そして始皇帝に襲いかかる、三度目の脅威が……三度目の正直とは、なりませんが。二度ある事は三度ある、です。

 尸解の血を分け与える儀式から、三ヶ月以上が経った。

 その日、始皇帝はそわそわと落ち着かぬ様子で何かを待っていた。

 待っているのはもちろん、素晴らしい力のある方士、盧生と侯生である。この二人を待つ時は、いつもわくわくして落ち着かないものだ。

 しかし、今日の心の騒ぎ方はいつもに増して尋常ではなかった。

 なぜなら、今日は始皇帝にとって記念すべき日になるかもしれないからだ。

「そろそろ、陛下のお体に仙才が宿ったか確かめさせていただきます」

 数日前、盧生と侯生はこう言った。ついに、自分が仙人に近づいたかどうか……仙薬をもらうにふさわしい仙才を得たか分かるのだ。

 始皇帝は、喜び勇んで二人に言われた準備をして待った。

 その日から今日まで酒と女を断ち、今日は朝からしっかりと身を清めた。そして、まっさらな白い絹布も用意した。

 これを使って、二人はどうやって仙才を確かめるというのか。

 うきうきしながら待っていると、二人がやって来た。

 その手には前回と違い、大きな杯のようなものを掲げている。その中には、黄緑色の液体がなみなみと入っていた。

「お待たせしました、陛下。

 これより、陛下のお体に宿った仙才を測らせていただきます」

 二人は、そう言ってうやうやしく頭を下げた。

 それを見て、始皇帝の胸は一層高鳴る。

 これで、自分が仙人に近づいた証が得られるのか。

 だが、そうならない可能性もある。血を分ける儀式は失敗することもあり、成功したか確かめるために今回の儀式が要るのだと二人は言っていた。

 成功ならばこれほどめでたいことはない。しかし失敗していたら……。

 入り混じる期待と不安が、始皇帝の心を千々にかき乱す。

 そんな始皇帝とは逆に、盧生と侯生はしずしずと小さな白い杯を差し出す。

「では、こちらに少し陛下の血を注いでください。

 それから少し安置し、赤い血の髄が沈みましたら、その上澄みをこの液体に注ぎます。さすれば、天は証を示すでございましょう」

 始皇帝は手の震えをこらえながら、自らの指を小刀で切った。ぽたぽたとこぼれる血が、白い杯に落ちて赤く染めていく。

 始皇帝は一日……いや、一時千秋の思いでそれを見つめていた。


 胸を高鳴らせているのは、盧生と侯生も同じだった。

(いよいよ、陛下に尸解の血が移ったか分かる!)

 この儀式……いや実験の結果が出さえすれば、二人はまた一つ実績を得られる。二人が喉から手が出るほど欲していた、地上での結果を伴う実績を。

 この二人にとっても、仙才の証は切なる願いであった。


 一週間ほど前、ついに蓬莱からの荷物が届いた。

 今までと同じく生きた検体と動く死体、そして仙才を確かめるための染料……仙黄草と呼ばれる草だ。

 この草を煎じた汁に尸解の血の上澄みを加えると、仙紅布の色ができるという。

 全くもって、簡単な方法だ。

 徐福は早速、仙紅布を作ってみた。尸解の血を持つ検体と、安息起の血を使って。

 すると、日が沈む前の夕焼けを凝縮したような朱を帯びた濃い紅の染料ができた。それで絹布を染めて乾燥させると、まさに仙紅布となった。

「……なるほど、こいつはこうして作っていたのか。

 これでは、大陸で作れぬ訳だ」

 尸解の血がなければ、この色は出せない。

 だから大陸ではこれを作れず、どうやって作るのかとふしぎに思われていた。蓬莱の民はそれを仙人の力と結び付け、法外な値で売って交易品としていた。

 これが、仙人にしか作れぬ幻の布の正体だ。

 試しに普通の人間の血を使ってやってみたが、染液は紅ではなく青みがかった緑になってしまった。

 これなら間違いなく、尸解の血を持つ者とそうでない者が分かる。

 徐福はこの結果を見て、満を持して始皇帝の検査を指示した。


 盧生と侯生が長い祈りの言葉を終え、一息つく。

 二人の前に置かれた小さな白い杯の中では、先ほど注いだ始皇帝の血が赤い沈殿と黄色い上澄みに分かれていた。

「では、天の意を問います」

 盧生は心を落ち着けるように深呼吸をし、杯を両手で取った。

 侯生が白く底の浅い皿を差し出し、盧生がそこに血の上澄みを少しずつ注ぐ。やがて、黄色い上澄みだけが皿に移った。

 侯生は確認を促すようにそれを始皇帝に見せると、いよいよ黄緑色の染液の前に立つ。

 全員が固唾を飲んで見守る中、侯生は静かに血の上澄みを注いだ。

 その瞬間、明らかな変化が起こった。

「おおっ!!」

 血の上澄みと染液がぶつかったところから、煙のように鮮やかな紅が広がる。やがてそれはうねりながら元の黄緑色を飲み込み、全体が朱を帯びた紅色に染まった。

「おめでとうございます!!」

 盧生と侯生が、いきなり平伏して祝いの言葉を叫ぶ。

「これは間違いなく、仙才を得た証の色!

 仙人と類稀なる仙才を持つ者にしか出せぬ、仙紅布の色でございます!!」

「仙紅布だと!?」

 始皇帝は、目を見開いた。

 仙紅布と言えば、仙人にしか作れない幻の布ではないか。他でもない徐福が、仙人に会った証として差し出してきたものだ。

 それを、自分の血から作れるようになったというのか。

 驚愕する始皇帝に、盧生が告げる。

「この染液は、徐福殿が仙人から分けていただいたものです。海に夕日が沈む夕焼けの色を封じ込めた、仙紅布を染めるのに使うものです。

 ただし、その色を再現するには仙人か相当仙才の高い者の血が必要です。

 陛下は今、我々より遥かに仙人に近くなられました」

 盧生と侯生はそう言って、始皇帝を拝み始めた。

 そして、用意させたまっさらな絹布を赤くなった染液に浸した。これを乾かせば、仙紅布になるという。

 その光景を見て、始皇帝は喜びに打ち震えていた。

 どうやっても手が届く気がしなかった仙人の力、その一部がついに自分のものになった。仙人にしか作れないはずの布を、自分の血でも作れるようになった。

 これは始皇帝にとって、何より素晴らしい進歩であった。

 さらにそれを説明するように、盧生と侯生は自分たちの血の上澄みを予備の染液に落として見せた。

 すると、染液は仙紅布とは似ても似つかぬ青緑になってしまった。近くにいた配下や李斯の血でも試してみたが、結果は同じだった。

 盧生はそれを見て、己を恥じるように言う。

「海と空の間に放り投げられた時、空に近い者なら空の色、海に落ちるしかない者なら海の色が出るとのことです。

 我々のこれは海の色……陛下の仙才は、今や我々の及びもつかぬところにあります」

 その言葉に、始皇帝は天にも昇る心地であった。

 自分は、目指す仙人にこんなにも近づいた。しかも他の方士たちがやるような効果が分からない怪しいものではなく、目に見える効果があった。

 しかもこの染液が仙人から手に入ったということは、徐福が仙人と交渉しているのは間違いないと思っていい。

 このままこの二人と徐福に身を委ねていれば、確実に仙人になれる……そう確信した。


 なぜ初めから仙人を目指しているはずのこの二人が、自分にそれをやらなかったのか……それを考えることは、なかった。


 その夜、始皇帝はまた二人を宴席に招いた。

 二人の前には以前よりさらに豪華な食事が並べられ、始皇帝の狂喜っぷりが伝わってくる。

 その機嫌の良さを察しているのか、女たちもいつも以上にはしゃいで始皇帝にすり寄っている。そして宴席の隅では、高漸離が今日も同じ別れの曲を奏でていた。

 始皇帝はかなりの勢いで酒を空けると、女たちに自慢気に語った。

「よいか、朕はもうすぐ人を超えた特別な存在になるのじゃ。

 そうなってしまったら、おまえたちをこうして側に置くのも難しいかもしれぬ。だが心配するでないぞ、朕はいつまでもおまえたちを見守っていられる」

 女たちはその意味を理解しかねたようだが、悲しそうに眉を寄せてすがりつく。

「まあ、会えないなんて寂しいことをおっしゃらないで」

「あなた様の愛がなければ、私たちはどうやって生きていけば……」

 始皇帝は、そんな女たちを豪快に抱きしめて言う。

「はっはっは、愛い奴らじゃ!それほど朕が恋しいか!

 ならばおまえたちが寂しくないよう、人であるうちに子を作ってやらねばならんな。そうすれば、朕が側にいなくても寂しくはあるまい」

「まあ、嬉しゅうございます!」

 盧生と侯生は、もはやさしたる興味もなくそれを見ていた。

 始皇帝がここまで信じ込んで自分たちの実績を認めてくれたなら、自分たちはしばらく安泰だろう。

 地上の大事は成した、後は地下でいかに研究を進めるかだ。

 大仕事の後の達成感に包まれていた二人は、気づけなかった。

 これまでうつろだった高漸離の目が、猛獣の如く鋭く光ったのに。

 直後、女たちが悲鳴を上げた。宴席はあっという間に騒ぎの渦と化し、どかどかと踏み込んで来た兵士たちが高漸離を取り押さえる。

 見れば、始皇帝が背にしているついたてに一本の鋭い針が刺さっていた。高漸離が、楽器である筑の中から取り出して投げたのだという。

 が、間一髪、始皇帝には当たらなかった。

 当たっていたら、死んでいたかもしれない。

 盧生と侯生は、全身に冷水を浴びせられたようだった。

 しかし当の始皇帝は、この上なく上機嫌で笑っていた。

「見よ、朕の得た高い仙才の前では死の運命など寄り付かぬのだ!朕はやはり死ぬべきではないと、天がそう示しておるのだ!!」

 この恐ろしい暗殺未遂も、己の仙才を信じた始皇帝にとってはもはや恐怖を感じなかった。

 異様な雰囲気の壊された宴席に、始皇帝の笑い声だけが響いていた。

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