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ついに人食い死体の解剖です。
ゾンビって食べた肉を消化するパターンと消化しないパターンがありますが、こいつは消化する方です。目的が目的だからね。
そして……じこはおこるさ。
発疹のない死体の解剖から数日後、とうとう人食い死体の解剖を行う日がやって来た。
助手たちは皆、緊張した面持ちで待機している。
今日解剖する人食い死体こそ、現時点で最も尸解仙に近い実験体だ。これの体内がどうなっているかは、不老不死への大きな足掛かりとなるだろう。
しかし、同時に大きな危険を孕んでもいる。気を抜いてその体液を自分の体内に入れてしまえば、自分はすぐに実験する側からされる側に変わる。
その二つの意味で、皆これまでにないほど気を張っていた。
そのせいで、助手たちの中には既に額に汗を浮かせている者もいる。
「汗が流れそうだったら、遠慮なく後ろにいる助手に言えよ。
面倒でも、いちいち拭ってもらえ」
徐福は、助手たちにそう注意を促す。
顔に人食い死体の体液がついても、それだけで感染とはならない。その病毒を含んだ汚れが目や口や傷に入って初めて、感染するのだ。
それを防ぐうえで、汗を放置しては危険だ。
流れる汗が病毒を含む汚れを溶かし、それを目や口に運ぶ恐れがあるからだ。
なので徐福はそれを防ぐため、助手を二つの組に分けた。直接死体を扱い汚れをかぶる組と、後方で支援して汚れをかぶらない組に。そして、汚れをかぶる組の汚れや汗を後方の者に拭わせることにしたのだ。
こうすれば、汗を介した感染の危険を減らせるだろう。
こうしてさらなる対策を施したうえで、徐福は待望の人食い死体に小刀を入れた。
解剖はもはや慣れたもので、徐福と石生は順調に人食い死体の体を開いていく。
「劣化の具合としては、以前の発疹のない死体とさほど変わりませんね」
「うむ、人を食うからには内臓系の保存を期待したが……どう見ても、生きた組織が保存されているとは言えんな。
色も触感も臭いも、腐りかけのそれだ。
ただし、機能は多少保たれているようだ」
開いてみた腹の中は、相変わらず腐っていた。
しかしその変色した胃腸は動いており、機能の全てを失った訳ではないように思える。徐福は、それを確かめる実験の指示を既に出していた。
「おい、こいつに肉は食わせたんだろうな?」
「はい、二刻(4時間)ほど前に」
徐福は、この解剖される人食い死体にあらかじめ肉を食わせておいた。それがこの腐った胃の中でどうなるか、確かめるのだ。
「よし、では胃を開くぞ」
満を持して、徐福は素早く人食い死体の胃を切り裂く。
すると、腐臭とは違った酸っぱい臭いが立ち上る。
「ほう、胃液は出ているようだな」
これは、生きている人間の吐しゃ物からも感じられる臭いだ。胃が、食物を消化するために出す胃液の臭い。
「これが出ているということは、有望か。
……ほら見よ、はやり!」
徐福は、開かれた胃の中を見て目を見開いた。
その中には、噛み砕かれてグチャグチャになった肉があった。それ自体は、口が機能していれば当たり前だろう。
問題は、その量だ。
「これは……明らかに少ない!
こいつがさっき食べた肉は、こんな量ではなかったはず!」
人食い死体に肉を与えた助手が、驚愕する。
胃の中の肉は、さっき食べさせた量より明らかに減っていたのだ。念のため腸も少し開いてみたが、それでも内容物は少ない。
となれば、結論は一つだ。
「……消化しているな」
徐福の言葉に、助手たちはおおっとどよめいた。
食べた肉が消化されている……それは、消化器系の機能がある程度保たれている証だ。この短時間で食べる瞬間まで生きていた肉が腐って溶けるはずがないので、これは間違いなく消化されているのだ。
人食い死体は心臓が止まり呼吸もなく、明らかに死体である。
しかし、その内臓は肉を消化している。
この発見は、助手たちを大いに驚かせた。
「何て事だ……死んでいるのに食った物を消化するなんて……」
「これなら、本当に尸解仙も夢ではないかも……!」
まだ見ぬ死を超越した存在への希望が、どんどん膨らんでいく。徐福も、興奮してその奇蹟を食い入るように見つめていた。
「素晴らしい……死んで腐りかけても、生きているように働くとは。
死んでいるのに生きている、まさに尸解仙への変化だ!」
徐福が目指す尸解仙……それは、一度死んで不老不死に変化するものである。死んでも機能するようになるこの変化は、まさにその片鱗に見えた。
「そうか……生きた組織を保存するのではなく、死んでも動くように変化させるのが肝要なのだな。
そう言えば、動く死体の筋肉も腐りかけで動いていたな」
徐福は、一番大元の動く死体を思い出す。
肌がボロボロに腐り落ち、ところどころ骨が露出し、うじを湧かせてもなお動き回っていた死体。
前に解剖した動く死体も内臓が溶けかけ、筋肉も変色して脆くなっていたにもかかわらず、動く機能を失っていなかった。
本体が人として死のうが腐ろうが、生前の機能を保つ変化。
それが、本質だったのだ。
(なるほど……組織が生きている必要はない。働きさえすればいのだ。
そして尸解の血には、その変化を起こす力がある)
目の前の人食い死体の内臓も普通の動く死体の筋肉も、もはや常人のそれではなくなっている。
これらの死体の血は既に固まっており、体を巡っていない。にも関わらず一部の組織は機能を保ち続けている。
人間の体では、有り得ないことだ。
人間の体は血の巡りが悪くなるだけで不調を起こし、血が巡らなくなった部分は速やかに壊死して機能を失う。
それが起こらないということは、この動き続ける組織は人のものとはいえない。
別の何かに、変化したのだ。
死を超えて停止することを忘れた、まさに尸解仙と呼べるものに。
「つまり、これは一部だけが尸解仙になったということですか?」
石生が、驚きに目を見張りながら言う。
「ああ、俺はそう考えている。そもそも、大元の動く死体にこの現象があったからこそ、尸解仙につながるとにらんだのだ。
全身をこうすることが出来れば、機能的には生きているのと同じ。
それが、我らの目指す尸解仙だ」
徐福はそう答え、人食い死体の未だ動かぬ部分を見据える。
ようやく、一歩動き出せた。
目指す尸解仙に、実質的に近づいたものができた。
これまでの実験の産物は、一部の劣化が遅くなることはあれど、死後も機能を保つ組織は骨格筋のみだった。
それが、ようやく広がった。
ただ動くだけでなく、肉を食って消化するようになった。
生きている時と同じようにできる事が、増えた。
おまけにこの人食い死体は、欲求を持っている。何の目的も意志もなく歩き回る動く死体より、精神面でも人間に近づいている。
この調子で全身を死んでも機能するように作り変え、精神も生きている時と同じように働くようにすれば、尸解仙の完成だ。
徐福はこれまでにないほどの手ごたえを感じ、いつか作り出せる尸解仙の像を頭の中に描いていた。
しかし、人を食う欲求については解剖では分からなかった。
頭蓋を開いて脳も見てみたが、どこがどう働いているのかは見当もつかない。一様に腐って変色した動かない脳があるだけだ。
そもそも、脳は目に見える動きをしない。
だからどこか一部が腐りながら機能しているとしても、見た目でそれを判別することができないのだ。
「うーむ、これは困ったな。
これでは、何をやったら脳のどこが機能を保つようになるのか分からぬ」
「地道にいろいろ試して、そのつど精神の変化を見るしかないのでは」
「ああ、動かぬ臓器は厄介だ。
もっとも、それが働かなくとも生前と同じように生活できるようになるなら、全ての機能を取り戻す必要はないかもしれん。
現に血が巡る必要はなくなっているようだしな」
徐福は、固まった血が詰まった血管を見て呟く。
尸解仙への道筋が固まり少しでも進んだのはいい事だが、進むたびに新たな疑問が山のように湧いてくる。
体のどこを変化させればどのような機能が戻るのか、はっきり分からない部分も多い。
そもそも、尸解仙と呼べる存在になるのに最低限どの機能がないと困るのかもはっきりしていない。
(一度ここらで立ち止まって、その辺りを整理した方が良さそうだ)
無残に切り裂かれた人食い死体を前に、徐福はそう方針を変えた。
それはある意味、天のお告げだったのかもしれない。
これから起こることに備えて、手と視野に余裕を持っておけと。
解剖が終わって片付けている最中、助手の一人があるものを見つけた。
「あれ、この桶……汗ふき手拭いだけ入れたはずだよな?なんで、こんなに水が汚くなってるんだ?」
助手は首を傾げながらも、誰にも言わずそれを片づけてしまった。
解剖は終わったのだから、後は感染性のものをきちんと処理して終わればいい。誰もがそう思って、深く考えなかった。
なぜあまり汚れないはずの汗ふき布を浸けておく桶の水が、腐臭をまとって赤黒く濁っていたのか……その理由を。




