(66)
久しぶりに再開、ついに本来のゾンビ作りに入っていきます。
まだ更新は不安定ですが続きをどうぞ。
今日もまた、驪山陵に日が昇る。
アリ塚からあふれ出す働きアリのように、夥しい数の労働者たちが持ち場へと散って働き始める。
さらに少し離れた所に、新しい作業場ができていた。
普通の焼き物を作るとは思えぬ大きな窯が立ち並ぶそこは、盧生と侯生が提案した特別な俑を作るための場所だ。
そこには全国から腕のいい陶工たちが集められ、俑の軍勢が完成するまで働かされ続ける。俑に姿を写し取ってもらう始皇帝の近衛兵たちも、非番の日にここに来なければならない。
次々と広がる作業場は、人々の生活を侵食していく負担を映し出していた。
その原因が時間稼ぎの方便だなどと、働かされる者たちは知る由もない。
だが、その時間稼ぎを必要とする側も無意味に手をこまねいている訳ではない。外から見えぬ地下の作業場でも、研究は着々と進行していた。
「今日も、検体たちの様子に変化はないか?」
地下離宮の一室で、徐福は助手たちの報告を聞いていた。
報告の内容は、検体の体調についてである。このところ、徐福は検体たちの体調を細かく観察するよう助手たちに命じていた。
目的は、肝の病の兆候をいち早く見つける事。
なぜなら、研究を次の段階に進めるには肝の病が必要だからだ。
徐福の目指す不老不死、死んでいながら生きているように行動できる尸解仙を作るために、まずは人食い死体を作らねばならない。
作り方は、死ぬと起き上がって歩き回る尸解の民……蓬莱島から連れて来た検体に天然痘と肝の病を重ねること。
検体と天然痘の種は、既に手中にある。
そして検体に肝の病を移すための、病を持った女も用意した。
後は、検体が肝の病にかかるのを待つばかりだった。
そんなある日、助手の一人がかけつけてきた。
「検体の中に、肝の病の兆候を示す者が現れました!」
「何、ついに来たか!」
待ちに待った報告に、徐福は思わず立ち上がった。研究を進められる喜びとその先にある知識への欲求で、目はらんらんと輝いている。
「肝の病というのは、確かであろうな?」
「石生殿の見立てによりますと、肝を腫らしているとのことでございます。
それから、食欲がなく腹の調子が悪いと。ひどく疲れると言って、ここ数日は寝転がってばかりおります。
さらに、白目の色が健康な者と少し違うとも」
その報告に、徐福は力強くうなずいた。
「うむ、石生の見立てならばおおむね正しいだろう。
念のため、侯生が来たらあいつにも診てもらえ。
後は……最後の症状については日光の下で確認したいところだな。その検体を、外まで歩かせることはできそうか?」
「支えがあれば、できると思います」
「ならば侯生が来たら伝えろ。
俺と侯生と石生の三人で、その色の変化を見て確かめる。その色を見れば、肝の病の診断が下せよう」
侯生と石生は医術の心得があるため、こういう時に役に立つ。
徐福は侯生の来訪を待ち遠しく思いながら、次にやることに頭を巡らせていた。
程なくして、盧生と侯生が地下離宮にやって来た。
「お待たせしてしまい、申し訳ありませぬ。
少々、胡亥様に捕まって相手になっておりましたもので……」
二人の話によると、天然痘の一件で驪山陵の監督をやめた胡亥は、今度は俑の作業場の監督になったらしい。
提案した二人に自分が監督する作業と俑ができる様子を見せつけようと、二人を連れて作業場を見せて回ったという。
始皇帝の公子相手なので、二人も断ることができず付き合わされてしまった。
「はあ……咸陽宮の諸官やお偉方の相手は疲れますな。
正直、我々もここで研究を手伝っていた方が心が休まります。ここなら、限られた者しか入れませぬから安心できますし」
侯生が、解放されたように肩を下ろしてぼやく。
このところ二人は新しい事業と始皇帝の度が過ぎた信頼のせいで、周囲から冷たい目で見られていた。
中にはあからさまな敵意を向けてくる者もいて、二人はいつ襲われるかと胆を冷やしていた。
その点、この地下離宮は安全だ。
まず、驪山陵の工事現場には通行証を持たない一般人は入れない。その中でも秘匿された地下離宮は存在自体を知る者が極めて少ないため、ここにいれば刺客が現れる心配はなかった。
逆に、二人に取り入ろうとしてくる者もいる。
二人の機嫌を取って始皇帝に口利きを頼もうとする輩や、自分の仕事を見せつけて歓心を買おうとする胡亥のような者たちだ。
そういう者が現れては引きずり回そうとするため、二人は迷惑していた。
この手の者から逃れるためにも、驪山陵は有効だ。ここは二人に与えられた正当な仕事の場であり、それを口実に逃げ込めるからだ。
そんなこんなで表の仕事に疲れていた二人は、反動のように研究に燃えていた。
そうとも、研究が完成すればこの煩わしい時間稼ぎから解放されるのだ。
侯生は徐福から話を聞くと、すぐに研究者の顔になって本当の仕事にとりかかった。
松明に照らされた坑道を、四人の男たちが歩いていく。侯生と、その仕事を手伝う助手と思しき方士服の三人だ。
そのうち二人は、徐福と石生だ。ただし徐福はここでは徐福と分からぬように、徐市と名乗り髪型やひげを琅邪にいた頃と変えている。
そして残りの一人は、助手ではなかった。
ごく普通の体をいかにも重そうに引きずる男は、両脇を侯生と石生に支えられていた。その顔は、ひどい疲労感に歪んでいる。
この男こそ、肝の病を発したと思しき検体であった。
徐福たちはこの男を、方士服に着替えさせて地下離宮から連れ出した。地下離宮では出来ぬ方法で、肝の病を見極めるために。
外へとつながる坑道を歩く四人を横目に、多くの労働者が行き交う。
道の要所に官吏が立っており、侯生の姿を認めると頭を下げてあいさつをしてくる。一行の素性を怪しむ素振りは、一切ない。
こうして四人は、何に阻まれることもなく坑道の出口に達した。
松明の黄ばんだ光とは違う白く清らかな陽光が、外から差し込んでくる。
それを目にした途端、石生は感嘆の息を漏らした。
「おお……再び、この光を見られるとは……!」
無理もない。石生は元々、この坑道内で人柱になるはずの死刑囚なのだ。
研究を手伝って完成させれば再び日の下で生きられるという条件で徐福に従っているものの、それが簡単な話ではないことは分かっていた。
研究は日々進めているとはいえ、成果が不老不死とあっては雲を掴むような話だ。
だから石生は、再び陽光を拝むことを半ば諦めていた。
その諦めていた光を、仕事の一環としてではあるが再び目にすることができたのだ。石生は思わず、その白い光に見入った。
しかし、そんな石生の肩を徐福が軽くたたく。
「おい、きちんと仕事をしろ。
仕事をしてこそ、再びあれの下を歩ける日が近づくのだぞ」
そう言う徐福の視線の先には、石生と同じように陽光に見入る検体の姿があった。
検体の男にとっても、陽光はここに連れて来られて以来であった。久々に見る慣れ親しんだ光に、検体の男は感動して目を細めている。
一瞬、その光が翳って、検体は目を見開いた。
その目が再び陽光にさらされた瞬間を、石生は見逃さなかった。
(……やはり!)
石生の目が、鋭く光る。
検体の白目は、正常な人間の白ではなかった。白い光の下にあるというのに、染料を流し込んだように黄色く染まっている。
その目を、徐福も侯生も鋭い目で見ていた。
(やはり、黄疸が出ている。これは、肝の病で間違いない!)
体の表面が黄色くなる黄疸という症状は、肝の病に特徴的なものだ。特に本来白いはずの白目には、それが顕著に表れる。
徐福たちはそれを確かめるために、検体をここに連れてきたのだ。
火を光源とする地下離宮や坑道内では、光そのものが黄ばんでいてこの症状が分かりにくい。
だから黄疸を発している病気の女が、普通の女に見えるのだ。
そのため黄疸を見極めるには、検体を白日の光に晒す必要があった。白く澄んでいて色をありのままに映す、太陽の光に。
見つめられていることに気づくと、検体の男はすがるような目で見返して言った。
「あの、何か分かりましたでしょうか?」
徐福は、頼もしい笑みを浮かべて答える。
「ああ、おまえの病気の診断はついたぞ!
病が分かればやるべき事も分かる。安心せよ。じきにおまえは、この病のことを心配しなくてよくなるさ」
それを聞いて、検体の男は嬉しそうに顔をほころばせた。
治療してもらえると思っているのだろう。
そんな検体に肩を貸す侯生たちも、笑顔だ。
これで、研究を進めるための重要な材料が手に入った。この男に天然痘の病毒を与えれば、待ちに待った人食い死体作りに着手できるだろう。
徐福が言ったことは、嘘ではない。
じきにこの男は実験体として天然痘にかからされ、人としての生に別れを告げるだろう。成功して人食い死体になればもう人の心はなくなるし、失敗すれば死ぬだけだ。どちらにせよ、この男が病で長く苦しむことはない。
残酷な実験の手順を噛みしめるように頭の中で反復しながら、徐福はこの哀れな男を二度と出られぬ闇の中へ連れ戻した。




