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盧生と侯生による李斯へのインタビュー形式で、始皇帝と李斯の思想が明かされます。
二人とも基本的に性悪説を信奉しており人間不信で、そのため自分(李斯の場合は君主)の決定のみを信じざるを得ない状態です。
そのうえ秦の国が歩んで来た歴史を考えると、二人の頭の中はこんな風になっていたんじゃないかと。
「……そうか、陛下はそんなに働いていらっしゃるのか」
盧生と侯生から報告を受けた徐福は、苦々しい顔で呟いた。
「古来、酒色に溺れて自らの命を縮めた王は多い。陛下はそういう性格ではないと思って安心していたが……そうか、働き過ぎか。
それは我々も、研究を急がねばまずいかもしれぬな」
懸念されるのは、始皇帝の命がいつまで続くかだ。
徐福たちの不老不死の研究は始皇帝に捧げるものであり、始皇帝が推してくれているからこそ続けられるのだ。
それが、もし途中で始皇帝が死んでしまったらどうなるか。
当然、そうなれば最高権力者が変わる。もし次の皇帝が不老不死を望まなかったり疑問を抱いたりすれば、研究は白紙に戻りかねない。
いや、白紙に戻せればまだいい。
自分たちは今こうして研究を進め、そのための設備や動く死体などが実際にここにあるのだ。それを押さえられて言っている事とやっている事が違うと追及され、罪に問われでもしたら……。
そうでなくても、始皇帝が死ねば驪山陵は本来の墓としての役目を果たすため、研究の場として使えなくなってしまう。
研究がある程度の成果を出す前に、それは避けたいところだ。
「ううむ、酒色に溺れているなら諌めようもあるが、働いているのを止めるのは難しいな。
勤勉であるのは世間的に見れば良いことだし、そういう真面目な人間に下手に遊びや休みを勧めると目の届かぬところで悪さをするのかと勘繰られる。
これは、下も口を挟みづらいであろう」
ぼやく徐福に、盧生は渋面で告げる。
「口を挟みづらいというか、口を挟む気がないように思えます。
特に、現在陛下に最も信頼されている李斯様は……」
盧生と侯生は、先日李斯に聞いた話を思い出してため息をついた。
始皇帝の働き過ぎを知ってから、二人は李斯の下へ赴いた。目的はもちろん、始皇帝の仕事を減らすようそれとなく進言するためである。
盧生は俑のことにかこつけて、話を切り出した。
「陛下は、何事にも熱心に取り組まれるようですな。
まさかあそこまで精巧な俑をお作りになられるとは、我々の予想をはるかに超えておりました。
陛下は、様々な事業や工事をいつもあのように壮麗になさるので?」
盧生と侯生の目に、始皇帝は無駄に事業を大きくして楽しんでいるように見えた。ならばそのような人間の欲望を少し抑えろと言えば、少しは仕事が減るのではないかと思えた。
しかし、李斯は全く違う始皇帝の人物像を明かしてきた。
「ええ、陛下はやれる事があるならば全力を注いで実行し、その効果を最大限に引き出せるよう考えていらっしゃるのです。
いい加減にやってあまり効果が出なかったら、元も子もありませぬから」
その答えに、盧生と侯生は思わず目をぱちくりした。
「……では、事を大掛かりにするのは全て成果のためであると?」
「そうです、陛下はこれまでもそうしてこの国を強くして参りました。
多少その時の負担が大きくても、一旦有用なものが出来上がってしまえば国にはそれ以上のものがもたらされますので」
李斯はそう言って、これまでの事を話し始めた。
まず、秦を強国にした事業の一つに鄭国渠という大運河がある。これは、始皇帝が秦の王となって手掛けた初めての大事業であった。
秦は中華の中で最も内陸の国であり、降水量が少なく農耕に適する地が少なかった。その乾いた土地を潤して食料の生産高を上げるために、遠く離れた川と川をつなぐ大運河を作ることにしたのだ。
この工事は規模が大きく、国の予算を圧迫するほどだった。
おまけに発案者が他国の出身だったので、無駄金を使わせる他国の陰謀ではないかと噂が流れたりした。
しかし、始皇帝は王として強い意志でそれをやり遂げるよう命令した。
完成すれば秦は食糧に困らなくなる、それが分かっていたからだ。
それにやり始めたことを途中でやめてしまったら、これまで使った金が本当に無駄になってしまう。
成果主義の始皇帝は、それを恐れた。
かくして運河が完成すると、これまで乾燥した荒地だった広大な土地が豊かな穀倉地帯に変わり、秦は見違えるほど豊かになった。
遠くの国に出兵するにも、十分な兵糧を用意できるようになった。
それが秦の天下統一を後押ししている。
たとえその時の支出が多くなっても、必要ならば金を惜しまず注ぎ込んで最高のできで完成させるべきだ……その考えが正しかったことが証明された。
李斯は当時を思い出して、感慨深げに言った。
「私もあの工事には関わっていたが、あの時は正直不安を感じたものだ。これだけ金をかけて大きなものを作って、本当にそれに見合う成果が出るのだろうかと。
しかし、その心配こそが成功の敵だったのだ。
もしあの時出費を気にして小さな水路や井戸を掘るだけにしていたら、今の秦の穀倉地帯はなかった。
金はかけるべきところにしっかりかけて成果を得るためにあるのだ」
李斯のその話を、盧生と侯生は真剣な顔で聞いていた。
始皇帝の大きいことはいいことだという考えは、確たる成功体験に裏打ちされていたのだ。
それに、庶民から見たら家計が危うくなるような規模の出費でも、始皇帝には必要な金を集められるだけの権力と国土がある。
ならば、将来のためなら出せる金は出してやれることはやっておこうというのだろう。
二人は納得しながらも、今度は李斯自身について尋ねた。
「では僭越ながら、李斯様は官僚としてそれをどう思われるのですか?
必要な事業とはいえ、いくつも同時に行えば確実に財政を圧迫するはず。それら全てに莫大な金をかけ続けては、民の生活を苦しくして不満を持たれることにもなりましょう。
そのような事態を防ぐために、調整しようとお考えになられたことは?」
李斯は始皇帝に仕え従うと同時に、諌めるべき立場でもある。
だからたとえ始皇帝が自らの意志で働き過ぎ金をかけすぎていても、李斯に諌めてもらえば少しはましになると踏んだのだが……。
「いいえ、私も陛下のお考えで正しいと思っておる。
陛下は私の策を取り上げて金を惜しまず実行したからこそ、天下を統一できたのだ」
そう言って、李斯は自分のことを話し始めた。
秦が天下統一を見据えて動き出した時、李斯は秦王であった始皇帝に献策した。他国を滅ぼすために、他国の臣の買収に力を入れろと。
軍事力で攻め落とそうとしても、敵の結束が高ければ戦いは苦しくなる。だからまずは敵の臣に賄賂を贈って結束を弱めてしまえばいい。そうすれば後はそれが効かない者だけ殺せばいいし、賄賂でいい思いをした者は後々秦の統治に協力してくれるだろう。
これまた、金に糸目をつけずに行われた作戦だった。
この作戦は、ふんだんに金を使って敵の心を買ってこそなのだ。
結果、秦は破竹の勢いで他の六国を滅ぼし天下を統一した。もしこの作戦で金を惜しんで中途半端な成果しか得られなかったら、天下は未だ乱世のままだったかもしれない。
それが、李斯の何よりも大きな成功体験だった。
「……いたずらに金を浪費することが良いとは思わぬ。
しかし、金を惜しんでいては手に入らぬものもある。
特に今は国ができたばかりで、将来のために新たな体制を作る大事な時期。この国を早く安定させて軌道に乗せるために、目先の金を惜しんではいられぬ」
李斯は遠くを見るような目をして、思案しながら言う。
「確かに下々からは、無駄な工事を止めるべきだとか出費を抑えて民の生活を楽にすべきだという声が出ている。
しかし、今やっていることは全て将来の国に恩恵をもたらすためのものなのだ。
馳道(広い軍用道路)の建設だって、今差し迫って必要ではないが、必要になってから作り始めたのでは遅いのだ。
全ては、余裕のある時に前倒しでやってこそ!」
そこで李斯は、二人の方を見て声をかけた。
「そなたらのやろうとしている事も、そうなのであろう?」
「そ、それはもう……!」
二人は、ぎくりとしながらもうなずいた。
本当のことなど、言えるはずもない。自分たちの示している仙道が全くの嘘っぱちで、これまでの提案が時間稼ぎの出まかせだなどと。
不老不死の研究だけは本当にやっているが、あれは表に出せるものではない。
それを円滑に進めるためとはいえ、二人がやってほしいと言ったこと自体に効果などない。それに全力で資金と労力をつぎ込んでも、無駄が膨らむばかりだ。
だが、李斯は安心しきった様子で言う。
「そなたたちの提案についても、疑問視する声が多いのは承知しておる。
だが、私はそなたたちの仕事の意義と大切さを理解しておるぞ」
李斯は、感謝のこもった笑みを浮かべて続ける。
「陛下は、この世にこれまで現れたことのない偉大でかけがえのない人物だ。あれほど英断を積み重ね、勤勉で聡明で、ここまでの功績を立てた人はこれまでにいない。
それほどまでに貴重なお方だから、長く生きてもらうことには特別な意味がある。
陛下が生きてこの世を回し続ける限り、この世は良い方向に変わり続けるであろう。そなたらは、その道を示してくれたのだ」
そこで一度言葉を切って、李斯はわずかに眉を顰める。
「しかし、その重大さを理解できず古い考えに囚われたままの輩が何と多いことか。
不老不死など有り得ぬだと?これまでなかったからといって、本当にこの世に存在せぬとどうして言い切れる。
怪しい話に金をつぎ込むのをやめろだと?そうやって金を惜しんでおったら、手に入るものも入らぬわ。
それが分からぬ愚か者が多いから、陛下が安心して仕事を任せられぬのだ!」
李斯の言葉には、他人への不信感がにじみ出ていた。
おそらく、始皇帝も同じように考えているのだろう。李斯と始皇帝は考え方が非常に似ており、その考えを共有できる者以外に決定権を与えたがらない。
それが、始皇帝が事を大掛かりにして働きすぎる一番の原因だった。
その始皇帝と李斯が今最も頼りにしているのが嘘を嘘で塗り固める方士だということは、皮肉以外の何者でもなかった。
その話を聞いて、徐福はしばらく黙っていた。
自分は研究を完成させるために、予想以上にとんでもない者の力を借りてしまったようだ……そんな畏れが、徐福の背を冷やした。
しかし、いかに嘘で固めようと、その中心には本当にやっている研究がある。
今はただその研究を進めることだけが、始皇帝の信に報い己を守る唯一の方法であった。
次回から再び研究メインですが、産休でしばらく更新が止まります。
ここで終わりではないので、気長にお待ちください。




