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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第十三章 嘘の雪だるま
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(62)

 兵馬俑のネタです。

 あれをどうして作ろうと思ったのかは想像もできませんが、もし誰かが作らせたとしたらこういう説得をしたのかなと。

 多くの敵を蹴散らしてきた帝王ほど、その怨霊に怯えているものですし。


 白菊姫の方といい、黄泉ばっかりです。そもそも黄泉という概念も中国からの輸入品なので。

 ちなみに地下水が出るまで掘ったら黄泉というエピソードは、紀元前八世紀頃、鄭国の荘公の話です。

 数日後、盧生と侯生は始皇帝に謁見した。

「驪山陵の天然痘でございますが、新たな患者の発生は止まってございます。

 現場の官吏どもに聞きましたところ、天然痘が発生した区画にいてかかった経験のない者を、他の区画にいて既に済ませた者と入れ替えたとのこと。

 これからも小規模な発生であれば、これで対応できますかと」

 まずは、今起こっている問題に対する報告である。

 秦は防疫についてもしっかり管理されているため、この件については二人の手を煩わすことはなかった。官吏たちに任せておけば済むことだ。

 だが、報告を聞いても始皇帝の表情は晴れなかった。

 なぜ晴れないのかは、盧生と侯生にも分かっている。

「……それは良い。

 しかし天然痘が発生したということは、何か不吉な兆しではないのか?朕の将来の住処となるのに、障りはないのか?」

 始皇帝は、不機嫌も露わに二人に問う。

 この時代、疫病の発生は天災と同じく人知の及ばぬ何かの祟りと考えられることが多かった。原因が目に見えないため、神や妖怪に答えを見出そうとしたのである。

 特に天然痘はその致死率の高さと患者の醜さから人々に大いに恐れられ、それを避けるための多くのまじないが考えられた。

 つまり、それだけ大変な祟りと考えられていたのだ。

 そんなものが、仙人となった自分が住まう清浄であるべき宮殿のすぐ側で発生しては気分が悪い……始皇帝の心配はそこである。

 盧生はあえて浮かぬ顔で、肩を落として告げる。

「正直、地下深く掘る時点で懸念はしてございましたが……」

「何、どういうことじゃ!?申してみよ!」

 頼りにしていた盧生の心配そうな顔に、始皇帝は慌てる。

 盧生は一呼吸置いて、語り始めた。

「人間は地上にしか住めませぬが、目に見えぬものの住処はあらゆる所にあります。天井には神が、水中には水神や水の妖怪が住み、そして地下には黄泉がございます。

 黄泉は生きた人間の住む場所にあらず、本来は死者の世界です。それゆえ、そこには怨念に満ちた死霊や災厄をもたらす神々がおります。

 地下宮殿は人界から離すために地下深く掘りすぎて、黄泉に近づいてしまったかと……」

 盧生は、いかにもそれらしく理屈をこねた。

 事実、この時代中国では黄泉は地下にあると考えられていた。しかも、人の手が届くくらい浅いところにである。

 昔、とある国王が母を恨み「黄泉に行くまで会わない」と誓って後悔したことがあった。その時に臣下が「地下水の湧くところまで掘ってそこで会えばいい」と進言し、王はその通りにして母と会ったという故事がある。

 つまり、それくらいの深さでもう黄泉という扱いなのだ。

 それを聞くと、始皇帝はさーっと青くなった。

 驪山陵の工事がどのように進んでいるかは、李斯から聞いている。既に三度も地下の泉を掘り抜き、壁に銅板をはめて水を防いでいると。

 この深さが、黄泉の領域でなくて何だというのか。

「な、何と……それではあの天然痘は黄泉の祟りだというのか!?」

「は、我々はそのように見ております」

 素直にうなずく盧生に、始皇帝は顔を赤くして怒声を浴びせる。

「なぜそれを早く言わなかった!?

 おまえたちがあそこが仙人の住処にふさわしいと言ったから、朕はあのような大工事をして地下宮殿を築いておるのだぞ!

 それが今さらになって使えぬなどと……!」

「いいえ、決して使えぬことはありませぬ。

 防ぐ手立てはございますゆえ」

 落ち着き払った盧生の言葉に、始皇帝はどうにか怒りを抑える。知らされなかったことは腹立たしいが、今ここで二人を処分しては仙人への道が閉ざされてしまう。

 しおらしく頭を垂れる盧生を助けるように、侯生が弁明する。

「今まで告げなかったことは申し訳ありませぬ。

 しかし地下における黄泉の広がりは、地上から見ても予測がつきませぬゆえ……実際に掘ってみるまでどうなっているか分からなかったのです。

 掘っても黄泉に当たらず、何も起こらぬことも十分考えられましたので。

 それより人の穢れから陛下を遠ざけることを優先させていただきました」

 侯生は、真摯な顔で訴えかける。

「考えてもみてくださいませ。いかに陛下の仙道のためといえど、今生きている人間を全て陛下に障りがないところまで移動させるのは容易ならぬことです。

 そんな事をすれば都そのものの機能が失われてしまいますし、民に莫大な負担をかけて国力が衰えてしまいかねません。陛下が都の近くで目を光らせることもできなくなります。

 それよりは、現世に影響の少ない黄泉の神や死霊を抑える方がようございます」

 その意見に、始皇帝は唸った。

「うーむ、確かにもっともであるな……」

 侯生が今言ったことは、そもそも始皇帝が仙人となっても都に君臨したいという難しい希望を叶えるためだ。

 始皇帝がその望みを盧生と侯生に告げた時、二人はその問題点を語った。

 曰く、仙人は近くに普通の人間が大勢いるとせっかく得た神気を害されて力を失ってしまう。だからそれを防ぐために、人里から遠く離れて暮らすのだと。

 しかし、始皇帝はそうしたくなかった。仙人になるのは永遠に人の統治者として君臨したいからであり、そのために都を去るなどもっての外だった。

 だからその解決法として、驪山陵の地下を住処としたのだ。

 自分の仙力を保つことと自分の都を壊さないことを、両立させるために。

 すると、侯生の言う事は理に適っている。生きた人間と死霊のどちらかをどかさなければいけないなら、現世の国に影響しない死霊にすべきだ。

 しかもその手段が、分かっているというのなら。

「……で、死霊や黄泉の神々の祟りを避けるにはどうすればいい?」

 始皇帝は落ち着きを取り戻して、盧生と侯生に問う。

 その瞬間、盧生の目が待っていましたとばかりにギラリと光った。盧生はうやうやしく一礼し、語り始める。

「それほど難しいことではございませぬ。

 黄泉の神々については我々が祀り、機嫌を直して差し上げます。

 地下にはびこる死霊については、驪山陵の周囲を俑の軍勢で囲って守れば容易に手出しできなくなりますかと」

「なるほど俑か、それなら簡単だな」

 始皇帝は、納得して頬を緩める。

 俑とは、権力者の墓に入れる陶器の人形である。死者が黄泉へ行っても世話をする者がいるように、この時代の有力者の墓にはよく入れられている。

 もっと昔は死んだ王の妻や家臣などが殉死して一緒に墓に入っていたのだが、そんな事でまだ働ける人間を殺すことはないと、代わりに俑を入れることになったのだ。

 驪山陵にも、始皇帝の死後に墓として使うなら俑が入れられることになっていた。

 だが、ここで盧生はたたみかける。

「しかし、ただの俑では不足でございます。

 しっかりと魂が入り、今の陛下をお守りする軍勢のごとく猛々しく戦えなければ」

「ほう、どうしてだ?」

 首をかしげる始皇帝に、盧生はにわかにおどろおどろしい口調で告げる。

「陛下は天下を統一なさるまでに、一体どれだけの敵を倒し国を滅ぼしてまいりましたか?陛下を恨んで死んでいった者が、どれほどいるとお思いですか?

 それらの者のうち、首を取れなかった者は皆黄泉にいるのですぞ。

 そこまで多くの死霊から守るとなると、並の俑ではとても……」

 盧生の指摘に、始皇帝ははっと気づいた。

 始皇帝は秦以外の六国をことごとく滅ぼし、中華の大地を一つにするという素晴らしい偉業を成し遂げた。

 しかし裏を返せば、秦以外の六国は全て始皇帝に敗れ無念の中で滅ぼされたのだ。つまり滅んだ六国の死霊たちの恨みは、全て始皇帝に向いている。

 これに、歴代の普通の王と同じ魂のこもらぬ俑で対抗できるとは思えない。

 盧生がついたのは、まさにそこだ。

 始皇帝にとっては、なまじ自身の輝かしい業績と表裏一体のことなので否定できない。自分がどれだけ恨みを買っているかは、よく知っている。

 これまでも、天下統一してからでさえ自分を殺そうとする者は現れた。地上で生きた人間がやることからは李斯が守ってくれるが、地下の死霊までは……。

「……ならば、どのようにすればよい?」

 始皇帝は、盧生に対策を請うしかない。

 盧生はそんな始皇帝を安心させるように、時間稼ぎの策を告げた。

「陛下の近衛兵たちの魂が死後宿れるよう、彼らの容貌に似せた俑をお作りください。さすれば、彼らは死後も陛下を守る盾となりましょう。

 六国を滅ぼした最強の部隊を前に、滅んだ六国の亡霊どもは手を出せますまい。

 これを地下宮殿の周囲に配置すれば、死霊の害を免れるかと」

 それを聞くと、始皇帝は安心して体の力を抜いた。

「そうか、ならばそれほど難しいことではないな。

 すぐ作業にかからせよう、李斯を呼べ!」

 始皇帝はすぐさま盧生の意見を採用し、実行することを決めた。盧生と侯生は満足そうな笑みを浮かべ、静かに退出していった。


 以上が、盧生の考えた時間稼ぎの策である。

 天然痘の発生を地下の死霊の祟りとつなげ、その対策としてすぐには効果があるか分からない手段を実行させる。

 しかも、始皇帝の心の弱みを突く形で。

 強靭な精神を持つ始皇帝と言えど、後ろめたさがない訳ではない。表では平静を装っていても、内心はこれまで葬ってきた者たちの恨みに怯えている。

 それでも、臣下の前でそれをさらけ出すことはできない。弱みを見せれば、自分の絶対者としての威厳が崩れてしまうから。

 そういう孤独で抑圧された弱みは、方士の詐術の格好の的だ。

 その手の弱みから救うふりをして相手を操るのは、盧生の得意分野だ。

 かくして始皇帝の関心はそちらに向けられ、不老不死の成果を示す時間は猶予された。なぜなら、仙人となった後の準備ができていないのに仙人になってもかえって不自由だからだ。

(しかも、これで驪山陵周辺はまた作業場が増えて慌ただしくなるはず。

 これなら我々の動きもさらに目立たなくなる)

 この策には、仕事をさらに増やして警備や監視の網を少しでも薄くする狙いもある。自分たちと徐福の秘密の研究が、より進めやすくなるように。

 当然現場の負担は増すだろうが、そんな事は知った事ではない。

 また一つ不老不死のために良いことをしたと思いながら、盧生と侯生は黄泉のごとき地下の作業場に戻っていった。

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