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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第十三章 嘘の雪だるま
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(61)

 実験から少し離れて史記パートに戻ります。

 巡幸から始皇帝と盧生が帰ってきて、咸陽に役者が揃います。


 人をだます者として信頼されるのはいいですが、度が過ぎるとかえって重荷になってきますね。

 始皇帝が、巡幸から帰還した。

 前回の巡幸よりやや短い、南方へ行かず中原を回るような道程であった。短くなったのは、途中で起こった暗殺未遂の影響もある。

 始皇帝も李斯も、安全な旅をするにはまだまだ体制が整っていないと痛感したのだ。

 そのため、しばらくは咸陽にいて足下を固めるつもりだった。

 その足下で驪山陵がどうなっているかなど露ほども知らぬまま、始皇帝一行は表面上変わり映えのない咸陽の門をくぐった。


「皆の者、留守番ご苦労であった」

 始皇帝が、留守を守っていた文武百官にねぎらいの言葉をかける。咸陽宮の大広間に集められた、数え切れぬほどの人間が、一斉に平伏する。

 その中には、途中で巡幸を離脱した侯生も含まれていた。

 侯生がチラリと目をやると、盧生は始皇帝のすぐ側にいた。

(ずいぶんと信頼を得たようだな)

 よく見れば、盧生の着物は出発する時よりもいいものに替えられている。途中で賜ったのか、腰から美しい璧まで下がっている。

 侯生はまだ何があったか知らないが、盧生の待遇が良くなったのは確かなようだ。

 しかしそれをこの場で問う訳にもいかず、侯生は喉の奥で数多の言葉を飲み込んだ。

 一しきりねぎらいの言葉が終わると、始皇帝はさっそく文武百官に問う。

「さて、朕がいない間に何か変わったことはあったかな?」

 旅から帰って来ても、始皇帝はすぐに宴会を始めたりはしない。現実主義で根が真面目な始皇帝は、まず仕事のことを考えている。

 すると、居並ぶ百官を押しのけるようにして少年が駆けて来た。

「父上―!」

 それは、始皇帝の子の一人である胡亥であった。

「これ、公務中であるぞ。静粛になされよ!」

 李斯が険しい顔になって注意しても、どこ吹く風だ。胡亥は器用に並んでいる官吏たちの間をすり抜けて、始皇帝の前に出る。

「どうした胡亥、今は仕事の話以外は許されぬぞ」

 仕事に厳しい始皇帝も、憮然として胡亥をにらみつける。それでも妨害としてつまみ出さないのは、やはり胡亥を可愛がっているせいか。

 胡亥はそんな父を上目遣いに見つめ、すがるように言う。

「お仕事の話です、お父上がいらっしゃらない間に困ったことがあったのです!」

「ほう、それは話してみよ」

 始皇帝の許可が下りると、胡亥は大げさに身振りを交えて話し始めた。

「私はお父上から驪山陵の工事監督を仰せつかり、それに励んでおりました。

 しかし先日、工事現場で天然痘が出たのです!

 天然痘といえば、死の疫病というではありませぬか!?私はまだかかった事がありませぬし、恐ろしゅうて……。

 お父上、どうか私の仕事を変えてください。死ぬのは嫌でございます!」

 それを聞くと、始皇帝の眉間にしわが寄った。

「ふむ、それは良くないな」

 普通の官吏ならばそれの管理も仕事のうちだと突っぱねるところだが、やはり可愛い実子となると思うところがあるらしい。

 もちろん、法が許す範囲での話だが。

 それに胡亥は数多いる始皇帝の子たちの中でも、次の皇帝を継ぐ資格のある子なのだ。それを防げる病で無駄死にさせることはない。

 始皇帝の目が、側に控える者に向いた。

「どう思う、盧生よ?」

 まず問いかけた先は、官吏たちの長である李斯や馮去疾ではなく盧生だった。これには、居並ぶ百官も驚きを隠せない。

 子供に仕事を覚えさせるための役目とはいえ、国の人事を方士に問うとは。徹底した現実路線を貫いてきた以前の始皇帝からは、考えられなかった。

 同じ方士の侯生も、さすがに仰天した。

 一体何があって、盧生はここまで始皇帝の信頼を得たというのか。

 その盧生は少し疲れた顔をしていたが、すぐに落ち着いて答えた。

「工事現場の監督については、以前の通り私と侯生がいたします。私も侯生も天然痘は済ませておりますので、心配はございませぬ。

 胡亥様については、また別の仕事を与えていただければよろしいかと」

 それを聞くと、始皇帝は少し安堵した。

「なるほど、それならば安心だ。元々、おまえたちを巡幸に連れて行くために代わりとして任命したのだからな。

 しかし、天然痘とは穏やかでないのう」

「はい、それについても侯生と力を合わせて対処いたします。

 ただ、私は陛下と同じく帰還したばかりで現場が今どうなっているかよく知りませぬ。まずは現状を調べねばどうにもなりませぬので、少しお時間をいただきます。

 それに……長旅でいささか疲れました。

 この件は持ち帰らせていただいて、後日対策をお持ちします」

 そう言う盧生の顔には、確かに疲労がにじみ出ていた。

「分かった、おぬしに倒れられては元も子もない。

 対策はゆっくり考えてくれれば良いし、もう下がって休養するがよい。

ただし、その間に天然痘があまり広がっては困る。現場の官吏たちに、患者の発見と隔離を徹底するよう伝えよ!」

 始皇帝の命令一下、官吏の一人が現場に命令を伝えに走り、盧生が退出する。

 その後はいろいろと他の報告があったが、そんな事はもう侯生の頭に入ってこなかった。気になるのは、ただ盧生のことだ。

 あの信頼の置かれ方は、普通ではない。

 報告が終わって解散すると、侯生はすぐさま盧生の後を追った。


 すぐに工事現場の状況を確認するとして驪山陵に向かうと、盧生は転がり込むように地下離宮に入った。

「いやはや、針のむしろに座っている気分でございました!」

 助手に硬くなった体を揉ませながら、盧生は巡幸の間のことを語った。

 侯生が離脱した後、始皇帝の暗殺未遂事件が起こったこと。事前に天のお告げとして轀輬車の数を増やしておいたおかげで、始皇帝が無事であったこと。

 そしてその一件で、邪魔者であった尉繚が信用を落としたこと。

 尉繚は事件の前から侯生を追っていたが、そのせいで事件が起こった時に始皇帝の下に戻るのが遅れてしまった。さらに命令してもいない事をやっていたせいで事件を防げなかったのだと、責任を問われてしまった。

 そのため尉繚は道程調査の任を解かれ、暗殺者を調べて捕まえるために江南に行かされた。

 暗殺者は今も捕まっていない。

 証拠の品が江南で作られたと思しき鉄槌一つなので調査は難航しており、尉繚はしばらく都に戻って来ないと思われる。

 それを聞くと、侯生と徐福は手を叩いて喜んだ。

「素晴らしい大戦果ではないか!」

「いや、全てが盧生のおかげではないが……こうもうまくいくとは!」

 しかし、盧生は苦虫を噛み潰したような顔で言った。

「ううむ、確かに信頼を我々に寄せて邪魔者を排除できたのは大きい……しかし何事にも程々というものがあってだな……。

 あれ以来陛下は、私に信を置きすぎているのだ」

 盧生曰く、始皇帝は盧生が天のお告げを聞けると本気で信じ込んでしまったらしい。

 例の暗殺未遂以来、始皇帝は何かあるたびに盧生に意見を求めるようになった。下手に答えて外してしまうと非常にまずいので、盧生はその対応に身も心も疲れ果てている。

「いつでもお告げを聞ける訳ではないと言ってごまかしておりますが……あの調子ではいつボロを出してしまうかとヒヤヒヤしております。

 期待が大きいほど、裏切られた時の落胆は大きくなりますので」

 それを聞くと、徐福も渋い顔をした。

「なるほど、そこまでか……それはちとまずいな。

 信頼されるのは良いが、逆に何でもできると思われてしまうと成果が上がらぬことについて苛烈に責められる。

 我らの不老不死の研究も、早めに進めねば危ないかもしれん」

「申し訳ありませぬ……」

 消え入りそうな声で謝る盧生に、徐福は励ますように言った。

「なに、悪いことばかりではない。

 そこまで信頼されているのであれば、何か意見を出せばたいていのことは叶えられるだろう。これは研究を一気に進める好機でもある。

 信頼をつなぎ止めている間は、少し無茶をしても大丈夫だろう」

 言いながら、徐福は侯生の方を見る。

 これまでは始皇帝の側にいたのが盧生一人だったので負担が集中してしまった。だがこれからは侯生と二人で対応できるし、徐福が助言することもできる。

 むしろよく帰還するまで持ちこたえたと、盧生をほめてやりたかった。

 それに報いるためにも、始皇帝の信頼を維持しつつ迅速に研究を進めて成果を出すよう努めねばならない。

「……となると、信頼を失わぬよう時間稼ぎをせねばなりませぬな」

 侯生が、難しい顔で呟いた。

「研究については、人食い死体ができれば大幅な前進を見込めますが……現状は検体が肝の病にかかるのを待っている状態です。

 少なくともその間の時間を稼いで、陛下の気をそらしておきませんと」

「……こちらから、向こうもすぐには結果が分からぬ提案をしてみるか」

 徐福が言うと、盧生はニヤリと笑った。

「それならば、やりようはあります。ちょうど陛下は天然痘に懸念を抱いているようですし、その対策としての提案ならば容易く話が通るでしょう。

 それも、今ではなく将来の陛下のためということにして……」

 盧生は、小声で徐福と侯生に耳打ちした。

 その案を聞くと、徐福は頼もし気にうなずいた。

「なるほど、それならいくらか時間を稼げよう。

 やはりこのような仕事については、おぬしが一番だな!」

 一人でいると具体案を問われた時に困ってしまうが、そこまでの道筋を素早く示してくれる仲間がいれば盧生は強い。

 元より、人の心配や弱みに付け込む話術や詐術は盧生の本業だ。

 分かたれていた仲間と合流し、不老不死という崇高な目的のために、盧生の小狡い知略が再び猛威を振るおうとしていた。

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