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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第十二章 隔離区画
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(60)

 前回が章のクライマックスだったので、今回は次につながる後日譚のようなものです。

 安息起や胡亥など、様々な人物が登場します。


 いろいろなところにフラグがばらまかれています。人食い死体の性質を良く知らぬまま進められる研究は何を引き起こすのでしょうか。

 天然痘で死んだ者の解剖が終わった後、徐福たちはしばらく情報をまとめるのに忙しかった。

 こんなに早くこの実験が行われると思っていなかったため、何をどういう視点で観察するかもまとまらぬままの解剖だった。

 当然、得られた情報もそれぞれが気づいたことを記録しただけだ。

 徐福と侯生、それに石生などの知識のある者は、その雑然とした記録を体系ごとに分けて整理せねばならなかった。

 さらに、昔から伝わっている人食い死体の伝承とも照らし合わせてみた。

 蓬莱島に移住するきっかけとなった人食い死体の発生……その時の詳細は、島の長となるべき者に代々伝えられている。

 もちろん島の長である安期小生はここには来られないが、長の候補であった安息起ならいる。

「ああ、その話なら知っているぞ。

 俺の親父は俺を次の長にするつもりで、いろいろ教えてくれたからな」

 安息起は、酒と美食で脂ぎった顔でニヤリと笑った。

 安息起の父はとんでもなく強欲で、安息起を何が何でも次の長にしようとしていた。そのため、安息起は本来長にならなければ知らないような事まで知っている。

 それが、安息起をここに連れてきて生かしている一番の理由だ。

 安息起は酒と美食に溺れて自堕落になっていたが、徐福が仕事だと言うと素直に応じた。役目を果たせばもっといいものをもらえると思っているのだろう。

 徐福に天然痘で死んだ者の所見を伝えられると、安息起は首を傾げた。

「発疹が腐るのを遅くする……?

 昔発生した人食い死体に、そんなものはなかったらしいが……」

「何、どういうことだ!?」

 思わぬ指摘に面食らった徐福に、安息起は語る。

「伝承によれば、噛まれて自らもそうなってしまった人食い死体は顔色の悪さと傷以外で健常人と見た目上区別できなかったらしい。

 そのせいで他の者がそれと気づかず近寄って噛まれてしまい、手がつけられぬほどの人食い死体が発生してしまったと。

 だから、少なくとも噛まれてうつされた者に発疹はない。

 病毒の発生源となった、最初の一人は分からぬが……」

 その話に、徐福は唸った。

「ううむ、それは興味深い話だ。

 我らが解剖した死体では発疹が組織を保存しているように見えたが、発疹がなくても人食い死体は成立するのか。

 ならば、組織の保存には別の要因も考えねばならんな」

「そうか、俺には難しい話は分からんが……知っていることならいくらでも話すさ。

 だから、できればもう二、三人女をな……」

「考えておこう」

 安息起の強欲なおねだりをさらりとかわして、徐福は自分の仕事場に戻っていった。頭の中にあるのは、人食い死体のことばかりだ。

(人食い死体に、発疹は必要ないのか。

 となると、もっと目に見えない部分で変化が起こっているのか。それとも、肝の病を重ねる事で病の性質そのものが変わってしまうのか……)

 頭の中でぐるぐると想像を巡らせても、本当のところは分からない。

 分かるのは、それこそ人食い死体が出来てそれを解剖した時だろう。

 何とももどかしいことだが、人食い死体ができるまでは先に進めそうにない。徐福は、それを誰よりも分かっていた。


 安息起との話が終わると、徐福は他の検体たちがいる方ものぞいてみた。

 男の検体たちは相変わらず、肝の病をうつすために当てがった女に群がっている。今はきちんと服を着ているが、女にちょっかいを出しつつ楽しそうにしている。

 美女とはいえ一人なのですぐ飽きられるかと思ったが、そうでもなかったようだ。

 女は病で体力が落ちているとはいえ、歌や舞はうまいし、かなりの床上手でもあるらしい。さらに、巧みな話し方で外の世界の話を語り聞かせているようだ。

 ここに閉じ込められている検体たちにとっては、外の話はそれだけでとても興味をそそる最高の娯楽である。

 女はそれを見抜き、男たちをしっかりつなぎとめている。

(あの様子なら、男の検体たちが肝の病になるのも時間の問題だな)

 そうなれば、ようやく人食い死体への道が開ける。

 徐福がわくわくしながら立ち去ろうとすると、石生が声をかけてきた。

「どうも、女の検体の体調が思わしくありませぬ」

 女の検体といえば、男の検体たちが新入りの美女に夢中になっているせいでふてくされていると報告を受けていた。

 美女のことを邪魔者と思って避けているため、そこから肝の病がうつることは望めないはずだが。

「何か、別の病にでもかかったか?」

 徐福が問うと、石生は歯切れの悪い顔で答えた。

「いや、病と言いますか……。

 実は、連日酒を飲みすぎるせいで肝を悪くしておりまして。我々が止めようとしても、自棄になっていて聞く耳を持ちませぬ。

 このままでは、実験に使う前に命を落としてしまうかも……」

 これは予想外の事故だ。

 徐福は少し頭に手を当てて、落胆したように答えた。

「うーむ、このままでは無駄な損失になるか。

 死ぬに任せて動く死体になるか見てもよいが、次に検体を補充できるのがいつになるか分からぬからな……。

 やむを得ぬ、命が危険だと思ったら強制的に酒を止めさせろ。

 もっとも、既に肝が硬くなってしまっていたら今やめても無駄かもしれんが」

 しゃべりながら、徐福はふと安息起のことを思い出した。

(酒が過ぎるといえば、あいつもまさにそうだな。

 島にいた頃は精悍な若者であったが、酒と美食に溺れてすっかり肥え太って。あれこそ早死にせぬよう気を配らねば。

 まあ、酒と美食にしか興味を持てぬよう仕向けたのは我々だがな)

 検体が余計なことを考えないようにするには、美食で釣って酒で頭を鈍らせてしまうのが一番だ。しかし、それも過ぎれば新たな問題を起こす。

 まるでモグラ叩きのようだと、徐福はため息をついた。

 その新たな問題が検体にもたらす変化が何を招くかなど、今の徐福たちには考えるべくもなかった。


 それから数日後、驪山陵の工事現場がにわかに騒がしくなった。

「嫌だ、僕はもうこんな所にいたくない!咸陽宮に帰る!」

 甲高い少年の悲鳴が響き、労働者たちが仕事を放り出して道を開ける。そこには、血相を変えて輿をかつぐ宦官をせかす胡亥の姿があった。

 そのあまりの慌てぶりに、侯生は驚いて近くの官吏に問う。

「一体、どうなされたのですか?

 前はここの監督をあんなに張り切ってやっていらしたのに」

 すると、官吏は心配そうに小声で答えた。

「それが……労働者の中に天然痘が出たのです。

 胡亥様はまだ済ませておりませぬから、しばらく近づかぬように進言いたしましたところ、予想以上に怖がって取り乱してしまわれて……」

 それを聞いて、侯生はぎくりとした。

(もしや……我々が流した病毒が原因か?)

 徐福や侯生たちが天然痘の患者の世話をし、さらに遺体を解剖したのは将来始皇帝が住まう本宮への通路の一部だ。

 そこの水や空気の流れは、今も工事が続いている本宮につながっている。

 つまりそこから水や空気を伝った天然痘の病毒が、本宮の工事で働いていた労働者たちに届いてもおかしくない。

 そんな事情を知らない官吏は、忌々し気に呟く。

「全く、いつか出るのではと思っておりましたが……。

 全国から数十万人も刑徒を集めているのですから、全てを監視するのがそもそも無理な話だったのです。

 もしくは、寝所で使う物資や衣類などに患者の持ち物が紛れ込んだか……。

 いずれにせよ、あまり広がらねばいいのですが」

 その言葉を聞きながら、侯生は背中に冷や汗をかいていた。

 天然痘がとてつもなく伝染性の高い病であることは、侯生も身に染みて分かっていた。こうなる可能性も、もちろん頭の中にあった。

 しかし実際こうなってみると、何も関係ない者たちを巻き込んでしまったと申し訳なさを覚えてしまう。

 もちろん、自分たちの実験が原因とは限らない。

 官吏の言うような他の可能性だって大いにあり得る話だし、自分たちとは関係のないところでただ患者が出ただけかもしれない。

 しかし、侯生は何となく嫌な胸騒ぎを覚えていた。


 このまま研究を続けていくと、もっと多くの人に迷惑がかかるのではないか。

 研究で得られるものと引き換えにはできないような、悲惨なことが起こるのではないか。


 それでも不老不死のためだと自分に言い聞かせて、侯生は不安を押し殺す。

 研究が完成し不老不死になれるようになれば、人間は病による死からも解放されるのだ。その躍進のためならば、少々の犠牲はやむを得ない。

 ただ、始皇帝にどう説明するかについては疑問が残った。

(大工事に疫病がつきものとはいえ、これを不浄と見られては困るな。

 我々はここを、邪気を避ける地として推しているのだ。

 ここを汚れた地と思われて工事を中止されてはたまったものではない。何とか、陛下の機嫌を損ねぬ言い訳を考えねば)

 そこまで考えて、侯生はふと東の空を見上げた。

(……もうすぐ、盧生が陛下と共に巡幸から帰って来る。

 二人で力を合わせれば、良い知恵も浮かぼう)

 長らく離れ離れになっていた盧生との再会は、もうすぐだった。


 結論から言うと、侯生の予感は正しかった。

 災いの種は人の目の届かぬ地下に広く根を張り巡らし、いよいよ地上の人の世にいくつも小さな芽を出し始めていた。

 それが大いなる災厄の大樹となるかは、もちろんこれからの対応次第だろう。

 だがその災厄がおぞましい本性を露わにする時は、確実に迫っていた。

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