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運び込んだ検体に天然痘の感染者が出てしまいますが、隔離して観察した結果はどうだったのでしょうか。
いかなる結果になろうとそれをさらに先の研究につなげる、それが徐福という男です。
天然痘が持ち込まれたその日から、徐福たちは二手に分かれて動き出した。
地下離宮には天然痘にかかっていない助手と安息起が暮らし、天然痘疑いの検体と彼らの搬入を手伝った者は隔離区画で寝泊まりする。
万が一にも、天然痘を地下離宮に持ち込まぬためだ。
研究を進めるには、目的の検体に適正なタイミングで天然痘にかかってもらわねばならない。野放図に感染が広がって検体が全滅しては困るのだ。
そんなわけで、徐福と侯生も今は隔離区画にしか入れなくなっていた。
「……やはり、こう殺風景だと気が滅入るのう。
離宮の環境の良さが身にしみるわい」
ぼやく徐福と共に、侯生は各検体の状態を記録し、整理する。
「まあ、仕方がありませんよ。連れて来た者たちの天然痘が収束するまでは、我々も見に行くたびに病毒を浴びることになりますし。
そう言えば、連れて来た検体のうち新たに二人が熱を出したようです」
「ふん、やはり懸念は当たったか」
侯生の報告に、徐福はぴくりと眉を動かした。
「俺もできる事なら、無事な検体は地下離宮に入れてやりたかったが……病は目に見えるものが全てではないからな。
すぐ発症する訳ではない以上、最悪を考えて対処せねばならん。
そう考えると、今は我々が二人ともこちら側で良かったということか」
無事な検体を多く残したければ、発症した者のみを隔離すればいいように思える。
しかし、発症していなくても、既に感染して発症を待つばかりの者がいるかもしれないのだ。それらを地下離宮に入れれば、最悪離宮で感染が広がってしまう。
離宮には確実に感染していない安息起と、検体が一人いる。
対して、今回連れて来た検体の中には何人感染者がいるか分からない。
前者を守るためには、後者を全員独房に入れて隔離したうえで収束を待つしかないのだ。そうすれば、後者が全滅したとしても前者は守れる。
「……まあ、実験に使う検体は時間はかかるがまた取り寄せられる。
だがここに情報源として連れて来た安息起には、まだ死なれては困るからな。あれだけは、替えがきかぬ」
「苦しい判断、お察しいたします」
侯生は、効率と確実性の板挟みになっている徐福をねぎらった。
「しかし、収束するのもそう遠い話ではありますまい。
最初に発症した者を見る限り、彼らは天然痘に極めて弱いようです。感染している者は、早々にかたがつくかと……」
「それもそうだな。
それに……できる事は少なくても、退屈はしないで済みそうだ」
徐福と侯生が机を並べている独房の前に、人影が見えた。助手が、また何か新たな報告を持ってきたのだろう。
多くの検体を限られた人数で管理するため、どうしても仕事は忙しい。
だが、こうして新しいことを知れる忙しさは徐福は嫌いではない。これも研究と割り切って、徐福は手渡された書簡に目を走らせた。
時が経つにつれて、発症した検体の容体は急激に悪くなっていった。
<最初に発熱した患者に、発疹が出現。まだ小さいが、ものすごい数。
この者にさらに升麻を飲ませる意味があるか、判断を請う……。>
<発疹が大きくなってきて、顔面と体幹はほとんど覆われてしまった。食欲も落ちているため、食事を粥だけにしてみる。>
<重湯ですら飲めなくなり、さらに呼吸がひどく苦しそうだ。口を開けて中を見てみたら、発疹で喉が塞がりそうになっていた。
しばらく動ける見込みなし、窒息は時間の問題とみて、この患者に足枷をはめた。>
助手たちからの報告の書簡が、患者の様子をつぶさに伝えてくる。
「ふむ、どうやら……最初の患者がもうすぐ死にそうだな。
動く死体になるか、あるいは……」
もうすぐ人が死ぬというのに、徐福の目はらんらんと輝いていた。
当たり前だ、徐福にとってはこれも大切な実験の一部だ。天然痘で死んだ尸解の民は、普通に死んだ者と何か違いがあるか……それが分かる。
もしあれば、また一つ不死につながる資料が増える。その死体が動く死体になってくれれば、特にありがたい。
それに、人食い死体になる可能性もないとは言い切れない。
もし一気に人食い死体ができれば、研究は大きく前進する。
その可能性を前にして、徐福の探求心を抑える方が無理だ。むしろこの状況で心が動かないなら、ここまでの研究に手を出していない。
徐福は島で聞いた知識からその可能性が極めて低いことを理解していたが、それでも心では期待していた。
だからこそ、死にそうな患者にはめる足枷を用意したのだ。
万が一人食い死体ができた時に、動きを封じて円滑に研究できるようにと。
(さあ、どうなるか……。
ま、ならなくてもいろいろと調べさせてはもらうがな)
徐福がそう考えながら書簡を読んでいると、助手の一人が息を切らして走ってきた。
「最初に発症した検体が、死亡しました!」
徐福は思わず、ニンマリと笑った。尸解の民に不死の欠片を一つだけはめた、新しい検体が手に入ったのだ。
徐福のその顔を見てしまった助手が、ぎょっとして後ずさる。
しかしその笑みを隠そうともせず、徐福は助手に指示した。
「よし、これからも二刻ごとに監視せよ。
もし起き上がって動いているようなら、すぐ報告しろ!」
安息起の話によれば、死体が起き上がるのは死んでから五日以内とのことだ。それなら、自分たちや他の検体の隔離が解けるまでには結果が分かるだろう。
徐福は鼻息を荒くして、起き上がったらどうしてやろうかと考えながら時が過ぎるのを待った。
それから、一週間が経った。
結果から言えば、人食い死体はできなかった。
侯生が運び込んだ十人の検体のうち三人が天然痘にかかり、死んだ。そのうち一人の死体が動き出したが、食べることはしなかった。
体中が天然痘によって醜くなっていること以外は、特に変わったところのないごく普通の動く死体だ。
徐福は、やや落胆した。
「うむ、まあ予想通りということか。
やはりそう簡単に人食い死体はできぬな」
確率の問題だという可能性もあるが、どのみち確実に人食い死体を作るには肝の病を重ねることが必要だ。
不死はもちろんその中継地点である人食い死体も、材料を全て揃えなくても作れるほど簡単ではないということだ。
(……だが、それでこそ研究のし甲斐がある。
誰にでも簡単に作れるものなど、研究するまでもない)
徐福は持ち前の探求心で気を取り直し、死体を調べてみることにした。
すると、あることが分かった。
「この死体は、腐るのがずいぶんと遅うございますね」
死体を管理していた助手の一人が、こう言った。もう死んでから一週間も経つのに、皮膚が崩れるのが遅いと。
そう言われてみれば、確かに死体らしく血の気を失って変色しているものの、肌は死んだ時の形を残している。
それを見て、侯生も首を傾げた。
「確かに、おかしゅうございますね。
普通、天然痘で死んだ者は体中の傷口から早く腐敗が広がってしまうものですが……それでなくとも、重病で弱った者は健康で突然死した者より若干死後の劣化が早いはず。
なのに、この死体は見る限り、健康体と同じかそれ以上に腐敗が遅い」
徐福は、興味深そうに呟いた。
「保存性が高くなっている、ということか……?」
三体とも、全身が膿のたまった発疹に覆われてところどころ崩れたり破れたりしているのに、そこから腐敗で溶けていくことがない。
いや、もっと長い時間を置けばそうなるのかもしれないが……明らかに遅い。
「……そう言えば、普通の動く死体は筋肉の劣化が遅かったな。
それが、全身に広がったということか?」
「全身か、単に範囲が変わったのかは分かりませんが……。
解剖、してみますか?」
侯生の言う通り、ここは解剖して体内がどうなっているかを確かめるべきだろう。だが、それをすぐ行うには危険がつきまとう。
徐福は今すぐ解剖したい気持ちをぐっと抑えて、言った。
「もう一週間、待ってみよう。
その間新たな患者が出なければ、無事な検体を全て地下離宮に移す。解剖して病毒をまき散らしていいのは、それからだ。
それまで、患者と接した助手は無事な検体に近づかぬことを厳守するように」
天然痘に感染していれば、二週間以内には必ず発症する。侯生と合流してからこれで二週間、ここに運び込まれてから一週間になるので、もう一週間経って発症がなければ運び込まれた時点で感染していないことになる。
運び込んでからは検体一人一人を隔離し、発症者と無事な者では世話をする者を分けたため、感染の危険は極めて少ないはずだ。
だからあと一週間以内に発症がなければ、感染拡大はなしとして無事な検体の隔離を解く。
その前に、感染の危険を大きくする行為をしてはならないのだ。
天然痘の病毒は、患者が死んでからも長い事残り続ける。その死体を切り刻んで汚れ物を洗うとなると、大量の病毒があふれ出すだろう。
それで今無事な検体たちを感染させることは、ならない。
「必要なのは、生きた検体だ。
せっかく侯生が危険を冒して運び込んでくれた七人を、無駄にしてはならん」
すぐやれる実験を我慢するのは辛いが、一番大きな目的のことを考えれば耐えられる。全ての実験は、それを果たすためのものだから。
そんな徐福の心中を思ってか、侯生が明るく言う。
「ありがとうございます、解剖の折には必ずお手伝いいたしましょう。
それに死体も劣化が遅いと分かっているなら、もう一週間置いてもさほど問題はありますまい。
病毒は待ってくれなくても、死体は待ってくれますから!」
その言葉に、徐福は声を立てて笑った。
死体の前で不謹慎だが、徐福たちにそんな意識はない。ここにあるのは敬意を払うべき人の亡骸ではなく、ただの実験台なのだから。
これから始まるさらなる実験に胸を躍らせながら、徐福は暗く殺風景な回廊を足取り軽く歩いていった。




