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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第十一章 波乱の旅路
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(55)

 検体と天然痘の病毒を両方手に入れた侯生は、咸陽への道を急ぎます。

 しかしあと少しのところで、危険な事態が起こります。


 侯生が運んでいる二つの物の特性を、もう一度考えてみてください。それはある意味、起こるべくして起こった事態でした。

 数日後、侯生は回り道をしてきた送屍屋と合流した。

 あとは、咸陽に帰って徐福に検体を引き渡すだけだ。

 だが、侯生が足を休ませることはなかった。少しでも移動時間を短くして、ありとあらゆる危険に逢う可能性を削るのだ。

 尉繚本人こそ南方に飛ばされたが、その部下がまだうろついているかもしれない。

 巡幸も大まかに進路は決まっているが、何か不測の事態が起これば道を変えて迅速に引き返してくるかもしれない。

 それらに遭遇することは、何としても避けたかった。

 それに、侯生には今一つ他の不安があった。

 一応対策はしたはずだが、それでどれくらい安全かは分からない。そしてそれが起こって手遅れになってしまえば、咸陽に入る事も難しくなる。

(だが、もし起こるとしてもすぐにではない。

 必ず猶予はある……時間との戦いだ)

 起こらないに越したことはないが、起こっても咸陽に入れるうちに辿り着ければ良い。

 侯生は祈るような気持ちで、薬箱に添えた手に力を込めた。


 侯生の旅は順調に進み、咸陽まであと一日というところまで来た。

 だが、侯生は気を緩めて休む気にはなれなかった。あと少しと油断したところで、致命的な失敗は起こるものだから。

 とはいえ、心の中に安堵が芽生え始めていたのは事実だ。

(この日数でここまで来られたなら、一応安心できる圏内か。

 もっと時間がかかったら危なかったかもしれんが、まあ明日までなら……)

 侯生は頭の中で計算し、ふっと息を吐いた。

 咸陽に入り、それから素早く驪山陵に検体を届けてしまいさえすれば、後は徐福や助手たちもいるし何とでもなる。

 それでも何となく心配で、侯生は障害者たちの寝ている部屋を見て回った。

 長旅の疲れもあって、障害者たちはよく眠っている。だがその中に一人、寝苦しそうにもぞもぞしている者がいた。

 胸騒ぎを覚えた侯生は、その顔をろうそくで照らしてみる。

 うなされたように少し眉を寄せているが、他に特に変わったところはない。肌に触れてみても、異常はなかった。

 ただ、少し汗ばんで火照っている以外は。

(……まさか!)

 侯生の心臓が、早鐘のように打ち始めた。

(馬鹿な、早すぎる!……いや、本当にあれとは限らない)

 日数が合わないことを理由に、侯生は他の可能性を考える。

 島から出たこともなかった者にこれだけ長い旅をさせたのだから、疲労がたまっただけかもしれない。

 どこかで、別の病気を拾ったのかもしれない。

 嫌な予感が杞憂に終わる事を願いながら、侯生は自分も布団にもぐった。


 だが翌朝、その者の体調は明らかに悪くなっていた。

 動けないほどではないが熱を出し、頭や腰が少し痛むと訴えている。その症状に、侯生は顔を引きつらせた。

 まだ特徴的な、誰にでも分かる症状は出ていない。

 しかし侯生は、もはや確信にも似た危惧を抱いていた。

(やはり、私を介して……天然痘が伝染してしまったか!?)


 任務を受けた時から、その懸念はあった。

 第一の任務は、蓬莱島から送られてきた検体を運ぶこと。検体とは生きた島民と、そして動く死体。

 第二の任務は、天然痘の病毒を持ち帰ること。

 だが、同時に運ぶ検体である蓬莱島の民は天然痘にかかったことがないのだ。もともと住んでいた村が天然痘に襲われた時に人食い死体が発生してしまい、それ以来天然痘が存在しない離島に閉じ込められていた。

 そんな彼らが、天然痘の病毒に触れたらどうなるか。

 侯生もそれを考えなかった訳ではない。

 ただ、その二つの任務を別の人間が、もしくは別の機会にやるには人でも時間も足りなかった。研究はいつまでも続けられる訳ではないし、現状外で動けるのは盧生と侯生のみだったから。

 危険は承知の上だった。

 分かったうえで、侯生はできる限りの安全策をとった。

 病毒を拭った布は、水も漏れないような皮袋に入れて薬箱の二重底にしまう。侯生以外の、誰の手にも触れないように。

 そして天然痘患者の診察で着ていた服は、役人に申し出て全て燃やしてもらった。天然痘は、患者の持ち物に触れてもうつるからだ。

 さらに、検体と再合流する前に何度も念入りに身を清めた。

 しかし、それでも危険を全く無くすことはできない。

 だから発症する前に咸陽に入れるように、急いで旅をしてきたのだ。

(天然痘は感染する機会があってから、だいたい十日ほどで発症する。だから八日目までに咸陽に入れれば、まず問題ないはず)

 侯生は、自らの知識からそう判断していた。

 ところが、検体の一人が合流から七日目に発熱してしまったのである。

 侯生は、自らの判断が甘かったと思い知った。

(日数的に他の病気の可能性もあるが……しかし、検体が他の病気にも弱いことは分かっているから、できる限り他の危険も避けてきたはず。

 となると、やはり私と私の持ち物か……!)

 天然痘の潜伏期間はだいたい十日前後だが、外れる者も稀にいる。

 そして疫病全体の傾向として、発症が早い者ほど重症化する。

 重症化するのは、その患者がその病気に弱かった場合だ。今回の場合、蓬莱島から来た検体は何世代にも渡って天然痘を経験していないから……。

(大陸の人間よりはるかに弱い分、はるかに早く発症してもおかしくない!)

 侯生は、それに気づいて身震いした。

 実際、天然痘に常に晒されている街と閉鎖的でしばらく発生がなかった村では、広がる速さが全く違うのだ。

 もし後者と同じ事が、検体の身に起こってしまったとしたら……。


 しかし、もうここまで来て中止することはできない。

(ええい、このうえはこのまま旅を続けて今日中に咸陽に入るのみ!

 咸陽に入るには関があるが、発疹が出る前なら天然痘とは気づかれぬはずだ。幸いまだ発疹は出ていない、ならば迅速に駆け抜けるのみ。

 それに、一人が発症したとて全員が感染したとは限らぬ。

 無事な者だけでも、無事なうちに届けてやる!)

 侯生は覚悟を決めて、そのための対処をした。

 まず、発熱した者を他の者と離して侯生と同じ馬車に乗せる。侯生が常に観察し、万が一発疹が出たらすぐ捨てられるようにだ。

 そして、発熱した者には少しでも解熱するような薬を飲ませた。

 升麻は今は使わない。これを使うと発疹がよく出てしまうため、咸陽に入る関で気づかれて面倒な事になる恐れがある。

 この患者を助けるより、無事な者を早く届ける方が大事だ。

 侯生はそれだけ手を打つと、できるだけ平静を装って出発した。

 今は少しでも進み続ける事、そうすれば咸陽に入れる確率が上がる。

 旅の疲れで熱を出した者を早く咸陽で休ませてやりたいと、送屍屋を急がせて馬車の揺れも構わず駆けさせる。

 そうしている間にも日は昇り、そして傾き始める。

 その日の動きが病の侵攻と連動しているようで、焦りで胸がチリチリする。

 しかしそれでも送屍屋に助けを求めることはせず、侯生は一人でそれに耐えた。

 やがて、咸陽に入るための大きな関が見えてきた。さすがに中華全土から人が集まる大都市だけあって、関にも多くの人が並びにぎわっている。

(……ここで足止めを食う訳には!!)

 熱を出した患者は、いつ発疹が出るか分からない状態だ。その他の検体も、いつ同じように熱が出るか分からない。

 侯生は、意を決して役人に声をかけた。

「申し訳ない、実は病人が出てしまって、早く休ませたいので早く通してもらいたいのだが」

 役人は、少し顔をしかめた。

「病人だと?危険な疫病ではないだろうな?」

「さあ、私には分かりかねますが……今のところは熱だけですし」

 侯生はとぼけながら、役人を熱を出した者の所に連れて行った。役人はその体を見てみるが、今のところ特に変わった様子はない。

「うーむ、咳も下痢もなし……ただの長旅の疲れかもしれんな」

「はい、本当に長いこと旅をしてきましたもので。

 ところで、これは差し入れでございます」

 当たり障りのない話をしながら、侯生は役人に菓子の包を差し出す。それが役人の手に渡った時、役人の手にズシリと不自然な重量が伝わった。

 役人はこそこそと菓子の包を開けると、ニンマリと笑って侯生に言った。

「よろしい、病人を長々と待たせるのも辛いであろう!

 通るが良い!」

 菓子包の底に、小さな金の塊を入れておいたのだ。

 秦の法では賄賂は禁止だが、見えぬところではまだまだ横行している。

 秦は役人の不正を防ぐため、役人が自分の役目以外の仕事をすることを禁じている。だが、決められた仕事をどの順序でやるかはまだ裁量の範囲内だ。

 逆に言えば、順序を変えるくらいでしか賄賂をもらうチャンスがなくなってしまったのだ。これまで役人の利権にどっぷり浸かっていた末端の役人が、この少ないチャンスに飛びつかぬ訳がない。

 それに役人にとっても、これは不正ではない。確かに自分が見る限り大丈夫なのだから、通しても役目上問題はないのだ。

 こうして侯生は、間一髪で関所を越えて咸陽に入った。

 天然痘と生きた検体の両方を持って、徐福の待つ驪山陵に帰る。

 天然痘らしき患者がいる以上、次の研究はすぐにでも始められるだろう。災いが、不死の中継であるさらなる災いになる時は、もうすぐだった。

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