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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第十一章 波乱の旅路
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(54)

 侯生と天然痘のターンです。病毒を入手する侯生、そして彼が方士になった理由とは。


 天然痘は今でこそ全世界で撲滅されましたが、昔は死亡率が20~50%とどこぞの出血熱並に恐ろしい病気でした。

 こんなのと薬草で戦わなければならなかった時代を考えると……どうかバイオテロだけはやめてください。

 屋敷の主人について、侯生は病人の下へと進む。

 この先に、死を超える理の元がある。死んでも生きているのと変わらない、尸解仙を作り出す元となる病が。

 死体に生きるための機能である食欲を取り戻させる、鍵となる病毒が。

(ここで天然痘の病毒を手に入れれば、人食い死体はきっと作れるであろう。

 そうすれば、また大きく前進だ……!)

 そう思うと、侯生はつい笑い出しそうになるのをこらえるのが大変だった。

 屋敷の住人たちは皆憔悴し、すがるように侯生を見つめている。侯生にとっては幸運でも、屋敷の者たちにとっては災いでしかないのだ。

 その災いを転じて不死とすべく、侯生は病人の部屋に入った。


 その部屋には、何とも気分が悪くなる臭いが漂っていた。

「申し訳ありませんのう……もう息子は立ち上がって便所に行くこともできませんで。お見苦しいものをお見せしますが……」

「いや良い、重病人など皆そのようなものだ。

 それより、ご子息のお加減を見せていただきたい」

 恐縮そうにもごもごと言う主人を黙らせて、侯生は病人の寝台に近づく。

 主人はおそらく、助けを求めてはみたものの、実際に息子を診せるのをためらっているのだろう。あまりに病が激しくて、主人も見たくない状態になっているのかもしれない。

 あるいは、息子がもう助からないと言われるのが怖いのか。主人から見てもそう見えるくらい、重体になっているのか。

「ところで、熱が出てから何日ほど経ちますか?」

「ううむ、七日か八日といったところか……」

 それを聞いて、侯生は内心ため息をついた。

(やれやれ、これは壮絶な状態になっていそうだな……)

 天然痘がいかなる経過をたどるかは、侯生もよく知っている。医者の書生として時々見てきたし、自分がかかったこともあるからだ。

 この時期の天然痘患者がどんな容貌になるかは、よく知っている。

「では、失礼」

 侯生はできるだけ平静を装い、寝台の覆いを開いた。

 次の瞬間、衝撃的な光景が目に飛び込んできた。

 そこに寝ているのは確かに人、しかしあまりに醜く人なのかと疑いたくなるような顔をしていた。顔面をびっしりと覆うように、大豆のような大きさのできものがひしめき合っている。もはや健常な肌どころか、目や鼻を探すのも一苦労だ。

 しかもそのできものには膿がたまり、破れて膿がにじんでいるところもある。おかげで、寝具は汚れ放題だ。

 顔だけではない、胴や手足も発疹でボコボコになっている。

 もはや人と言うより、いぼだらけの蛙を大きくしたような肌だ。

 そこに追い打ちをかけるように、発疹の重なった部分が崩れてひどい傷になっている。肉を晒し血をにじませる傷口は、見るからに痛そうだ。

(……うん、これはあまり見ていたくないな。

 あれだけ崩れたら絶対痛い)

 侯生は思わず、その大きな傷口から目を逸らした。

 見ているだけでもぞっとするが、自らの経験を思い出すともっと痛い。自分もかつてあんな傷ができて、のたうち回ったことがある。

 しかもその傷は完全にきれいに治らず、今も侯生の体に痘痕となって残っている。

 患者の体を眺めてその傷を目にするたび、侯生はみずからの痘痕が再び疼き出すような嫌な感覚を味わった。

 そして、判断した。

(これは……正直、もう長くないな。

 むしろ今日まで生きていてくれた事に感謝せねば)

 侯生の見立てでは、この患者はもう手遅れだ。

 高熱を発し全身が身の置きどころもないほど痛いはずなのに、この患者は声も立てず大人しくしている。

 もう声を出すことも、動くこともできないのだろう。

 助かった自分には、のたうち回って呻く元気があった。

 それすらなくなったら、後はもう……。

 侯生は、悲痛な面持ちで主人に告げた。

「大変申し上げにくいのですが……ご子息の病は、ここから治すのはとても難しゅうございます。せめてあと三、四日早く来ていれば……」

「そ、そんな……!!」

 見る間に、主人の目に涙が溜まっていく。

「何とかならんのですか……せっかく、来ていただいたのに……!」

 泣き崩れて袖にすがってくる主人に、侯生は丁寧に説明した。

「この病は、体中に毒が溜まって、体がそれを何とか外に出そうとして発疹ができるのです。軽いか、早いうちに薬を飲ませれば毒が抜けて助かります。

 しかし、何もしなくてもこんなに発疹が出るほど体内に毒が溜まってしまうと……正直、今から薬を飲ませても助かるかは……」

 侯生のこの診断は、正しい。

 何の脚色も誇張もなく、純粋に侯生が医学的見地から見た診断だ。

 今の侯生の任務は、この患者の手当てをすることではない。分かっている。しかしそれでも、せめて信じられている通りに振る舞おうと侯生は思った。

 侯生は持参した薬箱の中から、薬を取り出す。

「升麻と申しまして、発疹が出る熱病の薬です。熱を下げ、発疹をよく出させることで体内の毒を排出させる効果があります。

 毒の少ないうちなら、これで治ります。

 今から効くかは分かりませんが、一応飲ませてみましょう」

 侯生の言葉に、主人は涙を流してうなずいた。

「ああ、どうか……少しでも望みがあるのでしたら、やってください!何もできずにこのまま見ているだけなど、とても……!」

 主人の声には、とにかく何とかしてやりたいという痛いほどの願いがこもっていた。

 手遅れだと言われても、はいそうですかと認める事などできやしない。どうにもならなくても、何かやらずにはいられないのだ。

 それは、手を尽くしたという自分への言い訳が欲しいからかもしれない。

 だが、それでもやれば残される者の心を楽にすることはできる。

 侯生は素早く升麻に他の薬を合わせて調合すると、主人に手渡して言った。

「先ほども言いましたが、これは発疹として毒を排出するのを促す薬です。なので今から使えば、体中が発疹によって機能を破壊され、かえって死を早めるかもしれません。

 毒を排出する負担に体が耐えられるかどうか、全てはそれだけです。

 それから……」

 侯生は、遠巻きに見ていた家族の一人に近づいた。

 それは、他の者より少し厚着をして背を丸めるような格好をしている少女だった。侯生が手を握ると、案の定体が熱をもっていた。

「どうやら、この子も熱があるようですな。

 天然痘は、とても伝染しやすい疫病です。役人も言っていたでしょう?」

 その言葉に、主人の顔が青ざめた。

 侯生は、あまり感情を出さないように淡々と言う。

「天然痘は、かかっていない者が近くにいると容易く伝染します。それを防ぐためには、発症した者をできるだけ早く隔離するしかないのですが……。

 こちらも遅れたようですな。

 升麻を多く置いて行きますので、他に熱を出す者がいたら飲ませてください」

 残酷な事実を告げる言葉に、主人はへたり込んでしまった。

 役人の忠告に従わず、息子を匿い続けたのは他ならぬ自分なのだ。これから何人が天然痘で倒れるか分からないが、それらは全て主人の判断の犠牲なのだ。

 物事の本質に目を向けなかったがゆえに、他の守りたいものまで投げ捨てることになりつつある……その胸中は、いかばかりであろう。

 侯生が升麻の代金を数えている間も、それが終わって患者の傷に軽い手当を始めても、主人は魂が抜けたように天を仰いでいた。

 周りの者たちは、そんな主人を懸命に励ましている。

 その隙に、侯生は患者の膿を拭った布を素早く皮袋にしまった。

(……よし、これで病毒が手に入った!)

 患者が助かるか、これからこの一家がどうなるかなど知ったことではない。侯生にとって大事なのは咸陽に天然痘の病毒を持ち帰ること、ただ一つだ。

 その本来の任務を果たすべく、侯生は哀れな一家に別れを告げた。


 村の外れにある用水路で体を清めながら、侯生は悲しげに空を見上げる。

 自分では冷静に任務を遂行したはずなのに、気が付いたら感傷的になっていた。今まさに死にゆこうとする病人を間近で見たせいだろうか。

(天然痘か……医者を志していた頃は、何度も見たのにな)

 そうだ、あの患者を診て、医者を志していた頃のことを思い出したからだ。

 侯生がまだ若く、この世には希望が満ちていると思っていた頃のこと。この世には死の病があふれているが、いつか自分の力で少しでも減らしてみせると粋がっていた頃。

 だが、そんなものは幻想だと思い知った。

 自分がいくら手を尽くしても、病人は死ぬ。そしてその死を受け入れられない遺族は、医者が悪かったのだと責める。

 侯生も、それが嫌で医の道を投げた。

 どうせ何をやっても人は死ぬのだからと、半ば投げやりのように方士になった。身に着けた薬の知識を使って、神秘を騙って生きてきた。

 だが、そのおかげで……今はこうして死を超える研究に携わっている。

 そう考えると、おかしくて失笑が漏れた。

(以前はよく考えたものだ……なぜこの世に、こんな残酷な病があるのかと)

 侯生は、愛憎入り混じった目で病毒を入れた革袋を見つめた。

 本気で治そうと思っていた頃も諦めてからも、折に触れて幾度となく自問した。もし本当に天や神があるのなら、なぜこんな病を作ったのだろうかと。

 だが、今なら一つの答えが持てる。

(これが不死の鍵だから、人が忌み嫌うように仕向けた?

 いや、人はこれを避けてきたからこそ、今まで命が限られていたのか……)

 今考えるには、まだ尚早かもしれない。

 ただ、これだけは強く感じた。

(人から死病として恐れられている病こそが、不死をもたらす、か……皮肉だな。

 だが全ての物事は表裏一体……陰と陽、生きる事と死ぬ事が表裏である以上、死の病と不死もまた表裏ということか)

 ずいぶんと哲学的になってしまったが、今こうして不死のために死の病毒を持っているとそう思えてならなかった。

(もし本当にこれから不死が作れたら……人々がこの病に感謝する日も来るのだろうか?)

 この病毒がもたらす未来に思いを馳せながら、侯生は冷たい水で身を清めた。

 うp主は一応薬剤師なので、こういう病気回は力が入ってしまいます。

 升麻ショウマは、実際にある生薬です。解熱、発汗、透疹(発疹を出させて毒を排出させる)の効果があるそうです。はしかに使われる漢方薬にも入っています。昔ははしかも命取りだったらしいですね。現代から考えると、これに命を預けるような事態にはなりたくないもんです。

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