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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第十一章 波乱の旅路
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(52)

 巡幸中に起こった始皇帝暗殺未遂事件、それによって尉繚を取り巻く環境に変化が生じます。


 始皇帝の目を覚まさせようとしたのに、結果は全く逆になってしまった。

 そして、暗殺を実行した人物の意図もまた……。新キャラ登場です。

 張良チョウリョウ:前漢の祖、劉邦に仕えて知略を振るった軍師。この当時はまだ無職。

 それが起こったのは、洛陽から少し行った博狼沙という所だった。

 巡幸の行列がいつも通り街道を進んでいると、どこからか風を切るような音が聞こえてきた。

「うん?」

 風もないのに奇妙なことだと、護衛の武人たちはいぶかしげに周りを見回した。しかし、少し離れた所にある林以外は何もない。

 その音の源に武人たちが気づいた時には、それは既に轀輬車に迫っていた。

 大きな黒い塊が、ものすごい勢いで降ってくる。

「う、うわあああ!!?」

 武人たちが動く間もない、一瞬のできごとだった。

 黒い塊が轀輬車に直撃し、バキバキとすさまじい音を立てて叩き潰した。轀輬車は天井に穴を開けてひしゃげ、破片をまき散らして折れた。

 幸い、始皇帝が乗っていたのはこれとは別の轀輬車だった。

 が、代わりに乗っていた宦官は即死だった。


 巡幸の行列は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。すぐさま進むのをやめ、始皇帝の周りに武人たちが集まって十重二十重に防備を固めた。

「一体何事じゃ!朕の巡幸にこのような不届きを許すとは!!」

 怒り狂った始皇帝の命令を受けて、すぐに調査が始まる。

 轀輬車に降ってきたのは、黒く大きな鉄槌だった。おそらく何者かが遠くから、ハンマー投げの要領でこれを投げて当てたのだ。

 どこから投げられたかも、すぐに見当がついた。ここからそんなものが届く範囲で隠れられそうなのは、少し離れた所にある林しかない。

「それっ下手人を捕えろ!」

 犯人を捕まえようと、武人たちの一部が林に突撃する。

 しかし林に入った途端、武人たちの動きは鈍くなった。林は細かい木が込み入っており、馬では移動できず、そのうえ鎧や兜の豪華な装飾が引っかかる。

 結局、犯人は捕まらなかった。

 その報告を聞くと、始皇帝はますます天を突かんばかりに怒った。

「ぬううう!ここまでやられて逃がしてしまうとは!!

 尉繚はどこだ!?すぐ呼び戻して調査させるのだ!!」

 こんな時こそ、情報力に優れた尉繚の出番である。

 だがあいにく尉繚は少し前に、巡幸の行列を離れてしまった。侯生を追いかけるために、巡幸の道を少し外れて東に向かってしまったのだ。

 そのため、尉繚と連絡を取って呼び戻すには少し時間を要した。

 そうやってかかった時間の分だけ、始皇帝の心はどんどん別の方向に傾いていく。尉繚とは全く逆の、神秘の守りへと。


 ようやく尉繚が戻って来て始皇帝に謁見すると、始皇帝は妙に冷めた目で尉繚を見た。

 その側には、しおらしくかしずく盧生の姿。

 尉繚は、とてつもなく嫌な予感がした。自分は始皇帝を守れなかった、そして今回始皇帝を守る献策をしたのは……。

「ずいぶんと遅かったな」

 尉繚が何か言う前に、始皇帝が憤慨した様子で言った。

「おまえは一体、どこで何をしておった?

 巡幸の道をまっすぐ行けば見つかるかと思ったら、別の道にいて連絡に手間取ったらしいな。確か朕には、巡幸先の調査に戻ると言っておったはずだが。

 おまえともあろう者が、珍しいな?」

 尉繚は、返す言葉もなかった。

 自分は巡幸先の道を調べて、始皇帝を危険から守る任を負っていた。それをおろそかにして侯生を追ったのは、間違いなく勝手な判断だ。

 この暗殺未遂事件は尉繚と別れてから起こったので、もし尉繚が任務通りあの林を厳しく調査していれば防げたかもしれない。

 もちろん尉繚は前回合流する前に一度、あの林を調べている。

 しかし、その時は何もいなくても、始皇帝が通る時にそうとは限らないのだ。

 それを考えれば今回の件は、尉繚の怠慢、職務放棄ともとれる。

 ただし、再調査していても防げたかどうかは分からないが。今回の、力士に鉄槌を投げさせるやり方では、林の中に特別な設備を作る必要が無い。最低力士一人と鉄槌一つあればよく、調査しても引っかからないのだ。

 だが、それでも暗殺が実行されたことは守る側の責任になる。

 始皇帝は、重々しい口調で尉繚を責める。

「調査に限界があるのは認めよう。

 しかし事が起こってすぐ調査が必要な時に、いるはずの道にいないとはどういう事じゃ?これは間違いなく、職務を外れておる!」

「は、しかし……暗殺者が直前まで少し外れた道で潜伏している事もございますので……」

「うむ、それにしては進むのが速かったようだのう。

 朕がここまで来る間に、おぬしは泰山か?どうやったら調査しながらそんなに速く進めるのか、教えて欲しいものじゃ」

 尉繚が懸命に弁明しようとしても、始皇帝は皮肉を交えてなじるばかりだ。

 しかもその指摘は的確で、反論することもできない。

 そもそも始皇帝は、元々極めて現実的で合理的な思考の持ち主なのだ。今は神仙思想にのめり込んでいるが、それだって神仙が実際に存在すると思い込まされているからで、合理的な思考が失われた訳ではない。

 だから起こってしまった事に対していくら弁明しようとも、始皇帝がごまかされて追及の手を緩めることはないのだ。

 尉繚が仕えるにふさわしいと見込んだ聡明な頭脳が、今回は裏目に出た。

 尉繚が弁明を諦めると、始皇帝は興味を失ったように冷たくぼやいた。

「全く、任を果たせぬくせに余計な欲を出すからこうなる。

 特別扱いに驕ってもうろくしたおまえなどより、盧生の方がよほど役に立つ」

 始皇帝は、全幅の信頼を込めた笑顔を盧生に向けた。

「今回の件で朕の命を救ったのは、間違いなく盧生の策であった。轀輬車を増やし、邪な者の目をくらませたのだ!

 この策なくば、朕の命はここで終わっていたかもしれぬ。

 おぬしが言ってくれたからこそ、今こうして生きておるのだ!」

 そう褒められると、盧生は頭を下げたまま告げる。

「いえいえ、私はただ天のお言葉をお伝えしただけです。私が陛下を助けたのではなく、天が私に警告して陛下を守ったのです。

 やはりこれは、天に守られるほどの陛下の人徳によるものでございましょう!」

 それを聞いて、始皇帝はこの上なく上機嫌になって笑い出した。

 盧生はこれほどの大手柄を立てながら、自分の功績を鼻にかけて威張ったりしない。これは始皇帝に、とても謙虚で好ましく見えた。

 もちろんこれは始皇帝の信頼を勝ち取るための駆け引きであり、工作に長けた尉繚には見え透いている。

 しかも天のお告げを強調することで、かえって代弁者である自分を不可欠だと言っているのだ。

 この嘘で塗り固められた言葉に、尉繚は吐き気がした。

 しかし、最強の権力を持つ始皇帝が信じてしまっているのでどうしようもない。

 始皇帝は尉繚と盧生を見比べながら呟く。

「やはり、人間のできる事には限界がある。この度尉繚がこの暗殺を未然に防げなかったのは、そういうことであろう。

 その点、やはり天のお告げは素晴らしいな。

 これまでのことだけではなく、これから起こる事も天はきちんと見通しておる。災いを防ぐには人より天、自明の理であったな。

 これからは、先の事は盧生に聞くことにしよう!」

 その言葉に、尉繚は悔しくて胸が張り裂けそうだった。

 今回の件で、始皇帝の心は完全に盧生に取り込まれてしまった。

 しかも、そうなった原因は自分の不手際が大きい。

 もし自分が任務通り、あの林を厳しく再調査していれば。たとえ防げなくとも、呼び出しにすぐ応じられる所にいれば。

 そう思うと、後悔してもしきれない。

 尉繚は始皇帝に目を覚ましてほしい一心で侯生を追ったが、こうなってしまっては本末転倒以外の何物でもない。

 涙をこらえて歯を食いしばる尉繚に、李斯が追い打ちをかけるように告げる。

「うむ、やはり調査などという不確かなものに頼ったのが間違いだったのだ。

 これは体制の不備でもある、すまなかった。

 よってこれからは、暗殺の恐れがないように、道そのものをもっと安全にすることにしよう。このような事を防ぐのは、やはり体制が大事だ」

「は……体制、を……どのように……?」

 まるでお払い箱だとでも言わんばかりの言葉に耐えて尉繚が尋ねると、李斯は事もなげに言った。

「暗殺者の隠れ場所を、なくせば良い。

 弓矢鉄槌の届く範囲にある、安全を確認できない場所を取り除くのだ。今回のような林があれば焼き払い、建物なら打ち壊す。

 これなら調査よりも手がかからぬしな」

 それを聞いて、尉繚は震え上がった。

 李斯の言う事は、理論上正しい。

 しかしそれを実行すれば、付近に住む人々の生活はどうなるのか。通り道に近かったといだけで、まともな生活ができなくなるのではないか。

 そういう事をすればするほど、人々の間に始皇帝への恨みが溜まっていくのが分からないのか。

 だが尉繚が反論する前に、李斯が尉繚に新たな仕事を言い渡す。

「……という訳で、巡幸先の安全調査はもう良い。

 おぬしにはこれから、今回の暗殺者について調査をしてもらう。

 ほれ、今回使われた鉄槌を調べて分かった情報だ。どうもこの鉄槌は、長江付近で作られたもののようだ。

 おぬしはこれが作られた場所を調べ、犯人を捕らえるが良い」

「は……長江……!?」

 尉繚は、耳を疑った。

 長江は黄河よりだいぶ南にあり、今回の巡幸では通らない場所だ。そこに行かなければならないということは、もう侯生を追えなくなってしまう。

 愕然とする尉繚に、李斯は諭すように言う。

「法学に、『刑名を審合す』という言葉がある。役職の名前と仕事を一致させて、それ以外の仕事をさせぬことで不正を防ぐという意味だ。

 これは、おぬしのためでもあるのだぞ?

 今度こそきっちり任務通りの仕事をし、信頼を回復させるように!」

 何とも杓子定規な理論だが、これが秦の法治の根幹になっているのだ。

 もはや、尉繚に逆らう余地はなかった。尉繚は涙をのんで天を恨みながら、新しい仕事のために南へ走り去っていった。


 そうしてごたごたしている間に、暗殺者たちはしっかり遠くへ逃げおおせていた。

 力士に指示を出していた若い男は、少し悔しさをにじませて呟く。

「暗殺は失敗した……が、やれるだけのことはやった。

 轀輬車一台潰せば、皇帝とて平気ではおれまい。これを警告と受け取り、民の怒りに気づき、少しでも思いやりのある政治をしてくれたらいいが……」

 この知性あふれる若者の名は、張良と言った。

 張良は、始皇帝の厳しすぎる政治から世の人々を救うために今回の事件を起こした。そして、失敗はしたものの始皇帝の心に一石を投じられたかと思っていた。

 よもや、それが全くあさっての方向に作用してしまったなどとは、今は思いもしなかった。

 さらに、この行為で尉繚を止めたことで世界にいかなる災いの種をまいてしまったかなど……彼がそれを知るのは、はるか未来のことであった。

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