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盧生と侯生は始皇帝の信用を得るための案を考えますが、うまくいきません。
そんな中、方士たちが住んでいる宿舎でトラブルが起こります。久しぶりに、前回の巡幸で知り合いになったとある方士の登場です。
巡幸の準備は、着々と進んでいた。
回る予定の地方に向けて、迎えの準備をさせるための使者がとぶ。始皇帝の安全のためにあまり詳しい日程や道程は広く知らされず、使者も密使の形をとる。
しかし、そんな機密情報の一部を、盧生と侯生は手に入れていた。
巡幸において不老不死のための助言をするという始皇帝からの命令にかこつけて、始皇帝本人の許可を得て手に入れたのだ。
しかし、喜んでばかりはいられない。
ここまでの情報を手に入れておいて、何もできないでは済まされない。
盧生と侯生は日に日に迫ってくる巡幸開始の日に追われながら、始皇帝に献じる案を考えていた。
その日も、二人は地下で徐福に相談していた。
「……という訳で、何とぞ良い知恵を……」
だが、そう聞かれた徐福は不機嫌だった。
「おまえたちは、俺からの指示がないと何もできぬのか。おまえたちの頭は、一体何のためについているのだ!
俺はおまえたちの頭の良さを見込んで、外の事を任せているのだぞ」
そう言われては、盧生と侯生も返す言葉がない。
徐福の言う事は正しいし、自分たちもそれに応えようとしている。しかし、その方法が思いつかないのだ。
始皇帝から与えられた情報を見て、できることならいくつも思いつく。
他にどこそこへ寄って何かを祀る、伝説の残る地で儀式を行う、など……しかしそれでは儒者たちとかぶってしまい、変わり映えがない。
それ以上に、そうして増やした寄り道自体が問題を招くこともある。
もし自分たちが勧めた寄り道で、前回の巡幸での湘山のような事が起こったら……最悪、信用だけでなく首まで地に落ちかねない。
今は堅実に信頼を得たい以上、危険の大きい策は取りたくなかった。
それを徐福に伝えると、徐福もぶすっとした顔のままうまずいた。
「うむ、それはおまえたちの考えが正しい。おまえたちを失うのは俺としても避けたいところだ。
……となると、始皇帝の安全性をさらに高める方が得策か」
「そうでございますね、ただ……」
盧生は、煮え切らぬ顔で言う。
「陛下の警備体制を見る限り、塞ぐべき穴が見当たらないのです。
陛下の警備はとてつもなく厳重で、おそらく一軍を率いる将でもやすやすとは突破できないであろうと……。
影武者も考えましたが、本物の陛下をあれの外に出す方が危険ですし……」
すると、徐福は少し目を細めた。
「そこまで分かっているなら、あと一歩だと思うがな……」
既に徐福の頭の中には、何かの案があるようだった。
しかし、盧生と侯生にはそれが分からない。困り果てて必死に徐福の表情を読もうとする二人に、徐福は少し力を抜いて言う。
「あまり根を詰めるな、思考が堂々巡りになるぞ。それでは何も生まれん。
必要なのは、これまでの体験や身近な物事から発想を得る事。過去に出た有用な意見と、そして周りを見て目に入ったものから考えてみよ。
あの助手のようにな」
徐福が指差す方向には、実験区画から戻ってきた一人の助手がいた。
その助手の袖口についているものに気づくと、盧生は思わず口を押えた。
「お、おまえ……そこにうじ虫が!」
「ああ、これは申し訳ございませぬ。今しがた世話をしてきたばかりにて」
助手は慌てて袖口のうじ虫を払い落し、足で踏みつけて殺した。しかしその体からは、それなりにこたえる腐臭が漂ってくる。
「あの男は、元屠畜業だそうだ。
今はその時の経験と先日の解剖で得たひらめきを元に、独自の実験をしてくれている」
徐福が、頼もしげな目で見て紹介する。
この元屠畜業の助手は、先日の解剖でうじ虫の動きを見ていてある事に気づいた。動く死体の肉についたうじ虫の動きが、彼の知っているものより遅いのだ。
だからその違いを細かく観察するために、うじ虫を動く死体と普通の死体の肉で飼って比較している。また最近は、動く死体や動かない尸解の民の死体の、臓器別にも調べようとしているらしい。
肉を食むうじ虫をよく見てきた、元屠畜業ならではの視点だ。
「うじ虫ってやつは、劣化して柔らかくなった肉にわくんです。
だからこいつの動きから、防腐……機能や組織の保存につながるかと思いまして」
紹介された助手は、照れたように頬を掻いて言った。
地下では、徐福本人の研究が滞っていても、こうして助手たちが独自の研究を進めている。その原動力はもちろん、早く不老不死を完成させて日の下を歩きたいからだ。
徐福は、その助手と盧生と侯生を見比べてぼやいた。
「おまえたち二人は、こいつらと違って危機感が薄いのかもしれぬな。
なるほど、おまえたちは正式な身分でもって始皇帝に仕え、禄をもらって日の下を歩いている。しかしそれは今の信用あってのことだ。
このまま何も示せずに長い時が経てば、おまえたちの首も決して安全ではない。そのことをきちんと考えたうえで、今何ができるかを考えるといい」
徐福の正論に、盧生と侯生はうなだれることしかできなかった。
二人は地上に戻ると、重い足を引きずるように王宮近くの宿舎に帰った。
二人を始めとして沿岸地方からついてきた方士たちには、急ごしらえの長屋のような宿舎があてがわれている。百人近くの方士がここで寝泊まりしているため、それを収容できるように同じような建物がたくさん並んでいる。
幸い二人は初めから少しだけ特別扱いで、倉庫を挟んで隣と隔てられた角部屋を与えられていた。
おかげでこの二人は、迷わずに自分の部屋に帰れるが……。
「おい誰だ、勝手に入ってくるんじゃない!」
「うるせえ、ここにいることは分かってるんだよ!」
宿舎に近づくと、別の部屋で何か騒ぎが起こっていた。見れば、戸口に身なりのいい男が押しかけて中にいる方士数人と口論になっている。
男は、口から泡を飛ばして怒りの形相でまくしたてる。
「ここに住んでる方士から買った長寿の妙薬を、親父に飲ませたら死んじまった!
何が薬だ、だましやがって!!どうしてくれるんだよ!!
しかも、そんなもんで大金を巻き上げやがって……絶対に許さねえ!
そのことを周りに相談したら、ここに妙薬を売ってる奴がいるって話じゃねえか。だから俺が引きずり出しに来てやったんだよ!」
それを聞くと、部屋の中にいた方士たちは顔を見合わせた。
「長寿の妙薬……それは聞いたことがあるな」
「おい……ちょっと待て、確かあいつが作ってるだろ!」
何かに気づいた方士たちが部屋の中に引っ込み、程なくして一人の方士がその男の前に突き出される。
「こいつだ、こいつは妙な薬を作って売っている!」
その突き出された男の顔を見て、盧生と侯生ははっと気づいた。
「あれは……韓衆ではないか!」
それは、二人の知っている男だった。
虫や蛇など人間が普段食べないものを常食とすることで、普通の人間から離れて不老長寿を目指している変わった方士だ。
確か、その自説を始皇帝に披露しても取り合ってもらえず、しょげていたはずだ。
「何だ、あいつは陛下に受け入れてもらえなかったから、今度は一般人を相手に商売を始めたのか?
それにしても、妙薬で人を殺すとは……」
一人呟きながら、盧生は気づいた。
(……しかし、あいつは自分の説や自作の薬をまず自分で試しているはず。確かに材料はアレだが、そんなに有害なものではないと思うが……)
以前少し話した盧生と侯生は、それを思い出して首を傾げた。
しかし、押し掛けてきた男はそんな事は知らない。
「んん、見たことのない顔だな?
いや、作っている奴と売っている奴が同じとは限らん。それに、どのみちあの薬を作ったのがおまえなら間違いなく仇だ!」
怒り狂って息巻く男を前に、韓衆はびっくりしてうろたえるばかりだ。
「な、何を言っているのですか?
小生は自分の体で試して害がなかった薬しか売っておりません!」
「黙れ嘘吐きめ、役所に突き出してくれる!!」
二人の会話は全く噛み合わず、同じ部屋の方士たちもどうしていいか分からない。しかし押し掛けてきた男の勢いはすさまじく、このままでは韓衆が連行されてしまいそうだ。
(……恩がある訳ではないが、あの男は失いたくない!)
盧生は、韓衆の理論的な思考に一目置いており、研究の仲間に引き込もうか迷っていた。その韓衆が、危機に陥っている。
盧生はとっさに二人の間に入って声を張り上げた。
「待たれよ、悔しいのは分かるが、まずは事情を調べてからにせよ!
そこの御仁、買った妙薬はどのようなものであった?」
突然の乱入者に驚きながらも、男は話してくれた。
「おお、忘れもしないぞ!あの仰々しい金縁の箱に入った、金粉を振りかけた丸薬……確か、玉の髄から作ったと言っておった」
それを聞いた韓衆と同室の方士たちが、ふしぎそうに言った。
「丸薬に、玉の髄?こいつはそんなもの扱ってないぞ」
「ああ、こいつが作ってる妙薬は、虫や蛙なんかを薬草と一緒に酒に漬けたやつだ。本当に精がつくって、金持ち老人が時々買いに来るよな」
その言葉に、男は目をぱちくりした。
「え……だって確かに、ここにいる奴がそういう薬を売ってるって……」
「おそらく、別の部屋にそういう奴がいて、間違えたのであろう」
盧生はやれやれといった様子で、男に言った。
「ここには、百人近い方士がいる。その中には、怪しい薬を作って売っている者など何人でもいるだろう。
似たようなのを見つけたからといって、すぐ決めつけてはいかん。
役所に事情を話して、しっかり調べてもらうがいい」
そう言われると、男はすごすごと引き下がった。
盧生は少し疲労を感じて、ため息をつく。
(はぁ……全く、他のろくでもない方士のせいで誤爆とは迷惑な話だ。しかしまあ、やることも見た目も同じようなのがたくさんいるからな……惑う気持ちは分かる)
そこまで考えたところで、盧生は突然閃いた。
(同じようなものがたくさん……そうか、その手があったか!)
必死で考えていたことの答えは、こんなに近くにあった。
「どうも、助けていただいてありがとうございます……」
礼を言ってくる韓衆との話を早々に打ち切って、盧生と侯生は自室に戻る。まだこの男を引き込む必要はない、自分たち二人で十分やっていけるから。
それでもきっかけをくれた韓衆に感謝しつつ、盧生は始皇帝に献じる案を練り始めた。




