(45)
前回から引き続き解剖実験、ひたすらグロいです。
また、石生とがたいのいい男の因縁も語られます。
不幸にして最初の生きた検体になってしまった男の、犯してしまった過ちとは。
グチャグチャと、腐肉を切る音が響く。地上から切り離された地の底で、徐福たちのおぞましい解剖は続いていた。
「腹の中は、普通の死体とさほど変わりませんね」
「はい、しかし……劣化する速さは明らかに違うと思います。
確か、徐市殿がこれを持ってくるまでに二月以上かかったとか。普通の死体だったら、とっくに泥と骨になっていてもおかしくないかと」
変色し、うじまで湧いている腐肉の塊を前に、侯生と石生は意見を交わす。それを、記録係が青い顔をしながらも高速で書き留めていく。
そのうち、徐福が二人に声をかけた。
「これ、腹の中はもうよいだろう。
こいつには、もっと他に見るべきところがある!」
徐福はそう言って、腹膜の外側を引っ張った。
それを見て、二人の目の色が変わる。
「これは……腹筋が、動いている?それに、内臓よりさらに劣化が遅い!?」
徐福の手に片方を掴まれたまま、肉の筋がぐっぐっと伸縮を繰り返している。明らかに体は死んでいるのに、まるでそこだけが生きているように。
徐福は、意地悪く笑って言った。
「おまえたちは何のために動く死体を切るのだ?
こいつが今どんな機能を保持していて、どの機能が足りぬか見るためだろう。
こいつは飲み食いをせず、しかし歩き回る。腹の中が死んでいるのだから、飲み食いしないのは当然だ。
では、動くのはどうしてだ?」
答えを言う代わりに、徐福は動く死体の脚を切り裂いた。
「つまり、こういうことだ!」
腐った皮膚と脂の下では、まだ形を保っている筋肉が動いていた。それを見て、侯生と石生ははっと気づいた。
「そうか……命を保つのに必要な部分は死んでいても、そうでない部分の機能が保たれている。だから動く!」
「動くのに、腹の中の臓器は必要ない!
必要なのは骨と筋肉……だから腹の中だけ見ていてはいけない!!」
目からうろこが落ちた二人に、徐福は嬉しそうに言う。
「そういうことだ、だから今は全身をくまなく見て動く部分に目を向けろ。普通の死体と見比べて、全ての中でどこが動くかを調べるのだ」
それから、徐福は隣で拘束されているがたいのいい男をチラリと見た。
「腹の中をしっかり見るのは、最後に生きた人間と見比べる時にしろ。
動く死体において、腹の中の機能は失ってしまった方に入る。ならば失われていないものと見比べねば意味がないぞ」
「は、恐れ入ります!」
侯生と石生は、徐福の慧眼に感服して頭を下げた。
そこに、言葉の中に出てきた生きた人間を気遣う者は誰もいなかった。
がたいのいい男は、拘束されたままがたがたと震えていた。
方士たちが主導する狂気の解剖実験は、滞りなく進んでいる。今は動く死体を切り裂いて観察しているが、それが終われば次は自分だ。
(い、嫌だ……何でこんな事に!!)
何をされるかは、隣の寝台で行われていることを見て流れてくる会話を聞けば分かる。
それを想像すると、恐ろしくて頭がおかしくなりそうだ。
ここにいる者たちは、おそらくためらいなく自分をそうするだろう。助けてくれる者はいない、逃げることもできない。
(畜生、どこで間違った!?)
無意味と分かっていても、男はこうなったきっかけを考えずにはいられなかった。そうでもしないと、心が潰れてしまいそうだったからだ。
(そうだ……わしは、地獄から逃げようとしたんだ!
石生やあの時一緒にいた他の囚人たちにも声をかけて、死ぬまで働かされるくらいなら命がけで逃げようって……他の奴らも助けてやろうとしたんだぞ!?
それを石生の奴は、恩を仇で返しやがって……!)
思い出した怒りで奥歯を噛みしめていると、その怒りの対象がすぐ側にやって来た。
がたいのいい男は、声を振り絞って石生を怒鳴りつける。
「おいてめえ、何で命を助けてやろうとした人間をこんなに残虐に殺せるんだ!?
てめえのやってる事は、犬畜生にも劣る蛮行だぞ!!」
すると、石生は少しの間あっけにとられたように目をぱちくりして黙っていた。少しは人間の心を取り戻してやれたかと、男は心の中でニヤリと笑う。
しかし、石生が次に男に向けたのは、恐ろしく冷たいあきれ顔だった。
「命を助けようとした……何を言っているのです?
あなたが私にしたのは、無駄死にを押し付けようとしただけでしょう」
予想外の答えに言葉を失った男に、石生は怒りをにじませて告げる。
「確かにあなたは、私たちを共に逃げようと誘いました。でもそれはあなたが安全に逃げるためだったし、私たちは断ろうとしましたよね?
それを嘘の密告をするぞと脅して無理矢理囮にしておいて……そのうえで恩を着せると?恥知らずにも程がある!!」
「は、え……?」
がたいのいい男は、どうしていいか分からなかった。
石生が何を言っているのか分からない。どうしてこの男が自分をこんなに恨んでいるのか、全くもって分からない。
だって自分は確かに、こいつらに生きる道を示そうとしたはずだ。
自分たちは朝から晩まで働かされて、誰もが不満を持っていた。ここから逃げたい、故郷に帰りたい、と誰もが内心思っていた。
だから、それを現実にしてやろうとしただけなのに。
確かに口では反対する奴が多かったが、それは警備兵が怖いだけで本心じゃない。だから本心のままに生きられるように、無理にでも動かせてやったんじゃないか。
そんな尊い発案をした自分が一番逃げやすい立場を取って、何が悪い。臆病で何もしない奴らにも生きて逃げる機会をやったんだから、その分自分の方が偉いに決まっている。王は自分では何もしなくても偉いのと同じじゃないか。
失敗したと言われても、そんなのはやってみなければ分からなかった。
自分は、勇気ある行動を促しただけだ。何も悪くない。
それなのに、石生は一体何を言っているのか……。
困惑する男に、徐福が哀れむように言う。
「何が悪かったのかと言われれば……まあ、時代と状況に合ってなかったな。
おまえのような声のでかい奴は、時代と状況によっては勢いに乗って周りから慕われることもあろう。
だがな、それは秩序が乱れて力を押し通せる乱世でのことだ。今はそういう時代じゃない。戦が終わり国は統一され、秦の法治が世を覆っている」
徐福はしゃべりながらも、真新しい小刀に手を伸ばす。
「今は、秩序の時代なのだ。
違法を押し通そうとしても、力押しじゃ通用せん。俺たちのように法と人の権限、体制の穴をくまなく調べて慎重に通さねばならん。
警備の体制を詳しく調べもしないで数に任せて逃げようとするなど、それでは石生の言う通り無駄死ににしかならんよ。
石生はそれを分かっていて、おまえは分かっていなかった。そういうことだ」
徐福は、がたいのいい男のしたことをすっぱりと断罪した。
そして男の腹をも一刀のもとに切り開くべく、助手たちに命じて男を押さえつけさせる。しかし石生はそこに加わらず、小刀を手にして徐福と向き合った。
「……では、ご指導お願いいたします」
今度は侯生ではなく、石生が徐福と共に執刀する気だ。
愕然とするがたいのいい男に、徐福が苦笑して告げる。
「くっくっく、おまえ相手なら石生もためらうことはあるまいな。時にはこういう怨恨も、優れた部下を育てるのに役立つ。
本来なら仕事に私怨を挟むのは良くないが……おまえのことは、俺も腹に据えかねていてな。
死刑囚たちをあのように煽られると、我々の仕事が面倒になる。おまえのように余計な希望と感情を吹きこむ輩は、我々にとっても迷惑だ。
だからその罰も兼ねて、な……」
徐福と、そして男の体を押さえつける助手たちも皆一様に、いい気味だというような笑みを浮かべていた。
それを見た瞬間、男はようやく気付いた。
自分は自分の行動によって、自分をここまで追い込んでしまったのだと。
「う、うわあああ助けてくれ……むぐぐうっ!?」
男を黙らせるように、口に布が突っ込まれる。
「では、開腹します」
石生が徐福に手を添えてもらいながら、哀れな男の腹に小刀を突き立てる。そしてこれまでの恨みを込めて、一文字に引いた。
男のくぐもった叫びが、部屋に響く。
しかし、それに耳を貸す者など誰もいない。徐福たちの興味は、みるみる切り開かれていく男の体にしかなかった。
「血が邪魔だな、ふき取るように。
それから、大きな血管はまだ傷つけるなよ。肝や腎もだ」
男の腹が十字に開かれ、今まさに生命を維持している臓器が露わになっていく。その自分ですら見たことがない部分も、見る者の都合で無造作に握られ引っ張られる。
これまで味わった事のない、最悪の怪我と病気を足し合わせたような痛みが男を襲う。男はただ涙を流し、のたうち回ることもできず呻くしかなかった。
そんな男の表情を気にすることなく、石生はうっとりと呟く。
「ああ、素晴らしいです……生きている人間の体内を見られるなんて。
この害悪でしかない男から、こんなにも貴重な知識が手に入るなんて!」
「そうだ、人間、どんな奴でも使い道はあるものだぞ」
そう言って男の顔を覗き込んだ徐福は、満面の笑みだった。
「おまえは不老不死の礎となり、皇帝陛下に多大な恩恵を与えて死ぬのだ。もっとも、感謝すべきおまえという人間を陛下が知ることはないだろうがな!」
それが、哀れな男が聞いた最後の言葉だった。
しばらくして男が絶命する頃には、その体は頭から足先まで全身を切り裂かれていた。
最初に解剖した死体、動く死体、そして今しがた死体になったばかりの男に囲まれて、徐福は高揚した笑い声を上げる。
「ハーッハッハッハ!
素晴らしい、一歩目からとても得る物の多い実験であった!」
そう、これはまだ一歩目でしかない。これからは想像を絶する狂気の実験の日々が待っている。
だが、そんな日々を想像した徐福の口から放たれるのは、ただ欲に満ちた笑い声のみであった。




