(41)
研究を手伝う人手も手に入り、驪山陵の地下離宮はどんどん異様な施設と化していきます。
そして、徐福はついに満を持して、研究を開始しようと考えます。
今回は、驪山陵の地下で展開する異様な日常から。
驪山陵に、数多の囚人たちが引かれていく。
陵墓から地下宮殿に目的を変えた驪山陵は、地上の見た目こそあまり変わらないものの、地下ではすさまじい速さで掘り進められていた。
それに伴い多くの人手が必要になったため、全国からさらに囚人が集められている。
驪山陵で働かされている囚人の数は、今や十万人に達しようとしていた。
数が増えれば増えるほど、囚人の扱いは粗雑になっていく。
死んでもいくらでも補充できるとばかりに、官吏は囚人たちに容赦なく鞭を振るう。労働力が減る心配がないから、限界まで働かせて工期を短くする方が優先だ。
始皇帝から、できるだけ早くせよと命令されているから。
地下深く掘りすぎたのと囚人が疲れているせいで、事故もよく起こる。だが、そんなものを恐れて手を止めてはいられない。
皇帝の命令は、何としても遂行せねばならない。
難所は工事の専門家がきちんと調査をして対策を立て、さらにこれからの事故が少しでも減るように人柱を立てる。
本当に効果があるのか証明されてはいないが、伝統的な方法だ。
それに、始皇帝に信頼されている方士が必要だと言うのだから逆らう余地はない。
「地の神よ、この者を生贄として捧げます。
どうか地を掘る我々を守り、災いをお避けください」
盧生の読み上げる請願とともに、人柱とされた者が落とされた穴に土がかけられる。くぐもった呻き声は、すぐに作業音にかき消されていく。
これで働き手が減るとか、そんな事を気にする者はいない。
なぜなら人柱にされるのは、逃亡を企てたりして死刑を言い渡された者だから。
そうして人柱として供給される死刑囚も、絶えることがなかった。消耗品のように使い捨てられるのが嫌で、逃亡しようとする者が後を絶たないから。
官吏たちは、そういう者を人柱として使うことにむしろ感謝していた。処刑人の負担が減るし、資源の有効活用になるからだ。
だから盧生と侯生の求めに応じて、どんどん死刑囚を譲り渡す。
たとえその一部が彼らによってネコババされて、全く別の仕事に就かされていたとしても……己の職務にのみ忠実な官吏には関係のない話だった。
「ふう……」
岩壁に囲まれた炊事場で、石生は大なべに作った粥をかき回していた。
ここは地下離宮、驪山陵の地下区画の一部だ。文字通り離宮のような生活空間と、そこからつながる殺風景な実験施設がある。
今、石生がいるのは離宮の方だ。しかし作っている鍋の中身は、通路の先にある実験施設にいる者たちのものだ。
色味の少ない粗末な粥ができあがると、石生は別の部屋にいる上司に報告する。
「徐市殿、エサの用意ができました!」
「ご苦労!」
徐市と呼ばれた中年男は、刃を研ぐ手を止めて顔を上げた。
この男こそが、地下離宮の主にしてここで行われる研究の総指揮官、徐福である。ただし、海に出て帰らないふりをして始皇帝を欺いているため、本名を名乗ることはない。
全てを知っている盧生と侯生以外には、彼らの弟子の徐市と名乗っていた。
ここで暮らす石生と徐福の仕事は、人柱用として引き渡された死刑囚を管理することだ。人柱として神に捧げるために身を清めさせ、人柱になるその日まで生かす。
それが、表向きの仕事だ。
裏ではいろいろと官吏には明かせないことをやっているが、それに必要な物資や人手もこの表の仕事にかこつけて手に入れている。
石生が今作っていた粥の材料もそうだ。
もっとも、これに関しては半分以上表の目的通りに使っている。人柱として管理している死刑囚たちの、食糧だ。
ただし、それを食べる人間は死刑囚たちだけではない。
だから足りない分を節約せねばならないのだ。
「囚人共は朝には起きていた、もう飯を食うぐらいはできるだろう」
石生と一緒に鍋を運びながら、徐福は言う。
それを聞いて、石生も苦笑して呟く。
「そうですね、一日ぶりですからきっと腹を空かしていることでしょう。いくら節約といっても、何も飲み食いさせなければ死んでしまいますし」
「そういうことだ!」
徐福と石生の向かう先には、人柱用の死刑囚がつながれている。二人はこれから、彼らにこの粥を与えに行くのだ。
通路の先では、別の助手が食器を用意して待っていた。
「数が少し足りませんが、回して食べさせれば何とかなるでしょう。
人柱の皆さまも、もう食事に支障はなさそうです」
「うむご苦労、では開けてもらおうか」
徐福の命令に、石生と助手は素早く目の前の扉に手をかける。場違いなほど重々しく堅固な扉が、鈍い音を立てて開いた。
その中には、悪夢のような光景が広がっていた。
明かりの少ない広い部屋には、数十人の人間が詰め込まれていた。
広さにゆとりがない訳ではないが、異様なのはそこにいるほとんどの人間が椅子に拘束されているということだ。両手両足を椅子に縛り付けられて動けなくなり、椅子に開いた穴から下の桶に排せつ物を垂れ流している。
およそ人間とは思えない、ひどい扱いだ。
だが拘束されている者たちがそれに逆らう事はできない。なぜなら彼らは死刑が確定した囚人であり、もう人の権利を持たないから。
だが、それでも死刑囚たちの目から怒りと憎しみの炎が消えることはなかった。
その食い殺すような視線は、自分たちに食事を持ってきた石生や助手たちに向いている。
そんな事などまるで気にせず、石生たちは死刑囚に粥を与える。
「さあ、エサの時間だ」
まるで家畜にでも与えるように、ぞんざいにすくった粥を与える。死刑囚たちは片手だけを解放され、匙も与えられずすするように粥を食べる。
そのうちの一人に石生が近づくと、その男は鬼のような顔で石生をにらみつけた。
「貴様……この俺にこんな扱いをして、何様のつもりだ!?」
「何様と言われても……私は、方士様たちに従っているだけです」
その答えに、男はますます眉間のしわを深くする。
「てめえ、調子に乗りやがって!
てめえだって元はわしと同じ囚人だった、それどころかわしがいなけりゃ何もできねえいくじなしの若造のくせに。
世話になったわしに、こんな真似を……!!」
男はがたいのいい体をいからせるが、動くことはできなかった。いくら石生が憎くても、こうしっかり拘束されていてはどうにもならない。
冷たい目で見下ろして立ち去ろうとする石生に、男はせめてもの抵抗とばかりに片手で椀を投げつけた。
「あっ!?」
椀は見事に石生の頭に当たり、そのせいで石生は別の者に与える粥を落としてしまう。
それを見て、今度はその粥を受け取るはずだった男が騒ぎ出す。
「おい、俺の食い物に何するんだ!こっちだって腹が減ってるんだぞ!」
「うるせえ、誰のせいでこうなってると思ってんだ!!」
粥を落とされた男を逆に怒鳴りつけて黙らせ、がたいのいい男は部屋中に響くような大声を張り上げる。
「おまえらもおかしいと思わんのか!?
元々、わしらとこいつらは同じ死刑囚であった。それが訳の分からん化け物に触れたかってだけで、この待遇の違いだ。
わしは絶対に認めんぞ!!」
その言葉に共鳴するように、他の死刑囚たちも助手たちに怒りの視線を向ける。
なぜなら、このがたいのいい男が言ったことは真実で……拘束されている死刑囚たちと彼らを手酷く扱う助手たちは元は同じ死刑囚なのだ。
ただ、ここに来た時に徐福から試練を与えられ、それを越えた者が管理する側に回っている。
そういう訳で、元々同じ立場だった者にこんな風に扱われるのは、拘束されている側にとっては耐え難いことだった。
それに、待遇はあまりにも違いすぎる。
試練を越えて徐福に選ばれた者たちは、極秘の仕事を手伝う限り死を免れる。そのうえ一日三食与えられ、横になって寝られる。
一方で、試練を越えられなかった死刑囚たちは悲惨だ。拘束されたうえに一日ごとに謎の毒で気を失わされ、食事は意識がある一日に二食だ。そのうえ、結局殺される運命は変わらない。
これでは、恨むなという方が無理だ。
しかし管理する側にも、自分たちはおぞましい試練を越えたのだから当然という思いがある。
にらみ合う死刑囚たちと助手たちに、徐福がパンパンと手を叩いて声をかける。
「これ、そんなくだらぬ争いで時間を無駄にするな。
今争っても、おまえたちの歩む道は変わらぬ」
ここの支配者である方士に言われては、どちらも従うほかない。それに徐福の言う通り、今さら何を言っても立場は変わらないのだ。
死刑囚たちは黙々と飯を食い、助手たちは黙々と配膳する。
そうして死刑囚たちの食事が終わると、徐福は助手たちを引き連れて離宮に戻っていった。
その途中で、徐福はまだ浮かぬ顔の助手たちに語り掛ける。
「あのような事で心を乱すでない。
おまえたちは自らの手でこの道を勝ち取ったのだ。ここで我らと共に研究に打ち込んで成果を出せば、必ず報われよう」
「はい……」
まだ固い顔の助手たちの意気を上げるように、徐福はニヤリと笑って告げる。
「ここの運営がうまく軌道に乗ったのも、おまえたちのおかげだ。
研究に必要な物は何でも調達できるようになったし、おまえたちという助手も得た。このうえは……そろそろ本格的に実験を始めようと思うのだ」
その言葉に、助手たちの顔つきが変わった。
手伝って成果を上げれば死を免れて外に出られるかもしれない、例の研究を……ついに始めるというのか。
「だからおまえたちは、あんなくだらぬ事よりそちらに集中するがよい。
そのために、おまえたちは救われたのだ!」
徐福のその言葉に、石生と助手たちは真剣な顔でうなずいた。
「はっ、仰せのままに!!」
自分たちは、選ばれなかった他の死刑囚とは違う。拘束されて家畜のように扱われる役立たずどもとは違う。
そんな意識と優越感が、助手たちの心から情けと恐れを失わせていた。
従順で意欲に満ちた助手たちを背に、徐福は笑う。これだけの人手が揃えば、もう研究を始めるのに支障はない。
今こそ、死を超える一歩を踏み出す時だ……徐福の高揚した笑い声が、闇に溶けていった。




