(36)
いよいよ徐福が検体を連れて咸陽にやって来ます。
そのために、盧生と侯生はどんな施設を用意したのでしょうか。
驪山陵のゾンビ的に正しい使い方は、こうです。
今朝もまた、多くの労働者たちが日の出とともに作業を始める。
山のふもとに開いた穴から坑道に入り、次々と木材や銅板を運び入れ、岩や土を運び出していく。
だが、ここ一か月ほどで、搬入される物資の中に高価なものや生活用品が混じり始めた。
「何だってこんな物を墓に入れるんだろうな?」
「さあ、お偉方の考えることはよく分からんよ」
現場で働いている者たちは突然の変化に少し疑問を覚えたが、作業は止まらなかった。
労働者たちはただ、上から言われた通りに作業を続けるだけだ。勝手に手を止める権利は、彼らにはない。
そうして、目的を違えた驪山陵は、今日も順調に掘り進められていた。
「こちらでございます」
盧生と侯生は、明かりの少ない坑道を進んでいた。
周りに人の気配はなく、しーんと静かな中に数人の足音だけが響く。どちらを見ても黒く湿っぽい岩の壁で、ともすれば自分たちが今どこにいるのかも分からなくなりそうだ。
そんな中を、盧生と侯生は迷わず進んでいく。
それもそのはず、目的の場所はこの二人が作らせた区画なのだから。行き方も間取りも、二人の頭の中にきちんと入っている。
しばらくして、二人は長い通路の先にある玄関のような場所に出た。
そこはまるで地上にある普通の館の内部だけを切り取ってつなげたような、場違いな空間だった。さっきまでの通路よりもずっと大きな明かりが、そこを地上ほどではないがそこそこ明るく照らしている。
その異様な空間に足を踏み入れてしばらく見回り、一人の男が呟いた。
「うむ、現状では上出来だ。
まずはよくやった、と言っておこう」
「は、ありがとうございます!」
盧生と侯生は、恐縮して頭を下げた。その目には、畏怖の色が宿っている。
二人の目の前にいるのは、帰還した徐福その人であった。
そして、徐福が連れてきた蓬莱島の若者一人と障害者数人。
不安そうに周りを見回している若者を、徐福がその場違いな生活空間に引き入れる。そして、半ば威圧的に胸を張って言う。
「さあ安息起よ、今日からここがおまえの住処だ。
ここなら限られた人間しか立ち入らぬから、外のような病気の心配はない。美味い飯は食わせてやるし、そのうち女も呼んでやるから、安心して暮らせ」
その若者は、蓬莱島から連れて来られた中で唯一の健常者、安息起だ。
欲の深さを突かれて、美味とぜいたくな暮らしを餌に徐福に連れられて来た、哀れな男だ。
だが、確かにここで暮らせば元の島の暮らしよりはいいものを食べられるだろう。女も抱けるし、働く必要もない。
その代わり、今までずっと自分を覆っていた空や太陽にはもう会えないけれど。
安息起もようやくその異常さに気づいて不穏な顔をしているが、徐福には逆らえない。
「仕方がないだろう、外に出れば……どんな病で死ぬか分からぬからな!」
たちの悪い大人が子供を言いくるめるように、徐福はささやく。
しかし、これは事実なので抗いようがない。安息起は閉鎖された島で育ったせいで伝染病に弱く、そして大陸は病気の巣窟だ。
特にこの驪山陵の工事現場には、全国から集められた何万人もの人間が働いている。不衛生で栄養不良な、どんな病気を持っているかも分からない人間が数え切れぬほど蠢いている。
これでは、安息起に逃げ出せるはずもない。
そういう意味でもいい場所を選んでくれたと、徐福は思った。
「さあ安息起よ、ゆっくり休め……今日からここが、おまえの家だ。
それから……障害のある者たちは、こちらに入ってもらおうか」
盧生と侯生は、障害者たちを追い立てるように別の通路の先へと連れて行く。その先をチラリをのぞいた安息起は、あまりの不気味さに息を飲んだ。
さっき通ってきた通路と変わらぬ、黒く湿っぽい岩壁。簡素な寝台だけが用意された、殺風景な部屋。まるで、生きてさえいればいいとでも言うように。
そこでこれから行われることを思うと、安息起は身震いした。
安息起は知っている……障害者たちが何のために連れて来られたのかを。
自分も富と引き換えにそれを認めたのだから、当然だ。
だが、それが行われる場を目の当たりにすると、さすがに胃の辺りが重くなる。
自分たちは、自らの繁栄と楽な暮らしのために徐福に障害者たちを差し出した。障害者たちが、実験のために人扱いされぬのを承知で。
しかも、その同じ施設に、自分も住まわされている。
もっとも、自分はきちんと人として扱われ、研究に必要な助言を与えるために側に置かれるだけだが……徐福はそう言った。
だが、どうしても不安になる。
(……なあ、私は本当に大丈夫だよな?
きちんと守ってもらえて、いい暮らしができるんだよな?)
急速に頭をもたげてくる疑念を打ち消すように、安息起は用意されていた酒に手を伸ばす。それは、確かに島のものより旅の途中で飲んだものよりずっと上質で美味い酒だった。
だが、いくら酒に逃げようと、安息起の体はもう逃げられない。
ここは地下深くの秘密の実験場、人目も日の光も届かぬ監獄だ。そこと外を行き来できるのは、通行証を持つ盧生と侯生、それに連なる徐福の一味のみであった。
驪山陵を仙人となった始皇帝のための地下宮殿にしようという、盧生と侯生の提案により、驪山陵は着々と変貌を遂げていた。
当初、棺と副葬品を入れるだけだった穴は、より深く大きくなった。
仙人になった始皇帝がそこに住むのだから、それにふさわしい宮殿を作らねばならない。それに始皇帝が地上の人間の邪気に害されぬように、地中深く作らねばならない。
だから地中に、始皇帝とその世話をする者のための生活用品を入れる。
中に入れた生活用品が実際は誰のためのものか、入れる者は知らない。
それから、これほど深い穴を掘るのだから、地中の妖怪や黄泉の神を祀って鎮めなければならない。そのために生贄や捧げ物をして祭祀を行うと、盧生と侯生は提言した。
だから地中に、食物や酒を届ける。
それを実際に誰が食べるかなど、入れる者は知らない。
さらに始皇帝は、自分の富を守るために財宝の一部を地下宮殿に移すと言い出した。自分が仙人となって地下宮殿に住むようになれば、目の届かぬ所で皇帝の財産に手を出す者が現れるかもしれない。それを防ぐために、財宝を地下に移し、自分の許可なく取り出せないようにすると。
だから、地下の宝物庫に宝石や高価な器などを運び込む。
無論その部屋にも、盧生と侯生は自由に入れる。
そこにある金塊の一つが金メッキに変わっていても、下の方に積まれた装身具から宝石が少しだけ外されても、気づく者はいない。
こうして、徐福の研究に必要な空間、物品、資金が揃った。
その本当の目的など知らず、始皇帝は王宮で嬉々として酒を飲んでいた。
「永遠の地下宮殿か……全く、素晴らしい考えじゃ!
あの盧生と侯生とやら、なかなかやるのう。さすがに徐福が弟子として置いて行っただけのことはある。
これで、徐福の交渉もうまくいくかのう?」
始皇帝は、ここからでは全く見えない海の方を仰ぎ見た。
数ヶ月前、初めて見た海……その彼方に、徐福は旅立って行った。そして今も、その先にいる仙人から仙薬をもらうべく奮闘しているのだろう。
盧生と侯生の助言に従うことで少しでもその力になれただろうかと、始皇帝は半ば夢見心地で思う。
地下宮殿が完成して仙人になった後の準備が出来たら、きっと仙人は仙薬をくれるだろう。そうすれば、徐福がそれを持って帰ってくる。
その日を思うと、始皇帝の心は限りない喜びに包まれる。
「さあ、朕の前途を祝って一曲奏でてくれ!」
始皇帝はもっと気分を盛り上げるべく、高漸離に命令する。
目隠しをされた高漸離は従順にうなずき、慣れた手つきで筑を鳴らし始める。その美しく荘厳な音色が、さらに酔いを加速させる。
死の影を背負った楽士のすぐ側で、始皇帝は果てしない未来の夢に酔いしれていた。
その夜も更けて労働者たちが寝静まった頃、三人の男たちが驪山陵から出てきた。
先頭にいるのは盧生と侯生、そして後ろについて来たのは徐福だ。徐福は宴席の始皇帝に勝るとも劣らぬえびす顔で二人に声をかけた。
「全く、おまえたちはできた男だ。
この中華を統一した皇帝を、ここまで手玉に取るとはな!」
それを聞くと、盧生と侯生は照れたように言う。
「いえいえ、これも徐福殿の出した仙紅布あってこそ。
あれで陛下のお心を掴んでおかなければ、いかに我々とてここまでやることはできませんでした。おかげで我々もいい暮らしができ、本当に感謝しております」
「それに、我々は別に陛下をだまして財をかすめ取っているのではありません。陛下の求めるもののために、合法的に必要なものを調達したというだけです。
そもそも陛下のためであれば、手玉に取るとは言いますまい!」
侯生の的を射た意見に、徐福は大笑いした。
「ハッハッハ!間違いないな!!
我々は確かに陛下の欲するもののために研究を行うのだ、ならばむしろ忠臣かもしれんな!」
不老不死を欲しているのは始皇帝、徐福はそれを手に入れるために研究している。ならばこうして研究に流れている金は、無駄ではない。
それで本当に不老不死が手に入れば、これはただの必要経費だ。
徐福は、にぎやかに明かりの灯っている都を見下ろして豪快に言い放った。
「くっくっく、始皇帝よ、おまえの判断は間違っておらぬ!
このままこの二人にだまされておいてくれれば、そのうち不老不死を持ち帰ってやるさ!」
徐福がこうしてすぐ側に戻っている事も、始皇帝に告げたのと全く違う方法で不老不死を研究しようとしている事も、始皇帝は知らない。
徐福は不敵な笑みを浮かべたまま、闇に紛れるように坑道の中に戻っていった。




