(33)
徐福が足止めを食らっている一方、盧生と侯生は咸陽で研究の準備を続けていました。
徐福一行を悩ませている病気の事情、その研究における必要性とは。
そして、盧生と侯生に張り合うように始皇帝に自説を売り込んだ韓衆は……。
安息起の病気は、治るまで一週間ほどかかった。
その間徐福は宿で足止めをくらっていたが、何もせず過ごしていた訳ではない。
(さて、俺が海に出てから戻ってくるまでに四か月ほどかかったが……盧生と侯生はもう咸陽に着いておるかのう……。
順調に行っておればもう着いていてもおかしくないが、始皇帝が琅邪の時のような寄り道をしていれば分からん)
盧生と侯生と咸陽ですぐ合流できればいいが、そうでない場合は少し待たなければならない。
(今の咸陽は、どこよりも病の危険が大きい。
下手に咸陽の街中で待てば、待っている間にこいつがまた病気をもらって、今度こそ死ぬかもしれん……)
幸い、今回の病は命に別条のない軽いものだった。
発疹は口の中や肺には広がらず、三日ほどで消えてしまった。麻疹ではなく、風疹か何かだったのだろう。
つまり逆に言えば、麻疹の免疫はないままだ。
さらに、他のどんな病が待っているか分からない。
今の咸陽は、この広大な中華の大地を総べる首都なのだ。ありとあらゆる地域から人と物が集まり、行き交っている。
人の往来が盛んになればなるほど、持ち込まれる病は多くなる。
しかも咸陽がそうなったのは、いや中華が一つになったのは、ここ数年のことだ。それまでは元々あった国境によって人の行き来は制限され、病気の伝染もそこで多分に阻まれていた。
それが、今は一気に解放されてしまったものだから……伝染病は一気に広がってしまうし、どこの辺境の風土病が持ち込まれるかも分からない。
これが徐福の懸念している、統一によって増した危険なのだ。
もっとも、徐福の研究にとって悪いばかりではないが。
(ま、これで病毒の元に不足はせぬな。
国境によって阻まれていては、今そこで流行っていない病を手に入れるのは難しいが……咸陽が病の巣窟になっておれば容易いこと。
動く死体を作るための天然痘も、すぐ手に入るだろう)
ただし、それで安息起に死なれては都合が悪い。
それを考えると、咸陽に連れて行くタイミングを図る必要があった。
そのため、徐福は宿の近くの街で始皇帝の巡幸について情報を集め始めた。今どこにいるかは分からないまでも、どのくらい前にどこを通ったかは旅人から伝わってくる。
「陛下の巡幸は、長江を越えた所で一月ほど止まっていたそうだ。
何でも、湘山の祠を壊して山を丸裸にしたとか……」
やはり、長い寄り道があったようだ。
しかし話を聞く限り、徐福がこのまま進んで咸陽に着く頃には、始皇帝の一行もとっくに咸陽に着いているであろうと予測できた。
(……ならば、このまま行って問題ないな。
むしろこちらの方が、これからも同じように足止めを食うかもしれん。
それに、盧生と侯生に早いところ合流した方がいいかもしれん)
気になったのは、始皇帝が湘山の神に怒って祠を焼いてしまったという話。
(尋常な人物ではないと思っていたが、神に対してあそこまで過激なことをやるとはな……一度役に立たぬと思ったら、全く容赦がない。
盧生と侯生も、ずいぶん神経を使っていることだろう。
あの二人ならしばらくはうまくやれると思うが……ボロを出す前に合流して指揮を執った方が良さそうだな)
始皇帝の予想以上の苛烈さに、徐福は少しだけ恐怖を覚えた。
そして、神を信じぬ彼には珍しく、二人がうまくやってくれるように祈った。
その頃、盧生と侯生は長い巡幸の旅を終え、咸陽にいた。
咸陽に着くと、始皇帝はすぐさま連れてきた方士たちを王宮に集め、自分が仙人になるために何ができるかと質問した。
「徐福は仙薬をもらうために海に出たが、無事帰ってくるかは分からぬ。
それに、仙人が朕をふさわしいと思わなければ、仙薬をもらえぬという。仙人の目に適うために、朕はどうすればいいか言ってみよ」
そう来れば、答えるのは盧生と侯生だ。
二人は始皇帝の前に出て、うやうやしく頭を下げて言った。
「恐れながら、そうすれば良いかと問われましても、現状がどうなっているかをまず知らねば判断がつきかねます。
つきましては、まず我々に咸陽の都と周辺を見せてくださいませ」
「仙道の修行は、どこででもできるものではございませぬ。
仙人に近づくには、神気を汚されぬ場所で修行するのが鉄則でございます。なので陛下も仙人に近づくためには、まず環境を整えるべきかと。
我々が都とその周辺を見て、害になりそうな場所があればお知らせします」
その発言に、始皇帝は納得したように目を細めた。
「なるほど、その意見もっともである。
現状が分からねば良い手は打てぬ、まさにその通りだ。おぬしらには、朕の居場所が仙人にふさわしいか見てもらわねばならぬ。
李斯よ、この二人に通行証を発行せよ!」
「はーっ!」
側に控えていた李斯が、すぐにそれを実行するべく退出していく。
その後姿を見送ると、始皇帝は他の方士たちに向き直った。
「他に、何か意見はあるか?」
発言できる者はいない。
当然だ、始皇帝はまず徐福の示した道を全うするための意見を求めているのだから。徐福のことをよく知らない他の方士たちに意見を出せる訳がない。
いや、ただ一人、韓衆が発言した。
「小生は徐福殿の求める道はよく知りませぬが、一つ他の道をお勧めしたいと存じます」
「他の道とな?」
「はい、山の頂上に至る道は一つではありませぬ。一つの道が塞がっていた場合に備え、別の道からも足を伸ばしておくべきかと」
情熱たっぷりに言う韓衆に、始皇帝は少し考えてうなずいた。
「なるほど、それも理に適っておる。
徐福が成功するとは限らぬ以上、今打てる手はできるだけ打っておくと申すのだな。それは構わぬ、最終的に朕が仙人になれれば良い。
して、おぬしが示す道とは?」
韓衆は、自身たっぷりに自説を語り始めた。
「小生が行っているのは、食によって体に精気をみなぎらせる方法です」
「ほう食事か、それは朕も興味があるところだ!」
食事によって寿命を延ばそうとする学説は、医術の延長線上として古来からある。老いを退ける薬の中には、飲み続ければ不老となると言われるものもある。
もちろん始皇帝もそのことは知っていて、寿命を延ばす薬草などについては既に調べさせている。ただし、今のところそこに不老不死になる効果は見つかっていないが。
だからこそ、方士たちならもっと役に立つことを知っているのではないかと期待していた。
思わず目を輝かせる始皇帝の前で、韓衆はとうとうと語る。
「小生は、古来より精がつくとされる食材に着目しました。精気がみなぎっていれば人間は若々しく、老いることがありません。
なので小生は、普段薬酒などに使われているものを常食とすることをお勧めします。例えばこの……ナメクジや蛙など」
韓衆は、腰に下げていた袋から生きたナメクジや蛙の干物を取り出す。
その瞬間、広間の空気が一気に冷えた。
「げぇっ!?」
周りにいた方士たちが潮が引くように距離を取り、見ていた文官の何人かが吐き気を催して口を押える。
始皇帝も、あからさまに眉をひそめて口をへの字に曲げた。
それに気づかないのか気にしないのか、韓衆はさらに熱く言い募る。
「普通の人間が食べるものばかり食べていては、普通の人間にしかなりませぬ。不老不死になるほど精気をみなぎらせるには、薬酒や煎じて飲む程度では足りませぬ。
お体に害がないかは、既に小生が実践しておりますので問題ありませぬ。
しかもこの方法は、費用もあまりかかりませぬ。これらは野山に分け入ればどこにでもおりますし……」
「やめい、その案は聞きとうない!」
たまらず話を遮って、始皇帝が叫んだ。
「ええっそんな……小生の話には根拠が……」
なおも主張しようとする韓衆を、戻ってきた李斯が反論で抑え込む。
「根拠などあるものか!逆にこれだけありふれた物なのに、それを用いて不老不死となった者がいないことが、効果がない証であろうが!」
「それは、常食としなかったからです。
材料がいくら周りにあっても、常食を続けるのは存外難しいもので……」
「では、常食を続けられたためしがないという証であるな?それでは結局不老不死にはなれぬ。現におぬしも、まだ不老不死になっておらぬであろう?
良いか、我々は確実に効果がある道を求めているのだ。
徐福の話は、仙紅布という証を持参したゆえ採用した。それと同様に、おぬしらの語る道が存在する証があった場合のみ、我々はその道を採用する」
そう言いきられては、もう返す言葉もない。
李斯が言うことは正しい、理に適っている。公費を使うのだから根拠がない方法は採用できない、当然だ。無理に証拠をねつ造して押し通そうとすれば、尉繚による手加減なしの取り調べと秦の方に基づいた苛烈な刑罰が待っている。
これでは、不老不死を売り物にするだけの他の方士たちは手が出せない。
人の手で作れない仙紅布という証拠を出した、徐福一派の独壇場だ。秦の厳格な審査の下では、証拠がない者は先に進むこともできない。
(それを考えると、徐福殿の偉大さがよく分かるな)
徐福が出してくれた証拠のおかげで、盧生と侯生はその道を先に進めるための通行証を手に入れた。
これを使って、自分たちはさらに研究の準備を整えることができる。
李斯に論破されてうなだれるばかりの他の方士たちを鼻で笑って、二人は王宮の広間を後にした。




