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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第七章 徐福の帰還
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(32)

 大陸に帰還した徐福もまた咸陽へ向かって旅をしますが、ここで問題が起こってしまいます。


 島から連れてきた安息起の無知と欲深さは彼自身を危険に晒し……閉鎖された環境から連れてきた人を街中に放り出すとこうなります。

 ゴトゴトと砂ぼこりを巻き上げて、荷馬車は進む。

 そのうち、あれほど広大だった海は陸地の彼方に追いやられ、見えなくなった。安息起は少し不安そうに海の方を見ていたが、徐福に促されて前を向いた。

 いや、見えなくなった海よりも見たいものがいくらでもある。

 どこまでも続く地平線と終わりの見えない街道、服装も顔貌も様々な人々……安息起にとっては、見るもの全てが新鮮だ。

 それに、島で生まれた中で自分だけがこんな世界を知れたんだと誇らしくなる。

 徐福は、そんな安息起を心の中で苦笑しながら見ていた。

(くっくっく……他愛のない田舎者よ!

 この様子だと、楽に咸陽まで連れ込めそうだな)

 だが、徐福は少し目をつぶってそんな己の考えを改めた。

(……いや、まだ楽観はできん。旅には問題がつきものだ。

 ただでさえ秦の天下統一後、旅をする者は増えている。秦の法治により盗賊や傭兵崩れのならず者は減ったが、それより問題は……)

 チラリと街道に目をやると、実に多くの人間が行き交っている。

 かつて中華が七つの国に分かれていた頃とは、比べ物にならないにぎわいだ。そうとも、天下が秦によって一つになったからこそ、皆安心して旅に出られるのだ。

 もう中華の大地に国境はなく、国境に作られた邪魔な長城もない。秦が強力な法治でもって治安を守っているため、盗賊の類や悪徳業者は目に見えて少なくなった。

 しかし、だからこそ起こる問題もある。

(安息起は、そちらの問題に極めて弱いはずだ。

 どうにか、無事に咸陽まで辿り着ければ良いが……)

 そんな徐福の心配をよそに、安息起は新しい世界に目を輝かせていた。


 やがて日が落ちる時刻になると、一行は宿を取った。

 豪華ではないが小ぎれいな宿で、きちんと棺を置くための場所がある。他の客の邪魔にならないように棺をそこに移し、徐福は一息つく間もなく部屋を出て行った。

「近くでおまえと家族の分の飯を買ってきてやる。

 おまえは長旅で疲れているだろうし、街には危険も多い。大人しく待っていろよ!」

 徐福は、安息起にきつく言いつけて行った。

 しかし、安息起がじっとしていられるはずがない。安息起は外の世界を知った興奮に疲れを忘れ、もっと知りたくてうずうずしているのだ。

 安息起は徐福がいなくなると、すぐに送屍屋の男たちに声をかけた。

「なあ、私はこれまでこんな広い世界を見たことがないのだ。

 どうか、一緒に食事に連れて行ってくれぬか?」

 送屍屋の男たちは少し迷ったが、安息起が期待に目を輝かせているのを見て、ちょっとくらいならいいだろうと連れ出してしまった。

 安息起がお坊ちゃんだと紹介されていたため、そちらの願いを叶えてやった方が金払いが良くなるとでも思ったのだろう。

 事実、徐福と安息起はかなりの金を持っているのだ。秦の犯罪取り締まりが厳しいためだましたり脅し取ったりはできないが、高い料理屋に連れ込んで店から紹介料をもらうなら合法だ。食べておいて支払いを拒否すれば、投獄されるのはそちらなのだから。

 その思惑通り、安息起は浮かれて酒と料理を思う存分に楽しんだ。

 さらに女まで侍らせて、血の淀んだ島ではとうていお目にかかれない美女に触ったり口づけをしたりした。

 徐福はすぐに気づいて探し回ったが、見つけた時には既に高額の請求書を突きつけられていた。

 しかし、そこは問題ではない。金はたっぷり持っているので、払えば済むことだ。

 徐福は、女の胸に鼻をうずめる安息起を見て怒りにわなわなと震えた。

「な、何ということを……そんな事をすれば、自分がどうなるか分かっているのか!?」

 徐福はすぐさま安息起を宿に連れ帰って身を清めさせたが、間に合うかは分からない。

 さらに送屍屋の者たちと安息起に、今後このような事をしないと約束させたが、安息起が味を占めて内心守る気がないことは明らかだった。

 なぜなら、安息起には自分が危険な目に遭った自覚がないから。

 自覚できない間は、今回の体験は甘く刺激的で素晴らしいものでしかない。

 ……だが数日後、安息起はそれを本気で後悔する事態に見舞われることになる。徐福の鋭い読みが外れることは、なかったのだ。


 その日は朝から、何となく体がだるかった。

(……さすがに、疲れが出てきたか?)

 幸い仕事は全て徐福と送屍屋たちがやってくれるので、安息起は荷馬車の後ろで休んでいるだけで良かった。

 しかし、いくら体を横たえていても体調は良くならない。

 昼飯もあまり食べる気になれず、日が西に傾く頃にはぞくぞくと寒気が襲ってきた。毛布にくるまって縮こまっても、全然温まらない。

 その様子を見た徐福はとてつもなく渋い顔でため息をつき、早めに宿を取るように送屍屋に命じた。

 やっとのことで宿の部屋に転がり込んだ時には、安息起はがたがた震えて動けなかった。

 徐福が安息起の手を取って首に当て、さらにもう一方の手を自分の首に触らせる。

 その瞬間、安息起はその温度差に目を見開いた。

「どうだ、分かるか……ずいぶんと熱が高いぞ」

 それを聞いて、安息起は自分が何かの病気にかかったのだと気付いた。

 驚いて目を白黒させる安息起に、徐福は険しい顔で言う。

「全く、だから街に出るなと言ったのに……!

 島と違ってな、大陸は病気の元であふれているのだ。しっかり火が通っていないものを食えば当たるし、島にはない疫病だって数え切れぬほどある。

 俺はそういう危険からおまえを守ってやろうと思ったのに、おまえは欲に負けて勝手な真似を……!」

 安息起は、自分のした事を思い出してぎょっとした。

 徐福が宿から出るなと言ったのは、病気から守るためだったのだ。

 しかし自分はそれを破って、どう料理したか分からぬものを食べ、どこの誰に触れたかも分からぬ女に触れてしまった。

 思えば徐福は島から出る時に、大陸の危険について口を酸っぱくして教えてくれた。その中には、病気のこともあった。

 だが安息起は目の前の美味と快楽に目を奪われて、そんな事は頭の中から消し飛んでいた。

 それに、安息起は病気と言われてもピンとこなかったのだ。

 島はその閉鎖された環境ゆえに、流行病がほとんどない。ごく稀に大陸に交易に行った者が軽い風邪を持ち込むことはあっても、重大な伝染病は経験していなかった。

 それは、島の者が伝染病を持ち込まぬように伝統的に注意していたせいもある。

 交易は昔から病気の少ない穏やかな季節を選び、場所はそれほど大きくない沿岸の村で、不必要に内陸に踏み込まぬようにしていた。

 大昔、大陸の疫病によってもたらされた災厄を避けるために。

 その用心深い風習に守られていたから、安息起はこれまで伝染病を経験してこなかったのだ。

「そ、そんな……じゃあ私は、一体どうなるので……?」

 震える声で尋ねる安息起に、徐福は冷たく首を振った。

「分からんよ、初めに熱が出る病など山ほどある。

 食当たりならしばらく吐き下して、それに耐えれば数日で治る。もし他の伝染病だったら、一月ほど覚悟せにゃならん場合もある。

 ……今はとにかく、棺に入らんように全力で祈っておけ」

 安息起は己の軽率な行いを悔やんだが、もう後の祭りだった。


 それから三日後、安息起は自分の体を見て悲鳴を上げた。

「う、うわあっ!腹や胸に、赤いブツブツが……!!」

 熱は下がらず、昨日からは鼻水も出てきていた。そして体に赤く散らばる、無数の細かい発疹……。

 それを目にした途端、安息起は半狂乱に陥った。

「こ、これはまさか……あの災厄の病ではないのか!?

 高熱が出て体に豆のようなできものが散らばり、鼻水が膿に変わって……あああぁ!!」

 安息起は、この病気がかつて一族に災厄を引き起こした疫病ではないかと怯えているのだ。

 だが、徐福が見る限りそれは違った。

「大丈夫だ、この発疹は天然痘じゃない。

 だが、ひょっとすると麻疹かもしれんな……あれも時によっては、天然痘に負けぬくらい死者が出る。

 これが口の中や肺まで広がらにゃいいが、果たして……」

 安心したのも束の間、安息起は再び仰天した。

「麻疹……何だそれは!?

 そんな恐ろしい病が、他にもあるのか……!?」

「あるさ、他にも水痘や赤痢や腸チフス……ここはおまえがかかった事のない病の巣窟だぞ。数えきれない病がうごめいておる。

 おまえはこれを機に、その危険性を理解することだな!」

 それを聞くと、安息起は情けない顔で泣き出した。

 徐福は苦々しい顔でそれを見て、フンと一つ鼻を鳴らした。

(かかってしまったものは仕方がないが……まあ、こいつにはいい薬になったな。これで今後は身を慎み、より御しやすくなるだろう。

 あとはこれに話を合わせて、送屍屋にも釘を刺しておくか)

 徐福は後ろに控えていた送屍屋たちの方を振り返り、にらみをきかせる。

「おぬしら、やってくれたな!

 この坊は病気に弱いと、出発の時に伝えたはずだぞ。それがおまえたちのせいで、この体たらくだ!」

「も、申し訳ない……しかし我々も目に見える病人には近づけぬように……」

「それに、麻疹などこの歳になるまでに皆かかるものではないか。それを……」

 送屍屋たちは、何とか責任を逃れようと言い訳をする。

 徐福は、それを雷のような声で叱りつけた。

「黙れ軽輩者が!!

 おまえたちはこの坊がどれだけ箱入りで育ったか知らぬのだ。そんな風に育ててしまった亡き親父殿の切なる思いも……」

 徐福は、悲痛な顔を作って目頭を押さえた。

 ここから、徐福の芝居が始まる。

「坊の他に連れてきた、坊の兄弟たちが皆障害を持っているのを見ただろう?あれは腹の中にいる間に母が病にかかったせいで、あのように生まれてしまったのだ。

 親父殿は医者でな、運び込まれる病人が絶えなかった。そのせいで、妻はしょっちゅう病気をもらってしまったのだ。

 結局、健常に生まれたのはこの坊一人だった!」

 徐福が指差すのは、今まさに病で苦しんでいる哀れな若者。

「だから親父殿は、坊一人だけは何としても守ろうとしたのだ。

 街から遠く離れた小さな村に閉じ込め、できるだけ病にかからぬように箱入りに育てた。もちろん、弱い子に育ってしまうことは分かっていた。だが、それでも坊を死なせたくなかったのだ!!

 その坊をもしここで失うような事になれば……貴様ら、覚悟しておけよ!!」

 そう言う徐福の剣幕に、送屍屋たちは震え上がった。

 徐福の話は全くの出まかせだが、目に見える状況をしっかり織り交ぜており現実感がある。

 多くの財産を持っているのも、親が医者だったならうなずける。それに一緒に連れてきた数人が全て障害を持っているのも、そう言われれば納得だ。この若者があまりに世間を知らないのも、病気に弱すぎるのも……全てつじつまが合う。

 平伏している送屍屋たちに、徐福はこう締めくくった。

「今回のことは、坊も悪いが、おまえたちの不手際が大きい。

 よって、この病でここに留まる日数分の負担はおまえたちに払ってもらうぞ!」

 すっかり徐福の気迫と話に飲まれている送屍屋は、この条件を飲むしかなかった。利用できるものは全て利用して人をたらしこむ、それが徐福という男であった。

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