(28)
湘山に留まっている最中に、盧生と侯生に新たな出会いがあります。
それは少し変わった方法で仙道の研究をしている、一人の方士でした。
そして、湘山で神を畏れぬ所業を見せた始皇帝の傍らで、李斯もまたその暴挙に酔いしれていました。始皇帝への忠誠ではなく、己の心に従って……李斯の胸には、一体何が秘められているのでしょうか。
翌日から、湘山周辺はにわかに慌ただしくなった。
山の木々を伐採するため、周辺地域から集められた数千人の囚人が山に登り、木という木に向かって斧を振るう。
方士たちも、湘山を霊的に穢すための呪いをかけるよう命じられた。
盧生と侯生もそれに従い、朝早くから夜遅くまで呪いの呪文を唱えながら山の中を歩き回った。
こういう、誰でも点数を稼げるところで出遅れる訳にはいかない。
本当は効果などないのに馬鹿らしいと思いながらも、二人は見せかけの働きに精を出していた。
そんなある日、二人が朝早く山に入ると、一人の方士が奇妙な動きをしていた。
朝霧が晴れきらぬ中、濡れた地面に座り込み、着物が湿るのを気にも留めず一心不乱に何かを探している。
二人がいぶかしんで近づくと、その男は石をひっくり返して楽しそうな声を上げた。
「おお、これは素晴らしい!」
気になった二人は、後ろから覗き込んで思わず吐きそうになった。
その男がひっくり返した石の裏には、ナメクジやダンゴムシ、ヤスデなど見るのも気持ち悪い虫がびっしりと身を寄せ合っていたのだ。
「うえっ……!」
思わず嗚咽した盧生の声に気づいて、男が振り返る。
「ん?……おやおや、これは」
男は立ち上がって軽く会釈すると、にこにこと笑いながらその虫を素手で掴み取り始めた。そして、あろうことかそれを二人に差し出してきたのだ。
「もしや、同志の方ですかな?
いやはや、こんなにいるのに独り占めしてしまって申し訳ない。お近づきの印に、半分差し上げましょうか」
「い、いや……お気持ちだけにしておきます!」
盧生は、着物の下に鳥肌が立つのを感じながら、どうにか断った。
代わりに、侯生があいさつをする。
「お仕事を邪魔してしまって申し訳ない。
私は侯生、そしてこちらは盧生、琅邪から来た方士だ。私たちの呪いに虫の類は使わぬので、安心して独り占めなさるが良い」
「おお、それはありがたい!」
虫が要らないことを伝えると、その男は大喜びで見つけた虫を手にした袋に放り込み始めた。
その様子を見て、今度は侯生が質問する。
「それにしても、そんなに虫を集められるとは……もしや、蠱毒使いの方ですか?」
虫を使う呪いに、侯生は心当たりがあった。
毒虫や蛙、蛇などを一つの容器に入れて食い合わせると、最後に残った一匹が強力な呪力を持った使い魔になるという呪いの一種……それが蠱毒だ。
侯生は、湘山を汚す仕事のためにその男が蠱毒を作ろうとしていると踏んだのだが……。
「いえ、そういう訳ではありません」
男は、爽やかに否定した。
そして、袋に入れた虫たちをうっとりと見ながら言った。
「小生は、これらの虫を食することで不老長寿を目指す研究をしているのです。
蛇やサソリを酒に浸してその酒を飲むと、精がつくと世間では申しますでしょう。ならばその精の本体である蛇や虫をそのまま常食とすれば、いつまでも精気がみなぎり若々しくいられるはず。
小生は、自らそれを実践しておりますので……」
そう言って照れたように笑う男に、盧生と侯生は気分が悪くなった。
見ているだけで気持ち悪いこれらの醜い生き物を食べるなど、想像するだにおぞましく、胸の辺りがむかむかしてくる。
「はは……それはまた、独特な方法ですな……」
侯生が皮肉を込めて言うと、男は静かに首を振った。
「いいえ、これは一般的な登仙の方法をより実用的にしただけです。
不老長寿を得るには、人が普通に食べるものばかり食べていてはいけない。これは仙術の基本でありますな」
「うむ、それは我々も知っております」
盧生と侯生も、そこは素直にうなずいた。
仙人になるには、その体に朽ちないものや精気の元を取り込まねばならない……一般的な食物である穀物を断ち、寿命を延ばす生薬の類や鉱物を食さねばならない。
不老長寿の方法として、広く知られている説だ。
「……しかし、高価で珍しい生薬の類はそうそう手に入りませぬし、丹砂や玉のような鉱物が果たして人の体に受け入れられるのでしょうか?
小生には、それらは実用的ではないと思いました」
男は、真面目な顔で語る。
「それに、一般的な食物でなくても食べられるものはたくさんあります。わざわざあるかないか分からぬ霊薬を求めるより、まずはあるものを徹底的に調べるべきです。
しかも蛇や虫などは、実際に精が付くと言われて薬酒などにされているではありませぬか。つまり、過去に多くの人が効果を実感しているのです。
私には、こんな近くに実績のあるものがあるのに、目を向ける者がおらぬのが残念でなりませぬ」
男の話を聞いているうちに、盧生と侯生は内心驚かされた。
(なるほど……意外に筋が通っているな)
(訳の分からぬ迷信ではなく、きちんと事実に基づいて研究している……普通の方士とは違うな)
虫を食べると聞いた時は、見た目の気持ち悪さも手伝ってつい拒否してしまった。奇抜な方法だと、尻込みしてしまった。
しかしよくよく話を聞いてみれば、この男はなかなかに聡明ではないか。
仙人になるという目的に対して、あくまで実用性を考えた方法を模索している。仙人になるための一般論を自分なりに噛み砕き、過去の実績に基づいて独自の理論を構築している。
仙人という存在を、自分が利益を得るために語るのではなく、現実に手の届く存在にしようと研究している。
そういう意味では、徐福と似ているかもしれない。
徐福は不確かで遠くにあるものの根を追い求め、この男は身近にあるものに着目すると言う違いはあるが。
(……この男は、研究の役に立つかもしれんな)
この男が徐福に似ていると気付いた時、盧生と侯生は軽い嫉妬を覚えた。
自分たちは、徐福やこの男のように仙道について研究しようとは思わなかった。だから徐福に従ってはいるものの、言われたこと以上のことを考えることはできない。
従うだけで、研究的な発想ができないのだ。
だが、この男は違う。自ら研究心を持ち、自分で実験までしているこの男ならば、徐福にとっても興味深い発想が出せるのではないか。
(……この男、仲間に引き込むべきか?)
二人は少し思案し、男に声をかけた。
「いやあ、なかなか面白い話でした。
あなたとは、またお話ししてみたい……名は、何と?」
男は、嬉しそうに笑って答えた。
「小生は、韓衆と申します」
韓衆は、虫を集めるにはこういう湿った朝がいいと言って、さらなる虫を求めて二人から離れていった。
二人は、苦笑しながらその後姿を見送っていた。
「……方士の中に、他にもあのような者がいたとはな」
「意外に良い出会いであったかもしれぬな。
もっとも、引き込むべきか判断されるのは徐福殿だが」
そう、自分たちはただ従って命じられた作業をするのみ。研究に有用かどうかを判断して決めるのは、徐福の役目だ。
研究心による発想に乏しい自分たちに、研究のための判断はできない。
だが、その判断のための議論を徐福と交わせそうな方士はいた。あの韓衆という男は、後々自分たちの大きな助けになるかもしれない。
盧生と侯生は確かな感慨を胸に、自分たちの仕事に戻っていった。
湘山での作業は、一月ほどかかった。
山が青々とした木をはぎ取られ、祠が焼かれて灰になっていくさまは、まさに始皇帝の力と感情の激しさを表すものであった。
地元の人間たちが不安そうに見ている中、湘山は無残な裸山へと変わっていった。
さらに始皇帝の怒りのとばっちりは、働かされていた囚人たちにも及んだ。
この囚人たちは地元で罪を犯して捕まっていた者たちで、中には神の山を汚すことをひどく恐れて作業を拒む者もいた。
そういう者は、すぐさま首をはねられ、遺体すら湘山を汚す道具としてまき散らされた。
それを見て他の囚人たちは、こうはなりたくないと神への畏れを押し殺して必死で作業してきたのだが……結局、結末は同じだった。
始皇帝は、作業を完遂した者たちの首をもはねたのである。
そして、その遺体を弔いもせずに置き去りにした。
「朕を邪魔立てすればどうなるか、罪人の亡霊共に怯えながら思い知るがよい!」
始皇帝はようやく気が収まった様子で、湘山を後にした。
この処置には、始皇帝について来た方士たちも空恐ろしさを感じずにいられなかった。ここでまた、いくらかの方士がついていけぬと脱落した。
臣下たちの諌める者こそいないものの、内心穏やかでない者が多かった。
しかしその中にあって、いつも始皇帝の側にいる李斯だけは、嬉しそうに微笑んでいた。胸につかえていたものが取れてすかっとしたような、うっとりと酔いしれたような、静かな歓喜をにじませている。
「ふふふ……あれで良いのだ、これこそ新しい世を導くのに必要な力よ」
李斯の視線は湘山だけでなく、南の大地全てに注がれていた。
「古き有害なものは、取り除かねばならぬ……。
無用な古い考えに染まった地に、法による新たな秩序を築かねばならぬ。
これでこの地の民は、罪を犯すことを恐れて秦の法を順守するようになるであろう。それで良い、世を治めるには有効だ」
ぶつぶつと呟く李斯の目に、一瞬激しい怒りが走った。
「それが分からぬ頭の古い者共は……この湘山の如く滅びてしまうがいい!!」
それは決して始皇帝への忠誠ではなく、李斯の心から出た言葉であった。
その言葉は特に隠す意図もなく発せられ、周りにいる臣下たちの心をかすかにざわめかせた。そして、方士たちの先頭にいた盧生と侯生の耳にも届いていた。
始皇帝本人だけではなく、配下にも一筋縄ではいかぬ者が多そうだ……二人はそれを心に刻んで気を引き締めながら、咸陽への道を再び進み始めた。




