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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第六章 咸陽への道
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(27)

 引き続き、盧生と侯生と始皇帝の旅路です。


 盧生と侯生は徐福に寄って無駄な信仰を捨てさせられ、神を信じていません。

 二人は始皇帝が神を信じていてその威厳に屈するものと思っていましたが、始皇帝も神に対する考え方が普通ではありませんでした。

 ※湘山の祠を焼く:実際にやったそうです。

 巡幸は、長江を渡って江南の地に入った。

 そのまま長江を遡るようにして内陸に向かい、秦の都である咸陽を目指す。

 むしむしとした湿っぽい空気と、始皇帝もほとんどの従者たちも見たことがない南の植物に覆われた大地……しかしここも、始皇帝の領土には変わりない。

 その全く見知らぬまさに異境の風景に、従者たちも方士たちも、今さらながら始皇帝の治める世界の広さを思い知らされた。

 始皇帝は、地上においてこれほど遠くまで届く権威を持っているのだと。

 だが、その始皇帝が今見つめているのは、地上ではなかった。

 所詮地に足をつけて歩き回るだけの人間をはるかに超えた、天や海の彼方に住まう神仙……始皇帝は、その仲間になりたかった。

 そして、そのためには何をすれば良いかと、轀輬車の中で日夜頭を悩ませている。

 地上をいくら広く支配しようと、そこに縛られていては絶対の存在にはなれない……地と命の呪縛を抜けることが、始皇帝にとって最優先の課題になりつつあった。


「水神を、祀ろうと思う」

 長江を渡る時に、始皇帝はそう言って儀式を行った。

 地上にいて天とつながる神々への、あいさつ回りのつもりらしい。

「この巡幸では、先に封禅の儀式を行って天と地の神を祀った。しかし考えてみれば、神はそれだけではない。

 他の神も同じように祀っておかねば、失礼であろう」

 封禅の儀式とは、天下を統一して地上を平和にした偉大なる君主のみが行うといわれる、特別な儀式である。

 神々が集うとされる泰山で、天と地の神々を祀って自分がその偉大な君主であると神々に知らせるのだ。

 始皇帝は、琅邪で徐福と出会う前に、それを行った。

 そして、自分の業績を讃える石碑も建てた。

 不老不死や仙人について確たる証拠が見つかる前から、始皇帝は天地の神々に自分を宣伝し始めていた。つまり、それくらい不老不死になりたかったのだ。

 徐福に会って神秘に傾倒し始めたのは、きっかけがあって一気に進行したにすぎない。始皇帝は自分が人を超えることを望み、不老不死を欲した時点で、既に心の中では神仙の存在を望み信じていたのだ。

 そして徐福を仙人への使者に出した今、始皇帝の信心は止まることを知らなかった。

 力のある神々に対して、次々と儀式を行ってご機嫌をとり、仙人や神々の心証を良くしようと考え出したのだ。

 そのためには、時間も金も惜しまない。

 始皇帝は、世にも稀な美しい璧を長江に沈め、水神の加護を願った。

 その儀式には、琅邪からついて来た方士たちも参加していた。

 徐福の弟子である盧生と侯生も、他の方士たちに混じって水神に祈った。

 参加できるところはできるだけ積極的に参加する、点数稼ぎの基本だ。他の方士たちも同じ姿勢でいる以上、ここで落とす訳にはいかない。

「この璧を、水神に捧げたてまつらん!」

 始皇帝が、手にした璧を濁った水の中に投げ入れる。

 璧はすぐに長江の濁った水に沈んで見えなくなり、広がった波紋も他の波と重なり合って消えていった。

 それを見届けると、始皇帝は満足そうに船室に戻っていった。


 儀式が終わり、方士たちも散り散りになっていく。

 そんな中、盧生と侯生はどこか緊張した面持ちで水面を見つめていた。

「……なあ、できると思うか?」

 盧生が、ぼそりと侯生に耳打ちする。

 侯生は、ごくりと唾を飲み込んで答えた。

「……できるできないは別にして、やってみる価値はあるな。それに多分、これは俺たちしか考えない。

 もし成功すれば、他の方士たちを圧倒し得る仕掛けの元が手に入る。

 ……まともな方士ならやらないだろうが、だからこそ狙い目だ」

 そう言う侯生の顔も、拭いきれない畏れにこわばっていた。

 これから二人がやろうとしている事は、方士の崇める神々への冒涜ともとれる行為。本気で神仙を信じている方士ならば、発想すら浮かばない暴挙だ。

 しかも、考えようによっては始皇帝が今やった儀式の否定にもなりかねない。まさに神も仙人も信じない者の、恐れを知らぬ無茶だ。

 盧生と侯生も、徐福に出会う前ならとてもできなかっただろう。

 しかし、今ならできる。

 二人は徐福によって、無意味な信仰を取り除かれたから。

 それでも長年身についた習慣のように、心の底から湧き上がる畏れは残っているが……徐福の言葉を思い出せば、振り切れぬことはない。

(神秘を語るのはよいが、自らがそれに飲まれてはならぬ)

 神仙など、所詮は夢物語に過ぎない。だから自分たちは夢を語りながらも、あくまで現実を見て打てる手を全て打つのみだ。

 水神などいない、だから捧げた物も……。

 二人は何かを決意して、自らの船室に戻った。


 それから数日で、巡幸の行列はその地を後にした。

 しかしその後もしばらく、その周りに浮かぶ船はいつもより多かった。

 それが何をしているかは、地元の人間もよく知らない。なぜなら船を浮かべているのは、一獲千金の機会がまたあるかもと期待してついて来た泗水の漁師たちだからだ。

 だが彼らも、ある日ぱったりといなくなった。

 そして、そこから巡幸の行列を追いかけて走る者の影があった。


 巡幸の行列は、少し行った先でまたもや止まっていた。

 始皇帝の命令ではなく、暴風雨に遭って進めなくなったのである。

 始皇帝の一行は、長江の南側にある洞庭湖を渡り、湘山という山に向かおうとしていた。そこに神話時代の名君の縁者が祀られていると聞いたからである。

 しかし、それを暴風雨に阻まれた。

 始皇帝は、露骨に機嫌が悪くなった。

 水神を祀ったばかりなのに、水の災いに遭って進めなくなったからだ。

「ええい、なぜこのような事になる!?

 水神も天地の神も祀ったというのに、誰が朕の邪魔をするというのだ!?」

 始皇帝は、憤怒の形相で湘山の方をにらみつけた。邪魔をされた怒りは、今から行こうとしていた祠の主に向けられていた。

「その湘山の祠とやらに、祀られているのは誰だ!?」

 その瞬間、方士の何人かが反応しようとした。

 その誰より早く、侯生が答えた。

「湘君という女性で、堯の娘です。そして、次の王である舜の妻でもあります」

 始皇帝の視線が、ご苦労とでも言うように侯生に向いた。侯生は一瞬猛禽ににらまれたようにおののいたが、すぐに気を取り直して得意げに笑った。

 まず一つ、点数を稼ぐことができた。

 こういう知識を問う質問は、答えた者勝ちだ。いかに誰よりも早く、正確な答えを返すかが物を言う。

 つまり答えが分かっていれば、後は口にするだけで良い。前に巡幸が止まっている間に湘山のことも予習していた盧生と侯生の頭の中には、既に答えが入っていた。

 その先を予測して、侯生はさらに考えを巡らせる。

(湘君に邪魔されていると感じるならば、湘君を祀って鎮めようとするはず。

 その祭祀の方法……それから、湘君の神としての力は……)

 しかし侯生がさらに何か言う前に、始皇帝が口を開いた。

「そうか、古の治世者に寄り添った女か……道理で邪魔をする訳だ」

 始皇帝は、眉間に筋を立てたまま納得したという顔で立ち上がった。さらにその口元に残虐な笑みが浮かぶ。

 意図が読めず困惑する方士たちの前で、始皇帝はゆっくりと言った。

「なるほど……自分の父や夫と同じような治世者である朕に、嫉妬しておるのだな?朕が天に認められて自分たちと同列になるのが、面白くないのだな?

 性根の曲がった女め!!」

 突如放たれた雷のような怒鳴り声に、盧生と侯生は思わず目をつぶった。

 邪魔をされた怒りは分かるが、相手は神なのだ。それにここまで直球で怒りをぶつけるとは、予想外だ。

 思考が吹き飛んで何も言えない方士たちに、始皇帝は言い放った。

「ええい、そんな奴の祠は壊して焼いてしまえ!!

 この山も丸裸にして汚してやるのだ!!」

(ええっ!!?)

 盧生と侯生は、思わず悲鳴を上げそうになって口を押えた。

 邪魔されたから、機嫌を取るために祀るのではなかったのか。逆に祠を壊して居場所を汚してしまえとは、一体どういうことか。

 恐れおののく方士たちに、始皇帝は憎悪に満ちた目で呟いた。

「……誰であろうと、朕の邪魔をする者に容赦はせぬぞ。

 朕はこの大地の頂点に立つのだ、逆らえばどうなるか思い知らせてやる……!」

 始皇帝の声は、地の底から響いてくるような不気味な響きをもっていた。

 方士たちは震えあがり、声も出なかった。


 始皇帝は、自分に逆らえば神でも罰しようというのだ。


 盧生と侯生も、あまりの衝撃に呆然と言葉を失っていた。

 始皇帝は、神仙に取り入って不老不死の仙人になろうとしている。だから徐福に莫大な貢物を持たせて仙人への使者にやったし、封禅の儀式を行って天地の神に自らを売り込み、水神も祀った。

 しかし、自分の行く手を阻んだ湘君には、全く逆の手酷い仕打ちをするという。

 これでは、人間と同じ扱いではないか。

 自分を利する……自分のために仕事をしてくれる者には腰を低くして礼を尽くし、自分に害をなす者には徹底的な攻撃を加える。

 神に対しても、始皇帝のやる事は変わらない。自分の下にいる人間と同じように、飴と鞭で言う事を聞かせようというのか。

 これは、まともな人間のやる事ではない。

 神々を信じ、畏れ、敬う人間のやる事では……。

 もっとも、盧生と侯生ももう神を信じてはいない。しかしここまではやらないだろう、神がいないなら罰する意味もないからだ。

 始皇帝の思考は、その二人とも異なっている。

 始皇帝は神の存在を信じてはいるが、畏れ敬う心がないのだ。だから神に対しても、人間と同じように平気で残虐な仕打ちができる。

 そんな始皇帝に、盧生と侯生は底知れぬ恐怖を覚えた。

(こんな奴の力を借りて、本当に大丈夫か……!?)

 相手が普通に神を畏れ敬っているなら、惑わして付け込むのは容易い。しかし始皇帝は、そうではなかった。

 普通に神の威厳を騙っているだけでは、始皇帝は操れない。

 それでも、二人はもう引き返せなかった。

 徐福と始皇帝、神をも畏れぬ二人の男に目をつけられてしまったから。このうえは、己の持てる全てを懸けて綱渡りを続ける他ない。

 そんな盧生と侯生の心中を映すように、空にはぶ厚い雲が不気味に渦を巻いていた。

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