(26)
再び舞台が大陸の、始皇帝と方士たちに戻ります。
徐福が海に出ている間のできごとです。
始皇帝の信頼を得るための、盧生と侯生の戦いが始まります。
徐福が海の彼方に去ってからも、始皇帝の巡幸は続いていた。
街道に沿って蟻の列のように、どこまでも長く続く人間の行列が南へと下って行く。
その中ほどに、他の馬車より一回り大きくて豪奢な、皇帝専用の轀輬車がある。その中には始皇帝が座し、周りの景色を目に映していた。
一つの目的は、達成した。方士の徐福たちに会い、仙人に使者を出すことができた。
だが、これで都に帰る訳ではない。
巡幸の目的は、それだけではない。自らが手にした中華の全土、その様子を広く見回る事が本来の目的だ。
だから今回の巡幸も、北方の海だけが目的地ではない。始皇帝が未だ見たことがない東方の地を、北から南へとぐるりと回るように予定が組まれている。
最初から、そのつもりだった。
それに、途中でやるべき事もある。
(仙人に使者は出した……しかし、不老不死の秘薬をもらえるかは分からぬ。
ここからは、朕が仙人に認められるかにかかっておる……)
徐福は去り際に、そう言っていた。いくら貢物を差し出しても、始皇帝自身が不老不死になるにふさわしいと仙人に思われなければ意味がないと。
だから始皇帝は、これからも各地を回り、自分の業績を記した碑を建てるつもりだ。そして自分の治世を乱す悪しき者どもに目を光らせなければ。
巡幸はまだまだ終わらない。
むしろ巡幸の間に少しでも仙人に近づくための行動を起こしておきたいと、始皇帝は考えていた。
(さて、あの方士どもは役に立つか……)
始皇帝は、琅邪から連れてきた方士たちのことを思った。
仙人になるために修行し、知識を蓄えているからには、そういう事の助けになるはずだ。
(いや、助けにならねばならぬ)
それを専門とするから連れてきたのに何の役にも立たないようでは、彼らの話そのものの信憑性が怪しくなる。
これからの旅路は、それを試す場でもあった。
徐福の話、そして仙人への道が信ずるに足りるものかどうか……それはこれからの方士たちの働きにかかっている。
方士たちは自分を、どのように仙人に近づけてくれるのか。
始皇帝は期待に胸を躍らせながら、馬車に揺られていた。
その行列の後方に、方士たちはいた。
秦の旗を掲げた兵士たちについて、方士を乗せた馬が列をなして続いている。
徐福の助手となった盧生と侯生は、その先頭にいた。しかし一番重要なはずのこの二人にさえ、護衛はついていない。
その扱いに、侯生は小声でぼやいた。
「やれやれ、不老不死のためにはあんなに金を出したのに、我々の扱いはこの程度か。
せめて馬車くらいつけてくれるものと……毎日こんなに馬に乗っては、尻が痛くなってしまう」
これまでほとんど馬に乗らなかった二人にとって、この巡幸の毎日は苦行であった。
そもそも、毎日こんなに長い距離を移動するのは初めての経験だ。
しかし長い旅路にしても、徐福は海の大波にも負けぬような大きくて頑丈な船を用意してもらえたのだ。もちろんそれには大切な仙人への貢物を守るという意味もあるが、その心遣いのほんの一部でも分けてくれと言いたくなる。
「まあそう言うな、侯生。
こうなったのも、我々だからこそ、だろう」
ずいぶん前にいる最後尾の衛兵に聞かれないように、盧生が言う。
「要するに陛下は、徐福殿にしか信を置いておらぬのだ。
仙人について否定できぬ証拠を持ってきたのも、これまで実際に行動を起こしたのも、徐福殿ただ一人。
よって徐福殿のことは本物と認めていらっしゃるが、我々の事はまだ信じていらっしゃらない。
この扱いは、そういう事だ」
「なるほど、働きのない者に特別扱いはせぬということか」
侯生は納得し、チラリと後ろを振り返った。
「……ならば、うかうかしておれぬな。
今のところ我々と他の方士たちは働きがないという意味で同格……しかし、もし他の方士の中に目だった働きをする者が出てくれば話は変わる」
盧生も、口をへの字に結んで後ろに続いている方士たちを眺める。
始皇帝が北方の海岸地方から連れてきた、百人ほどの方士たち……彼らも名目上は徐福の推薦によるものだ。
一応、盧生と侯生が徐福の弟子ということになってはいるが、他の方士たちも一応始皇帝が仙人に近づくための手助けをする任を負っている。
だからもしその中の誰かが大きな手柄を上げれば、始皇帝がそちらに信を置いてしまうことも有り得る。
だが、それでは困るのだ。
盧生と侯生は、名実ともに徐福の代理人なのだから。
(我々の信用が第一でなければ、徐福殿の研究に障りが生じる)
徐福は、大陸に帰って来ても、研究の成果が出るまではそれを始皇帝に伏せておくと言っていた。
そして、その間の始皇帝への進言や金品の確保は全て盧生と侯生の名で行うと。
つまりその時に二人が始皇帝の第一の信用を勝ち取っていなければ、徐福の望むことができないということだ。
「……これは、責任重大だな」
思わず肩を回しほぐす侯生に、盧生もやや緊張した面持ちでうなずく。
「ああ、先を越されてはならぬ。
どうやらこれからも、ゆっくり休む暇などなさそうだぞ」
始皇帝が何かをやろうとした時に、いち早く適切な助言ができないとまずい。そのためには、常に周囲の状況をよく調べておくことが大切だ。
しかも巡幸で知らない土地を回ってそれをやるのだから、情報を早く得た者勝ちだ。
これからは、行く先々での情報収集に力を入れねばならない。ゆっくり与えられた禄を味わう暇などないのだ。
全く気の抜けないことだと吐息を漏らしながら、盧生と侯生は進んでいった。
しばらく南に下って、淮水の支流である師泗水まで来た時、にわかに行列が止まった。
始皇帝から臣下たちに、命令がとぶ。
「この川に沈んでいるという、九つの鼎を探してみようと思う」
少し学のある者たちには、すぐその意味が分かった。
九つの鼎とは、八百年前に天下を統一した周王室ゆかりの宝物である。かつて周の威光が中華全土を覆っていた頃は、地上を治める王族に天帝から与えられた神器だと崇められていた。
しかし、周の権威は秦に滅ぼされる前から失われて久しい。
だから始皇帝も、周王室を滅ぼした時に川に沈んで行方不明になってしまったこの鼎を、わざわざ探そうとしなかったのだ。
奴に立たない形だけの宝物を探しても、意味がないから。
しかし今、始皇帝は天下への権威とは別の意味で鼎を欲していた。
天帝から与えられた神器、神仙とつながる神秘の器としてである。
琅邪で仙人の島の影を見、徐福の話を聞いて不老不死が現実味を帯び始めてから、始皇帝は目に見えぬものを信じ神秘に惹かれるようになっていた。
そして、自分が不老不死にふさわしいと仙人に認めてもらえるかどうか、それをひどく気にし始めたのである。
(もし朕が天に認められているなら、天帝からの神器も手に入るはず……)
とにかく認められた証が欲しい始皇帝は、こう思ったのだ。
かくして、周辺に住む潜り漁師たちが集められ、大捜索が始まった。川の上流から河口近くまで、毎日大騒ぎである。
当然方士たちの中にも、それで手柄を立てようとする者が現れ出した。
鼎の場所を占って進言したり、始皇帝に目通りしてはきっと見つかりますなどとおべっかを使っている。
そんな他の方士たちを、盧生と侯生は冷めた目で見ていた。
「どうだ、おまえも占ってみるか?」
盧生の茶化したような問いに、侯生は肩をすくめた。
「やめておく、失敗したらそれだけ信用を失うからな。
確実にできることや、逆に確かめられぬことを言うのはいい。しかしこういう結果が分からない時は危険だ。
予言するのは簡単でも、言ったことは取り消せないからな」
「ああ全くだ。ここは我々の出る幕ではない」
二人は、できるだけ失敗のないようにと慎重になっていた。
もし自分たちが既に絶大な信用を得ていれば、積極的に攻めていいかもしれない。しかし今の自分たちはまだ、その段階ではない。
それに多少神秘に傾倒してきているとはいえ、始皇帝は成果主義だ。とりあえず進言を聞いてはくれるものの、結果が出なければ相応の罰が待っている。
今も、始皇帝の側にいる文官が方士たちの進言を細かく記録しているではないか。
あれでは、後から白を切ることはできない。
「さて、それでは今は我々にやる事はないな。
そうすると、今やっておくべきは……」
「予習だ!」
侯生の耳に口を近づけて、盧生は言った。
「巡幸はまだまだ長い、その途中でまた何かの神を祀るとか、そういう事があるやもしれぬ。その時のために、この先にどんな神が祀られているか調べておくのだ!
そうすれば、陛下に問われた時にすぐ答えられる」
「なるほど、それなら間違いなく点数を稼げるな」
侯生も、真剣な顔になってうなずいた。
成果主義を徹底している始皇帝の信頼を得るのは簡単ではない。ならば自分たちも一獲千金のような賭けはやめて、地道で手堅い努力に徹するべきだ。
他の者が目の前のことに気を取られているうちに、小さくても確実に点数を稼げる情報を全力で集めるべきだ。
二人とも、そう判断するだけの頭はあった。
それを分かっているからこそ、徐福もこの二人を選んだのだろう。
二人の方もそれを期待されていることはよく理解しており、徐福の与えた役目を失敗鳴く果たすため、巡幸が止まっている間に貪欲に情報を集め始めた。
果たして、九つの鼎は見つからなかった。
始皇帝は不機嫌となり、鼎の場所を予言したり見つかるとうそぶいた者たちは全員が信を失う破目になった。
給料を減らされ、またある者は移動のための馬すら奪われ、程度が著しい場合は巡幸から脱落していった。
そんな愚かな方士たちを横目に、盧生と侯生はしっかりと知識を蓄えた。
現実を見据え、その中でやるべき事を見出せ……二人は徐福の教えをしっかりと守っている。
巡幸は、再び進み始めた。この先にあって始皇帝の興味を引きそうなものの情報は、既に二人の頭の中に入っている。
始皇帝がそれを問うてきた時こそ、自分たちが信を得る時だ。
二人は、先を行く始皇帝の轀輬車を虎視眈々と見据えていた。




