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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
エピローグ
254/255

エピローグ(3)

 平和になった世の影で、静かに残っている禍の種。

 劉邦たちは、世の災厄の芽を絶やしきれていませんでした。しかしパーツが集まらなければ、それは幸せを呼ぶ奇蹟にもなります。


 そして、海の彼方で平和に過ごす元凶の弟子たち。

 静かな水平線を眺めながら、彼らが死を前にして悟ったこととは。

 戦乱の日々が遠い記憶になりつつある中、あれほど不可侵であった始皇帝ゆかりの宝物も各地で売買されていた。

「さあさあ、こいつはあの始皇帝の宮殿から取ってきた珍品だよ!

 咸陽に攻め入った兵士の子から買った。普通、こんな値じゃ手に入らねえぞ!」

「おい、本物だって証拠はあるのか?」

「こりゃ、眉に唾つけて買わんと」

 漢の都から遠く離れた元楚の地で、骨董品の市場に人だかりができている。

 ここは実際に咸陽に攻め入った項羽軍の出身地であるため、本物の宝を求めて全国から商人たちが訪れている。

 そんな中、売りに出された一品があった。

「さあさあご注目、この地の人には出せぬ色を見よ!

 これが、始皇帝が海の彼方の仙人に使いをやって求めさせたという幻の布、仙紅布だよ!

 この広い、世界一の技術を持つこの国でも作れぬ、仙人ゆかりの布。持ってるだけで、魔を払ってくれるらしい。

 一枚限りだよ、いくらで買う!?」

 数多の宝物の中でも特に熱気を放って語られるのは、独特の赤にわずかな光沢をもつ一枚の布、かの仙紅布だ。


 かつて徐福が不老不死を求め、その中で製法を暴いた布。

 そのずっと前から斉や燕で、仙人の贈り物として流通していた品。

 しかしてその正体は、人食いの病や尸解の病毒がある種の染料と反応した、感染の証である忌まわしい色。


 だが、今その真実を知る者はここにいない。

 皆、それを仙人への畏敬と始皇帝への憧れをもって求める。

「へえ……でも、始皇帝は海神の呪いで死んだんじゃなかったか」

「そりゃ、神と仙人じゃ勝負にならんよ。

 でもそれ以外の妖怪とかなら、守ってくれると思わないか?どうせ俺らを困らせるのは、そんな大それたモンじゃねえよ。

 それに、作れないなら買っときゃ後で高く売れる!」

 何も知らない民たちが語ることなど、そんなものだ。

 怪しい話があっても、そんなものはもう過ぎ去った過去の話。今の自分たちにそれが襲ってくるなどとは、考えもしない。

 そもそも、襲ってくるものの本質を知らないのだ。

 民が気にするのは、それが自分たちの暮らし向きを良くするかどうかのみ。それ以外を気にしなくていい平和な世の中なのだから。

 苛政と戦から解放された民たちは、呑気に胸算用をして仙紅布を競り合っていた。


 それからしばらく後、とある人里離れた集落に一人の商人が訪れた。

「いい値で売れたぞ、あれは!」

 そう言って、村の奥にある大きな家で大金を投げ渡す。それを見ると、村人たちは目の色を変えて喜んだ。

「ほら、やっぱりあいつらを受け入れて良かったじゃないか!」

「こんないい金づる、他にないぞ!

 呪いが何だ!あいつらは福の神だ!」

 口々にここにいない誰かをほめる村人たちに、商人は頼み込む。

「これからもあんた方とは、いい付き合いを続けたい。

 秘密は守るから、これからも時々仙紅布を卸してくれないか?ああ、そんなに多くなくていい。値崩れしたりバレたりしても困るしな。

 あんたらにとっても、悪い話じゃないだろ?」

 悪い話な訳がない。

 だって今商人が持ってきた金は、この村の数年分の収入に当たる。たった数枚の布が、これだけの金に化けたのだ。

 村人たちは二つ返事で承諾し、ここにいないとある夫婦に感謝した。


 集落のひときわ奥にある大きな家で、年配の夫婦が抱き合って喜びあっていた。

「ほら、言っただろ……悪いことばかりじゃない、きっと報われるって」

「ええ、信じてここに逃げて来て……生きていて本当に良かった!

 あなたと共に生きることができて、村の人たちにもこんなに報いてあげられて、子供たちもきっと安心して生きられる……!」

 妻は、涙を流して苦難の日々を思い出していた。

 美しさでちょっと有名になって戸惑っていたら、いきなり始皇帝の側妃として咸陽に連れて行かれてしまったこと。

 豪華絢爛な後宮に入れられ、自分の気持ちなどお構いなしに組み敷かれ、引き離された婚約者を思って涙したこと。

 そして始皇帝の死によって殉死させられそうになったところを、妹が身代わりになって何とか帰ってこられたこと……。


 彼女は、始皇帝の御手付きの生き残り。

 そして、始皇帝から尸解の病毒を受け継いだ女。


 彼女は石生の感染者探索網を潜り抜け、この村で隠れて生きていた。


 彼女が故郷に帰ってきた時、婚約者は待っていてくれた。これからはきっと幸せに暮らせると、二人は結ばれた。

 しかし項羽が、始皇帝と接した人物を探しては血祭りに上げ始めた。それを逃れるため、二人でこのど田舎の村に移り住んだ。

 ここは近くに生えている草で染物をしてわずかな収入を得ている、小さな村。

 二人はこの村の人たちに受け入れてもらうべく、必死で働き……染物の作業を手伝ううちに、一つの奇跡が起きた。

 彼女の血が染液に落ちると、染液が今まで見たこともない赤に変わったのだ。

 初めは、染められる色が増えたと思っただけだった。

 しかし彼女は、秦の後宮で効いた噂を思い出した。

(そう言えば、陛下はいつもこんな色の布を身に着けていらしたわ。

 確か、仙才の高い人の血でしか作れないと聞いた。私たちもそれを調べるためと言われて、血を採られた。

 もしかしたら……!)

 彼女は村の外から珍品を扱う商人を呼んでもらい、自分の血を混ぜて作った赤い布が仙紅布かどうか見せてみた。

 その結果、村は大きな収入源を手にした。

 彼女無しでは作れないそれは、仙紅布と全く同じだった。

「すごいじゃないか、おまえにそんな才があったなんて!

 いや、きっとそのおかげで、前々から天に守られていたんだ。だからあんな所に連れて行かれても、生きて帰って来られたんだ。

 おまけに、子供たちまで……!」

 夫婦の側には、何人もの子供たちがたわむれていた。

 先日その子供たちの血でも仙紅布が作れるか試したところ……なんと子供の半分で成功したのだ。

 これなら、子供が食いっぱぐれることはない。この村に多大な恵みをもたらす福の神として、いつまでも大切にされるだろう。

「ああ、神様……ありがとうございます!」

 夫婦は子孫たちとこの村の繁栄を喜び、心からこの血に感謝した。


 自分たちの体内にあるそれがいかに危険なものか、彼らは知る由もない。

 だって、知ることが許されなかったのだから。

 彼らが気にして考えるのは、彼らの目に見えて耳に届くことのみ。それだけで考えれば、彼らの未来は希望に満ちていた。


 同じころ、この国よりずっと東の海辺で、二人の老人がじっと西の海を眺めていた。

 二人よりずっと粗末な服を着た子供たちが駆け寄ってきて、二人の肩に布をかける。

「またここにいたの?カゼ引いちゃうよ」

 子供たちは心配そうに、二人の老人の周りに集まってその手を引いていこうとする。二人の老人はやれやれといった様子で、重い腰を上げて立ち上がった。

「すまんのう……では、戻るとするか」

 二人の老人は子供たちに囲まれて、村に戻る。

 青々と広がる水田と畑に囲まれた、小さな木の家が立ち並ぶ村。

 遠くに点在する竪穴式住居ばかりの集落と比べると、まるでそこだけ別世界に来たような進歩した造りの村であった。

 実際、ここだけはこの地の外の村々と根本から異なっていた。

 まだ文明と呼べるもののない、国というくくりすらないこの未開の地に、たった一つだけの文化的な人々の村。

 彼らの始祖は、遠い遠い西の海の向こうからやって来た。

 二人の老人もその生き残りで、暇さえあれば高台から西の海を見ている。

 元いた所が懐かしいのかとこの地で生まれた若者や子供たちは問うが、二人は元いた土地のことを語らなかった。

 代わりに、一日の終わりに必ず、彼らの長であった村の創始者の墓にあいさつする。

「本日も、西の海からは何も来ませんでした。

 ここは平和でございます」

 その墓には、徐福、と名が刻まれていた。


 そこは、徐福が三千人の少年少女たちを連れて来て築いた村。中華から遥か遠く海を隔てた、東の果ての島国。

 災いの種に汚染された中華を離れ、せめて人と文明を守ろうと大陸から脱出した者たちが箱舟で辿り着いた地。

 とはいえ、他に頼れる国も文明もないこの土地で、文明を維持するには限界がある。

 大陸から持ち込んだ資材は尽き、道具は壊れ、時を経るごとに生活は原始に近づいていく。あと数世代もすれば、持ち込んだ文明はほぼ失われ、現地人と同化していくことだろう。

(徐福様……我々は、本当にこれで良かったのでしょうか?)

 失われるのに抗えぬまま自分たちも老いて死の足音を聞きながら、二人の老人……盧生と侯生は自問する。

 あの時は脱出しかないと思っていたが、今思えば正しかったのか疑問に思う。

 徐福はここにたどり着いてからも、死ぬまで西の海を気にかけていた。

 大陸で人食いの病が広がれば、行くあてがなく海に逃れようとする者も出るだろう。それがいつ押し寄せてくるかと、何度も悪夢を見て苦しんでいた。

 だが、盧生と侯生の命の灯火が消えそうになっても、それが訪れる気配はない。

(大陸はまだ、平和に存続しているのだろうか)

 帰る方法すらも失った彼らに、それを確かめる術はない。

 ただもしそうだとしたら、世の中は彼らが思ったほど捨てたものではないのかもしれない。

 自分たちは己の犯した罪に怯え、理由をつけてそこから逃げ出そうとしただけではないか。今振り返ると、そうも思えた。

 だが、もう帰ってやり直すことはできない。

 どんなに気にしても、大陸がどうなっているか知る術はない。

 しかし、これはこれで幸せかもしれないと二人は思う。

 知ることができないなら、知らずに過ごせばいい。このまま自分たちの命尽きるまで何事もなければ、その後はもう自分たちの知ったことではない。

(ああ、死は……無知は救済なのだ。

 不老不死や全知全能は、それらを自ら捨て去ること。我々は……実に愚かな研究にこの生を捧げてしまったものだ)

 願わくば、もうそんなものを求めて人が災いを呼ばぬように。

 せめてもの贖罪のように大陸に平和の祈りを捧げて、盧生と侯生は眠りについた。

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