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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
エピローグ
253/255

エピローグ(2)

 次々と没していく歴史の立役者たち。

 そんな中、死の知識を掘り返そうとする女とそれに抗う二人の軍師のお話。


 張良が晩年仙人を目指して穀断ちしたのは、史実にも書かれている。

 そして、最終的に手段を選ばず役目を果たし抜いたのは。

 しばらくして、劉邦は没した。

 それまでに何人かの王が謀反を起こしたりして刈り取られていったが、天下はおおむね平和だった。

 謀反を起こした王……韓信、黥布、彭越らの領土は切り分けられ、まだ楚漢戦争の恩賞が決まっていなかった者たちに与えられた。

 その流れの中で項羽の遺体をバラバラにして持ってきた五人もそれぞれ万戸侯となり、かつての項羽の領土を治めている。

 陳平が思い描いた通り、天下は丸く収まった。

 人食いの病の真実を知る者も、大半が死に絶えた。

 後はこのまま表に出さず、歴史の影に葬り去ることができれば……。


 それから数年後、張良は薄暗い地下牢に閉じ込められていた。

 元々あまり体が強くはなかったが、さらに見違えるほどに痩せこけ、死人のような青白い顔をしている。その細い両腕は、天井から下がる鎖で拘束されていた。

 冷たい石の床を鳴らし、コツコツと軽い足音が響く。

 場違いなほど美麗な着物をなびかせて入ってきたのは、年配の女だった。女は心配そうに張良を見つめ、優しそうな声音で話しかける。

「ああ、かわいそうに……こんなに痩せてしまって。

 ねえ、お辛いでしょう?苦しいでしょう?」

 女の細い指が、すっと張良の頬を撫でる。

「見ていて辛いわ……だからもう、抵抗はやめて。あなたが知っている、不老不死の秘密を素直にわたくしに話して。

 そうしたら、こんな所からはすぐ出してあげる。

 富も権力も思いのままよ。だから、ね……」

 しかし張良は凛とした目で見つめ返し、そっけなく答えた。

「ですから、何度も申し上げているように、あなたの思い描くようなものはないのです。

 いくら太后様のお願いでも、ないものは話せませぬ」


 今張良の目の前にいるのは、亡き劉邦の正妻にして皇太后、呂稚である。若い皇帝の後ろで権勢をほしいままにしている、強欲な母。

 その呂稚が、夫が知っていたという不老不死の秘密を欲していた。

 奔放で女好きな劉邦の妻として苦労ばかりさせられて、その劉邦が死んでようやく手に入れた思いのままになる世界。

 呂稚は自分と一族に報いる時だとばかりに、呂一族を次々と高官に取り立てて政権を私物化しようとしていた。

 しかし、劉邦がこの世を去ったように……呂稚にも老いと死は迫って来る。

 呂稚は、自分が築いた一族の繁栄を失いたくなかった。

 だからいつまでも自分が生きていたいと望み……夫が秦の王宮で手に入れ、項羽とそれを巡って争ったという、不老不死の秘密に手を伸ばした。

 だが、さすがに極秘らしく知る者は限られており、尋常な方法では探れない。

 しびれを切らした呂稚は、ついにそれを知っている張良を誘拐し監禁するという暴挙に出たのだった。


 しかし、張良はそうなることも計算に入れていた。

 劉邦や他の真実を知る者たちも、呂稚のことは前々から危ういとみて対策を練っていた。

 劉邦が死ぬと、張良は官職を退き、もう世俗でやる事はないから仙人になると触れ回って穀断ちし身を清め始めた。

 自ら、呂稚の目を引く囮になったのだ。

 もちろん覚悟の上だから、どんなに責められても、上辺の優しさで誘惑されても、頑として真実は決して漏らさない。

(これでいい、呂稚の心は私が引きつけてあの世まで持っていく。

 後は、あの男に任せておけば……)


 失望し、激情に駆られた呂稚の振るう鞭が、何度も張良に打ち付けられる。そのたびに、張良の美女のような顔に傷が増えていく。

 その時、また牢の扉が開いて何者かが入ってきた。

「んっふっふ、まだ吐かないのぉ~?

 強情はためにならないよ、あんたもうすぐ死んじゃいそうじゃない。後のことを思うなら、早くわっちらに秘密を話しなさいよぉ!」

 そう言って呂稚の側に立ったのは、なんと陳平だった。

 陳平は呂稚の手からするりと鞭を抜き取ると、ピシリと張良の顔を打つ。

「んもぅ~妬けちゃうな!

 何で先帝陛下は、わっちよりあんたみたいな弱っちいのを重用したの!?わっちの方が役に立ったのに、何であんたにだけ秘密を教えたの!?

 わっちだって、わっちだってねぇ……!」

 呂稚と嫉妬を重ねるように、陳平は容赦なく張良を打つ。

 しばらくすると、呂稚は飽きたのか他のことが気になったのか、陳平にその場を任せて出て行った。

 途端に、陳平は鞭を捨てて張良を抱きしめる。

「ごめんね、ごめんね張良……!

 痛いよね、苦しいよね!でも、やめないから」

 張良は、全てを許すような優しい笑みでささやく。

「良いのです……これが私の役目、あなたの役目ですから。

 あなたこそ、こんな所で情に負けて折れたりしないでくださいね。後の世のための総仕上げは、あなたにかかっているのですから」

 張良と陳平は、劉邦の遺したたった一つの遺志のために、立場を違えてここにいた。

 張良は、呂稚の気を思わせぶりに引きながら決して口を割らぬ強情な忠臣として。陳平は呂稚になびき、嫉妬に駆られて張良を責める悪臣として。

 陳平は自分が張良と違って真実を教えてもらえなかったとうそぶき、呂稚にとって信頼できる手下のふりをしていた。

 劉邦の死後政権を私物化し作り変える呂稚の懐で、最後まで劉邦への忠誠を守り抜き世を再度の大乱から守るために。

 陳平は、着実にその役目を果たしつつあった。

「例の資料と記録の隠し場所、すごくいい候補ができたの。

 あの呂后が、自分の子を汚さないために絶対探せない場所……あそこなら、漢王朝が続く限り大丈夫だと思う。

 だから、そろそろ……あなたは眠っても大丈夫」

 それを聞くと、張良は満足したように微笑んだ。

「そうですか……では、後はお任せしますよ。

 私は一足先に、先帝陛下の下へ……」

 せめて張良がこれ以上苦しまぬよう、陳平は慈悲を込めて張良の傷に針を刺す。人食いの病と共に徐福が持ち帰った、安らかな死をもたらす昏倒の毒針を。


 張良は、こうして静かに歴史から姿を消した。

 前々から世俗を捨てると周囲に触れ回っていたので、その失踪は自ら仙人になるために山に入ったのだと噂された。

 呂稚は悔しがったが、さすがに何も知らない家族に手は出さなかった。


 それに、呂稚もすぐそれどころではなくなった。

 呂稚と劉邦の子で、呂稚が溺愛しつつ権力の道具としてきた恵帝が、母の暴虐に心を痛めて亡くなったのだ。

 これには呂稚もひどく悲しみ、だいぶ力を落としてしまった。

 呂稚はそんな我が子のために荘厳な墓を作り、せめて冥府での幸せを祈った。

 そのための宝物選びと搬入作業を任された陳平がそこに何を運び込んだかなど、悲しみに暮れる呂稚はもう調べる気力もなかった。


 それからしばらくして、呂稚もまた人の定めに従った。

 すると途端に陳平は手のひらを返し、劉氏の中心を束ねて呂氏に対抗し、あっという間に排除して漢帝国を劉氏の手に取り戻した。

 これこそ、劉邦が陳平に託した最後の仕事だ。

 まだ真実を知る者が生きているうちに大乱が起こり、漢が倒されることだけはあってはならない。

 大乱はいつも、予測不可能な災いを引き起こすから。

 陳平は数多の恩人を裏切り、騙し、売りながら、見事にやり切った。

 そんな陳平の顔にもまた深いしわが刻まれ、人の定めが刻々と近づいていた。

「んっふっふ……わっちもそろそろかな。

 でも、これできっと天下は安泰」

 陳平は満足の笑みで、劉邦の陵墓の丘から天下を見下ろしていた。その手は、流れる清らかな水に晒されている。

「大丈夫だよ、みんな……みんなが守りたい人が生きてる間は、きっと平和に守られる。

 もっとずっと先のことは、分からないけど……それ以上は高望みよねぇ。わっちもできる限り頑張ったから、これで許して」

 陳平の手の上を、さらさらと水が流れていく。

 本来は劉邦の墓に参った人間が手を清めるための水だが、陳平は赤く荒れた手でいつまでも水を受けていた。

「ねえ……わっちの手、裏切って殺した人たちの血で真っ赤っか。

 こんなでも、結果的に世界を救ったなら許されるのかな?」

 陳平の問いに答える者は、誰もいない。

 だが陳平の胸の中には、劉邦の締まらない笑顔がずっと浮かんでいた。この人ならきっと全てを笑って許してくれると、信じられた。

 信じていたから、どんな汚い手も仲間に痛みを強いる策も、恐れずに笑みの下に隠してやってのけた。

 こんなに汚れた自分が最後まで生き残るなんて、皮肉なものだ。

(ふふふ……わっちの家はきっと、長続きしないだろうな。方々から恨まれてるもの。

 でもね、みんなの作った平和は、わっちの家が絶えた後もずっと長く続くようにしといてあげる。

 万が一世の中がアレで滅びそうになっても、その時の人が真実にたどり着いて、必要な研究を始められる道は残しとく。

 だから、ね……これで許して♪)

 陳平は世を滅ぼす知識を、うまく歴史の裏にしまい込んだ。

 しかし同時に、万が一の時無駄にならぬよう、道も残した。

「黄泉の門が開き死者が地上を歩くとき、漢の祖の子たる優しき帝の遺した慈悲を受けとるが良い。

 必ずや、天下を取り戻す道が開かれる」

 陳平は国を守る占い師や儒者の集団に、それとなく道を伝えておいた。

 隠された知識は、漢の二代目皇帝、恵帝の墓の中にある。

 劉氏の天下が続く限り、決して暴かれぬよう厳重に守られた場所。万が一呂稚が自分より長く生きても、決して見つけられない場所。

 何より、元々墓の中で生まれた知識にはふさわしい場所だと思う。

 陳平は死の災いを墓の中に戻し、自らも墓に入った。

 後に残されたのは、何も知らず平和な日々を生きる幸せな中華全土の民であった。

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