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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
エピローグ
252/255

エピローグ(1)

 楚漢戦争その後、平和と安全を守った者たちの悲しきその後。


 フラグは各所に立っていた。

 後の世のために、災いの芽は刈り取られる時が来る。

 長い戦いは、終わった。

 劉邦率いる漢帝国により、世は再び一つとなった。

 劉邦と有能な人材による統治と保護は全土に行きわたり、人々は戦の傷を癒すべく活発に動き始めていた。


「現在の所、楚において新たな感染者は見つかっていません。

 まだ居場所が分からない者が数名おりますが、これ以上探したとて出てくるとは思えません。

 これにて秦の後宮関係の調査は一旦終了とし、平時の守りに切り替えます。どのみち、項羽軍などで人知れず感染した者がいないとは言い切れませんから」

 劉邦は、ねぎらうようにうなずいた。

「ああ、そうしてくれ。

 長い事、ご苦労様」

 石生はそれでも己を納得させきれない顔で、一礼した。

 中華全土の感染者調査は、一区切りついた。全てを調べ切れた訳ではないが、区切りをつけねばならなかった。

 後の世に、人食いの病の真実への道を表立って残してはいけないから。

 いつまでも調査を続ければ、必ずその大元を調べようとする人間が出てくる。そこから再び知識が漏れて、悪用されてはならない。

 だから完全でなくても、調査は打ち切る。

 後は人食いの病を歴史の裏にあった大いなる呪いとして語り継ぎ、万が一の時の検査と対応方法だけを残しておく。

 今日がその、区切りの日だ。

 劉邦は、石生たち研究調査班の一般人への引継ぎを命じた。

「なァ……俺はきちんと、天下を守れたのかな?

 やれることは、できるだけやったつもりだが」

 劉邦は、一抹の不安を吐き出すように呟いた。

 思えばとんでもないことを引き受けてしまったものだと、今になって思う。あの日世の守りを自分に託した子嬰の顔は、今でも忘れない。

 逃げることもできたけれど、できる自信はなかったけれど、引き受けた。

 そんな自分が守り抜いた今の世の中を見たら、子嬰は笑ってくれるだろうか。

 表面上は平和だが、今もまだどこかに病毒が潜んでいるかもしれないのに。

「……陛下は、十分すぎる程やってくださいました」

 石生が、感嘆の息とともに述べる。

「正直言って、私は今のこの平和と安全を取り戻せると思っておりませんでした。病毒を作り出した師と兄弟子たちも、大陸は終わるとみて出て行ってしまいました。

 なのに陛下は、私をよく使ってここまで安全を取り戻してくださいました。

 かつて危険を軽視し暴走していた身として、ここまで償えたのは陛下のおかげでございます。陛下との出会いこそ、私が天から授かった最上の縁でございます」

 そう言われると、劉邦は照れたように頭をかいた。

「よせやい、そこまで言われると体がかゆくなる。

 俺は、そんなご大層なもんじゃねえよ。始皇帝みたいに有無を言わさず人を従える訳でも、項羽みたいにすげえ力を持ってる訳でもねえ。

 ただ自分が助かりたくてみんなの力を借りてたら、こうなってた。

 俺はただの、臆病で女好きな男だよ」

 それを聞いて、石生は一つの結論にたどり着いた。

(ああ、この謙虚な人だから……自分を頼みにしないからこそ、世を守れたのかもしれない)

 思えば、人食いの病毒を生み出し事態を悪化させた者たちは皆、己の考えと力を鼻にかけて驕っていたではないか。

 徐福も始皇帝も趙高も項羽も范増も、そしてかつての自分も。

 でも、世の中というのは数多の人が絡み合って頼り合って生きているところだ。そしてどんな人も、一人では生きられない。

 それを考えると、この結果は必然なのかもしれない。

 研究の目的であった不老不死や最強の力そのものが、そもそも人の世と相容れぬものだったのだろう。それらはどこまでも、一人のための力だから。

 そんなものを求めず人に頼る劉邦だから、力に魅入られず悪夢を断ち切れたのだ。

 ……だが、そんな劉邦には、まだ仕事が残っている。

 石生は、劉邦の良さである甘さに水を差すように言った。

「私は、これから方士を育てて民間伝承の中にも呪いのことを残したく存じます。もう私が官の中でやらなければいけないことは、ありません。

 ここからはもっぱら、世を治める陛下のお仕事ですから。

 後の災いの芽は、しっかり摘んでおいてくださいませ。たとえそれが、この平和を作り上げるのに不可欠な人材であったとしても」

 瞬間、劉邦の目に悲しみの色がよぎった。

 しかし石生はそれ以上何も言わず、劉邦に放り投げるように去ってしまう。

 代わりに入ってきた陳平が、相変わらずの人を食ったような笑みで告げた。

「んっふっふ、今、面白い知らせがあったの。

 陛下には胸が痛いがもしれないけど、これからの世の中のためになるお話だよ。きっちり後始末つけなきゃね♪」

 これが世界を守る責任の重さかと、劉邦は眉根を寄せた。

 だが、やらない訳にはいかない。自分がいつまでも生きていられない以上、自分の代でできるだけ片づけておかねばならないのだから。


 まだ寒い風が吹きつける中、韓信は刑場につながれていた。

「はぁ……はぁ……なぜ、こんな事に……!」

 目の前に転がるのは、先の首をはねられた妻子と一族の亡骸。そして韓信も、これからそうなる運命にある。

 韓信は、己に課せられたその運命を理解できなかった。

(おかしい……私は救世主になったはずなのに……陛下に欠かせぬ力のはすなのに……。

 なぜ評価ではなくこんなむごい事をするのだ!?

 私はただ、もっともっと評価されたくて……)

 韓信は劉邦に仕えてから、比類なき功績を上げ続けてきた。世界の危機の真実も知り、的確な用兵でその拡散を防いだ。

 劉邦もそれを評価して、広大な土地と王の位をくれた。

 なのに……どこからおかしくなったのだろう。

 確かに、思い当たることはある。平和になって退屈で、戦仕事がなくなって新しい評価と恩賞がもらえなくなって、人食いの病の真実は人に話せないから誉めてもらえなくて……つい自分の偉大さを見せつけようと謀反のような素振りを見せてしまったことだ。

 そうしたら、世界がもっと自分を見てはやし立ててくれると思って……。

 項羽と戦っていた時は、許してきちんと恩賞をくれたじゃないか。劉邦が結んだ和平を破っても、戦果を認めてくれたじゃないか。

 だからこのくらい、大丈夫だと思って……。

 一回やって王の位を失い侯に落とされて、それが信じられず評価を取り戻そうとしてもう一度やろうとして……。

 結果、一族全てと共に刑場の露と消えようとしている。

「んっふっふ、相変わらず戦以外のことは鈍感だねぇ。

 世の中が変わったってこと、まーだわかんないかなぁ?」

 陳平が、悪魔の笑みで寄って来てささやく。

「これからの世の中に、戦の評価ばっかり求める子は要らないの。だって、せっかく平和にしたのに……戦自体が、不要な過去の話にならなきゃダメだもん。

 なのにアンタときたら、ダメなことばっかりやって……そりゃこうなるよ。

 ちったぁ大人しくできなかったのかな、愚かな猟犬さん!」

 それを聞いて、韓信の脳裏にかつて受けた進言が蘇った。

 昔一人の説客が、韓信の未来を憂いて言った。狩りの獲物がいなくなれば猟犬は煮られてしまうように、戦がなくなれば韓信は用済みとして処分されるだろうと。

(あ、あの時……あの進言を聞いていれば……!)

 自分が今まさにそうなっていると気づいて、韓信は愕然とした。

 韓信としては、劉邦の下にいればずっと満たしてもらえると思ったから、そうしたのだ。これ程気前よく寛大な人が、手を返すとは思えなかったから。

 それに、韓信が望む評価を得られたのは戦の指揮だけだった。だからそれを見せつけ続けたいと、平和になっても焦ってしまった。

 それが劉邦も世の中も望まぬ事だと、欠片ほども思わなくて……。

 陳平の言う通り大人しくしていれば、こうはならなかったかもしれない。

 それを悟ると、韓信は必死で陳平と劉邦に頭を下げた。

「わ、分かった!もう平和を乱したりしない、約束する!

 だから、その……命だけは助けてくれないだろうか?」

 昔、自分を挑発した男の股をくぐっても争いを避けたことを思い出して。あらん限りの言葉で命乞いをした。

 どうしても助かりたくて、つい禁じられたことまで口にしてしまう。

「そうだ、私は例の病の真実を知っている。陛下が亡くなられた後も、私が生きていればその間は世を守れよう!

 だから……」

 途端に、陳平の目が冷たくすっと細まった。

「……うん、だから、ダメなんだ」

 陳平は、子供を諭すようにささやく。

「韓信ちゃんは真実を知ってて、しかも自分のためだけにそれをすーぐしゃべっちゃう。そんな奴を陛下より後に残しとく訳にいかないんだ。

 そんな奴がいたら、いくら守ろうとしたって災厄の芽は出続けるから。

 わっち、あの時言ったよね?知っちゃいけないことを知るとあんたたちの命がどうかなるかもって、それでもいいかって」

 その時の選択を思い出し、韓信は青くなった。

 自分はただ、とても大きな運命を変える立場に命を懸けるとしか思っていなかった。まさかこんな風に、世界に殉じろという意味だとは。

「あ、ああ……嫌だ!死にたくない!!

 陛下、お慈悲を……!!」

 恥も外聞もなく泣きわめく韓信を、劉邦はひどく悲しい目で見つめていた。

「うん……おまえがどういうつもりかは、分かったよ。

 悪いが俺は、何としても世を守らなきゃならねえ。おまえみたいに真実を知ってて乱を好む奴を、生かしとく訳にいかねえんだ」

 その目を絶望の闇に染めて、韓信の首が落ちる。

 それを見つめる劉邦は、一気に生気を奪われて老けたように見えた。

 これまで劉邦は、己のために多くの人を切り捨ててきた。だからこれも同じだと、己に言い聞かせようとした。

 しかし、重すぎる真実を分かち合った仲間を手にかけるたび、己の手で世の守りをはがしているような……共に世を支える柱を壊しているような不安と恐怖に襲われる。

 それでも、この大事な後片付けをやめる訳にはいかない。

 自分と違って乱に適した才を持ち乱に生きたがる者たちを残しておけば、自分の死後も世界を守ることはできないから。

(すまねえな、韓信……俺もそのうちそっち行って、謝るからさ。

 ああ、その前に黥布と彭越もだな)

 劉邦は、自分の心身がこれだけの負担に耐えられないと薄々気づいていた。

 残りの二人……黥布と彭越を葬った時、自分もまたその罪と背負う真実の重さに潰されて死ぬのだろう。

 だが、それでいい。

 自分もまた、心が弱れば秘密を洩らしてしまうかもしれない人間なのだから。

(人の位を極めた、美女も美酒もここ数年はほしいままにできた。子供たちも王にしたし、もう思い残すことはねえ。

 あとはアレの嫉妬さえどうにか乗り切りゃ……陳平、張良、頼んだぜ)

 もう二度と起き上がらない韓信を尻目に、劉邦は体を引きずるようにその場を後にした。

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