(23)
しばらく、章管理を忘れていました。
処女童男を島に捧げた徐福は、安期小生の都合と相まって、ついに実験体を手に入れます。
血の淀みによって島に生じていた、健常者と障がい者の軋轢とは……あんな事件の後に書くのもどうかと思いますが、島の健常者をあまり悪者にするのもどうかと思うので。
それから数日で、島は様変わりした。
徐福が連れてきた子供たち二千人と、各種職人たちが島の新たな住人として加わった。
新たな住人たちは蓬莱島と、それから他の二島の廃墟をも修復して住み始めた。数百だった人口が、一気に数千になった。
障害のある元の島民たちは、たくさんの集落に分散させられて手厚い世話をしてもらえることになった。
もう、間違えるたびに鞭で打たれて働かなくていいのだ。
健常な島民ももう、頭が遅れた者たちを常に監視しなくてよくなった。
田畑は、元気な子供たちが耕してくれる。そのうえ農具や生活用品も、大陸から来た職人たちが技術の進んだものを作ってくれる。
日々の作業が、生活が、驚くほど楽になった。
島民たちは涙を流して、その変化を喜び合った。
もう自分たちは、苦しい生活に追い立てられなくていいのだ。
誰もが徐福と安期小生と、そして秦の始皇帝に感謝していた。
「うむ、素晴らしい変化だ!」
安期小生と徐福は、大陸から来た立派な馬に乗って島内を見回っていた。人の住む場所には、どこも見違えるような活気があふれている。
島は、安期小生どころかその数代前の祖先たちですら想像もつかないほど、栄えている。
安期小生にとっては、夢を見ているようだった。
思わず魂が抜けそうになる安期小生を、徐福が現実に引き戻す。
「おーい、見惚れてばかりいるんじゃない!
おまえは、この島の長になったのだぞ。これからは俺たちと島のために、仙人の秘密を守っていかねばならん」
「……そうだったな。
まあ、それも今のところはうまくいっておる」
徐福は始皇帝に、ここを仙人の住む島と説明したため、当然徐福が連れてきた者たちもそう信じている。
しかし、元からの島民はそうではない。安期生は仙人ではなく人間で、仙人などいないと知っている。
まずその島民たちに秘密を守らせるのが、緊急の課題だった。
「話が理解できる者には、既に説明してある。
安期生は実は仙人であったが、民を怖がらせぬために老いと若返りを繰り返して別人を演じていたことにした。そして俺は、息子ではなく弟子であると。
急に姿を現さなくなった理由としては、大陸から来た者の世俗の邪気を避けるため、その者らが清らかとなるまで引きこもっているのだと。
双方が納得できる理由としては、こんなところだろう」
「上出来だ、それで島の民と連れてきた者の話が合えば秘密は漏れぬ」
徐福は、満足そうに笑って安期小生の手際を誉めた。
しかし、そのやり方にも問題はある。
「……問題は、話を理解できぬ者……理解に尋常でなく時間がかかる者たちだ。
そういう者たちを放置しておけば、新しく来た者たちの疑問の種となるだろう。最悪、害意もなく秘密を破られかねん」
安期小生は、罪悪感を押し殺すように告げた。
「非情なようだが、新たな時代を妨げる者は切り捨てねばならん。
徐福よ、どうかその者らを大陸に連れ出してはくれぬか?」
その提案に、徐福は内心嫌悪を覚えながらもうなずいた。
「……そういう事か、しかし断る理由はないな」
安期小生は島の秘密を守って繁栄を長続きさせるために、秘密を守れない知能障害を持つ者を実験体として徐福に差し出そうというのだ。
つまり、自分たち頭が健常な者の利益を守るためにそうでない者を切り捨てて、あまつさえ徐福の行おうとしている非人道的な実験の生贄にするということ。
人道的に考えれば、許される所業ではない。
しかし徐福から見れば、仕方ないと思える面もあった。
「……ずっと、頭を悩ませて怒りを押し殺してきたのだな」
そう言われると、安期小生は静かに目を伏せた。
「ああ、人として悪いとは分かっている。
だが、抑えろと言われても抑えられるものではないのだ……あの話が分からぬうすのろ共のせいで、なぜ健常な自分たちがこんな目に遭うのかと」
安期小生の目には、積み重なって押しつぶされた暗い感情が溜まっていた。
おそらくこれは、健常な者全体の感情だろう。
島の人口が減るのを少しでも止められるならと、明らかに頭が遅れていても間引く訳にいかなかった。少しでも労働力になるならと、多少無理をしても簡単な仕事を覚えさせて働かせた。いつか正常になるかもしれないと、一筋の望みにすがって育て続けた。
それでも、健常な人間の方が圧倒的に多ければ笑いながらやっていけただろう。
だが、この島では健常な人間の方が少なかった。
知能や学習に問題のある者たちが起こす失敗や悪意のない突飛な行動、それによる損害や対応の手間は健常な者が処理できる限界に近かった。
しかも頭が正常であれば一回やれば学ぶことを、何度でも繰り返す。
健常な者はなぜ自分たちに当たり前にできることができないのかと理不尽な怒りを募らせながら、その尻を拭い続けるしかなかった。
日々の仕事では致命的な失敗を見過ごさないように神経をすり減らして監視し、自分たちにしかできない仕事を山のようにこなした。
こんな生活で、どうやって不満を持たずに過ごせというのか。
そのうえ、この貧しく外界から隔絶された島には、はけ口すら存在しないのだ。
怒りを爆発させていくら激しく鞭打っても、数多のつくりのせいで何も学ばない。ただ泣き喚いてさらに健常者の怒りを増し、自身の内に訳の分からぬ恨みを溜めこむばかりだ。
そんなかつての状況を説明した後、安期小生は声を潜めて言った。
「うすのろ共は、俺たちの苦労も知らず俺たちを恨んでいる。
これが俺たちなしでも生きられると分かった時、どうなると思う?」
別人のように重く濁った声で、安期小生はぽつりと言った。
「……報復を考えられる前に、連れ出してもらわねばな」
徐福は、思わず背筋が寒くなった。
こうまでなるほどの怒りと恨み……血の淀みは島民の体だけでなく心も蝕んでいたのだ。物質的な部分だけ解決しても、もはや心の固い沈殿物は永久に溶けぬほどに。
だが、それでも衝突を回避してお互いが穏やかに暮らす方法はある。
それこそ、お互いがもう顔を合わせないように離れてしまうことだ。
「そうすれば、我々はもうあいつらの顔を思い出すことなく安楽に暮らせる。
あいつらも俺たちを見て恨みを思い出すことなく……まあ安楽に暮らせるかは、おまえの扱い次第だがな。
少なくとも、そこに我々の責任はない」
つまり、厄介ごとの種は全て徐福に押し付けてしまおうという算段だ。
しかも、その後の暮らしは徐福次第ということにして、自分たちの責任を転嫁して。
それでも、徐福に断る理由はなかった。徐福は元々、目的のためなら検体となる者にどのような実験を行うこともいとわない。
対象が、一般人から障害者になるだけだ。
徐福としては、何も問題はない。
「分かった、その話受けよう。
逃げられては困るから、頭は回らぬ方がむしろ都合が良い」
徐福の答えに、安期小生は一瞬驚いたような顔をした。
しかし、話を撤回することはない。自分たちの中に溜まった暗い感情は、徐福の行うであろう凄惨な人体実験ですらも復讐の一つとして喜びに感じる程深く、動かしようがなかった。
だが、そうすることを平然と口にする徐福には恐れを抱かずにいられない。
(この男の心は、本当に人間なのか……)
危険を承知で手を取ったはずなのに、本当にこれで良かったのかと、不安になってくる。
安期小生は一度強く目をつぶって、その不安を振り払った。島はどう見てもいい方向に進んでいる、何も悩むことはない。
そもそも、どうしてこんなに健常な者と障害のある者の間に溝ができたのかといえば、島がこんなになるまで血の淀みを放置した古老どものせいではないか。
少なくとも、自分たちの世代の責任ではない。
そんな安期小生の心中を読んだのか、徐福が声をかける。
「そう気に病むな、我々は新しい時代を作り出すために歩んでいるだけだ。
それを今の道徳観で止めようとする事が、馬鹿げているとは思わぬか?」
安期小生は、手の中で冷や汗を握りつぶしてうなずいた。
正直、自分に徐福のような高い志などない。ただ、島の現状が少しでも良くなればと思って、その手を取ってしまった。
だが、今島がこうして大きな変化を迎えたのも、新しい時代の一つだろう。
だからきっと、自分も徐福の言う通りに考えた方がいいのだろう。そう考えたところで、安期小生は他にもいくつか徐福に差し出せるものに思い当たった。
「そうだな、新しい時代のためか……。
徐福よ、その導きのお礼に、もういくつか持ち帰ってもらいたいものがあるのだが」
それを聞くと、徐福はにんまりと笑ってうなずいた。
その顔が一瞬悪魔のように見えたが、安期小生はその恐怖を押さえつけた。
新しい時代を体現する者は、今の人間の目からそう見えるだけかもしれない。
だから今は悪魔のように見えても、新たな時代では神かもしれない。
きっと今歩んでいる道が、最良の未来につながっているはずだ……半ば強引にそう信じて、安期小生は徐福と駒を並べて進んだ。




