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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十八章 追撃
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(237)

 本格的に民に見限られる項羽軍と、追撃戦の初戦。

 しかし、結果は……安定のヘタレ劉邦軍。

 全体の状況と目の前の結果が食い違うことはよくある。そして目の前のことしか見えない項羽は結果に安心しますが……。

 故郷へと急いでいた項羽は、劉邦軍が追撃して来るとの報に愕然とした。

「な、なぜだ!?あいつは、あんなに和平を喜んでいたではないか!

 俺はあいつを信用して家族を返したというのに、恩を忘れよって!俺にも家族の良さを語っていたのに、どういうつもりだ!!」

 劉邦から申し訳のように届いた手紙には、短くこう書いてあった。

<すまねえな。おまえにゃ、まだ分からんだろうが……。

 人はな、家族を守るためなら、鬼にも蛇にもなれるんだよ。>

 それが、答えだ。

 項羽は目の前の苦しみから逃れたくて劉邦に家族を返してしまったことを悔いたが、もう遅い。

 それからようやく自分がなぜ民心を掴めなかったかに思い当ったが、これももう遅い。いくら劉邦を責めようと、周りは劉邦の味方だらけだ。

「こ、項王様……近隣の民が食糧を出し渋っております!

 これでは、ここで長く戦うだけの食糧を確保できません!」

 青ざめる項羽の下に、さらに追い打ちをかける報告が届く。

 ここはれっきとした自分の領土なのに、もう民が自分に食糧を分けてくれないのだ。

「何だと!?なぜだ、これまでは素直に出してくれていたではないか!

 ここで俺が敗れれば、奴らは劉邦に占領されるのだぞ!!」

 項羽は、自分で叫んでからはっとした。

「劉邦が、占領……まさか!?」

 答えは、自分の言葉の中にあった。

 周辺の住民共は、劉邦に占領されたがっているのだ。自分の領民であることが嫌になって、劉邦が来てくれるのを待っているのだ。

 劉邦が和平を覆したということは、項羽軍がここに留まれなければそれが叶うから。

 その理由も、よく考えれば思い当たる。

 項羽軍は後方で彭越が暴れて食糧が不足するたびに、周辺の村や町から徴収していた。范増がいなくなってからは、常習的にそうなっていた。

 徴収の回数を重ねるごとに、集められる量は少なくなり、項羽が村や町を通る時の民の顔色が悪くなっていった。

 最近は、斬られるのを覚悟で進路を阻まれたことも数回あった気がする。

「お願いです、もう食べ物を持っていかないでください!」

「それがねえと、おっかあも子供たちも食うもんがねえですだ!」

 不届き者たちは、必死の表情でそう叫んで地面に頭を打ち付けていた。見せしめのためにどんなに殴っても黙らなかったし、斬って晒しても次から次へと同じようなのが現れた。

 項羽は、なぜこんなに学ばないし従わないのかとただ憤慨していたが……。

『人は家族を守るためなら、鬼にも蛇にもなれるんだよ』

(あの民たちはただ、家族の食うものを守りたかっただけ……!?)

 気づくと、どっと後悔が押し寄せてきた。

 民たちは出し渋っているのではない、本当にもう自分や家族を養うだけの食糧がないのだ。項羽が力で脅して、全部持って行ってしまったから。

 民には項羽が、敬愛すべき主ではなく血の涙もない鬼に見えていた。

 対する劉邦は、部下の兵を奪うことはあれど民から食糧を徴収することはほぼない。いつも自前で持ってきて、時には困窮する民に分け与えていた。

 何度か劉邦軍に占領されたこの地の民は、それをよく知っている。

 奪って、殺して、怒るだけの項羽。

 気前よく与えて、殺さないで、主が変わってもしょうがないなあと笑っている劉邦。

 民の心の天秤は、もうどうしようもないほど劉邦に傾いていた。

(違う、違うのだ……俺は決して、おまえたちを虐めたかったんじゃない!

 きちんと食糧を運ぶよう命令はしていた。無能な輸送係ができなかっただけなのだ!彭越が邪魔をしていたのだ!

 決して、俺が悪いわけではない!!)

 項羽は、必死でかぶりを振った。

 だって、自分は自分にできることを懸命にやっていたじゃないか。それでもこうなってしまったのは、他の奴が悪かったからだ。

 思うように戦が進まなかった、運が悪かったからだ。

 どこまでも自分が正しいと信じる項羽に、自分の行動が誤っていたと認めることはできない。だって自分は、正義の救世主のはずなのに。

 だが、現実は容赦なく迫ってくる。

「いかがいたしましょう、項王様……周辺の村を皆殺しにしてでも食糧を奪いますか?」

 兵士が、不安そうな顔で尋ねてくる。

 項羽は、そうせよと命じるのを何とか思いとどまった。

 そうしてしまったら、自分は自国の民を虐げる暴君になってしまう。この場はしのげても、自国の民心が一気に劉邦のものになってしまう。

 そのうえ、皆殺しにして廃村になってしまったら、もうそこからは二度と食糧を徴収できない。またこれまでのように江東からの食糧が滞ったら、補給できる場所がなくなる。

 項羽は、破裂しそうな頭を必死でひねって考えた。

(ええい、どこかに食糧がたんまりある所はないのか!?)

 そして、気づいた。

「……そうだ、劉邦軍がたんまり持っているではないか!

 者ども、追って来る劉邦軍を打ち破って食糧を奪うのだ!わざわざ俺たちに届けに来たようなものだ、楚人の強さを見せつけてやれ!」

 自軍に食糧がないなら、敵から奪えばいいのだ。

 そうすれば自国の民は飢えないし、民心も痛まない。敵だからいくら殺しても奪ってもいいし、己の腹を満たすため戦うなら兵も奮い立つ。

 項羽軍は空腹の生存本能をそのままぶつけるように、反転して劉邦軍に襲い掛かった。


 これに驚いたのは、追ってきた劉邦軍である。

「おお?何かいきなり項羽軍が突撃してきたぞ」

 劉邦軍としては、追撃戦で逃げる敵を狩るはずだった。食糧も少なく士気も落ちているから、どうせまともに抵抗できないだろうと。

 だが、その読みは外れた。

 劉邦軍が隠れる場所のない平原で、項羽軍は鬼気迫る勢いで突撃して来る。

 そのうえ、味方の反応は思った以上にひどかった。

「うわぁっ逃げろ!こんな所で死ねるか!」

「あともうちょっと生き延びりゃ、それだけで戦勝のほうびだってのに」

 劉邦軍の兵士たちは誰も彼も命を惜しみ、戦おうとせず逃げ出してしまった。勝てるはずの戦で死んではつまらぬと、全軍が臆病になっていたのだ。

 数で勝るはずの劉邦軍は、あっという間に総崩れとなった。

「は、ちょっと……戦えよおまえら!

 嘘おおぉ~ん!!」

 劉邦がうろたえている間にも、項羽軍はものすごい勢いで突っ込んでくる。

 なにしろ、狙っているのは食糧だ。食糧は劉邦軍の後方に置かれているため、そこまで決死の覚悟で突撃する。

 それが劉邦には、項羽がまっすぐ自分を狙っているように見えた。

「おっひいぃ~ん!!こんなの無理、勝てねえ!

 撤退だぁ!!」

 こうなると、劉邦も踏みとどまってなどいられない。いつものように、恥も外聞も食糧も物資も投げ捨てて逃げ出した。

 こうして、追撃戦の初戦は項羽軍の勝利に終わった。

 劉邦は命からがら、近くにあった古城に逃げ込んで籠城する破目になった。


 劉邦軍から奪った酒と肉で、項羽は久しぶりに豊富な料理を前に虞美人と酒杯を傾けた。項羽は満面の笑みで、虞美人にも料理をすすめる。

「ほら、おまえもたんと食え。

 帰ったら丈夫な子を生めるよう、滋養をつけておくのだ!」

 だが、虞美人は戸惑うように並べられた皿を見つめている。

「よろしいのですか、こんなに使ってしまって……。

 食べ物が足りないと聞いていたので、大事に取っておいた方が良かったのでは……」

 虞美人の懸念ももっともである。今回劉邦軍から食糧を奪えたといっても、大した量ではない。全軍で食えば、たったの数日分だ。

 それでも項羽は、勝利の美酒に酔っていた。

「なに、心配することはない。

 奴らとて戦い続けるには食糧が必要、奴らに届く食糧を奪い続ければ良いのだ。戦が続く限り、あちらに食糧はある。

 それに、彭城から食糧を運ぶ手配はしてある」

 やはり自分は正しい、自分に勝てる敵などいないと、項羽は確信した。

 外では兵士たちも久しぶりに腹一杯食って、鮮やかな勝利に沸いている。これでまた市kが上がって、この主に仕えて良かったと思う事だろう。

 それでいい、自分は主君として自ら先陣に立ち下々の者に手本を見せて導いて来た。これが、正しい君臣関係の形だ。

 項羽は、劉邦のこもる城を眺めて上機嫌で笑い出した。

「ハッハッハ、見たか劉邦め!

 所詮利害でつながった関係などこんなもの、肝心な時に全く役に立たんじゃないか。

 兵は食い物のみを求める寄生虫同然、韓信も彭越も全く助けに来ない。金と物で買った忠誠心の底が知れるというもの!」

 今日の勝利は自分が築いた真の君臣の絆によるものだと、項羽は勘違いしていた。

 ようやく心に余裕ができて側に運ばせた范増の遺した箱に向けて、誇らしげに語り掛ける。

「なあ亜父、おまえが見込んでくれたように、俺はしっかりやっておるぞ。

 あの時は卑劣な策略に騙されてしまったが、もう二度と同じ過ちは繰り返さぬ。俺たちの真の絆は、最期に勝つのだ!」

 ……今この場に范増が生きていたら、何と言うだろうか。

 今日の戦で項羽軍が果敢に戦ったのは、自分の腹を満たすためであり結局食糧が目当てでしかないのに。

 あれほど勝ったにも関わらず、兵の数は説明がつかないほど減っているのに。

 劉邦軍がたんまり食糧を持っているのを目の当たりにした兵の一部は、そちらなら食いっぱぐれないと気づき、逃げる劉邦軍に混じって降ってしまったのだ。

 それでも項羽は勘違いしたまま、己の勝利に酔いしれていた。

 自分の強さが欲なんて汚らわしい低俗なもので結ばれた絆に負けるはずがないと、幼気に信じていた。

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