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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十七章 終結?
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(231)

 范増が死んで、急転する戦線。

 范増が死ぬのはありがたいけど、タイミングによってはそれが劉邦軍を窮地に叩き落すこともある。


 しかし、そこでまた陳平が……もう卑怯の神様と言っても過言ではない。

 生き延びる劉邦と、取り逃がす項羽。戦の勝敗とは別に、それぞれの未来は……。

 范増追放の報は、すぐ劉邦軍にももたらされた。

「ぃよっしゃぁーっ!!よくやった陳平!これで勝てる!

 けど、その……ほうびは関中から補給できるまで待ってくれよ」

 劉邦は小躍りして喜び、陳平を褒め称えた。手痛い出費ではあったが、ついに項羽軍の屋台骨を抜くことに成功したのだ。

 それ以上に喜んだのは、仕掛け人の陳平だ。

「んっふぅーっ!!ザマあ見たかクソジジイ!!

 わっちを無下に扱っといて、使えないとか思ってたわっちに潰される気分はどうよ!?わっちだって、信じてもらって本気出せばあんたを潰せるんだからぁ!

 わっちはねえ、あんたに勝てる人材なのぉ!」

「うははは!その通りだ!

 俺は范増じゃなくておめえが側にいてすっげぇ良かったぜ!」

 かつての主と上司に意趣返しできたと喜ぶ陳平を、劉邦はかけがえのない人材だとほめる。二人は、場末の賭け事にでも勝ったようにはしゃいで喜び合った。

 ここから自分たちの巻き返し、そして勝利の道が始まるのだと、輝かしい未来を思って子供の用に有頂天になっていた。


 そこに、伝令からさらに嬉しい知らせが届く。

「范増が、帰郷する道中で死んだとのことです。

 しばらく前から背中に病があったようで痛みを訴えていましたが、追放される時に項羽に暴行を受け、背中に大きな腫物ができて破れて死んだとのこと」

 それを聞くと、陳平は急に静かになって青ざめた。

「え……死んじゃったの?こんなに早く?」

「ん、何か不都合でもあんのか?

 いなくなったならいい事じゃねえか」

 劉邦が聞くと、陳平はかすかに震える声で説明した。

「あのね、項王は感情の振れ幅がとーっても大きいの。一時あることを信じても、別の感情に囚われたらすぐ手を返すの。

 しかも、自分を誤った考えに引き込んだってすごーく怒ってね」

「つまり、どういうことだ?」

 陳平は、真顔で冷や汗を流して答える。

「……ヤバいかもしんない。

 死ぬにしても時期が悪いっての。范増が生き長らえてれば項王は疑い続けるでしょうけど、死んじゃったらそうはいかない。

 死んだらもう自分を守る工作はできない。その状態で項王が調べてあっちから内通の証拠が出なかったら、范増の無実は証明される。

 しかも病気を押して頑張ってた范増を項王自身の手で痛めつけちゃってるから……その悔恨と怒りは、どこに向くかってこと」

 そこまで言われて、劉邦も顔から笑みが消えた。

「あ……それは、ヤベえ……!」

 つまり范増が死んでしまったら、范増の無実と自分たちの謀略がバレる。

 そうなれば、項羽はそれはもう天地がひっくり返るくらい怒り狂うだろう。

 劉邦軍の卑怯な策略により、項羽は一途に尽くしてくれていた范増を疑い切り捨ててしまった。あまつさえ、病気の老人を痛めつけてしまった。

 項羽にとっては、悔しいことこの上ない。

 そのうえ、清廉であろうとする自分にあるまじき失態だ。

 おまけに項羽は自分が正しいと信じるあまり、己の罪を認めて詫びるということができない。

 すると、どうするか……自分を騙した者に全ての罪を押し付けて怒り狂い、それを本当に力に乗せて叩きつけるのだ。

「えーと、つまりそりゃ……全力で俺らを殺しにくるってことか?」

 劉邦の言葉に、陳平はうなずいた。

「十中八九、そうなるでしょうね。

 しかも范増を除いて項羽軍が弱体化するってのは、補給や長期的な戦略がうまくいかなくなってのこと。今はまだ効果が出てないの。

 項羽は、きっと今の自軍の力を全力でわっちらにぶつける。

 それこそ、逃げる兵は斬るくらいの勢いでね」

「……じゃ、どうすればいい?」

 すがるように聞く劉邦に、陳平は切羽詰まった顔でまくしたてた。

「ごめん、できるだけ脱出できる策は練っとくから!

 絶ぇーっ対に失う訳にいかない人を二十人以内で選んで、すぐ動ける体制にしといて。それ以外は全部、ここに置いてくしかない!」

「よっしゃあ、すぐ用意しとくぜ!!」

 危機を悟った劉邦たちは、すぐさま逃亡の準備を始めた。


 果たして項羽は、陳平の思った通りになっていた。

 范増の死と背中の病を聞いた項羽は、范増が本当に病で頭を下げられなくなっていたと知って、ひどい後悔に襲われた。

「何だと……それでは、范増は病を押して働き続けていたのか!?

 それも、俺に心配をかけまいと……!」

 自分は范増がいつも背を伸ばしているから元気だと、頭をあまり下げないのは忠誠が足りないからだと思っていたが、全くの見当違いだった。

 項羽は范増をしつけるつもりで無理矢理頭を下げさせたが、あれはただの思い込みによるいじめでしかなかった。

 范増はあの時、やめてくれと懇願したのに。背中が痛むと訴えたのに。

 聞く耳持たずに力でねじ伏せたのは、項羽自身だ。

(し、仕方なかったのだ……あの時は范増の全てが悪に見えたんだ!

 いくら病で弱っている老人でも、裏切り者に制裁を与えるのは当たり前。そうだ、あいつが裏切り者なら俺は悪くない!)

 項羽は祈るような気持ちで、范増の不正や裏切りの証拠を探させた。

 しかし、何も出て来ない。范増がこれまでやっていた政治軍事に関わる書類、それから研究文書までひっくり返したが、何も悪いことはしていなかった。

 項羽は、愕然とした。

 范増には、二心も裏切りもなかったのだ。

 なのに項羽は范増の弁明を聞こうともせず、頭ごなしに決めつけて追放してしまった。あれほど一途で清い忠誠を、足蹴にしてしまった。

 項羽は、世界が真っ逆さまになってどこまでも落ちていくような心地だった。

(すまなかった!そんなつもりではなかったのだ!!

 お、俺はただ……正しい事をしようと……!)

 いくら心の中で謝ろうと、もうこの世にいない范増に詫びる術はない。どんなに元に戻したくても、もう取り戻せない。

 どうしようもなく嘆くうちに、項羽の中にとてつもない怒りが湧いて来た。

(そうだ、俺は決して悪を為そうとした訳ではない。

 懸命に正しい事をしようとしただけだ!

 悪いのは全部、俺を騙して范増を貶めた奴ら……俺は奴らに乗せられただけだ!このうえは、俺を騙した奴らを根絶やしにしてやるぞ!!)

 それは、ある意味正しいのかもしれない。

 だが、最終的に范増を信じ切れず切り捨ててしまったのは、項羽自身だ。どこまでも自尊心の強い項羽は、その責任をどうしても認められなかった。

 代わりに、自分にその決定打を与えた者たちを責めて責めて責め抜いた。

「貴様らがっ余計なことを、言うから!俺は、亜父を失ったのだ!

 よくも俺を騙したな!!亜父に死んで詫びろ!!」

 項羽は自分に范増を除くよう言ってきた味方に当たり散らし、劉邦軍に使者に行って罠にかかってきた部下を死ぬまで鞭で打った。

 そして収まらぬ怒りをぶつけるように、全軍で滎陽城を攻撃した。

「劉邦め、陳平め、必ずその首取ってやるぞ!!

 皆全力で攻め続けろ、退く者は斬る!」

 そう叫んでひたすら攻撃させ、退くどころか休んでいる兵が目についただけで怒りに任せて殺してしまう。

 項羽軍の兵士たちは主が恐ろしくて、どれだけ犠牲が出ても攻め続ける。

 その怒涛の猛攻の前に、補給がきかない劉邦軍は矢尽き刀折れ、城が落ちるのは時間の問題かと思われた。


 ついに、滎陽城に白旗が上がった。

「ああああ悪かったすまなかった!

 降伏するから、これ以上はやめてくれぇ!!」

 城門の上に劉邦が現れ、憔悴しきった表情で降伏を宣言する。程なくして城門が開き、二千ほどの兵に囲まれた劉邦の馬車が出てきた。

 項羽軍の兵士たちは戦が終わったことに安堵し、これまでさんざん苦しめられたお返しに降ってきた敵兵に乱暴しようとした。

 ……が、そこで妙なことが分かった。

「あれえっ何をするのです!?」

「おい、こいつら……全員女だぞ!」

 なんと、劉邦の馬車を囲んでいるのは皆兵士の格好をした女だった。

 たちまち、項羽軍の兵士たちの目の色が変わり別の意味で暴行祭りが始まる。もう戦は終わったのだから、楽しまねば損だとばかりに。

 その騒ぎはたちまち全軍に広がり、少しでもおこぼれをもらおうと城を囲んでいた者たちまでその城門に殺到した。

 ……と、その隙に反対側の城門から、二十人ほどの集団が矢のような速さで飛び出した。

 その中心には劉邦と陳平、そして張良がいた。

「ね、言ったでしょ、逃げれるって!」

「ハッハッハ、こりゃ最高に卑怯だぜ!けど、最高にありがとうよ!」

 項羽軍が二千人の女に夢中になっている間に、劉邦たちは疾風のように関中へと逃げ去っていく。

 項羽が皿のような目で逃すまいとにらみつけている馬車の中の劉邦は、偽物だ。劉邦は、降伏するふりで項羽軍を油断させ、絶対に失えない幹部以外のあらゆるものを犠牲に今回も逃げ延びた。

 これが陳平の策であることは、言うまでもない。

 どこまでも恥知らずに生きることに全力を懸ける劉邦と、目的のためならどこまでも狡猾な陳平は、素晴らしく噛み合う主従であった。


 項羽はだいぶ経ってから騙されたことに気づいてまたも怒り狂ったが、もう遅い。

「おのれ劉邦、どこまで俺を愚弄するか!

 ……だが、亜父がいなくても滎陽城は取った。やはり劉邦軍など、恐るるに足りぬ。次こそは、必ずその首を取って亜父の墓前に捧げてやるぞ!」

 項羽は、気づいていなかった……范増を失った自分に、もうこれまでのような力がないことに。

 目の前に戦には勝ったが、このまま戦を続けていくのに欠かせぬ歯車を失ってしまったことに。

 だが、もはやそのことを見抜いて項羽に耳の痛い進言ができる者はいない。項羽は誰も何も言わないから大丈夫だと信じて、一人気勢を上げていた。

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