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ボーカロイドの「卑怯戦隊うろたんだー」という曲を知っていますか。
もうこれが劉邦軍の軍歌でいいと思う。
勝つために、清々しいレベルで卑怯に徹する劉邦軍……特に陳平。卑怯な策を使わせたら、こいつの右に出る奴はいない!
范増以外の犠牲者たちの紹介です。
龍且:項羽軍の名将だが、韓信を侮って大敗し殺された。
鍾離眜:項羽軍の名将で、項羽軍が滅ぶまで裏切らなかった。
周殷:項羽軍の名将だったが、後に信頼されなくなったことを不満に思い劉邦軍の工作に応じて寝返ってしまった。
劉邦軍と項羽軍の講和は、ならなかった。項羽軍はますます厳重に滎陽城を包囲し、劉邦軍は補給すらできなくなってしまった。
そのうえ、范増は劉邦軍の士気を下げるために劉邦軍の幹部たちの悪評を喧伝し始めた。
ただでさえ劣勢で心が弱っている時にそんなことを聞かされたら、穏やかではいられない。つい、苦しいのはそいつらのせいではないかと思ってしまう者もいる。
劉邦の下に、それを真に受けた進言をしてくる者も現れた。
「思うに、我々が項羽に勝てぬのは徳の欠けた者を重用しているせいではありませぬか。
徳を積み人倫を守る者にこそ、天は味方してくれるのです。我々がうまくいかないのは、天に認められておらぬからです」
「この機に、軍の中の不徳を排してはいかがでしょう。
そもそも、コロコロ主を変えるうえ兄嫁と密通する陳平に忠義など捧げられる訳がないし、命惜しさに股くぐりをする韓信が大事な戦に勝てる訳がないのです。
元々野盗の黥布など、いつ殿の寝首をかいて国を盗むか分かりません。
まずそのような不安を取り除き、殿も無礼な態度を改められては」
その進言は一見、筋が通っているように見える。
勧善懲悪は苦境にある人が望むものだし、世に広く浸透している儒教の教えに基づいている。
心の弱い君主なら、ついすがってしまいそうだ。
しかし、劉邦は不機嫌そうにそれを聞いていた。
そして話が終わると、乱暴に机をたたいて言い放った。
「あー、そんなくだらねえ話はここまでだ。
二度と、俺の前でそんな話をするんじゃねえ!!」
「そんな!我々は本当に殿とこの国を思って……!」
劉邦は、不快感を露わにして話を打ち切ってしまった。もう聞く気はないとばかりに、下がれと命令する。
それでも国のためにと説こうとする文官たちの前に、張良と随何が割り入って言った。
「そんな話が、どう国のためになるというのですか?
今重要なのは、清い心でも誠実さでもなくただ戦に勝つための才能です。あなた方や儒者たちが語るそれがいくらあっても、今は何の役にも立ちません。
徳でこちらを殺しに来る敵が蹴散らせますか?どこまでも誠実なら人は言うことを聞きますか?
国を思うなら、現実を見て物を言いなさい!」
「そうよぉ、あーたたち、殿に盗賊を丸腰で説得しに行けって言ってるようなものよ。
戦場で味方に武器を捨てろと説く学問なんて、害悪でしかないわ。
あーたたちは、一体何のために学を修めたのかしら?学に振り回されて国を壊すなら、何も学ばない方がましよ!」
そう言われて、文官たちはたじろいだ。
自分たちは国のために言ったつもりなのに、言われてみればその通りだ。自分がもし主の立場だったら、そんな進言には絶対に従いたくない。
うろたえる文官たちにとどめを刺すように、劉邦がドスの利いた声で言う。
「そんなに言うなら、てめえらが韓信の代わりに項羽と戦ってあれより上手く戦えたか?陳平が流した情報なしで、ここまで持ちこたえられたか?
オラッ言ってみろ!!」
文官たちは縮こまり、蚊の鳴くような声で答える。
「それは、その……人には得手不得手がありまして……」
「ですが、陳平殿がその情報を流せたのは不徳であるゆえ……」
劉邦は、忌々し気に鼻をフンと鳴らして言う。
「ほら見ろ、今答えを自分で言ったな。
韓信の代わりなんていねえし、陳平の不徳は今うちの軍に必要なんだ。多少世間体が悪くても、それがないと勝てねえんだからしょうがねえだろ。
だいたいな、清廉で誠実じゃ人を出し抜けねえんだよ!
てめえら戦のことで進言するなら、儒学じゃなくて兵法を学んで来い!!」
「は、はい……失礼いたしました!」
愚かな文官たちは、何も言い返せず小走りに去っていった。
それを見て、劉邦は吐き捨てる。
「ハッ……これだから儒者の類は嫌いなんだよ!理想の清すぎる世の中作りたいなら、てめえらだけでやって自滅しろ。
俺はそんなもんと心中なんかしねーよ、バーカ!!」
ひどい言い方だが、これが劉邦の信念だ。
劉邦は元々儒者が嫌いで、堂々とそれを公言している。形式にばかりうるさくて、理想にこだわり現実の役に立たないからだ。
劉邦はどこまでも現実的で、世俗的だ。
元々農民から小役人として生きてきて、いろいろ不自由を感じながら富や名誉に憧れて日々を過ごしていた。
だから、世間一般の人々が抱く欲望や、世の中の理不尽さを知っている。
そんな劉邦は、清廉で厳格すぎる人よりむしろ少し汚点がある人の方が話が通じる仲間として信頼できた。
ゆえに、どんな美しい理想を説かれようと范増の策に流されなかった。
劉邦はそれからも変わらず、陳平や黥布を大切にし、韓信のことを信じ続けた。それが民や一般兵たちに大きな希望を与えたのは、言うまでもない。
その扱いに特に感謝して奮い立ったのは、陳平だ。
「んふぅ~!!劉邦様、そんなにわっちを買ってくれるのねぇん!
いいよぉ、だったらわっちもとっておきの策をあげちゃう!劉邦様が死なないように、どんなえぐい手でも使っちゃう!」
そして、一転憎たらしい顔になって悪魔の如く呟く。
「それでぇ、范増のジジイにたーっぷり分からせてやるぅ!
だいたいわっちが項王の下にいた時、あんたわっちの悪いトコばっか調べ上げて大した仕事くれなかったよねぇ?
それで功績上げて信頼掴めってのが無理だっつーの!!
おまけに、せっかくここで掴んだ信頼と功績までブチ壊そうとしてぇ……!」
陳平の口元が、どす黒い悪意に満ちて不気味に歪む。
「いいよぉ……あんたがその気なら、わっちも同じように返してあげる。
あんたのあることないことをそれっぽく項王に吹き込んで、あんたの誇る真の君臣の絆とやらを試してやろうじゃないのぉ!
わっちを悪く言って見下したこと、後悔させてあげるうぅ!!」
陳平の刺々しい叫び声が、滎陽城に響く。
陳平はずっと、范増がうらやましかった。仕えてすぐ信頼されて認められて、おまけに項羽には父のように尊敬されて。
自分が魏王の下でも項羽の下でも手に入れられなかったものを、全部持っている。
自分も頭には自信があって、そんなに固い関係でなくても評価と信頼がほしくて、それが得られる居場所を求めてここに流れ着いたのに。
それを過去のことだけで不当に貶めて奪おうなんて、許さない。
陳平の心の中には、范増への嫉妬と怒りがぐらぐらと煮えたぎっていた。
だが劉邦の軍では、そんな醜い感情を隠す必要もない。敵を倒す原動力になれば汚くても醜くてもいいと、劉邦が受け入れてくれるから。
陳平も劉邦も、きれいでなくていいと割り切っているから。
陳平は安心して、とことん卑怯で汚い策を携えて劉邦の下に向かった。
どんよりと雲が垂れこめて星の光も届かない夜、劉邦の部屋に数人の幹部が集まっていた。彼らの顔を、ろうそくの光が不気味に下から照らす。
一応酒と肴は用意されているが、宴会の盛り上がりはなく静まり返っている。
しかし集まった者たちの顔には、何かを待つ胸の高鳴りがあふれていた。悪意全開のどす黒い笑顔でろうそくを囲むさまは、もはや邪悪な悪魔崇拝の集会のようだ。
陳平が、劉邦への感謝で口火を切る。
「んっふっふ、わっちを大事に用いてくれて、本当に感謝感激ですぅ。
劉邦様はぁ、ごほうびに気前が良くて評判をあんま気にしないから、わっちみたいな恥知らずで欲望に正直な人にとっても居心地がいいのぉ。
ま、その分すぐ調子に乗って人を侮るから清廉でお堅い人は来ないけど」
そこから、陳平は項羽の評価も述べる。
「逆に項王は情に厚くて部下思いで礼儀正しいから、清廉な人がよく集まってる。
でもあの野郎、恩賞の話になると途端にケチで不公平なんだよね~。前に韓信も言ってたけど、それで不満を溜めてる部下はそりゃー多いの。
何があっても項王について行くって命懸けてる奴は、実はとっても少ないんだ~。范増のクソジジイと、龍且、鍾離眜、周殷くらいかな」
そこで陳平は、悪魔の笑みで本題を切り出した。
「だ・か・らぁ、切り崩すのはそこだけでいのぉ♪
ごほうびとお金に飢えてる奴らに派手にお金をばらまいて、そいつらの悪い噂を項王に届けさせてやるの。
項王って感情的でちょっとの汚れも許せないから、きっと中傷された奴を信じなくなる。
そうなったら、もーうこっちのもん!」
愚直なまでの君臣の信頼を金で叩き壊すという、悪魔の策である。
項羽の信じる臣たちの、期待に応え清くまっすぐであろうとする努力を嘲笑い、汚点をでっち上げて引きずり下ろす卑劣極まりない策。
少しでも世間体とか王の誇りとか尊徳とかを気にする者なら思わず二の足を踏む、正しく美しい人間関係を踏みにじる外法。
だが、劉邦はニンマリと黒い笑みでうなずいた。
「へえ……そりゃ面白いことになりそうだ」
いつも清楚な顔をしている張良も、貪欲な肉食獣の笑みでうなずいた。
「良いですね……成功すれば、項羽軍はますます他方面の戦に対応できなくなるでしょう。
特に范増を除ければ、大幅な弱体化が狙えます。あちらで策……いえそれ以前に補給や後方の整備を考えられるのは、彼だけですから。
彼を失えば、項羽はまともに戦い続けることもできないでしょう」
その意見に、随何はくっくっと笑った。
「項王は、誰がどんな大事なことをこなしてるかよく分かってないものね。内心では全部、勝てるのは自分のおかげって思ってるのよ。
だから部下が少しでも気に入らないと、すーぐ切り捨てるなんてことができちゃう。
項王に忠誠誓ってる奴らは自分はそうならないって思ってるけどぉ、そうじゃないって分かったらどんな気分になるのかしら?」
全員で額を突き合わせて、意地悪く笑う。
劉邦が、少しだけきまりが悪そうに締めた。
「ま、世界のためっつって民を殺しまくる奴から世界を救うためだ。
しゃーねえ!」
全員、すました顔でうんうんとうなずく。
どんなに汚い手を使っても、相手もきれいなふりをして人の道を外れたことをしているのだからお互い様だ。
「じゃ、明日にもそれ用の金を渡すぜ」
「んふっここにいる皆の命を買うお金だもん、ケチケチしないでね!」
軽口をたたき合い、陳平と劉邦は別れてそれぞれ眠りにつく。お互いやることはやってくれると信じているので、眠れなくなるような不安はない。
二人は明日から放つ攻撃に備え英気を養うように、ぐっすりと眠りについた。




