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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十五章 老軍師の苦悩
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(223)

 しばらくぶりの黥布さんのターン。

 驪山陵で大活躍だった男前な黥布さんも、今は項羽の武に怯えて小心な暮らしに甘んじていました。

 数少ない人食いの病の真実を知る一人ですが……ホラーにおいて、知りすぎるのは死亡フラグでもありますね?

 特に上司が項羽では……黥布も何となく分かっていたんです。


 そして、また劉邦軍の濃い人材が登場です。

 随何ズイカ:黥布を説得して劉邦軍に寝返らせた、弁舌達者な腐れ儒者。

 劉邦は儒者が嫌いだったそうですが、堅苦しくない腐れ儒者ならOKだそうです。

 劉邦軍の反撃は、すぐに始まった。

 作戦通り劉邦が南の武関から出て滎陽城を包囲していた敵を引き付け、その隙に滎陽城に兵と物資を送って立て直す。

 敵に項羽と范増がいないため兵の士気は高く、韓信の指揮で野戦にも勝ち、劉邦は再び滎陽城周辺を勢力下に置いた。

 しかし、そうなると項羽も黙っていない。

 ちょうど彭越を取り逃がし見失って苛々していた項羽は、叩ける敵から叩けとばかりにまた劉邦の方に押し寄せてきた。

 劉邦も張良の策と韓信の指揮で互角に当たるが……これでは戦線が動かない。

「なあ……どうするよ、これ?

 また項羽の側面とか背後とかで誰か暴れるの待つか?」

 劉邦は、焦れたように張良に問う。

 このまま正面から戦っても、いつ決着がつくのか分からない。そうして時間が経てばたつほど、劉邦の使命はやりにくくなっていく。

 東で人食い死体が発生しても適切な対処ができないし、東へ帰ってしまった後宮関係者の調査も遅れていく。

 特に最悪なのは、東に人食い死体が出て項羽がその一帯を皆殺しにしてしまうことだ。

 一回二回なら、それで収まるかもしれない。

 だが繰り返すうちに、民は死にたくないあまり人食い死体を必死で隠そうとしたり、なりふり構わず他地域へ逃げたりするようになるだろう。

 そうなれば……感染爆発は目前だ。

 そのうえ、一度住民感情がそうなれば、劉邦の対策にも支障をきたす。

 そうなる前に、何とか決着をつけなければ。

 張良も、いつになく真剣な顔で進言する。

「そうですね、これは急がねばなりません。さりとて短期決戦は項羽に有利なので、急がば回ることをお勧めします。

 項羽の体は一つしかないので、多方面から攻められるようにいたしましょう。

 韓信を別動隊として北の趙や斉を攻めさせ、そこを先に平定させて北からも項羽に圧力をかけられるようにするのです」

 それから張良は、周りに人がいないことを確認して耳打ちする。

「それに、韓信は人食いの病の真実を知りません。

 このまま同じ所にいて項羽と当たらせれば、それを項羽の側から明かされて殿に不信を持つかもしれません。

 そういう意味でも、この戦線から離した方が良いかと」

「……なるほど、そいつはまずい。

 韓信なしで戦うのは怖えけど、世界のためだ。やってやらぁ!」

 こうして、劉邦は韓信を本隊から切り離すことに決めた。韓信はなぜそんなに急ぐのかと少し訝しんだが、劉邦はうまく言いくるめた。

「あーほら、項羽はまだ若いけど俺ってけっこう年じゃん!もし持久戦とかやられて十年とかかかったら、俺が生きてられるんかなって。

 それに、長引けば長引くほど民が苦しむだろ。

 俺は、少しでも早く世の中を平和にしたいんだよ!」

「そうですか、さすが劉邦様!何と慈悲深い!

 では行ってまいりますが、私がいない間に死なないでくださいね」

「ハハハッもちろんどんな手を使っても生き延びるぜ!」

 韓信は劉邦が本当に民のことを第一に考えていると思い込み、こんな人のためだからしっかり働こうと勇んで北に向かった。

 これも、劉邦が日頃から寛容で気前よくしているからである。日頃から信頼を稼いでいるからこそ、大きな秘密を守ったまま人をよく使えるのだ。

 これは、劉邦だからできることであった。


 とはいえ、韓信なしで項羽軍本隊と戦うのはなかなかきついものがあった。

 項羽は劉邦軍が弱くなったと見るや否や、自ら敵兵の中に突っ込んで縦横無尽に暴れ回った。范増もそうして崩れた所を突く鮮やかな戦術で、劉邦軍を苦しめた。

 結果、劉邦軍はまた滎陽城に籠ることが多くなってしまった。

「あー……うん、まあ分かってたけどさ。

 こう何度も孤立すると嫌になってくるよな。

 誰か、他に手ぇ貸してくれそうな奴ぁいないかねえ?」

 劉邦は性懲りもなく弱気になって、張良に問う。

 張良ももう慣れたもので、目をつけていた味方になりそうな人物を挙げる。

「以前項羽軍にいた、黥布を覚えていらっしゃいますか。人食いの病の真実を知り、実物を見たこともある人物です。

 彼は今項羽の側にいますが、さほど積極的に項羽を助けに動きません。

 これは、項羽に従うことに迷いが生じているからだと思われます。ならば、こちらから働きかければ寝返らせることもできましょう」

 黥布はかつて驪山陵で働かされていた刑徒で、地下の感染事故を発端とする暴動で逃げ出して野盗の親分になり、今は項羽の南の領土をもらい王となっている。

 その恩と項羽の武力に怯えて一応項羽の味方として振舞っているものの、内心はそれほど忠実ではないようだ。

 劉邦はそれを聞いて、ニヤリと笑った。

「なるほど……真実を知ってるならなおさら、側に置いといた方がいい。

 それにあの位置なら、項羽を挟み撃ちにできるな!

 おーい、誰か使者に出れる奴ぅ!」

 劉邦がさっそくその策を採って使者を募ると、随何という男が名乗り出た。

「フィーッヒッヒッヒ!ここは私に任せてねぇ、何が何でも黥布を味方にして連れて来てあげますわぁ。

 殿はただ、これこれこーいう準備して待っててねぇん!」

 この随何という男は儒者であるが、やたら形式を自分のために論じ口先ばかり達者で腐れ儒者などと言われていた。

 しかし、今はそんな評判より口が回る方が重要だ。

「よっしゃ頼むぜぇ!

 あと、この手紙を黥布に渡してくれ」

 劉邦は、すぐに短い手紙を随何に持たせて出発させた。勝つためならどんな評判の悪い者を使うこともいとわない、それも劉邦の強みであった。


 一方、項羽も黥布のことを気にしてはいた。

「くそっあいつめ……俺の味方だと言っておきながら、全然力を貸しに来んではないか!兵を数千送ってきて、それっきりだ!

 あいつが来れば、劉邦など簡単に叩き潰してやるものを!!」

 項羽にとって、黥布は自分に従って当たり前の舎弟のような扱いだ。従うから生かしてやっているのに、助けに来ないのは恩知らずだ。

 そんな項羽の苛立ちは、外交策も担当している范増に向かう。

「おい亜父、奴はいつ来るのだ!?きちんと催促はしているのか!?」

「言われずとも数日おきに使者を出しておるわ!

 儂も手紙を書いておるが……直接行ければ首根っこを掴んで引きずり出してやるものを」

 范増も、できることをやって動かぬ相手に唇を噛むしかない。

 いくら使いを出しても、遠く離れた相手を強制的に動かすことはできないのだ。さりとて、今項羽と范増がここを離れる訳にはいかない。

 その焦りもあって、范増の手紙はどんどん言い方がきつくなる。

 二人の頭の中には、楽をしようとする味方をとにかく叩いて躾けることしかなかった。


 項羽から矢のような催促を受け続けて、黥布は楽しめぬ日々を送っていた。

 自分が項羽に生かされているのは、分かっている。隣にいて真っ先に滅ぼされぬために、何の罪もない義帝すら手にかけた。

 だが一方で思う……こんなことを続けていて、本当に自分は安泰なのかと。

 項羽は、自分にとって邪魔になった者をいとも簡単に殺してしまう。義帝も、元韓王も……自分がいつそうならないと言い切れるか。

 しかし、項羽に表立って逆らえば破滅はすぐにやって来る。

 折しも、少し前に項羽が近くで彭越を追い散らしていた。その時項羽は、少しでも強制されてでも彭越に味方した者をことごとく生き埋めにしていた。

 自分や家族、可愛い部下たちがそうなると思うと……。

 さりとて項羽に忠節を尽くして助力に駆けつけても、自分たちが捨て石のように最前線で戦わされるような気がする。

 そうなるくらいなら、万が一の場合抵抗できるように自軍の力を保っておいた方が……という葛藤の結果、黥布は半端な援軍を出すことしかしなかった。

 そうして悶々としているところに、劉邦の手紙を携えた随何がやって来た。

 劉邦の手紙には、短くこれだけ書いてあった。

<項羽が天下を取れば、真実を知るおまえを生かしておかないだろう>

 たったそれだけで、黥布の背中から冷たい汗が噴き出した。

 そうだ、項羽は天下に人食いの病のことを全く知らせず自分の命令に従わせるだけで防ごうとしている。

 そんな項羽にとって、真実を知っている自分は邪魔でしかない。

 他の敵がいなくなって自分の力が必要なくなれば、ほぼ間違いなく口封じのため消される。

 青くなって震える黥布に、さらに随何が挑発的に言う。

「そうよねえ、項羽にとっちゃ都合が悪いわよねえ……自分の命令で義帝を手にかけた証人が生き残ってたら。

 大逆っていう、とんでもない罪を消せなくなっちゃうものねえ」

(……そうか、義帝暗殺の件でもそうなるか!!)

 随何は人食いの病のことを知らないが、義帝暗殺の件もこれに当てはまる。思えば項羽にとって不都合なことを、自分は知りすぎているのだ。

 これで、治世に生かしてもらえる訳がない。

 黥布の恐怖を煽り立てるように、随何がねっとりとささやく。

「あーた、これでよく項羽の天下を手伝おうと思えるわねえ。

 もっとも、あーたが項羽の情を動かすくらい忠義を尽くしてたら話は別かもしれないけど……数千の兵を送って後は日和見ってどうなのかしら?

 あーた、自分で自分の首を絞めてるのよ。

 このまま死にたくないなら、劉邦様におつきなさいな」

 これまで決断を先延ばしにしていた黥布も、ここまで言われては決断せざるを得なかった。生きるために、劉邦につくのだ。

 さらに黥布が寝返りを約束すると、随何は項羽軍の使者がひしめく迎賓館に突撃してそれを声高に叫んでしまった。

 かくして退路を断たれた黥布は、兵を挙げて項羽の背後を突こうとする。

 もっともその戦いは、項羽配下の龍且に黥布が蹴散らされてあっけなく終わってしまったのだが……黥布は逃げ延びて劉邦軍に加わった。

 ボロボロになって滎陽城に入った黥布を待っていたのは、調度品も食事も乗り物も劉邦と同じ待遇であった。

 これに、黥布は感極まって号泣した。

「うおおぉ……敗軍の将になっちまった俺に、ここまでしてくれるのか!

 劉邦こそ、俺を本当に対等に見てくれる朋友だったんだ!!」

 随何が用意しておけと言ったのは、このことである。

 項羽に舎弟扱いされて傷つきっぱなしだった黥布の王としての誇りを、劉邦はいとも簡単に満たした。

 この瞬間、黥布は完全に項羽を見限り心から劉邦についた。

 これも項羽が自らの傲慢で己の首を絞めたのだが、項羽はそれが分からずただ怒り狂うばかりであった。

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