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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十五章 老軍師の苦悩
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(222)

 劉邦の立て直しと、感染対策会議。

 感染を防ぐために、劉邦軍がやることは二つありました。一つは、潜在的感染者の調査。そしてもう一つは……。


 范増も悪意があってじゃないけれど、研究それ自体が巨大リスクをはらんでいると進めること自体が悪になってしまう。

 項羽も范増に悪意がある訳じゃないけれど……無知は罪。

 関中に逃げ込むと、劉邦はようやく一息ついた。

 壊滅寸前になっていた軍も、蕭何が社会を壊さない程度に老人や子供を臨時徴兵してくれたので、どうにか立て直せた。

 とはいえ、今回の敗戦の被害は大きい。

 彭城を攻めるのに力を貸してくれた諸侯たちも、この大敗を見て項羽につく者が続出した。

 簡単につくかと思っていた勝敗はいとも簡単にひっくり返され、劉邦たちは戦略を練り直さねばならなかった。


「だから最後まで、気を抜くなと申したのです!!」

 蕭何に怒鳴りつけられ、劉邦は申し訳なさそうに肩をすくめる。劉邦は、軍師たちに囲まれて全方位から説教を食らっていた。

「だいたい、あんなに兵がいながら彭城を落としただけで遊ばせておくなんて、何事ですか!あれほどいたなら、いくらでも別の使い方ができたはず。

 なのによくもまあごっそり失って……。

 おまけにご家族まで敵の手に……。

 これでは、負けてすっからかんになって家族を売り飛ばす博徒同然ではないですか!!」

「うう……そこまで言うなよぉ。

 でも俺、人質なんかじゃ動かされねえから!」

「はいはい、子供を捨てて逃げるくらいですからね……分かりますとも」

 劉邦は逃げる時に家族と離れ離れになり、父と妻が項羽の手に落ちてしまっていた。これを項羽が人質として利用することは、容易に想像できる。

 もっとも、自分が誰よりかわいい劉邦がそれに屈することはない。

 そこだけは、軍師たちは呆れながらも信頼していた。

 韓信は、他の軍師たちをなだめるように話を変える。

「まあまあ、これまでのことはそのくらいにしましょう。

 今はとにかく、ここからどう巻き返すかを考えなくては。今項羽は別方面で戦っていますが、それが済めばまた我々を攻めるでしょう。

 その前に少しでも、迎え撃てる体制を整えておかなくては」

 すると、戻って来ていた張良が具体的な案を述べる。

「攻めるにしろ守るにしろ、滎陽城は保持しておきたいところです。今は包囲されていますが、何とか囲みを解いて補給をしませんと。

 そのために、まずは南の武関から出て項羽軍を引き付けてください。

 その間に函谷関から出た別の部隊で、滎陽城を救いましょう」

「んっふっふ、それがいいですぅ。

 項羽軍なんて、勢いで行動してる脳筋共の集まりなんだから、范増が戻って来る前にそれやればうまくいくと思うよ~」

 妙に軽薄で甘ったるい声に、一同は訝しんでそちらを向いた。

 見れば、張良の隣に見たこともない男がついている。こんな奴は、関中に戻ってくるまでいなかったはずだ。

 一同の異物を見るような視線に、男は名乗った。

「あ、お初に目にかかりますぅ。わっち、陳平って言いますぅ~!

 そこにいる韓信と同じで、項羽軍抜けてきました~。間者とかじゃないから、安心してね。

 むしろ、項羽軍の情報ならいくらでもしゃべるから。機密情報とか弱点とかもしゃべるから、どんどん買っちゃって。

 てゆーか、お願い買って!お金がないの!項羽軍から何も持たずに逃げて来て、わっち今無一文なのぉ~!!」

 流れるような金の無心に、一同は困惑した。

「我らの金と物資も厳しいのに、何と無遠慮な……」

「項羽軍を抜けるのはありがたいが……ロクな奴じゃないから捨てられたんじゃないか?」

 そんな声が、どこかから聞こえてきた。

 しかし、張良がそれを制する。

「静まりなさい。道中いろいろと話しましたが、この男の頭脳と情報力は本物です。必ずや、払った金以上の利を得られましょう。

 少し癖は強いですが、勝利のためには引き入れるべきです!

 しかも、これからまさにその項羽軍と戦うのですから……しっかり働きなさい、陳平殿!」

「はぁ~い!項羽が勝って殺されないように頑張りまぁす!」

 こうして、劉邦軍は新たな軍師を受け入れた。

 劉邦はさっそく陳平に項羽軍の情報をしゃべらせたが、それはこれからの戦いで確実に役に立ちそうなものだった。

 劉邦はそれに気前よく金を払ってやり、さらに生活に必要なものを揃えるための商人を手配してやった。

 そしてその情報に従って次の作戦を立て、会議はお開きとなった。


 大勢での会議が終わると、劉邦、蕭何、張良は別々の道を通って狭い一部屋に集合した。そこには、石生たち元研究員たちが集まっていた。

 元、というのは、もう彼らは研究をしていないからである。今彼らの知識はもっぱら、人食いの病の兆候がないか調査することに費やされていた。

 まずは、石生からその報告を受ける。

「……関中から韓、魏の辺りでそれらしい情報はありませんでした。

 かつて始皇帝の後宮で働いていた者たちの検査も、半分ほど終了しました。今のところ、彼らの中に感染者はいませんでした」

 それを聞いて、劉邦たちはホッと胸を撫で下ろした。

 劉邦たちが天下を欲するのは、一つにはわずかに感染の可能性がある元始皇帝後宮の関係者を全員検査し、安全を確認したいからである。

 元後宮関係者の身元については、蕭何が秦王宮から押収した資料に記されていた。

 だが、項羽の支配下ではそれが難しいのだ。

 項羽は少しでも危険だと思えば皆殺しにするし、元秦後宮の関係者だとバレるだけで財産を接収されたりするため、そういう者が隠れ黙して出て来ない。

 出て来なければ、検査して安全を確認することもできないのだ。

 だからこそ、項羽とは違う優しい劉邦が来たと喧伝して彼らと接触できるようにしなければならない。

 今回一時的に彭城を取ったことで、その間に劉邦の勢力圏に入った者たちはかなり調べることができた。

 ただし、それでも天下の三分の一ほどだ。

「後宮の働き手は、大部分が旧秦の出身者で占められていました。彼らはほぼ関中にいるので、調査はほぼ終了しています。

 ですが、他国から連れてこられた美女の身内の者などは、多くが郷里に帰り中華全土に散ってしまいました。

 殿には一刻も早く天下を取っていただいて、それらの調査を進めませんと」

 石生に促されて、劉邦は恥ずかしそうに首をすくめた。

「う、うん……分かってるけどよぉ……。

 項羽の奴、戦じゃすっげぇ強くてさ……」

 こっそり尸解の血に感染していた者から無関係の者に感染が広がる前に、できるだけ早く調査した方がいいのは劉邦も分かっている。

 だが、項羽は一朝一夕に倒せる相手ではないのだ。

 話をそらすように、劉邦はもう一つの懸念の方に話を振る。

「そう言や、彭城の研究施設の方はどうだったよ?

 范増も留守にしてたから動いちゃいなかったが……調べてみてどうだった?何か危ねーこと始めてねえだろうな」

 もう一つの懸念とは、范増が治療薬の研究をしていることだ。

 劉邦たちはこれ以上研究して予期せぬ危険が生まれるのを懸念し、研究を中止して検査による防御に専念することにした。

 しかし、范増はやはり完全な解決には治療薬が必要だと主張し譲らなかった。そして項羽軍に留めている元研究員を中心に、研究を始めたという。

 劉邦は彭城を取った時、それの調査を石生たちにさせたが……。

「ダメですね、治療薬だけとは嘘ばかりです!」

 石生は、憎らしい顔で首を横に振った。

「施設は我々のものを小規模にしたようなものでしたが、既に使われた形跡がありました。

 そこで薬の購入記録を調べたところ……明らかに、治療に向かない薬物が散見されました。延命薬を強化できそうなもの以外に、明らかに命を危険に晒す毒薬……趙高が強靭な変異体を再び作ろうとするのに使ったようなのが。

 さらに解剖の着眼点が、明らかに死体の機能保存に重点を置いています。これは、不老不死を求めるための着眼点ですよ」

「何だそりゃ!?始皇帝と変わんねーじゃねーか!!」

 思わず叫んだ劉邦に、石生はうなずいた。

「ええ、だからあそこの施設は破壊しておきました。

 それと、項羽軍をいろいろな方面に引きずり回す作戦は私も賛成です。范増を一か所に留まらせなければ、研究はさほど進まないでしょう。

 だいたい、治療薬でも不老不死でも、あの病毒にこれ以上手を加えるというだけでどんな危険なものが生まれるか分からないのに……あの老害は!

 本当に、軍事政治面では頼みますよ!」

 石生は実験をしなくなって過去の記録をじっくり読み返すうちに、研究を進めるほどに事態が悪化していることに気づいた。

 だから、自分の生涯の課題だと思っていた研究の中止に踏み切ったのだ。

 そんな石生に、范増は研究の危険をなめて驕っているように思えた。これ以上危険なものを生み出す前に、始末してしまわねば。

 この研究を全て止めることも、劉邦軍の使命の一つになっていた。


 一方、范増は補給のために立ち寄った彭城で、破壊された研究施設を前に嘆息していた。

「何ということじゃ……これでは、すぐには使い物にならん!

 ただでさえ戦続きで儂がここにいられる暇がなくなってしもうたのに、これでは治療薬ができぬではないか!!」

 范増は叫んで、ふらついて壁にもたれかかった。

 このところ項羽に付き従って戦に駆けずり回っていたため、疲労が重くのしかかる。常人でもこたえるそれは、確実に范増の老体を軋ませていた。

 范増の焦りが、その心臓をさらに早鐘のように打たせる。

(い、いかん……このままでは、本当に項羽の天下まで儂がもたぬ!

 劉邦が出てくるまでの数年で、たとえ人でなくなっても延命を確立できれば良かったが……こんな状態ではまともに進められん。

 そのうえ、戦も政務も儂がやらねばならんとは)

 項羽が少しの失敗でもすぐ咎めて罰するため、項羽軍の人材は少なくなっていた。特に、軍事政治で自分の代わりを務められそうだった陳平を失ったのは痛い。

 青い顔で苦しそうにしている范増に、項羽が優しく言った。

「亜父、ひどい顔色だ!今日はもう休め。

 大丈夫だ、研究施設はすぐ作り直させてやる。彭越や劉邦を滅ぼしたらすぐ使えるようにしてやるから、安心しろ」

 その彭越と劉邦との戦のために、范増は山のように仕事をしなければならないのに。その戦に范増を引きずり回しているのは、項羽なのに。

 まさしく現実を見ていない、上辺の感情だけの言葉だ。

 だが、項羽はそれに気づかない。だって項羽は若くて壮健で気合でいくらでも動けて、いくらでも時間があるのだから。

 それでも項羽の優しさに言い返す気にならず、范増は足を引きずるようにして書簡が山積みの自室に向かうしかなかった。

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