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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十四章 分かたれた世界
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(218)

 漢中に流された劉邦たちにもたらされた、運命の出会いです。

 自分のためとはいえ人に気前よくするから人が集まってくるのが、劉邦の強みです。

 ただ、全部明かせるかというとそうではない訳で……ゾンビに対処するのに人が厄介なのはお約束。


 韓信カンシン:劉邦配下の将軍として天才的な戦をし、劉邦軍を勝利に導いた。国士無双と評される名将。

 漢中での劉邦たちの生活は、悪い意味でのどかなものだった。

 まず、自分たちを巻き込む戦が起こりそうにないし起こせない。他から攻められる心配もなければ、自分たちが兵を出す元手もない。

 それ以前に、人が少なすぎて税収も少ない。

 田畑にできる土地がそもそも少ないので、連れてきた数万の兵を養うだけで一苦労だ。

 そんな訳で劉邦たちはまず、軍備とか兵の訓練以前に土地を開拓して田畑を作る所から始めねばならなかった。

「ううむ、これでは生活を安定させるまでに数年かかりそうですな。

 新しく開いた土地も、今年の実りを見ぬことにはこれからの予測が立てられませぬし……そんな状態では兵站の確保もできませぬ。

 いや、まあ、やり甲斐があると申しますか……」

 ざっと資料に目を通した蕭何が、この上ない苦笑いで言う。

 劉邦も、げんなりした顔でぼやく。

「ええ……そんなに待つのかよ。

 そんなに待ってて、その間に向こうが人食い死体に覆いつくされたりしないかねえ……まあ項羽がいりゃ大丈夫な気はするが。

 ん、待てよ……なら、俺帰る意味あるんかね?」

 劉邦は早くも、目的を見失いかけていた。

 敵が来る恐れのないど田舎で自分たちの食べ物のことばかり考えていると、つい世界を救うなんて目標がどうでもよくなってくる。

 こちとらそんな暇じゃねえ、と叫びたくなる。

 今の自分はそんな余裕もなければ戦力もない、自分たちを飢えから守るので精一杯の弱小領主だ。

 いや、もう王と軍という名の流刑者集団だ。

 いくら秘密を知っていても子嬰に頼まれていても、やれる力がなければできない。

「ああ、帰りてえなあ……俺だって帰りたいけどよぉ……。

 今でもけっこうギリギリなのに、帰るためにゃもっと頑張らにゃならんのだろ?そこまでしてもさ、一番にぶつかるのが元秦の最強だぜ。

 勝てるんかい、俺らの力で!」

「それは、まあ……勝てるように何とかするしか……」

「何とかって何だよ!どうしろってんだよ!

 兵士たちも故郷が恋しくて毎日のように脱走兵が出まくってて、代わりを探そうにも住んでる人間がまず少ないんだよ!

 八方ふさがりの詰みじゃねーか!!」

 そう、これから戦わなければならないのに、劉邦軍は日に日に減っていた。兵士たちもいつ帰れるか分からない作業漬けの日々が嫌になり、脱走するからだ。

 もっとも、そのうちの大部分は道に迷って、腹を空かして戻ってくるが。

 士気もクソもあったものではない。

「あ~兵士たちはいいよな、給料捨てれば自由だもんな~」

「殿がそんなことをおっしゃらないでください、ますます士気が下がるでしょうが!

 とにかく、今は地道に領内を整えて力を蓄えるしかありませぬ。そうすればいつかは帰れると兵士たちを励まして……」

「そのいつかは、いつ来るんだよ~!?」

 希望を持てない日々に、劉邦はすっかり弱気になっていた。

 そのうち、劉邦はすがるような目で蕭何を見て呟く。

「……おまえは、俺を見捨てて帰らんでくれよ?」

「もちろんですとも!そんな事は絶対にありません!」

 こんな八方塞の状況でも、蕭何や樊噲たちは逃げずに自分を支えてくれる。これが劉邦の唯一の希望だった。


 しかし、その希望が叩き折られるような事件が起こった。

 一番大事な内政で奮闘してくれていた蕭何が、突然いなくなったのだ。

「そ、そんな……まさかあいつが……嘘おおぉん!!」

 その時の劉邦の慌てぶりといったら、それはもう筆舌に尽くしがたい程だった。劉邦はうろたえ、嘆き、そわそわしたりボーっとしたりを繰り返し、日常生活もまともにできなくなってしまった。

 だって、蕭何は劉邦軍の大黒柱だ。

 人員の配置から食糧の計算まで、軍を維持するのに必要な土台は全て蕭何が支えていると言っても過言ではない。

 それがいなくなったら、どうなるか。

 力を蓄えて打って出ることなど、夢のまた夢だ。

 知恵者の張良が抜けてしまっている今、蕭何は劉邦の右腕どころか両腕だ。それをいきなりもがれて、正気でいられる訳がない。

 劉邦は、自分の立つ大地が抜けて奈落に落とされた心地だった。


 ……が、二日ほどで蕭何はあっさり帰ってきた。

 劉邦は嬉しさと悔しさと不安でおかしくなりそうだったが、とにかく戻ってきた蕭何を呼びつけて話を聞いた。

「おいおい、一体何があったんだよ!?

 絶対俺を見捨てねえっつったのに、嘘だったのか!?

 それとも、やっぱり俺じゃ力不足だってのか!?分かってるよ、あれだけ理不尽にやられて反撃一つできねえなんてふがいないってさ……。

 世界を救うなんて、やっぱおまえらから見ても俺なんかにゃできねえって……」

「落ち着いてください、私は逃げた訳ではありません!

 逃げた者を追って連れ戻していたのです!」

 それを聞いて、劉邦は訝しんだ。

 蕭何がいなくなったことは大騒ぎなったが、他に重要人物がいなくなったという話は聞かない。

 だというのに、蕭何は一体誰を追ったというのか。

 ふしぎそうな顔をする劉邦に、蕭何は説明する。

「私が追っていたのは、韓信という者です」

「誰だそりゃ?」

「元は項羽配下の兵士でしたが、項羽のあまりのひどさについていけぬと我が軍に加わっていた者です。

 なかなか頭が切れる者で、殿にも重く用いるようにたびたび推挙があったはずですが……いつになっても取り立てられないので、しびれを切らして逃げるところでした!」

 それを聞いて、劉邦はちょっと考えて思い出した。

「ああ、そう言や……戦略が優秀だとか推挙されてたな。

 でもよ、今必要なのはそういう奴じゃねえだろ?今はもっとこう、内政で国を豊かにできる奴を重用してさ……。

 戦ができる奴は戦をする時になったらむぐっ!?」

 突然蕭何が、劉邦の口をふさいだ。

「そういう考えだから、天下の逸材を逃がすのです!

 一度去られたら、再び自軍に戻すのは困難ですぞ。

 それに、戦を起こすのがもっとずっと先とは限りません。それこそ、我々の視野が狭くなっていたのです。

 韓信は、すぐに打って出て勝てる策を持っておりました」

 その一言で、劉邦の目の色が変わった。

 すぐに打って出て勝てる策……そんなものがあるなら、自分たちはこれから長く辛酸をなめずに済む。

 いつ中原が人食い死体に覆われるかと不安に苛まれる日々が減る。

 それでも今の力ではどうしようもないからと、諦めて戦いに関することそのものを見ないようにしていたが……。

 その夢のような策を持っている者がいるとは。

「なあ、ほ、本当なのか……?

 そいつの策に従えば、俺たちは……」

「ええ、殿もお聞きになりたいでしょう。

 彼もずっと、聞いて欲しくてうずうずしておりました。連れも戻すなら何が何でも聞いてもらうと、今ここについて来ております」

 蕭何が後ろに声をかけると、どこにでもいそうな男が出て来て頭を下げた。

「韓信と申します。

 殿にはこれまで某の話を聞いてもらえませんでしたが、殿がお望みとあらば納得のいくまでいくらでも語りましょうぞ!

 そして我が策を採ってくだされば、殿の勝利は間違いありません!」

 わくわくして耳を傾ける劉邦に、その無名の男はとうとうと語り始めた。


 しばらくして話が終わると、劉邦はぶったまげた顔で天を仰いで呟いた。

「すっげぇ……聞けば聞くほど、その通りじゃねえか!

 でも俺も蕭何も、そんな方向にゃ考えたこともなくてさ……こりゃ他に誰も思いつかねーわ。中原で待ち構えてる奴らも、誰も予想できねーわ」

 劉邦はうんうんとうなずき、ビシッと韓信を指差して言った。

「決めた、おまえを大将軍にする!

 全軍預けるから、思うようにやっちまえ!!」

 しかし、そう言われた韓信はわずかに失望したような顔になった。

 それに気づいた蕭何が、すぐ劉邦に耳打ちしてたしなめる。

「殿はそうやって人を無礼に扱うのが悪いところです。大将軍などという官職に任命するなら、ふさわしい形式を整えて誠意を示しませんと。

 ここでへそを曲げられて逃げられたら、どうなるとお思いですか!?」

 そう言われて、劉邦は面白い程青くなった。せっかく天下をひっくり返す策を手に入れたのに、また逃げられたら水の泡である。

 何としても、この男には味方でいてもらわねば。

「……分かった、出陣前の景気づけに、盛大に任命式やるぜ。

 儀式はおまえに任せた、頼むぜ蕭何!」

「は、御意に!」

 劉邦は気前よく位を与え、蕭何は韓信の策に報いるように形式を整える。そして樊噲には、韓信の作る戦場で存分に武を振るってもらう。

 やり方が分かったなら、後はそれぞれの得意を合わせて進むのみ。


 話が済むと、韓信は満足したように蕭何に言った。

「いやあ、なかなか取り立ててもらえぬのでどうかと思っておりましたが、話せるお方ではありませんか。

 人の話を聞かない項王とは雲泥の差です!

 それに……世界を救うとは、素晴らしい志をお持ちでいらっしゃる。

 このお方なら、暴虐なき平和な世を本当に作れるかもしれませんな」

 それを聞いて、劉邦と蕭何はぎくりとして顔を見合わせた。

 さっき劉邦がポロリとこぼした世界を救うという言葉を、韓信はしっかり聞いていた。今は一般的な意味に解釈しているが……。

 韓信が去ると、劉邦は蕭何にささやいた。

「どうする?人食い死体のこととか……あいつにも教えるべきか?」

「いえ、今はやめておきましょう。

 先ほどのやりとりで分かったように、あの男は自尊心が強く忠義を上回るところがあります。例の研究と病毒の知識を与えれば、どう転ぶか分かりません。

 勘違いさせたまま、人同士の戦いとして使っていきましょう」

 欠かせぬ人材ではあるが、真の目的を教えるには少々不安がある。

 だが、これからは韓信も仲間として共に走り出すのだ。なぜならこれから待っているのは、紛う事なき人と人の戦なのだから。

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