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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十四章 分かたれた世界
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(216)

 秦が滅ぶということは、統一国家がなくなるということ。

 それでも劉邦は関中王になる約束を信じ、それを足掛かりに天下統一の希望を持ちますが……どうなったかは史実通り。

 項羽たちが汚い。


 そして人食いの病毒は、なくなる訳ではなく……。

 秦が滅んでからも、劉邦と項羽はしばらく咸陽に留まっていた。

 なぜなら、誰がどこを治める王になるかまだ決まっていないからだ。それぞれの戦功によって領土が決まるまでは、行く当てもない。

 中華全土を支配していた秦はなくなり、天下はいくつもの国に分けられてそれぞれに王が立てられることになる。

 秦により統一された中華は、今再びバラバラになろうとしていた。


 劉邦は、その決定が知らされるのを首を長くして待っていた。

 仕事の合間に子嬰の墓に手を合わせ、祈るように呟く。

「ごめんな、守ってやれなくて……。

 でも安心してくれよ。俺がここの王になればここの民にひどい思いはさせねえから!そんで、豊かで守りの堅いこっからなら、きっと天下も狙える。

 そしたら、いつかきっと全土を守れるようになるから……!」

 劉邦は今、おおっぴらにここの支配者として動くことができない。

 そんな事をしたら、項羽に殺されてしまう。

 おかげで、項羽の軍師である范増が人食いの病毒を持ち出すのを止められなかった。

 范増は根本的な解決にはやはり治療薬が必要であると主張し、自らの手元でごく小規模ながら実験を続けると言い出した。

 そして人食いの病毒を地下から持ち出し、そのくせ地下の実験施設は破壊してしまったのだ。

 劉邦たちに研究を続けさせぬ、ただそのために。

「こんな危険なものは、天下の頂点に立つ者のみが管理しておればよい。

 どう使うかも分からぬ有象無象になど、任せておけぬわ!」

 范増の言い分にも、一理ある。

 この危険すぎる代物の悪用を防ぐためには、持つ者を限るのが何よりだ。これから天下に多くの王が立ち乱世を予感させる中、これは重要だ。

 そのうえ、項羽軍には一度広がりかけた病を絶やした実績がある。だからたとえ事故が起こっても、他の陣営よりは安全だろう。

 何より、知識を引き継いでいくのに実物を保存しておくのは重要だ。

 今全てを消し去ってしまっては、知識すらおとぎ話となって埋もれてしまう。信じる者がいなくなれば、世界は守れない。

 項羽は人食い死体を恐れぬゆえに、それを許した。

「そうだな、治療薬ができれば俺や部下たちの手を煩わされずに済む。

 亜父がそれをやってくれるなら、言うことはない」

 項羽にとって人食い死体は、簡単に倒せるが出ると面倒くさいものという認識だ。

 むしろもし事故が起こった時に自分が真っ先に対処できるように、いつも側にいる范増にやらせておくという考えだ。

 項羽が范増の頭を、范増が項羽の強さを信頼し合っているからこそできることだ。

 だが、劉邦たちは嫌な予感を拭えなかった。

 項羽は確かに、今そこに見える人食い死体や発症者には断固とした対処をするだろう。しかし、目に見えない発症前の者が逃げて広げる対策ができるのか。

 それに項羽は、人情に振り回されるところがある。もし自分が深く情を注ぐ一族や范増が感染した時、正しい対処ができるのか。

 これには、項伯や黥布も不安を覚えていた。

 だが、項羽と范増が決めたことに口を挟むことはできない。

 覆せるとしたら、項羽と同等の立場で立ち向かえる別の強い王だ。

 劉邦は、自分がそうなれる日を信じて待っていた。

(大丈夫だ、きっと俺は関中の王になれる!そしたら項羽だって無視できねえ!

 何たって、先に咸陽に入った方が関中王って戦う前からの約束だもんな。いくら項羽でも、楚の王様との約束なら破れねえだろ)

 そう、項羽が一番偉い訳ではない。

 劉邦も項羽も、復興した楚の王に仕える立場なのだ。

 しかも項羽の叔父の項梁が立てた王だから、項羽としてもないがしろにする訳にはいくまい。

 この王が反秦の旗振り役として諸侯に号令をかけているのだから、この王の命令に逆らえば他の諸侯が黙っていまい。

 だから、ただ実績を信じて待っていれば関中王にはなれるはず。

 自分が何かするのはそれからだと、劉邦はじっと息を潜めて大人しくしていた。


 ……と、そんな思惑に項羽が気づかぬ訳がない。

 項羽は何とかして、劉邦を関中王にさせぬよう画策していた。というより、范増がそうしろとしつこく進言したのだ。

 項羽としては、劉邦のような小者は恐るるに足りぬと思っていたが、自分より民に愛される者が大きな力を持つのは面白くない。

 だから、何とか劉邦を辺境に追いやろうとしていたが……。

 楚王からの指示が届いた時、項羽の額に青筋が立った。

「ぬううっ……これは!」

 開かれた書状には一言、こう書かれていた。

<約定の通りにせよ>

 つまり、戦の前に定めた約束をきちんと守れということ。劉邦を戦功に従い、関中の王にせよと言ってきたのだ。

 項羽は、思わず奥歯をぎりぎりと噛みしめて低く呟く。

「おのれ、あんな卑怯な奴を認めろだと!?

 誰のおかげで王になれたと思っている!!」

 この一言が、項羽の楚王に対する正直な気持ちである。

 項羽は、楚王に形としての価値しか見ていなかった。操り人形として天下をいいように動かすための、道具でしかなかった。

 自分に従わぬ王など、クソ以下の価値しかない。項羽の中に、楚王を主として敬う気など欠片もない。

 だって、実際に一番戦って秦を潰したのは自分なのだ。

 自軍が一番敵を殺したし、死線をくぐり抜けてきた。

 だから、自分が一番偉い。

 それにひきかえ楚王など、落ちぶれて羊飼いになっていたのを見つけてきて血筋だけで玉座につけてやっただけじゃないか。

 むしろその恩と戦功に報いて、自分にいいように取り計らって当然だ。

 項羽は身勝手にも、そこまで楚王を軽んじて憤っていた。

 もっとも楚王の方も項羽のそういう気質に気づいたからこそ、項羽に力を集中させないようにこう言ってきたのかもしれないが。

 項羽はすぐさま頭に血が上り、楚王に殺意すら覚えた。

「戦も苦労も知らぬガキが……もう秦も滅んだし用済みだ。

 俺の言うことを聞かぬなら、攻め滅ぼしてやろうか……」

 しかし、范増がそれを止める。

「早まるな!!今そんなことをすれば天下から袋叩きになるわ!

 確かに目障りになってきたが、除くのは戦後処理が終わって天下を安定させてからでも遅くはなかろう。

 今はとにかく、恩賞と領土を定めてあやつの役目を終わらせよ」

 范増も、天下を治めるべきは項羽だと思っていて楚王にはこの態度である。他の者も項羽を恐れて、誰も諫めることができない。

 そんな中、范増は項羽のために一計を案じた。

「安心せい、楚王様も生意気だが詰めが甘いわい。

 劉邦には関中を与えると言っただけで、関中のどことは決めておらんのじゃろ。ならばこの辺りを、こうしてだな……」

 范増が地図を開いて語った策に、項羽は手を叩いて喜んだ。

「なるほど、さすが亜父!

 確かにこれなら、約束を違えたことになるまい!素晴らしいぞ!!」

 劉邦の望む未来を消し去ろうと、項羽たちは劉邦の戦いよりずっと卑怯な手を打つ。そこまでのことを、劉邦が予測できるはずもなかった。


 ついに待ちに待った発表の日、項羽は咸陽に並ぶ諸将の前で大声を張り上げた。

「皆の者、此度の戦いはご苦労であった!

 皆のおかげで悪逆極まりない秦を滅ぼし、天下の民を安んじることができた。その動きは、天下の民が知るところである。

 それに報いるため、これより皆に恩賞を下す!」

 項羽は堂々と胸を張り、まず自分のことを発表した。

「まず、俺は秦軍の主力を破り秦王家の血を絶やした功で、これより西楚の覇王となる!俺の領土は楚の西部。

 それに伴い、現在の楚王様は義帝として帝位に就かれ、領土もふさわしい場所にお移りいただく」

 それを聞いて、劉邦は内心ホッとした。

(あ、自分がここの王になるんじゃねえのな。良かった~!

 それに楚王様を帝にするって、ちゃんと立ててくれてんじゃねえか。

 これなら、約束も……)

 だが劉邦の番になって項羽の口から放たれたのは、とんでもない沙汰であった。

「劉邦は咸陽に一番乗りして秦王を捕らえた功で、漢中と蜀の王とする。約束通りの沙汰ではないか、良かったな!」

「……え?」

 劉邦は一瞬、聞き間違いかと思った。

 しかし自分に与えられたのは確かに漢中……関中ではなくてだ。

 いや、漢中と蜀も函谷関より西なので関中に含まれはするが……あそこは山奥の果てのど田舎、ほとんど人が住んでいない未開の地だ。

 劉邦に与えられたのは、関中の中でもとびきりひどい僻地だった。

 それでも一応関中なので、約束が破られた訳ではないのだが。

 呆然とする劉邦に追い打ちをかけるように、項羽は言う。

「旧秦の中心は、我らに降伏してくれた章邯、司馬欣、董翳をそれぞれ王として三つに分ける。おのおの、慣れた地で暮らすがいい」

 その配置に、劉邦は内心毒づいた。

(ええ~!そんな奴ら置かれたら、俺が東に出られんだろ!元秦軍最強の奴らが地元で待ち構えてるとか、勝てる気がしねえ。

 あー神様、どうすりゃいいんだよ~!!)

 劉邦は過酷な運命を嘆いたが、どうにもならない。

 劉邦が関中王として旧秦の地を押さえそこから天下を取るという目論見は、その前程から打ち砕かれた。

 それでもこの場で項羽に逆らうことはできず、劉邦はきっといい日が来ると思って辺境の地を受け取るしかなかった。

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