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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十三章 暗雲
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(212)

 中国史マニアならみなさんご存知、鴻門の会への道です。


 劉邦軍を助けようとするのは、項伯だけでなく項羽たちに危機を伝えた研究員もいました。彼は函谷関の内に残された物を見て、劉邦の本意を項伯に示します。

 そして、研究員と石生の再開も。


 命的な意味でタイムリミットが迫ってきた子嬰様のために、ニコニコ動画に歌ってみたを上げてしまったよ!「子嬰のタイムリミット」マニアックな人物のうえクオリティは残念ですが、興味がありましたらどうぞ!

 慌ただしく咸陽攻略に動き始めた項羽軍の中で、別の意味で慌てている者がいた。

「あああ、これはいかん!

 このままでは張良まで殺されてしまう!」

 劉邦軍の軍師張良の身を案じて慌てているのは、項羽の叔父である項伯だった。項伯は昔張良の世話になったことがあり、二人は親しい間柄なのだ。

 しかし、今や張良は劉邦軍の首脳部である。

 このまま怒りに任せて攻め込んだ項羽は、劉邦軍ももちろん皆殺しで考えていて、いざ戦が始まれば張良を許しはしないだろう。

 それでは、張良があまりにかわいそうだ。

「た、助けに行かねば……張良だけでも!」

 居ても立ってもいられず、項伯は厩に走ろうとした。

 だが、そこにもう一人駆け込んでくる者がいる。

「お願いでございます、お助けください!!」

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして転がり込んできたのは、項羽軍に病毒の危機を知らせてくれた研究員の男だった。

 研究員は、震える手で項伯に一束の草を差し出した。

「こ、これを……見てください!

 落とした函谷関の内側に、たくさん馬車に積まれていました!」

「それは……楚ではありふれた染料の草だが?」

「これが、人食いの病の検査薬になるのです!!

 この地にこの草は自生していません。でもこれが函谷関の内側に大量にあったということは、劉邦軍は本当に我々を検査するつもりで置いたのです!!」

 項伯は、はっとした。

 劉邦軍は函谷関を閉じたのを、病毒を持つ者がいないか検査するためだと言った。

 しかし項羽は馬鹿にされたと思って憤り、劉邦軍の将の密告もあってそんなのは野心のための建前だと信じ込んでいるが……。

 劉邦軍の目的は、本当に検査をすることだった。

 そうでなければ、検査のための薬草がそこにある訳がない。

 研究員は、涙ながらに項伯にすがりついて訴える。

「劉邦軍がこれを用意したということは、あちらも咸陽に入って人食いの病のことを知ったのでしょう。

 咸陽の実験施設には、私の仲間とそれを束ねる石生様がいます。

 この量の仙黄草を持ち出すには、あの方の許可がなければ……あの方は趙高を盲信していましたが、今の行動を見る限り除かれたか目が覚めたのでしょう。

 石生様は人食いの病に最も詳しい方、あの方が劉邦殿に封鎖を指示したのではと……」

 そこで、研究員の言葉に怒りがこもった。

「私は、それを項羽様や范増様に申し上げたのに!聞いて、もらえぬのです!!

 項羽様は、天下を知らぬ者は黙っておれと。范増様は、おまえがいて資料が残っておればいいの一点張りで!

 何なのですかこれは!!

 今は病毒を前に手を取り合わねばならぬし、劉邦殿はそうしようとしていたのに……こんなひどい事を許されるおつもりですか!!」

 研究員は、人目もはばからずに大声をあげて泣いた。

 項伯は、返す言葉もなかった。

 本当に劉邦が野心で函谷関を閉じたなら、項羽の行動も一応筋は通る。

 しかし、危機を知って対処に手を尽くそうとした物を私情で叩き潰すのは、人としてどうだろうか。

 そんな事をすれば、この世に義理も人情も報恩もなくなってしまう。良いことをしようとした者が報われぬ、力こそ全ての地獄になってしまう。

 自分だって、世話になった張良に恩を仇で返すような真似をしたくない。

 項伯は、意を決して研究員の手を取った。

「共に行こう、劉邦の陣へ。

 劉邦にこのことを知らせて恩に報い、何としてもこの戦いをやめさせるのだ!!」

 項伯と研究員は、すぐに世闇に紛れて項羽の陣を飛び出した。もはや一刻の猶予もない、とにかく早く恩人に知らせねば。

 それは項伯の張良への義理であり、天下そのものを救おうとしている劉邦への報恩であった。


 二人はすぐに、劉邦の下へ通された。

 二人の話を聞くと、劉邦は驚いて腰を抜かした。

「はあああ!?んな事になってんのかよ!

 どどどどーすんだ!何でいい事しようとして殺されにゃならん!?

 どうにかしてくれよ、張良―っ!!」

 劉邦は、半狂乱になって張良にすがりついた。攻められたと聞いて謝るつもりではいたが、それすら聞いてもらえぬ程の事態とは。

 周りにいる蕭何と石生、子嬰も唖然としている。

「そんな……味方が保身のために密告を!」

「情報を統制したのが裏目に出ましたか。といってもこの病のことを明け透けに広めたら、それこそ収拾がつかなくなりそうですし……」

「ああ、よほど閉ざされた環境でない限り、知らぬ者を思い通りに動かすのは無理だからな。

 まして命の危機が迫れば、人はあらぬ行動に出るものだ」

 皆、起こってしまったことは仕方ないという感じだ。今さら密告した曹無傷をいくら責めても、もっといい方法はなかったのかと考えても、危機は変わらない。

 そんなことより、今はこの危機をどうにかする方に力を注がなくては。

 張良は、キッと険しい目で項伯をにらんで言う。

「こうして知らせに来てくれたこと、誠に嬉しく思います。

 しかしあなた、目上でありながら項羽を止められませんでしたね?

 あなたがしっかり道理を説いて抑えていればこうはならなかったものを……その分の責任を果たすおつもりはありましょうな?」

 その言い方に、項伯は縮こまった。

「ううん、それは……重々承知しているが……。

 しかし項羽は本当に激しやすい奴でな、そのうえ強いもんだから進言するのも命懸けなのだ。だから、私にできることは……」

「で、何をしてくださるのです!?」

 項伯の弱音など意に介さず、張良が迫る。

「もしこのまま我々が揃って滅ぼされたら、まだ世のどこかにあるかもしれぬ病毒に適切に対処できる者がいなくなります。

 あなたは、目に見えぬ脅威にそんな私情で対処する項羽が、病を相手にできるとお思いで?

 それだけの事態を招いたのだから、責任ある行動をとりなさい!!」

 張良にきつく言われて、項伯はまた縮こまる。

「面目ない、この通りだ……何とか私からとりなして、直接謝罪する場を設けよう。

 その間、劉邦殿が殺されぬようこの身を張って守るから……」

「その命に代えても、ではなくて!?」

「うひいいぃすまん!!か、必ず守るから……!」

 こうして、すぐに劉邦が直接項羽の陣を訪れて謝罪することが決まった。劉邦たちの命は、その善意の行動をどう謝るかにかかっていた。


 劉邦たちと項伯が話を進めている間に、その場でもう一つの謝罪があった。

「おまえたちの抱いた疑念を無視して、本当に申し訳ありませんでした。

 私が少しでも趙高の本性を知る努力をしていれば、おまえたちにこんな苦労を掛けることはなかったのに。

 本当に、私が頑迷で申し訳ありませんでした!」

 石生が床に手をついて、帰ってきた研究員に謝罪する。

 趙高が地上で病毒を使うために研究員を連れて行った時も、石生はそれが本当に趙高のせいだと信じなかった。

 そのせいで先に行った研究員が行方不明になり、次に行った研究員が事故死したと知らされても、調べようともしなかった。

 結果、どうなったか……。

「正直に言ってください。

 どんな悪い結果であっても、俺には受け取る覚悟があります!」

 研究員に迫られ、石生は悲痛な顔で重い口を開く。

「趙高が死んでから調べたことだが……おまえの家族は殺され、財産は没収されていました。私は、離縁したという説明を真に受けて……。

 おまえの次に行った仲間は、直前で敵陣に走らぬよう現場近くで殺すように指示が出ていました。やはり家族は殺され、財産は没収。

 私は……仲間がこんなになっていても、目をそらして……!」

 石生の膝の上で握りしめた拳は、ぶるぶると震えていた。その上に、大粒の涙がぽたぽたと降りかかる。

 仲間思いだとうぬぼれていた石生にとって、悔やんでも悔やみきれない惨事。

 いくら謝っても、もう取り返しはつかない。

 想定はしていたものの最悪の報告に、研究員の額に筋が立った。

「あなたが少しでも疑問を持ちさえすれば、防げたはず。

 なのにあなたは世界の危機を前に、俺を頼みにするしかなくて……俺一人に病を絶やすため二十万も埋められるところを見せつけて……!

 あげく帰還した俺に、どうしろというのです?」

 当てつけるような、恨みのこもった問。

 しかし石生はすっと顔を上げ、涙を流しながらも上司の顔で言った。

「劉邦様が謝罪するその時、私と共にその天幕の側に控えなさい。

 どうしても劉邦様が殺されそうだったら、私は昏倒の毒を使ってその場の全員を無力化します。

 もしそうなったら、すぐ劉邦様と共に逃げて、劉邦様たちの手当をお願いします。私は最悪、項羽を道連れに逝きますよ。

 その後は、あなたが研究員をまとめて世を守りなさい!」

 石生は、劉邦のために捨て身の保険になろうとした。

 目を覚まして善いことをしようとする自分の提案を何でも聞いて、全軍を動かして協力してくれた劉邦。これほどありがたい人はいない。

 そんな者を死なせるくらいなら、自分が最後の凶器になると。

 しかしそんな石生と研究員に、子嬰が声をかける。

「そのような自己犠牲はよせ。潔さと蛮勇は違う。

 おまえたちには、もう一人も死んでほしくない。おまえたちには、これからも生きて世を守ってもらわねばならぬ。

 だから、私と約束してほしい……必ず、生きて帰ってくると」

 子嬰は、切ない顔で言った。

「簡単に死ぬとか言わないでくれ。

 おまえたちは私と違って……事を収めるために死ぬ必要などないのだから」

 子嬰の表情には、一時は去ったはずの諦観の念が浮かんでいた。子嬰は、これから自分に訪れる逃れられない運命を理解していた。

 それでも使命を果たそうとするこの潔い王に、石生と研究員は平伏した。


 ここから先は、いかに世を守る人を守るかの戦いだった。

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