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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十三章 暗雲
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(211)

 秦を滅ぼしたから戦は終わった……そう思いたかったがそうはいかなかった。

 劉邦と項羽、二人のすれ違いから劉邦たちに危機が訪れます。鴻門の会をゾンビ的な事情で描くとこうなる。


 ちょい役ですが、また新しい人が出てきます。

 曹無傷ソウムショウ:劉邦の配下だが、項羽に劉邦の野心を訴えて鴻門の会の引き金を引いた。

「攻めよ、このまま押し崩せ!!」

 函谷関に、項羽の怒号が響く。

 その雷のような声に配下たちは奮い立ち、一気呵成に攻め立てる。逆に関を守っている兵士たちは、鬼を見たように腰を抜かして逃げてしまう。

 現に、項羽は怒りで鬼のような形相になっていた。

「許さんぞ劉邦め……ここまで戦い抜いて来た俺を、コケにしおって!!」

 項羽は、火を吐くような怒りを込めて呟く。

 項羽が章邯たち秦の主力を破ってここまで進軍してくると、函谷関は封鎖されていた。しかも、城壁に翻るのは秦ではなく劉邦の旗。

 なんと先に武関から入った劉邦軍が咸陽を制圧し、秦を既に滅ぼしたというのだ。

 そのうえ、劉邦からの使者は項羽に、これ以上進軍せず関の外で待つように伝えてきた。

「秦は既に滅びましたので、これ以上の進軍は必要ありません。

 秦の宮殿にある財宝などにつきましても、きちんと封印して待っております。各諸侯への恩賞の配分が決まるまでお待ちください。

 また、貴公の軍に質の悪い病がないか検査するまで、関を越えることはできません。

 ああ、もし食糧が不安でしたら、こちらから援助いたしましょうか……」

 劉邦軍からの申し出は、至極まっとうなものであった。

 しかし、項羽はこれに激怒した。

「何だと、ここまで必死で戦い抜いて来たのに、入れぬとは何事だ!!

 その病の件は俺も知っておる、それを絶やすために降伏兵どもを埋めたのだからな。そこまでして、俺はきちんと病を絶やした!

 それを、検査だと?ここにいる全員を調べるまでに、どれだけかかる!?

 そんなに長い間、略奪もできんところに置かれたら全軍が飢えて当然だ。そんな仕打ちをしておいて、言うに事欠いて援助だとぉ……!!」

 項羽は、戦功第一は間違いなく秦の主力と戦い続けた自分だと思っていた。

 先に咸陽に入って関中の王位を得るのも、自分だと思っていた。

 なのにろくに戦いもしなかった劉邦に先に我が物顔で咸陽に入られて、功績をかすめ取られたようで面白くなかった。

 そのうえ、項羽は降伏してきた章邯たちの苦労をねぎらい、それに報いるために章邯たちに関中を治めさせると約束している。

 劉邦が関中王になったら、その約束が果たせなくなる。

 項羽は王との約束より、自分の感情と都合を優先する男であった。

 病についても、自分としてはしっかり徹底的に対処したのに、それを疑われるのが癪に障る。自分が無知の徒か何かみたいではないか。

 きちんと自軍の病は絶やしたのに、なぜ劉邦などにとやかく言われねばならないのか。あいつは病を実際に送られた訳でもなく、苦労も知らないくせに。

 自尊心が強すぎる項羽にとって、自分を否定されたようで我慢ならなかった。

 食料と秦の財宝だってそうだ。この時代、攻め入った軍が現地で略奪して食糧も財宝も奪いつくすのはよくあること。

 しかも秦はこれまで天下から重税を搾り取ってきたのだから、征服し返したらお返しするのは当たり前ではないか。

 秦を叩き潰してそうしてやろうと恨みを燃やしてきたのに、それができないなんて。

 食料もそうやって手に入れることを想定していたため、略奪できなければ足りなくなるのは火を見るより明らかだ。

 それを封じて援助を申し出た劉邦が、とてつもなく物を知らない上から目線に思えた。

「ぐぬぬ……卑怯な手で咸陽を手に入れたくせに、もう王気取りか!

 そんな奴の言うことなど聞いてたまるか、力ずくで打ち破ってしまえ!!」

 項羽は怒りに任せて、函谷関を攻め始めてしまった。

 そのうえ、項羽の軍師である范増も言った。

「劉邦は自堕落で女好きと聞いておるのに、財宝も女も手をつけておらんとは……これは危険じゃ。大きな野望を持っておるに違いない。

 おまえが天下を取りたければ、すぐに殺しておくべきじゃ。

 幸い、劉邦がこのような態度なら攻めても筋は通ろう」

 范増は、劉邦が秦の人々の心を掴んでいることを危険視したのだ。

 旧秦の地は豊かで、戦乱に巻き込まれた他の地よりはるかに人口が多く産業も破壊されていない。ここを押さえた者が、かつての秦のように天下を取ることは十分可能だ。

 范増はこの後に続く戦乱のことを考え、劉邦がそうなるのを恐れた。

 そのうえ、劉邦は民に人気がある。天下を巡って争ううえで、民の人気は侮りがたいものがある。

 ならば、力を持つ前に殺してしまえばいい。

 そういう理由で、項羽軍は味方のはずの劉邦軍に襲い掛かった。

 慌てたのは劉邦軍である。

 劉邦軍は秦を滅ぼし、もう戦は終わったものと気が緩んでいた。そこをいきなり攻められたら、たまらない。

 おまけに項羽軍は40万、劉邦軍はそれよりはるかに少なかった。

 不意を突かれた劉邦軍は、総崩れになってあっという間に敗走した。

「よし、この調子で咸陽まで突き進むぞ!

 憎き秦の民とそれをかばう劉邦に、思い知らせてやれ!!」

 こうして、怒れる項羽の進軍が始まった。


 その報告は、すぐに早馬で劉邦に届けられた。思ってもみなかった攻撃に、劉邦たちは胆を潰した。

「はあああ何だそれ!?

 こっちは守るために善意でやってんのに、台無しにしやがって!!」

 劉邦は顎が外れそうなほど驚き、叫んだ。

 劉邦たちは別に、項羽軍をいじめようとか陥れようとか思ってやった訳ではない。なのに、こんなひどい事になろうとは。

「何ということを……これでは検査ができないではありませんか!

 目に見えない脅威を何だと思っているんですか!!」

 大急ぎで検査体制を整えていた石生も、叫ぶ。

 阿房宮前の広場には、ありったけの仙黄草を積んだ馬車が並んでいた。こっちは少しでも早く検査できるように全力を尽くしているのに、向こうがそれをひっくり返すとは。

 蕭何が、頭を抱えて言う。

「やれやれ、項羽は短気で人の話に耳を貸さぬというが、ここまでとは。

 これはもう病うんぬん以前に、ここにいる全員の危機です。このまま項羽に突っ込まれたら、下手をすれば我らは皆殺しですよ!」

「知っているぞ……項羽は落とした城の民まで虐殺を繰り返していたそうだな。

 このままでは、せっかく助かった秦の民も……」

 子嬰も、青ざめた顔で呟く。

 このままでは、せっかく罪のない者たちが犠牲にならずに戦が終わったと思ったのに、結局踏みつぶされてしまう。

 それは、子嬰も劉邦も望まぬことであった。

「ああーもう、どうすんだよ!

 あんなのとまともに戦って、勝ち目なんてねえよ!

 つか、何で戦わなきゃならねえ!?楚王様との約束はどうなったんだよ!?何でこんな所で、味方に殺されなきゃならねえんだー!!」

 うろたえて喚き散らす劉邦に、張良が進言する。

「突破されてしまったものは、もう仕方がありません。

 伝令によると、項羽軍は病を絶やしたと言っております。病のことを知っているということは、それなりの対応をして対策を取っているでしょう。

 ここはひとまずそれを信じ、迎え入れて和解するしかありません!

 さもなくば、けた違いの人数が意味もなく殺されますぞ!」

 石生も、苦い顔でうなずいた。

「そうか……あちらも病のことを知っていたか。

 となると、趙高の作戦があちらに漏れて、あちらはそれを信じたということ。あちらに、行方不明になっている仲間の研究員がいるかもしれません。

 そのうえで病を絶やしたというなら……まあ信じてもいいでしょう。

 病に対する絶対安全にこだわって、皆殺しになっては本末転倒ですし」

 そう、どこかから作戦が漏れなければ項羽たちは人食いの病毒のことを知らないはずだ。それを知っていたということに、石生は希望を見た。

 張良は、劉邦を安心させるように言う。

「項羽とて秦を討ち世を救う志は同じです、ここは下手に出てじっくり話しましょう。

 そうして誤解を解いて矛を収めていただくより、他はありません」

「うへえ……何も悪いことしてないのに謝んのかよ。

 まあ、しゃーねえか。それで俺含む大勢の命が救えるなら、頭ぐらいいくらでも下げてやるよ。

 そんじゃおまえら、項羽に説明する内容まとめて資料用意しといてくれよ~」

 そうして、劉邦たちは項羽と和解する準備を始めた。


 ……この時はまだ、軽く和解して終われると思っていたのだ。

 しかし、事情を知らぬ者の邪推により事態は思わぬ方向に動き出す。


 函谷関を破って項羽軍が押し寄せてくるという情報は、前線に近いところにいた劉邦軍を震撼させた。

 項羽の武名と降伏した者でも容赦なく殺すという残虐ぶりは知っていたので、進路上にいる劉邦軍の将兵たちは生きた心地がしなかった。

 曹無傷という男も、その一人だった。

「何を考えてるんだ、うちの大将は!?

 勝算もないくせに、野心で函谷関を閉じやがって!!

 そのうえ謝るから戦わずに降伏しろだと!?それで俺たちが助かる保証なんてねえ!俺たちは、てめえの野心に付き合って死ぬために生きてるんじゃねえ!!」

 前線にいる将兵たちは、人食いの病という事情を知らない。知られること自体が危険すぎるため、劉邦軍も項羽軍も中枢のほんの一部しか知らない。

 それが、裏目に出た。

 事情を知らない曹無傷は、本当に劉邦が野心のために函谷関を閉じたと思い込んでしまった。

「くっそぉ……てめえがその気なら、俺にだって考えがあるぞ!

 どうせ勝ち目がねえなら、先に項羽にてめえの野心を密告してやる!そうすりゃ俺は殺されねえ!死んでたまるか!」

 曹無傷は自分が助かりたい一心で、項羽の下に走り劉邦のありもしない野心を訴えて身の安全を図った。

 それがまた、項羽の怒りの炎に油を注ぐ。

 誰が悪意を持っていた訳でもない、しかし燃え盛る炎はもう止められない。

「劉邦め、やはりそれが本性だったか!

 このうえは、あいつらごと殺し尽くして焼き滅ぼしてやるぞ!!」

 項羽は額に山脈のような筋を立てて吼えた。かくして誤解によりこじれにこじれた断罪の刃が、劉邦たちに振り下ろされようとしていた。

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