(204)
ストックがない!仕事復帰して時間もない!
でも何とか書けた!!
現状を把握できない中、趙高の後始末のために力を合わせる石生と子嬰。
そんな中、石生の恨み言から彼の本性が露わになります。研究熱心で優れた能力を持ち、しかし途中からマッドサイエンティストめいた危うさを漂わせていた石生。
彼が無実の罪で驪山陵に来たのを、覚えていますか?
本人がいいことをやっているつもりでも、周りが冷静に見るとそうでないことってありますよね。
(もう一本の小説で明日刺される、明治時代の工場のお嬢様の場合を思い出そう!)
それから、石生と古参の研究員たちは趙高が病毒を使った記録を調べ、世に与える影響を確認していった。
「監獄の件はしっかり後始末がされている、こちらは問題なさそうだな」
「ですね……もっとも、反乱軍の将を病毒と延命薬で従わせる作戦が実行されていれば、手がつけられなくなっていたでしょうが」
「ああ、それをやられたら函谷関より東は死体で埋め尽くされていた。
趙高の誘惑に応じなかった反乱軍の将たちには、感謝するばかりだ」
趙高の作戦記録を調べる中で、今の秦が末期状態にあることも知った。
趙高と胡亥の苛政により民の不満は限界を超え、今や旧秦の地以外はほぼ反乱軍の手に落ちてしまった。
押し返そうにも、それができる有能な将がいない。心ある者はほとんど趙高に殺されてしまったから。
唯一反乱軍相手に善戦している章邯たちには、手厚い支援とは真逆の病毒を使った恐ろしい作戦が行われていた。
「差し当って今最も危険なのは、こちらか」
石生は、その作戦内容を見てひどく眉をひそめた。
「病毒を地上で使うだけでは飽き足らず、わざわざ感染が広がりやすい戦場に持ち込むとは……言語道断だ!
趙高がいかに天下の人々を何とも思っていなかったか、よく分かる!」
「全くです……その作戦に付き添わされた仲間も、老兵たちに病毒を仕込む直前に殺されてしまったそうです。
結局我々も、都合のいい駒にすぎなかったのですね」
古参の研究員も、そう言って目頭を押さえた。
自分たちには価値がある、大丈夫だと思っていたのに……趙高はそう思っていなかった。
自分たちがどんなに情熱をもって崇高な研究をしていようが、所詮は自分のために利用できる都合のいいものでしかなかった。
それに気づかなかったことが、どこまでも悔しかった。
しかし、今は感傷に浸っている場合ではない。
「とにかく、感染を防ぐことが急務だ。
もしこの作戦が成功していれば、感染は爆発的に広まる。
陛下、楚軍の様子は……?」
「ああ、趙高を討ってすぐ楚軍に斥候を走らせた。今は報告待ちだが……楚軍が大きく崩れたという報告はない」
子嬰の答えに、石生はヒリヒリする火傷のような焦りを覚えた。
子嬰は限られた時と人手の中で、よくやってくれている方だ。もどかしいが、盲目的に従っていた自分に責める資格はない。
「その、おまえたちに手紙を出して姿を消したもう一人の同僚も、見つかると良いな。
すまぬが、私も探り始めたばかりでな……とにかく今は情報を待つしかない」
「いいえ、陛下が謝ることはございません。
こんなになるまで気づかなかった、私の不明もございます」
子嬰と石生は、お互い励まし合うように謝り合った。
今自分たちがどれほど後悔しようと、もう作戦は実行されてしまったのだ。このうえは、できる事をできる限りやるしかない。
二人はそれぞれの胸にあふれんばかりの後悔を抱えながら、目の前の仕事をこなすしかなかった。
現状がどうなっているかも分からぬ目が回るような忙しさの中で、苛立ちを募らせた石生は愚痴をこぼす。
「はぁ……趙高様も、結局はずれだったか。
あれほど手厚く支援していただいて、今度こそ素晴らしい主に巡り合えたと思ったのに……またも裏切られるなんて。
なぜ私は、こうも上に恵まれぬのか!」
石生の言葉には、世を恨むような嘆きが詰まっていた。
しかも石生の様子からして、これが初めてではない。これまでに同じようなことがあって、もううんざりしているようだ。
子嬰は、少し休憩も兼ねてその話に付き合ってやった。
「そうか、おまえは何度も上に裏切られたのか」
「ええ、その通りですよ!
最初に私の師匠だった医者は私に無実の罪を着せて追い出し、次に私を見出してくれた徐福様は私を捨てて逃げ、趙高様はこの始末。
皆さま、初めは素晴らしい方だと思って尊敬していたのですが。
私の人生、こんなのばかりですよ!」
石生は、ここぞとばかりに不満をぶちまける。
子嬰はふと気になって、石生に尋ねる。
「おまえが趙高を信じ切って心酔していたのは、地下で初めて接触した時の態度でよく分かったよ。
正直、目を覚まさせられるか自信がなかったほどだ。
しかし、おまえは何故あそこまで趙高を信じたのだ?
いかに情報を与えられていなかったとはいえ、普通それはそれで疑いを抱くであろうに。おまえは欲に目がくらむ下卑た性根でもなかろうに、なぜ?」
その問いに、石生は勢いよく即答する。
「趙高様が、この研究の価値を理解してくれたと思ったからです!
いかに予算がかかろうとすぐに成果が出なかろうと、趙高様は嫌な顔一つせずに支援してくださいました。
これは、並みの人間にできることではありません!
ですが、そうして価値あるものに投資して人をより幸せにすることこそ、上に立つ者のやるべき事だと思うのです。それができる方だから、趙高様は……」
石生は、そう言って己の理想を力説した。
世の中、本当に素晴らしいものは金や人手を多く注ぎ込まねば手に入らぬものだ。それを惜しんでは、人々を幸せにすることはできない。
不老不死の研究は、まさにそうだ。
一朝一夕に成果は出ないが、だからといってやめてしまったらこれまでしてきたことが無駄になってしまう。
そうならないよう莫大な金を物資を注ぎ込んで世を進めるものを作ることこそ、為政者の使命ではないか。
だからそれを果たす趙高は、最高の為政者だと信じた。
「不老不死はこれまで数多の者が求めれども、誰も叶えられなかった至高の幸せ。
徐福様はその手がかりを見出し、趙高様は我々の望みを何でも聞いて支援してくれました。設備でも器具でも薬でも被験者でも、いくらでも」
「なるほど、それであそこまで盲信したか。
では、おまえの師匠というのは?」
そこを聞かれると、石生は見下げ果てた顔で吐き捨てるように言った。
「ああ、金のために病人に苦しみを強い、救う者を選ぶ下種野郎ですよ。
腕は良かったし弟子の面倒見も良かったんですけど、医者に一番必要な仁の心が足りていませんでしたねえ。
私はある時、ほぼ全ての症状を和らげる万能薬を作ったのですが……あの男は金の配分などという理由でそれを否定したのです!」
かつての怒りが蘇ったのか、石生は思いのたけを吐き出すように語った。
自分はかつてその医者の下で、数多の病に効く素晴らしい処方を見つけた。それは貴重な上薬をふんだんに使った高価なものだった。
しかし、医者は病人を救うのが使命だから、金などに囚われるのは良くない。
石生は、これをいつも使えば皆を救えると大喜びした。
だが師匠や先輩たちは、そんな石生を苦々しい目で見て諭した。
どんなにいい薬でも、そんな高価なものをいつも使っていたら自分たちの金がなくなってしまう。そうして薬を買えなくなったら、他の安い薬で助けられる者も助からなくなる。
使える金には限りがあるのだから、それをいかに有効に使って多くの人を助けるかを考えるべきだと。
その説得に、石生は悔しくてたまらなかった。
こんなにいいものなのに、こいつらが金にこだわるせいで自分はこれを使えないのか。
それに、ひどい怒りが湧いてきた。
医者が人を救うのは仁による使命であって、それを金などで制限するのは卑しい。病人の命より自分の儲けが大事だと、見え透いている。
こんな奴らには屈しないと、石生は闘志を燃やした。
そして自分の独断で師匠の薬箱から高価な薬を持ち出し、貧しい病人に処方した。これが正しい医者のやることだと、逆に師匠に見せつける気で。
結果……師匠は自分を破門し、救った病人の一家は自殺した。
「……なぜ?」
自分が破門されたのは、医者になる資格がないと見られたから。おまえは才と宝物をひけらかすばかりで人を思いやれないと、師匠は言った。
病人の一家が自殺したのは、自分たちに使われた薬の値段を知らされたから。それは、一家が死ぬまで働いても払えない額だった。
おまえはいたずらに貧しい者を絶望させたのだと、師匠は言った。
しかし、石生は納得できなかった。
(はああぁ!?それは師匠が金を請求するそぶりを見せたのが悪いんだろうが!
私はただ最良の手段で人を救おうとしただけ、何も悪くない!
金なら師匠はたんまり持っているし、楽をしている金持ちからその分もらえばいいじゃないか。
それをしないでこの薬を否定するなど、怠慢だ!)
石生は腹いせに、長く患っている病人たちに師匠への不信を吹き込んだ。あいつの強欲のせいで、おまえらは治る病を放置されているのだと。
そして、師匠を悪徳医者として訴えようと病人たちを扇動した。
それが成功すれば、自分が師匠の立場を奪って人々により良い治療を施せると。
だが、石生の企には師匠に察知された。
危険を感じた師匠は、石生が二度と立ち直れぬよう、無実の罪を着せて牢に叩き込んだ。それすら、適正により多くの人を救うためだと言い訳して。
石生は弁明も許されず驪山陵の工事現場に送られ、徐福に拾われて今に至る。
もっとも、その徐福とその後厚遇してくれた趙高もいなくなってしまったが……。
石生は、世を見損なったようにぼやく。
「ああ、私は何と人に恵まれぬのでしょう。
あの時もここでも、私はこんなに頑張って真に良いものを世に送り出そうと力を尽くしていたのに……皆小さなことに囚われて、分かってくれない。
金だの副産物の危険だの、成果に比べれば些細なことではありませんか。
なのにあの方々は……子嬰様は、そんな愚か者ではありませんよね?」
それを聞くと、子嬰は冷めた目をして呟いた。
「……うむ、おまえの師匠と徐福は、弟子に恵まれなかったな」
石生と子嬰の間に、一陣の冷たい風が吹き抜けた。




