(203)
前回のを今日投稿しようと思っていたら、投稿日を間違えてストックがなくなった件。
しかし何とか新しく書いて間に合った!
頑なに趙高を信じていた石生ですが、ついに趙高の悪事の証拠を突きつけられます。
研究者は事実に基づいて物を考える者。石生が下した判断は……。
キーワードに李斯、趙高、項羽と劉邦を追加しました。
「う……う、ここは?」
石生が目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。どことなく上質さを感じさせる狭い一室に、縄をかけられて転がされていた。
(わ、私は……確か、地下を出たところで何かを刺されて……)
石生は、まだぼんやりした頭で自分がどうなったかを思い出す。まだ体にうまく力が入らないのを考えると、毒針か何かを受けたのだろう。
(くっ不覚……実験施設は、部下たちはどうなったのだ!?
すると、やはりあの喪服の集団は敵!!)
流れを思い出すにつれて、あの喪服の集団への敵意が湧いてくる。
自分にこんなことをするなんて、奴らは間違いなく研究の敵だ。こんな素晴らしい研究に不可欠な自分を害するなど、世の進歩の敵だ。
絶対にここから抜け出して、あの素晴らしい研究を守らねば。
そう思って油断なく辺りを見回すと、見張りと思しき男と目が合った。
「おい、目が覚めたぞ!
すぐ子嬰様とあの医者に知らせろ!」
見張りと思しき男は、そう言って周りに知らせながら自分も出ていった。
石生は子嬰という名を絶対に許せぬ敵として心に刻み、どうしたら倒せるか、もしくは研究の価値を分からせることができるかと頭を巡らしていた。
子嬰は別の仕事をしていたが、石生が目覚めたと聞くとすぐそちらに向かった。
「ほう、元気か。それは何よりだ。
あとは話が通じれば良いのだが……他の者たちの話を聞く限り、一筋縄ではいかぬようだな」
そこで子嬰はチラリと後ろを振りかえり、皮肉を漏らす。
「まあ、生きていて人の意識と理性があれば……あれよりは話せよう」
子嬰が出てきた場所には、人食い死体となった趙高が拘束されていた。石生を捕縛している間に、こちらも目覚めたのだ。
今は地下にいた研究員たちが、感染に注意を払って見張っている。
研究を続けたがっていた子連の研究員たちも、趙高のしてきた数々の悪行の証拠と今の趙高の姿を見て、胆を冷やしたようだ。
そして石生が目覚めたと聞くと、どうか石生を説得するのに加わりたいと一人がついて来た。
子嬰はその研究員と、趙高に仕えて病毒を扱っていた医者を連れ、石生の下へ向かった。
「ご機嫌はいかがかな、研究所長殿」
子嬰が声をかけると、石生は悪鬼のごとく目と歯をむいて子嬰をにらみつけた。
「来たな、尊きものの価値が分からぬ悪党が!!」
「黙れ、秦王様の御前であるぞ!平伏せよ!」
子嬰の護衛兵がそう叱りつけても、石生は鼻で笑って背筋を伸ばして言い返す。
「フン、悪党め!所詮は世の理を知らぬ者共、今の世がどうなっているか知らぬと見える。秦の頂が王ではなく皇帝であると、子供でも知っておるわ!
王を名乗る時点で、偽物確定よ!」
堂々とそう言い切る石生に、子嬰は呆れて失笑する。
「……本当に、地下にこもりきりで何も知らぬようだな。
これも趙高の情報統制の上手さと取るべきか。疑いなく自分に従わせるため、何も知らされていなかったのだな。
胡亥様と同じだ、かわいそうに」
子嬰が哀れむような顔をしても、石生は一方的に言い募る。
「何を!大方、陛下もおまえたちが殺したのであろうが!
いや、もしそうでなくても、趙高様が殺したのならば相応の理由があるはずだ。あの聡明な趙高様がやるからには……」
「うむ、確かに胡亥様はひどい事になっていた。
甥の私が言うのも何だが、あの方は正直殺されても仕方ない。天下の富を搾り上げ無駄に民を苦しめ罰し、無実の忠臣を次々と殺し……あの方が国を崩したのだ。
そんな胡亥様を誅せよと、趙高の命令書がここにある」
子嬰は一部石生に同意するように言って、石生の目の前に命令書を転がした。
石生は驚いた顔で、命令書と子嬰の顔を交互に見た。場末の悪党だと思っていた者の手からこんな重大なものが出てきて、戸惑っているのだろう。
しかしとりあえず見てみようと命令書を開き……果たしてそこにあったのは、紛れもない趙高の筆跡と印だった。
忘れるはずがない。研究のことで何度も激励の書簡をもらい、石生はそれを誇りに思って何より大事にしていたのだから。
「こ、これは……本当に、趙高様が陛下を……!
では、悪かったのは陛下……?まさか、陛下の残党が趙高様を……!?」
思いもしなかった展開に、石生はますます戸惑う。
胡亥が趙高に殺されてしまったというのは、不幸にして本当だった。思えば胡亥は自分から見ても頭が軽そうだったので、暴君になってしまうのは有り得ることだ。
しかし、だとしても自分を害するこいつらが胡亥の味方でなさそうなのが解せない。
自分を害しおそらく趙高も害したこいつらは、殺された胡亥の報復でそうしたのではないのか。
この目の前にいる者たちの所属が、どうも分からない。
難しい顔で考え込む石生に、子嬰はさらにこう言って別の書簡を見せる。
「我らは、この国と天下を憂う者とでも言っておこうか。
我らは、胡亥様に殺されてしまった忠臣たちの魂を継ごうとする者だ。ここに、無為に殺された犠牲者たちの名がある」
子嬰が差し出したのは、李斯たちの取り調べと処刑の命令書だ。
そこにある罪人の名に、石生の顔色が変わる。
「李斯様に、馮去疾様……どちらも丞相様ではないか!?しかも、お二方とも天下統一に大功のある始皇陛下の代からの重臣!
徐福様や盧生様たちからも、真面目で忠誠心が厚いと聞いていたのに……!」
さすがの石生も、研究に必要な体制や始皇帝からの感染を防ぐのによく協力してくれる人物として、二人の丞相のことは知っていた。
そんな人が無実の罪で殺されてしまうなんて、石生は衝撃を受けた。
「おお、胡亥様……何ということを!
誰か、諫める者はいなかったのですか!?そうだ、これこそ趙高様は……!」
うろたえる石生に、子嬰は悲しそうな顔をして告げる。
「胡亥様の誰より信じる者が、この者たちに二心ありと讒言したのだ。胡亥様は他の者の言葉が耳に入らぬようにさせられ、それを信じてしまわれた。
ここにその讒言の上書と、取り調べの命令書、報告書がある」
子嬰が出してきた書簡を、石生は食い入るように読み進めた。
書簡を最後まで読み進めると、石生はぴたりと動きを止めた。
「え……あれ……?」
その顔に浮かぶのは、どうやっても理解できないというひどい狼狽。内容は読めるのに、脳が理解するのを拒んでいる。
だって、最後にある署名は趙高。
おかしいじゃないか。これでは、趙高が李斯たちを無実の罪で陥れて胡亥に殺させたことになってしまう。
こんなの、本当に国を思う中心のやることじゃない。
趙高は、寛大で高潔な素晴らしい人物だと思っていたのに。
石生の中の趙高の像が、がらがらと崩れていく。
「ねえ……何ですか、これ?どうなって……いるんです?」
石生は呆けたような顔を上げ、子嬰に尋ねた。動かぬ証拠を前にして、自分でもどうしたらいいか分からないのだ。
子嬰はそんな石生に答えず、連れてきた医者に視線を送る。すると、医者は青ざめた顔で報告書の束を石生に差し出した。
「これは、趙高様があなた方の作ったものを使い、独自に行った実験の報告書です。
趙高様はあなたに隠していましたが、病毒の管理者たるあなたには読む権利がある。存分に、吟味なされ」
それを聞いて、石生は弾かれたように報告書に飛びついた。
読み進めるにつれ、その顔は血の気を失い、今にも叫びだしそうに歪んでいく。
「な、何なんだ……どういう事だ、これは……!?」
それは、李斯たちを実験体として監獄で行った感染実験の報告書だった。
趙高の命令で地下から病毒が持ち出され、地上で使われている。しかも、無実の李斯の心を折るための道具として。
報告書には、李斯や馮去疾とその一族が苛烈な拷問と病に苦しみ、次々と死んでいく様子が記されていた。
それに対し、趙高がさらに弄ぶような残酷な指示を出していることも。
趙高配下の獄吏たちですら、何も知らされず巻き添えにされて皆殺しにされたことも。
とうとう石生は報告書を取り落とし、子供のようにいやいやと首を振り始めた。
「ああ……あ……嘘だ嘘だぁ!趙高様が、こんな事……する訳が……」
「嘘じゃねえ!きちんと目の前にあるものを見ろよ!!」
石生の逃げようとする意識を引き戻すように、古参の研究員が叫ぶ。古参の研究員は、石生を叱りつけるように言った。
「おまえは、徐福様も認めた研究者だろ!
だったらきちんと、目の前にあるものを認めて考えろよ!
正直、俺たちはしばらく前から怪しいなって思ってたが……目に見える証拠はないもんで、おまえが正しいかもって思ってたよ。
でも、こんなのもうどうやっても動かせん証だろ!!」
その言い方に、石生はどうにか落ち着こうと息を整え始めた。徐福に認められたのを思い出し、研究者の誇りを刺激されたのが効いたらしい。
そこに、趙高に仕えていた医者が頭を下げて頼み込む。
「お願いだ、世を滅ぼさぬために、あなたの力を貸してくれ!
趙高様があなたに内緒で病毒を地上で使ったのは、監獄だけではない。最近、もっと大規模に、人食い死体そのものを兵器として使おうとなさったのだ。
私もさすがに危険だと思ったが、機嫌を損ねれば殺されるゆえ……。
あなたは、あなたならばせめて最大限に安全に気を払うと評価されたのであろう?ならば、どうか世を救うと思って!!」
「……何ですと!?」
医者が告げた世界の危機が、強烈なビンタのように石生の目を覚ました。
もう、趙高の人格がどうのと言っている場合ではない。できるだけ早く手を打たねば、世の滅びはすぐそこに迫っているかもしれない。
「やむを得ません、子嬰様に力を貸しましょう。
すぐ、趙高が行った事の記録を見せてください!」
石生は気が狂いそうな後悔の中で、それでも世を救うために動きだした。その使命感は、頑なに趙高を信じてここまでの事態を招いてしまった罪悪感の裏返しでもあった。




