(19)
捕らわれの徐福に、ついに救いの手が訪れます。
それから、滅びに瀕している島の状態についても。
いくら古老たちが押さえつけようとしても、こんな状態で変化を求めるなというのは無理な話です。沈みゆく島の未来を担うのは、若者たちなのですから。
何も見えない真っ暗闇の中、不意に空気が流れた。
閉ざされていた廃屋の扉が開き、外の心地よく冷えた空気が滑り込んでくる。
それから少し遅れて、何人かの足音が入って来て徐福に近づく。そのうち半分ほどは、何かを運んでいるような重い足音であった。
「徐福、いるか!」
若い呼び声、しかし安期小生ではない。
だが、徐福は意を決して答えた。
「おう、俺はここだ!」
すると、すぐに何人もの人影が歩み寄ってきた。
廃屋の扉が閉まる音がして、闇の中に小さな灯火が灯る。その明かりが照らし出した顔は、皆一様に若かった。
体格のいい男二人が徐福の前に、運んできたものをゆっくりと下ろした。
それは、安期小生だった。父に毒粉を浴びせられ、徐福の丸薬によって思考と舌だけを守られた、自分では動くこともできぬ勇気ある男だ。
安期小生は徐福を見ると、わずかに安堵の笑みを浮かべた。
「良かった……その様子なら、俺と話した時とあまり変わらぬ程度だな。
心配していたのだ、あのクソ親父がおまえに大量の毒を使って頭まで潰してしまわぬかと。あの毒は使いすぎると一生意識があいまいになってしまう。
殺すには息をしてさえいればいいなどと言っていたからな」
「そうか……だが、守ってくれたのはおまえだ。
丸薬のこと、よくぞ黙っていてくれた」
徐福に褒められると、安期小生は照れたようにはにかんだ。
そして、自分を運んできてくれた若者たちを紹介した。
「もう安心してくれ、ここにいる者たちは皆俺の味方だ。他にも何人かが、既に港で船を出す準備をしている。
今からすぐ、おまえを港に連れて行って大陸に帰してやる!」
安期小生は、自分を支えている精悍な男に尋ねた。
「必要な物は、持ってきたな?」
「ああ、海図と、それから仙紅布を五枚だ。水と食糧は、港のやつらが用意している!」
精悍な男は、布の包をほどいて見せた。その中には仙紅布と、木と貝殻を組み合わせて作った奇妙な海図があった。
安期小生はそれを見てわずかにうなずくと、徐福に言った。
「もはや一刻の猶予もならん、古老共が起きる前に、何としてもおまえを島から出す!
ただし、集落に近づいて見つかってはかなわん。ゆえに、集落を避けて少し遠回りの道を通って逃げることにする。
少々運ばれる時間が長いが、こらえてくれ。」
「十分だ、今は生きて帰る事が先決だからな!」
徐福の体を、筋骨隆々の男が手早く背負う。それから精悍な男が安期小生を背負い、側にいた女が大切な荷物を抱きかかえる。
灯火を吹き消した次の瞬間、ゆっくりと扉が開いて外の月明かりが入ってきた。
目が慣れてくると、島の輪郭が不気味な威圧感を持って浮かび上がってくる。それに抗うように、若者たちは夜闇の中に飛び出した。
自分たちの未来を救うことが出来る、徐福というたった一つの希望を抱いて。
静まり返った森の中を、若者たちはひた走る。
といってもそのうち二人は大の男を背負っているため、それほど速くは走れない。だが、その方がいいのかもしれない。
闇に染まった森は、どこに何が潜んでいるか分からない。徐福を殺そうとする古老たちに待ち伏せされて、不意打ちを食らったら終わりだ。
足の速い男が先々の安全を確認し、それから開けた場所に出る。
「面倒だが、古老共の方が人数で勝っているのでな。
我々と上の世代では、健常な奴の数が違うのだ、正面からでは太刀打ちできん」
安期小生が、いまいましげにぼやいた。
そもそも、安期小生が負けたのはそれが原因なのだ。島の統治を担う者たちの中で、老人が圧倒的多数を占めているのだから、若者の意見が通る訳がない。
そうなった原因は、まさに今島を死に追いやろうとしている血の淀みだ。世代が下るほど血の淀みはひどくなり、奇形や障害の率が上がる。
つまり、若い世代ほど健常な人間が少なくなる。それに、人数そのものが減っていく。
結果、この島の統治は老人たちの手に握られているのだ。安期小生たち若者がどんなに訴えても、数の力で自分たちを正当化して退けてしまう。
「全く、この状況そのものが滅びに瀕しておる証なのに……あの石頭共は!」
怒りをぶちまける安期小生に、徐福を背負っている精悍な男が苦笑する。
「……いや、薄々分かってはいるんだろうよ。ただ、解決する気がない。
あいつらはどうせあと二十年もすれば、この世を去ってしまうだろうからな。自分が生きている間さえどうにかなれば、難題には触りたくないのさ!
要するに、自分たちが生きている間、いかに平和に好き勝手やるかしか頭にない!」
精悍な男の言葉に、徐福を囲む全員が肯定のあいずちを打つ。
そう、若者たちは皆、そんな身勝手な老人たちの被害者なのだ。今のことしか考えぬ多数の老人たちにより、希望のないひどい未来を押し付けられようとしている。
「奴らは、私たちの代も自分たちと同じようにどうにかなると思っている。
今はたまたま運が巡って来ないだけで、神に祈って日々を正しく生きていればいつかいい時が来るなどとほざいている」
精悍な男の言葉に、荷物を抱えた小柄な女が嘲るように言う。
「笑っちゃうよね、もうその神に祈る祭りですらやるのが難しくなってるのに!
それに、今まで数えきれないくらい子宝のお祈りとかしてきたけど、効果なんてなかった。ここ十年くらいは、健常な子なんて片手の指で数えられるほどしか生まれてないのに。
あのジジイ共は……うっ!」
突如として、女が胸を押さえて眉根を寄せた。
女の胸は月明かりの下でもあからさまに分かるほど大きかった。細身の体についていると思うと、釣り合いが取れないくらい……。
徐福は、その体つきに心当たりを覚えた。
「おまえ……乳飲み子を放り出して来たのか?」
女は、罪悪感を振り切るように首を振った。
「放り出してはいない……全部は。
あたしたちで養える人数だけ、仲間の乳母が港に連れて行ってる。あたしも後から合流するから、その子たちだけはしっかり育てる。
それ以上は……もうたくさんなのよ!!」
徐福の思った通り、女は赤子に乳を与える体だった。長時間乳を与えていないと、胸が張って痛むのだ。
しかもどうやら、乳を与えて育てているのは一人ではない。彼女がもう嫌になるくらい、多くの子を押し付けられているようだ。
これもまた、島の歪みの産物なのだ。
「なあ、若い中で健常な奴は少ないと言っただろう?」
安期小生が、痛ましい顔で言う。
「だが、健常でない……自分の産んだ子をまともに育てられない奴でも子を産む。孕まされ、産まされるのだ……ましな子が生まれる可能性があるなら。
そして、そんな子を育てるのは、少なくとも頭が健常な女に押し付けられる。
若い乳母たちは、毎日くたくたになっても育てねばならんのだ……ある程度育つまでは、働けるかどうかも分からんからな」
そのおぞましい現実に、さすがの徐福も胸が悪くなった。
島では少しでもまともな子を得るために、そもそも子ができにくくなっているせいもあろうが、子を生める女には数撃てば当たるでどんどん子を生ませている。
そして、生まれた子の世話を数少ない頭が健常な女に押し付ける。
そのため貴重で守らねばならないはずの健常な女に、とてつもない負担が集中する。ある程度育って働ける見込みがあるか分かるまでは、捨てることも許されない。
これでは、終わりの見えない無間地獄ではないか。
それでもこれまでのやり方にこだわっているのは、先の短い老人どもだ。
「こんなの、おかしいよ……狂ってる……!
これから解放されるなら、あたしは……胸ぐらい腫れてだめになっても構わないよ!」
溜まりに溜まった感情を吐き出すように、女は叫んだ。
そんな女を気遣うように、足の速い男が荷物を受け取って言う。
「いや、おまえはこれからの島を支える大事な体だ。無理をすることはない。
荷物は俺が運ぶから、おまえは一足先に別の船着き場で待っている仲間と合流し、その胸を楽にするといい。そして、先に方丈に行け。
解放される可能性が見えた矢先に、体を壊してはつまらんぞ」
そう言われると、女はすまなさそうに闇の中の枝道に身を翻した。
その後姿を見送りながら、安期小生が呟く。
「あいつの言う通り、俺たちは古老共にとって……島にとって欠かせぬ人間だ。
だから俺たちの事はそんなに心配してくれなくていい。殺したり毒で頭を鈍らせたりすれば、島を支える力は即座に失われる。
古老共も分かってはいるだろうが……もっとよく分かってもらうために、俺たちはこの作戦の後、古老共が折れるまで方丈の廃墟で生活する」
安期小生の目には、不退転の決意がみなぎっていた。
徐福を逃がし、自分たち若者の意見を通すために、自分たち自身を人質に取ろうというのだ。
だが、これは有効だろう。古老共が事なかれ主義で現実から目を逸らしていられるのは、若者たちがその負担を受け止めているからだ。
身を粉にして働いている若者たちがいなくなれば、古老共はすぐに生活が成り立たなくなって悲鳴を上げることになる。
「結局、あいつらは私たちを青二才と言って侮っておきながら、私たちなしではいられないのさ」
精悍な男が、呆れたようにぼやいた。
「安期小生が徐福の話を持ってきて、ひどい拒絶の末に毒を浴びせられて倒れた後、私の父は喜んでこう言った。
これで、おまえが次の『安期生』になって島に君臨できるぞって。
何を馬鹿な、こんな地獄に転がり落ちるだけの島に君臨してどうなるんだ?そんな期待の欠片もない未来の長の座なんて、誰も欲しがらないよ。
父とその仲間たちは、それすら分からない。だから、私は安期小生を助けて手伝うことにした」
「ああ、助かったぞ。これで徐福を……希望を未来に放つことができる!」
若者たちは、固く信頼し合って、この取引に全てを賭けていた。
緩慢に地獄に引きずり込まれるばかりだった若者たちにとって、徐福の示した案はただ一つの脱出口なのだ。
若者たちの望みは、ただ一つ。
「何としても島に、健常で働き手にもなる外の血を!」
徐福の耳に、潮騒の音が近づいて来た。
若者たちの切なる望みと共に、徐福はついに暗い海へと漕ぎ出した。
珍しくお色気がありましたが、乳は……作者の体験から。
ようやく娘が卒乳しましたが、やめる時は痛かった(泣)




