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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十章 巨悪堕つ
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(198)

 胡亥の最期、どこまで悲しくかつ無様に書けるか、私なりの課題でした。

 胡亥の死に様は史記にも命乞いだけは書かれていますが、もし彼が真実を知って考える時間があったら何を思ったでしょうか。


 やり直したくても、やり直せない。他ならぬ自分のせいで。

 胡亥の一生分の後悔を、とくとご覧ください。

 趙高の配下が、胡亥の前ですらりと短剣を抜く。

「ほら、手伝ってやるからさっさと自害しろよ。助けることはできねえが、死ぬ手助けならいくらでもしてやるぜ。

 へへっ皇帝陛下のお手伝いが出来て、光栄なことですな!」

 趙高の配下は皮肉っぽく言って、この上なくいやらしい顔で胡亥の顔を覗き込んだ。

 それが気持ち悪くて胡亥は思わず目をそらしたが、すぐにこちらを見ている同じような顔と向き合ってしまう。

 胡亥を囲んでいる兵士たちが皆、見下げ果てた目で胡亥を見ているのだ。どちらを向こうとも、逃れられる訳がない。

 いや、一人だけ……胡亥はついさっき怒鳴りつけた、悲しそうな宦官の胸に飛び込んだ。

 そして、すがるように彼を見て呟く。

「ねえ、嘘だよね?こんなのって、ないよね?」

「いいえ、現実です。

 嘘だと思うなら、兵士たちの武器に刺さりに行ってはいかがですか」

 必死で冗談めかした笑みを作っても、決して嘘にはならない。何一つ、胡亥の思う通りにならないとでも言うように。

 その残酷な現実に、胡亥は真っ青になってがたがたと震えだす。

 認めたくないが、認めない訳にはいかない。

 自分は趙高に裏切られ、切り捨てられたんだ。そして今、趙高の都合のためだけに命を絶たれようとしている。

 あんなに信じたのにと思うと、とてつもない怒りが湧いてきた。

 しかしそれがどうやっても届かないと思うと、すぐに悲しみが絶望に変わった。

 いや、届かないと思うのはまだ早いかもしれない。趙高が……あの忠実な者が、自分を許さぬことなどあるものか。

 これほど決定的な現実を前にしてもなお、胡亥の中で趙高を信じたい気持ちがかぶりを振る。

 胡亥は、懸命に虚勢を張って趙高の配下に言った。

「うん、ち、趙高が手…ち、朕を、そういう風に使いたいってのは……分かった。

 だ、だけどさ……最後に一回だけ……ち、趙高にああ会わせてくれない?ほら、何か、その……誤解とかあるかも、しれないし……。

 だから、ね、お願い……一回だけ、一生のお願い!」

 だが虚勢はどんどんしぼみ、提案は腰砕けの哀願に変わっていく。

「ち、趙高にとって悪いとことかあるなら、謝るから!

 趙高のためなら、何でもするから!!どこの領地でもどんな権限でもあげる!お金でも宝物でも、いくらでも!!

 きちんと、働くがらぁ!趙高の、言う事聞くがらあぁ!!」

 ついに胡亥はひざを折り、床に手をついてボロボロと涙をこぼした。恐怖のあまり自分が皇帝だということも忘れ、叱られた幼子のように謝る。

 だが、それが正しいのかもしれない。もう皇帝の位に、意味などないのだから。

 それでも、いくら誇りを捨てても通じるかは別の話だ。

 趙高の配下は、冷たく首を横に振る。

「いやあ、そいつは無理だな。

 俺は趙高様に、きっちりおまえ殺してこいって言われてここにいるんだよ。言われた通りにしないとどうなるか、分かるよな?」

 そう言われて、胡亥は全身の力が抜けた。

 そうだ、趙高は自分の意に沿わぬ者を皆殺しにしているではないか。

 趙高は、命令を遂行できぬ者を許さない。会うこともなくただ殺せばいい、それが趙高の決めた胡亥の扱いなのだ。

 それに気づくと、胡亥の顔面のあらゆる穴から液体が噴き出した。

 涙と鼻水と涎を汚くまき散らしながら、胡亥は床を転げまわる。

「やだっやだやだそんなのやだっ!!

 ち、朕は悪くないもん!騙した趙高が悪いんだもん!

 なのに、何で朕を殺すの!?天下のためならさぁっ、悪い奴殺してよ!!これからはちゃんど名君に、なるがらぁ!!」

 もはや対面も尊厳もかなぐり捨て、全力で駄々をこねる。

 そんな胡亥の体を、優しい宦官がふわりと抱きしめた。

「もう、おやめくださいませ。

 確かに、陛下に悪意はなかったのかもしれませぬが……もう、どうにもならないのです」

 そこで、宦官の声音が変わった。

「陛下が殺すよう命じてしまった、悪くない人々の命は」

 その声は、つい一瞬前まであんなに優しかったとは思えない、底冷えするようなひどく冷たいものだった。

 刑場で振り下ろされる処刑人の斧のような、重く冷たい断罪だった。

 宦官は、息も絶え絶えな胡亥の耳元でささやく。

「悪気がなくても、罪には罰が必要です。

 陛下は自分が心地よいからと趙高のみを信じ、どのような人材をどれだけ犠牲になさいましたか?どれだけの民を苦しめられましたか?

 陛下はいつもお暇でしたのに、陛下に真実を告げようとする者はあんなにもおりましたのに、その全てを無視して相手になさらなかったのに。

 今さら改めるとおっしゃられても……もう、お亡くなりになった方々も崩れていく国も、元に戻らないのですよ」

 その言葉を、胡亥は呆然と聞いていた。

 そう、もういないのだ。李斯も馮去疾も、他の忠臣たちも。

 自分がいくら頑張ると言ったって、もう自分を支えてくれる有能で忠実な臣下がいない。これまで何も学ばなかったせいで、どう頑張ればいいのかも分からない。それを教えてくれる人も、いない。

 頑張りようがなくなっているのだ。

 そして、国が再起不能になってしまった以上、責任の取り方は一つしかない。

 宦官は、わざとらしいほど優しくささやく。

「大丈夫でございます、陛下のご命令で処刑された方々ほど苦しくはありません。

 李斯様も馮去疾様も、毎日家族が拷問されて死んでいくのを見せつけられながら、それでも折れまいと抵抗なさっていたのに……おかわいそうに。

 陛下は今ここで自害なされば、そのような悲しい思いはなさいません」

 その言い方に、胡亥はひくっと息をつめた。

 確かに、自分が李斯たちの言に耳を傾ける機会はいくらでもあった。宮中に引きこもってからはほぼなくなったが、そもそも引きこもると決めたのも自分なのだ。

 理由は指摘された通り、楽だから。嫌な事をしなくていいから。

 面倒だけど向き合ってみようとか、そんな気持ちは欠片もなかった。

 そのくせ国のために努力して勉強してきた人たちを頭でっかちと見下し、その価値も分からず蔑み、あげく何の罪もなく惨殺して。

 これが罪でなくて、何なのか。

 自分は外のことを知ろうともせず籠の中でふんぞり返る、ただの無能だった。

 虚勢と負け惜しみで塗り固めて全てを都合のいいようにしか考えなかった、ただの子供でしかなかった。

 そして、その罪をかぶるのは自分だけではなく……。

(家族……妃や子供たちも!?) 

 それを考えた時、胡亥の脳裏に後宮の女たちと子供たちの顔が浮かんだ。

 趙高が仕事をほとんどさせなかったので、胡亥はひたすら後宮で女を愛で、ただれた生活で何人も子をもうけた。

 暇に任せて多くの妃や子とたわむれ、それで自分は家族を大事にする素晴らしい男だと思っていたのに……。

 その家族すら、守ってやれない。

 たわむれる以前に守るためにやるべきことを、全くやらなかったせいで。

「い、いや……やめて!!妃たちは、子供たちは悪くない!!

 そ、そうだ、朕が皇帝じゃなくなればいいんだね!?

 だったらどっかの土地の王にしてくれれば、そこで大人しくしてるから!趙高の邪魔なんかしないからぁ……!」

「できません」

 当たり前だと思っていた帝位すらかなぐり捨てた懇願を一蹴されて、胡亥は空気を求める魚のように口をぱくぱくした。

 それでも、大切な家族を守るために諦める訳にはいかない。

「じゃあ……一万戸ぐらいの領主でもいい!」

「聞けねえなあ」

 胡亥としては思い切って要求を下げたつもりなのに、すぐさま拒否の返答。

 胡亥は腕ががくがくして、体を起こしているのもやっとだった。こんなに譲っているのに、それでもだめなのか。こんなことは初めてだ。

 だが、どうあっても命だけは守らねば。他の何を失っても、自分と家族の命だけは。

「し、じゃあもう……平民になる、から!!妻子もまとめて放り出して!!

 後を継がない公子の扱いで……!!」

「だから、できねえんだって。分かんねえかな?」

 もう捨てるものがないほどの命乞いをさらりと断って、趙高の配下は幼子を諭すように言う。

「あのなぁ、廃された王の血筋ってのは残ってると乱の種になるんだよ。だからおまえの妻子は、全員根絶やしにされるんだ。

 それに、そうでなきゃおまえの命令で家族を殺された奴らが納得できねえだろ。それも利用価値なんだよ。

 つーか、それ以前におまえ……」

「何の罪もないご兄弟を、妻子もろとも皆殺しにしたのはどなた様でしたか?」

 いきなり後ろにいた宦官が趙高の配下の言葉を遮り、胡亥にささやく。その腕が、首吊りの縄のように胡亥の首に巻きつく。

「ご自分でやっておいて自分だけは逃れようなどと、それはないでしょう。

 陛下が排除したご兄弟も、身に覚えのない罪と罰を押し付けられ、己と家族の不幸を血の涙を流さんばかりに嘆いて死にました。

 私がお仕えしていた、聡明で慎み深いあの方も……!」

「おまえ!?」

 宦官の言葉に、胡亥の顔がくしゃくしゃになった。

 こいつは味方じゃない、自分に殉じようとしてくれているんじゃない。こいつは大切な人を自分に奪われて、全く別の目的でここにいるんだ。

 宦官の腕に、いきなり力がこもった。胡亥の細い首を、ぎりぎりと締め上げていく。

 胡亥は苦しい息の下、最期の願いを絞り出す。

「う……子供……ぐえっ……一人で、いい……い、がし……で……!

 みん……な……死……おっ王の血筋……絶ぇえべっ……!」

 それに対する答えも、無情なものだった。

「あー大丈夫だ。おまえの兄の子、子嬰って奴が生きてるだろ。そいつにも子供がいるし、王家の血は心配ねえよ。

 あんだけ周到な趙高様が、駒を切らす訳ねえだろ」

 最期に胡亥が浴びせられたのは、嘲笑と逃れようのない絶望。全ての希望が消え去り、胡亥の命もそこで消えた。

 その無様な終わりを見届けた宦官は、満足の表情で兵士たちの手にかかった。


 こうして、趙高の作り上げた人形は、最期まで空っぽの人形のまま役目を終えた。

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