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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十九章 坑殺二十万
195/255

(194)

 趙高の企みを知った司馬欣が、研究員と共に前線に帰ってきます。

 知らされた状況と前線の救いのない状況にも決断できなかった章邯ですが、後からやって来た援軍を見てついに大きな決断を下します。


 反乱軍(楚軍)の方で、新たに二人登場します。

 范増ハンゾウ:項羽の軍師で、七十歳すぎの強情な老人。項羽に亜父と呼ばれ信頼されており劉邦の危険性を見抜くが、項羽が進言を聞かず後に去ってしまった。

 項伯コウハク:項羽の叔父だが、劉邦軍の軍師である張良とも親しい。そのため両軍の橋渡しとなることが多く、後に劉邦に仕えた。

 その頃、章邯は反乱軍からの手紙を読んでいた。

<あなたは秦のためといってよく戦われるが、この戦いの先に未来があると思っているのか?

 趙高は己を脅かす力を持ちそうな者を次々と処刑しているし、歴史を振り返っても大功を立てすぎた秦の将軍は多くが粛清されている。白起のことを知っているだろう?あなたがこの戦いに勝てば、その功績は白起より大きくなるのに、どうして災いを免れようか。

 そのうえ、今あなたが従えている兵は元々旧秦ではない地の刑徒、土壇場であなたに刃を向けぬ保証がどこにあろうか。

 味方の中に敵ばかり抱えて、なぜ戦おうとするのか。

 あなたのために、ここは我らに降伏してほしい>

 それは、項羽軍からの降伏を促す手紙だった。

 各地で秦軍を打ち破りついにここまで追ってきた項羽に対し、章邯は何度か痛い目に遭わされながらもなんとか持ちこたえていた。

 そのせいで進軍できず焦った項羽とその配下は、戦わずにここを突破できればと考えたのだろう。

 しかし、手紙の内容は章邯の胸にひどく刺さるものがあった。

(この手紙の内容……悔しいが、全く反論できん。

 確かにここで奴らに降った方が、儂に未来はあるのかもしれん。

 だが、それでは秦の人々はどうなる?儂を信じて頼りにしてくれている、秦の民たちは?

 項羽は降伏しても敵地を破壊しつくし民をも殺す残虐な男、私がここで道を開けてしまったら、旧秦の地は……)

 味方の中に敵多しとはいえ、裏切りは裏切り。

 章邯は、決断できずにいた。

(……まだ、宮廷までもが儂の敵だと決まった訳ではない。

 そこは司馬欣が探りに行っている。もしかしたら援軍が来るかもしれないし、とにかく司馬欣の帰りを待ってみよう)

 そうして待つ章邯の下に、ようやく司馬欣が帰ってきた。ただし援軍は影も形もなく、一人の男を連れてきただけで。

「おお、よくぞ戻った!首尾は……良くないようだな」

「は……ですが、本当であれば大変な話を拾って参りました。

 詳しくは、この男からお聞きください」

 司馬欣はまず宮廷がどうなっているか調べたことを伝えた後、章邯に研究員を引き合わせて趙高の企みを伝えさせた。

 しかし、これは章邯たちにも真偽が分からなかった。

「ううむ、本当ならとんでもないことだが……もう少し様子を見てみぬことには」

 研究員の方も、素直に信じてもらえないのは想定内だ。

「結構です、俺は逃げも隠れもしませんから。

 援軍を観察していてあの計画を止めるか、戦が終わるまで実行されなかったことを見届ければ満足でございます。

 ただ、援軍の中にいるであろう趙高の手下に見て気づかれぬために、甲冑とつけひげをお貸しください」

「分かった、もし本当であればおまえが頼りだ。

 それくらいは許そう」

 章邯は、たとえ嘘でも被害は少ないと見て、研究員を返送させて留め置いた。

 それから数日後のことである……研究員の言った通り、とても戦力になるとは思えない援軍が現れたのは。


「な、何なんだこれは……!」

 章邯たちは、やって来た援軍を見て唖然とした。

 援軍は、二百人ほどのよぼよぼの老人ばかりの部隊であった。こんなものが、反乱軍と戦う助けになる訳がない。

 おまけに持参した物資も、微々たるものだ。今ここにいる二十万の秦軍にとっては、わずか五日分ほどの食糧だ。

 連れてきた偉そうな男は、こう言った。

「苦戦していると聞き、かつて天下統一で働いた勇士たちを連れてきた。

 全軍にまんべんなく配置し、兵を教育させるといい」

 今さらそんな事が戦の助けになる訳がない。これがただの建前であることは、もはや明白だった。

「分かりました……しかし皆さま、長い行軍でお疲れの様子。

 まずは休息していただきましょう」

 章邯は偉そうな男……趙高の手下を刺激しないように、酒でもてなした。そして援軍はすぐに散らさず、一か所に留めておいた。

 それから趙高の手下に聞こえぬところで、補佐や研究員と相談する。

「……どうだ、その計画とやらが実行されたか分かるか?」

 章邯が問うと、研究員は力なく首を横に振る。

「いえ、これだけでは……顔見知りの研究員がついていれば、一発で分かったのですが。

 研究員がいなかったということは、研究員なしで決行したか、中止になったか……もしくは、部隊を感染させた後に研究員は用済みとして殺されたか」

「どうすれば実行されたか分かる?」

「七日もすれば、感染していれば症状が出るでしょう。

 検査薬もあるのですが、あいにく持ち合わせも今入手できるつてもなく……」

 この男の言う恐ろしい病が本当にあるか分かるまでは、もう少し時間がかかる。

 その間援軍の兵士たちを勝手に動かされぬよう、趙高の手下は酔い潰れた所を殺してしまった。

 病毒の研究が極秘である以上、こいつは詳しいことを知らぬ可能性が高い。逃げて趙高に計画のとん挫を伝えられても面倒だ。

「……本当に良かったのですか?

 長い事あの者が帰らなければ、趙高はあなたを責めるのでは……」

 心配そうにそう言う研究員に、章邯は悲痛な顔で告げた。

「いや、もうその心配はしなくていい。

 儂は、反乱軍に降伏することにした!」

 章邯はついに、大きな決断を下した。

 それを聞いていた周りの将たちも、それほど驚かなかった。むしろ、来るべきものが来たという安堵すら浮かんでいる。

 章邯は、消沈した声で言う。

「今回の援軍で、趙高には我々を助ける気がないとはっきり分かった。

 その病毒のことが嘘であれ誠であれ、趙高は我々を支えて長く戦わせる気がない。あの援軍と物資は、そういうことだ。

 となれば、生きるには敵に降るしかない」

 これが、章邯の出した答えだ。

 趙高は、どうせじきに人食い死体に変えてしまう軍に無駄なものは一切与えまいと思っていた。皮肉にも、その強欲が章邯にはっきりと危機を悟らせてしまった。

 董翳と司馬欣も、その決断に賛成する。

「それがよろしゅうございます、我らを粗末に扱う者にいつまでも仕えてはいられませぬ」

「我らは品物ではないと、趙高に思い知らせてやりましょう!」

 こうして、章邯率いる秦軍二十万は項羽率いる楚軍に降った。本当に恐ろしい病毒を持っているか分からぬ、捨て石の援軍を抱えたまま。


 反乱軍もとい楚軍は、章邯たちの降伏を快く受け入れた。これまで何度も降伏を勧告しているので、当然だ。

 これで咸陽への道が開けると、大将の項羽たちは大いに喜んだ。

 章邯たちが趙高の非道を泣いて訴えると、項羽は義憤に駆られ、共に趙高を討とうと手を差し伸べてくれた。

 そのうえ、道を開けて大軍を加えてくれた功績で、章邯たちを旧秦領の王にするとまで約束してくれた。

 こうして、章邯たちの政治的な危機は去った。


 しかし、病毒による危機は以前あるか分からないままだ。

 もしこの状態で本当に病が広がってしまったら、秦軍だけでなく楚軍まで感染して皆殺しになってしまう。

 それでは趙高の思うつぼだ。

 章邯たちはそれについて、研究員と共に楚軍の主な者に相談した。

「フン、阿呆らしい!

 何を企んでいるか知らぬが、そんないい加減な話に騙される俺ではないわ!」

 項羽はその話を信じず一笑に付そうとしたが、それを止める者がいた。

「お待ちくだされ、この話、嘘と断じるには怪しい所がある。まず、こんな話をして援軍を処分させて趙高の得になるとは思えぬ。

 謀として意味を持たぬ以上、真として向き合うべきでは?」

 そう言ったのは、項羽の軍師である范増だ。

 范増は、今の状況と照らし合わせて説明する。

「趙高とて、本気で援軍を送らぬにしろ我々をこれ以上進ませる気はないじゃろう。ならば、我々を滅ぼす別の何かを仕込んでいると考えるのは当然。

 それと、この援軍を連れてきた者は老兵どもをまんべんなく配置しろと命じたのだな?それは病を速やかに全軍に広げる目的に適っておる。

 いろいろと、話と状況が合いすぎておるんじゃ」

 そう言われると、項羽ははっとして呟いた。

「そうなのか……亜父がそう言われるならば」

 范増は七十歳も過ぎた老人であるが、項羽はこの賢人を亜父(父に次ぐ者)と呼んで尊敬していた。

 この男に言われると、項羽も無視はできない。

 さらに、叔父の項伯もこうたしなめた。

「古来より、敵中に病を流行らせるは戦略としてある。

 あまつさえ秦は中華全土を統一し、今まで人が知らなかったどんな病の種を手に入れていてもおかしくない。

 信じて対応するもさほど痛手ではないし、分からぬものはあるとして対応した方がよかろう」

「むーん……叔父上もそう思われるか」

 それでも、項羽は未だこの話を信じてはいなかった。目上の者がこう言うから一応そうしてみようか、という程度だ。

「しかしな……死体が歩いて人を食うなど、俺は見たことも聞いたことも……」

「ちょっと待てえぇ!!俺はあるぞ!!」

 その時、いきなり叫んで幕舎の中に飛び込んでくる者がいた。

「どうした黥布、いきなり何だ!?」

「へへっ……ちょいと聞き捨てならねえ話が聞こえちまったもんで……」

 その男は黥布といい、刺青のある罪人上がりの将であった。黥布は項羽にひざまずき、少し青ざめた顔で語り出す。

「いやあ、俺は昔驪山陵の工事現場で働いてたことがありやして……その時に、暴動の現場で見ちまったんですよ。

 その……全身火だるまになっても生きた人間にかぶりつく、化け物みたいな奴を!」

 黥布は、その時のことを項羽たちに語って聞かせた。

 驪山陵で大きな暴動が起きた日、すさまじく強い部隊が守っていた地下離宮の出入り口からあふれてきた、呪われたような化け物のことを。

 すると、それに研究員が反応した。

「分かるぞ、それは俺たちの事故が原因だ!

 まさにその人食いの病が地下で広がってしまって、工作部隊が感染者を外に出さないように守ってたんだ。最後は尉繚殿が暴徒の一人と一騎打ちで、暴徒を退かせたと……」

「そうその一騎打ち、俺がやったんだよ!」

 黥布と研究員は、お互いにその時のことを話していく。二人の話は、驚くほど噛み合った。

 二人は例の暴動の時外と内で、表と裏でそれぞれ巻き込まれていたのだ。特に研究員の方は、後でその全貌を聞いて覚えていた。

 今、その二人が交わり、あの時のことを詳細に話し合うことができた。地下の事故、そして地上に現れた人食い死体のことを。

 項羽たちも章邯たちも、この思わぬところからの情報には驚くばかりであった。

 そして、別の所からも明確な証言が出た以上、病毒の存在を信じざるを得なかった。

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