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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十八章 地獄の監獄
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(190)

 李斯の死、実験の終わりです。ゾンビ警報発令中!

 趙高は李斯の死に際すら見世物にしようと企みますが、李斯親子は最期までそれを拒んで死んでいきます。


 そして、監獄の処分も。趙高の最期の実験とは、一体何だったのか……詳細は次回以降に明かされます。

 次回から、舞台が大きく切り替わります。

 やがて、李斯が処刑される日がやってきた。

 薬を飲んでももう立つことすらできなくなった李斯は、次男とともに荷車に乗せられて刑場への道を進む。

 普通これだけの重罪人の処刑となると大量のやじ馬が集まって大騒ぎになるのだが、もう李斯はその声も気にならなかった。

 いや、沿道は本当にそれほど騒がしくなかった。

 集まった者たちは皆、本気で李斯を責めてはいなかった。

 自分が捕まらないために軽く悪口を言ってみたりはするものの、内心はほとんどの者がこの忠臣の悲劇に胸を痛めていた。

 趙高がどんなに法で取り締まって真実を捻じ曲げようとしても、人の口に戸は立てられない。

 ここに至るまで嫌と言うほど同じことを見せられそのたびに生活が悪くなった民たちは、今回も処刑される者が本当に罪人だとは思わなかった。

「お父上、大丈夫です……民たちはきちんと分かっております。

 きっと趙高の天下も長くは続きますまい……必ず誰かが奴を倒してくれます」

 次男はそう言って、李斯を少しでも慰めようとした。

 しかし李斯は、もうそんなことなど聞いてはいなかった。李斯は焦点の合わない目を懸命に見開いて空を見上げ、うわごとのように昔のことを呟くだけだった。

「のう、覚えておるか……昔、楚にいた頃……おまえと共に、赤犬を連れて……兎狩りに行ったものだ……。

 もう、地上ではできぬが……天では、きっと李由も一緒に……」

 それを聞いて、次男も涙をこらえきれなかった。

 処刑を前にして、李斯はここに捕まっていない長男の李由が既に死んだことを知らされた。それで心の力が抜けたのか、現実を認めるのがあまりに辛すぎたのか、一気に意識が混濁してしまった。

 しかしそれでも李斯はもはや本能か反射のように、与えられた薬を飲んで死に抗った。

 処刑の前に、せめて家族を食い散らかさないために。

 もうろうとした意識の中で、せめて気を失わないように昔の楽しかったことをとりとめもなく話し続ける。

 せめて最期は人としての意識の中で……それが李斯の最期の望みだった。


 刑場に引き出されると、さっそく処刑が始まった。

 李斯に下される罰は、五刑。最も重い罪人に対する処刑方である。

 いれずみの刑、鼻削ぎの刑、足切りの刑、さらし首の刑、そして死体を塩漬け肉にして食べてしまう刑と語るもおぞましい刑の連続だ。

 ただし、李斯と一族の五刑は一つだけ変更されていた。

 人食いの病を無関係な人に広めぬために、塩漬け肉にして食べることはできない。代わりに消毒も兼ねて、死体を焼いてしまうことにした。

 この時代、人々は死後の世界を信じ死体を土葬することで肉体を保つことを重視した。

 そのため、死体を消し去ってしまう火葬はそれ自体が刑罰にもなった。

「さあ、史上最悪の大逆人、李斯よ!

 貴様が信奉した厳格な法の下、裁きを受けよ!」

 刑場を見下ろす特別席で、趙高がでっぷりと太い腹を揺らして言い放つ。

 実際にはこれは法もクソもない、冤罪による処刑なのだが、集まった民も官吏たちも趙高を恐れて何も言わない。

「きれいに見捨てられたものだ……こんな国、滅んでも何の未練もない!」

 あれほど国に貢献した父へのこの仕打ちに、李斯の次男は一言吐き捨てた。

 すぐに官吏たちが李斯と一族を取り囲み、処刑が始まった。まず李斯の一族と従者たちが、次々と首をはねられ晒されていく。

 次男は胸を詰まらせたが、もう李斯には何が起こっているか認識できなかった。

 そして、李斯と次男の五刑が始まった。

「う、うぐっ……ギャアアアァ!!!」

 体を削られていく痛みにバタバタと暴れ、絶叫する次男。しかし李斯はもうほとんど末端の感覚がないのか、時折ビクリと震えるだけで静かなものだった。

 それを見て、次男は少しだけ安心した。

(あの病が、父から最期の苦痛を取り去ってくれたのか……。

 それでいい、父はこれ以上苦しむべきでも汚されるべきでもない)

 しかし、その考えすら甘かったと次男はすぐに思い知る。

 足切りの刑でできた大きな傷口から、大量の血が流れだす。李斯の傷からは、腐りかけたドロドロの血が。次男の傷からは、鮮やかな生き血が。

 その出血が、ついにここまで耐えていた李斯の命を奪った。

 それから程なくして、李斯はずるりと上体を起こした。白く幕を張ったように濁った目で、次男の方を見つめる。

「くっ……うっ……ち、父上……?」

 戸惑う次男から漂ってくる、むせかえるような生き血の臭い。

 理性を失った人食い死体にとって、ひたすらに食欲をかき立てる魅惑の香り。

 李斯は、足を切られた体でずるずると次男の方に這い始めた。口をがばりと開き、粘り気のある涎を垂らしながら。

 その異様な父の姿に、次男は震え上がった。

 父の身に何が起こったのか、すぐに思い当たったのだ。父がこうならぬよう限界まで生きて拒んでいたこと……ついにそれが起こってしまったのだ。

 このままでは、自分も父に食われてしまうのか……。

「ひっ……!」

 しかし、次男は上げかけた悲鳴を何とか押し殺した。

 趙高が、この上なく下卑た目でこちらを見ている。

 そう、これは見世物なのだ。自分の思い通りにならなかった敵が、骨肉相食んで無様に怯え泣き叫ぶところを楽しみにしている。

 ならば、せめて期待通りになるものか。

 次男は意を決して、自らも父に這い寄っていった。そして、自分に噛みつこうと身を乗り出してくる父を、自ら抱き留めた。

 直後、太ももに走るすさまじい痛み。

 だが次男は必死で悲鳴を噛み殺し、自分を食いちぎる父の顔を隠すように抱きかかえた。

「……どうせ、灰になって混じるのに……なぜ、今混じり合うを恐れようか!」

 せめて、父が自分を食っているところを人々に見られないように。李斯が最期まで耐えようとした、その努力を無駄にしないように。

 思っていたのと違う展開に、趙高は悔しそうに歯噛みしている。

 そして、すぐさま官吏に命じて二人を引き離させ、斬首を命じた。

「見よ、李斯は呪いによって息子をも食もうとしておる!

 こやつの悪しき心に取り入った悪霊が、ついに本性を現したのだ!

 こやつがいたから、これまで国に悪い事ばかり起こったのだ!今ここでこやつを殺して焼き捨てれば、もう秦に悪い事は起こらぬ!!」

 李斯の醜態を呪いのせいにして、それを除くと民を安心させようとしているのか。

 しかし、次男が肝心の現場を隠したせいで、民にはほとんど見えていない。そのうえ言わないだけで趙高が諸悪の根源なのは皆知っているのに、どれだけ説得力があるのか。

「父上……安らかに、お休みなさいませ」

 幸い、首をはねられてしまえばもう醜態を晒すことはない。

 次男のねぎらうような微笑みの後、二人の首が落ちた。

 その後全員の首は日暮れまで晒され、それから刑場と彼らが通った道にまで油がまかれ、死体と一緒に燃やされた。

 始皇帝と一緒に秦を唯一の帝国にした李斯の、悲しき最期だった。

 そして、これが監獄から人が出られた最後だった。


 監獄では、多くの獄吏や世話係たちが出られる時を待っていた。

「ハァ……ハァ……李斯の処刑が終われば、この呪いは解ける……俺たちも帰れる……!」

 そう信じて待っていた獄吏や世話係たちに、外から新しい薬が届いた。

「よく頑張ったな、李斯は死んだからこれで呪いも弱まるはずだ。あとはこれを飲んで、残った呪いを追い出すといい」

 ようやく出られると聞いて、獄吏たちは大喜びで薬を飲み干した。

 しかし、すぐに異変が生じた。

「あれ、手足が……うまく……動かな……へべれっ!?」

 新しい薬を飲んだ者たちはたちまち体の自由を失い、白目をむいて泡を吹いてがくがくと痙攣し始める。

 それは、薬などではなかったのだ。

 苦しむ獄吏たちの脳裏に、李斯の警告が蘇る。

(この病と薬……趙高が我ら全員を消そうとして操っておるのだ!私を殺しても、このままではおまえたちまで死んでしまうぞ!)

 ようやく気付いた、李斯の言うことが正しかったと。

(そ、そんな、俺たちまで……趙高様は、俺たちのことも何とも……!)

 思い返せば、おかしいことはいくらでもあったのに、自分たちは欲に目がくらんで気づかなかった。

 趙高にとっては結局、自分たちも捨て駒にすぎなかった。高い報酬も官位も、いいように動かすための絵にかいた餅でしかなかった。

(ああっ嘘だ!言われた通り、やったのに!

 素直な子は丞相になれるかもって、言われたのにぃ!)

(わ、私は医者なのに!こ、この実験で私がどれだけ働いたと……!!)

 助けのふりをして李斯を欺いた少年も、獄吏たちを騙して腹の中で笑いながら薬を与えていた医者も、皆等しく毒を飲まされた。

 趙高はここで働かせた者の、誰一人として助ける気はなかったのだ。

(ち、畜生……裏切りやがって!!弄びやがって!!

 恨んでやる……許さねえ……てめえこそ、誰よりも呪われろ!!)

 苦しむ獄吏たちの心は恨みに染まり、やがて真っ黒に塗りつぶされていく。

 そして、生きている者がいなくなった監獄で、死体が起き上がり始めた。もうここにはいない生きた人間を求め、さまよう。

 いや、生きた人間は突入してきた。

 人食い死体に噛まれないように手足を金属の鎧で覆い、さすまたや斧でしっかりと武装した一団だ。

 武装した者たちは人食い死体を見つけると、少し観察しては頭をかち割る。

「こいつは、はずれ……こいつも、はずれだな」

 無念の人食い死体たちは、誰一人傷つけることなく全て地に伏した。

 動くものがいなくなり武装した一団も出ていった監獄には油がまかれ、火をかけられた。火は建物ごと死体を包み、焼き払い病毒を清めていく。

 こうして、法も世の理も人の尊厳も踏みにじった地獄の実験は終わった。

 残されたのは、これからの秦の運命を暗示するような、人が焼けた嫌な臭いが漂う真っ黒な焼け跡だった。

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