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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十七章 最悪の使用法
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(181)

 ついに李斯が趙高の陰謀を察知して動き出しますが……史実をご存じの方はもう結果が分かりますね?

『もう遅い』最近追放ざまぁ系作品でこのタグが流行っていますが、まさにそんな感じです。天下統一時にとても役に立ってくれた人たちが、いなくなっていますし。


 それから、胡亥の方にも李斯たちを拒絶する下地があったのかもしれません。

 学を自負する学者と愚者、こういう衝突はあると思うのです。

 李斯が探られていることに気づいたのは、趙高が李斯を収監する予定まであと数日と迫った時だった。

 趙高の手の者が怪しい動きをしていますと報告を受けた李斯は、青くなって叫んだ。

「な、なぜこんな段階まで気づかなかったのだ!?」

「それは……皆、反乱軍のことで手一杯でしたし……。

 それに、今まで李斯様の命じた調査や身辺の守りは工作部隊がやっておりましたので。我々では、あの者たちのようにはできませぬ」

 部下が苦い顔で言うのを聞いて、李斯ははっと思い出した。

 始皇帝が生きていた頃、李斯の手足耳目となって働き天下統一に大きく貢献していた工作部隊……彼らはもういない。

 始皇帝の命令で方士たちの不老不死探しを手伝わされ、海の彼方に消えてしまった。

 ……実は人食いの病毒の研究をたたむことを許さぬ趙高とこの国を見限って出て行ったのだが、李斯が知ることはない。

 とにかく、李斯はいつの間にか自分のより役に立つ手足耳目を失っていたのだ。

 そう言えばこのところずっと、前のように情報が集まらず苛々していた。

 函谷関より東の三川で反乱軍と戦っている長男の李由とも、ここ一月以上連絡が取れない。敵に包囲され、生死すら分からない。

 それも工作部隊がいた頃なら、完全に敵国が支配する地域からもどんどん望む情報を集められたのに。

 中華が秦一国になったのだからもうそんなことはないだろうと、工作部隊のことなどすっかり忘れてしまっていた。

 それが必要になる日が、まさかこんなに早く来ようとは。

 だが、必要な彼らはもういないのだ。

(もう戦などないと思って手放したが、時期尚早だったか……!)

 李斯は後悔したが、もう遅い。

 とにかく今は、自力で何とか釈明しなければならない。

 だが李斯は、そこまで心配していなかった。自分にはこの秦を天下統一に導いた功があり、丞相という臣の最高位にある。

 それに、相手に自分の意見を通す弁舌には自信がある。その弁舌でここまで成り上がり、始皇帝の右腕と言われるほどになったのだ。

 胡亥に自分が直接掛け合えば、必ず誤解は解ける。

 何より、李斯に後ろめたい事は一つしかない。

 そのたった一つは始皇帝の遺言を偽造して胡亥を即位させたことだが、そこをつつけば他ならぬ胡亥の立場が危うくなるのだ。

 もしそれ以外の罪状であれば、事実無根なのだから、裁かれる道理はない。

「全く、この危急の時に趙高は何を考えておるのだ!?

 いや、そもそも陛下があんなになったのは趙高のせいかもしれん。むしろそう考えれば、全てつじつまが合う。

 このうえは、早くあの奸臣を取り除いて陛下に目を覚ましていただかねば!」

 この期に及んで、李斯はようやく趙高の悪意に気づいた。

 そして、この国を守るために必ずやこいつを除くと固く心に決め、闘志を燃やして胡亥への上書を書き始めた。

 趙高が胡亥の生活を管理している以上、普通に会おうとしても叶うまい。ならば少しきついことを言っても、胡亥を引きずり出さねば。

 李斯は、まだそれが通じると思っていた。

 地面の弁舌を尽くした上書を胡亥に届けさせ、一世一代の諫言のために作戦を練り始めた。


 李斯の上書は、無事胡亥に届いた。

<今、趙高は賞罰の権限を一手に握り、陛下と同じように振舞っております。これはとても危険な兆候でございます。

 古来より、臣下が力を持ちすぎたために君主を脅かしたことは多く、中には国を乗っ取られてしまった例もございます。

 今の趙高の振る舞いは、過去のそういう人物にそっくりです。人事を勝手に自分の都合のいいように変え、私腹ばかりを肥やしております。

 今のうちに除かねば、災いは陛下に及びましょうぞ>

 李斯は理路整然と、現状を訴えた。

 さらに、最近よく知られた奸臣の例をいくつも上げて現実味を持たせようとした。それは、見る者が見れば博識に感心することであろう。

 しかし問題は、胡亥にそれが通じるかどうかだ。

 まず第一の問題として、胡亥は趙高を信用しきっている。

 逆に李斯のことは、自分を馬鹿にしていて信用ならない嫌な奴だと思っている。もちろんこれも、趙高の讒言と工作によるものだ。

 第二に、胡亥は本人がそんなに博識ではない。

 元々皇帝になることなどないと思われあまり厳しく勉強させられず、本人も楽をするのが大好きで学ばないまま生きてきた。

 そのため、胡亥は他国の歴史のことなど良く知らない。

 そんな胡亥の前に知らない知識を並べ立て、突きつけたらどうなるか……。

「李斯が趙高を悪く言ってる……朕から趙高を引きはがして、自分が好き放題やる気だね。趙高の言ったとおりだ!その手には乗らないぞぉ!

 それに、こんな今の役に立たない意味もない知識並べてさぁ……そんなことを知ってるのがそんなに偉いのか!?朕が知らないのが悪いのか!?

 これもう完全に自分のが上だって分からせようとしてんじゃん!!」

 李斯の理論と知識を真っ向から突きつける上書は、胡亥の劣等感という地雷を見事に踏み抜いてしまったのだ。

 胡亥は皇帝になって李斯や大臣たちと話していて、自分が話についていけないのに恐怖した。

 大臣や官僚たちが、何を言っているか分からない。知らないことを、知っている前提で話をされる。

 分からないと知れると訝しそうな顔をされ、説明してくれる者も多いが、その説明に出てくる言葉がまた分からない。

 その繰り返しが胡亥には恐ろしく、不快だった。

 これじゃ、皇帝の資質を疑われているみたいじゃないか。知らないからって見下されているみたいじゃないか。

 そんな劣等感と恐怖から逃れるために、人目を避けて引きこもったのに。

 わざわざ手紙を出してまで、自分を追い詰めたいのか。

 それに比べて、趙高だけは自分を優しく気遣ってくれる。自分ができない事は何でもやっておいてくれるし、自分が知らないことを責めもしない。

 きちんと自分を試したりせず、皇帝として立ててくれる。

 なのに、その趙高を貶めるとは。

「はあ~……李斯が朕の即位に協力してくれた時は、見どころのあるヤツだと思ったのに。

 結局あいつが朕を皇帝にしたのは、付け込んで脅して国を乗っ取りやすい皇帝を立てたかっただけなのか。

 でも、一応協力してもらった恩はあるからね。

 朕からの手紙で趙高の素晴らしさを知って非礼を詫びるなら、まだ許してあげる」

 胡亥は、憤慨しながら李斯への返事を書き始めた。

 この時胡亥の中に、自分が隙の多い人間でそれに付け込もうとする悪人がいるという発想はあった。

 ただ、それが誰なのかを致命的に間違えていたのだ。

 胡亥は自分が悪臣を改心させるんだと胸を張って、李斯に返事を届けさせた。


<趙高は卑しい宦官の身なのに、楽をせずに働いて二心も持たずにひたすら尽くして、今の地位に昇ったのだ。あれほど真面目でできる奴を、朕は他に知らない。あいつに権限を渡したのは朕の信頼の証だし、地位はそれほどの人間である証明だ。

 なのに、おまえはそれを疑うのか?

 あいつは朕が天下を治めるうえで欠かせない人物だ。それを除けとは、おまえの言うことは朕の天下を崩そうとするのに他ならない。

 分かったらとっとと趙高に謝れ、頭でっかちが!>

 この取り付く島もない返事に、李斯は戦慄した。

「疑うのか……謝れだと!?悪いのは趙高ではないか!!

 ここまで取り込まれていたとは……これはいかん!すぐ目を覚ましていただかねば!!」

 李斯はこれまでにない危機感を覚え、さらに強く訴える上書を書いた。

<それは違います、陛下!

 趙高は卑しいくせに足ることを知らず貪欲に富と権力を求め続けて今の地位まで成り上がったのです。

 道理をわきまえず、忠誠はなくひたすら欲望のみで動いております。

 あなたを楽な方にばかり流れさせて、諫めようともしないのがその証です。この国が今どうなっているか、あなたが何をすべきか、謁見してくださったらみっちり説明し……>

 胡亥にとって耳が痛いことをびっしりと書きつらね、これだけ言えば少しは考えるか出てくるだろうと思って上書する。

 李斯の胸中は、自分が秦を立て直し胡亥を救うんだと使命感で一杯だった。

 この程度のことできなくてどうする、と自分を叱咤すらした。

 自分はあれほど困難で不可能とすら思われた、天下統一すら始皇帝と共にやり遂げた。なのに一国を救うことが、できぬはずがない。

 自分の言は皇帝に届く、自分には乗り越えられると信じていた。

 状況も皇帝も、李斯がうまくいっていた時とは全然違うのに……。

 とはいえこれでもだめだった時のことは一応考えていて、次は左丞相の馮去疾の手も借りようかと作戦を練っていた。


 と、その情熱あふれんばかりの上書を見ると、胡亥はますます恐怖を覚えた。

「え……り、李斯、もう全然朕の言うこと聞かないじゃん!

 これ、このまま放っといたら、趙高が殺されて朕は李斯の操り人形に……そんなの嫌だよぉーっ!!

 こんな怖い人たちの前に出たくない!なじられたくない!楽しくないのは嫌!

 助けて趙高―!!」

 胡亥はもうこれしかないとばかりに、趙高にすがってしまった。そして李斯からの上書の内容を、あらいざらい趙高にしゃべった。

 趙高はその間、優しく胡亥の背中を撫で続けた。

 さらにそこに、馮去疾からも上書が届く。

<東の地では盗賊共の蜂起が止まらず、討伐軍を差し向けても収まりません。これは人民が重税と過酷な労役に耐え切れず、国を見放そうとしているからです。

 このような時なので、阿房宮などの大工事を中断し、ぜいたくを慎んで民の負担を減らしていただきとうございます。

 もしこのままでいいなどという者がいたら、その者は国を思う心がないので除くべきです>

 胡亥は思わず、上書をグシャリと握りつぶした。

 その手は、怒りと恐怖で震えている。

「何なの……どいつもこいつも、朕に自分や下民共に媚びろって?

 朕は皇帝なんだよ、ぜいたくして国を思い通りにして何が悪いの!?人間で一番偉いんだよ!皇帝って、そういうもんでしょ!!

 なのに……みんなして、朕に逆らいやがって!!」

 そこに、趙高がもっともらしい顔で言う。

「その通り、これは紛れもない不敬、そして反逆でございます。それらの上書は間違いなく、罪の証拠になります。

 何、恐れることはありませぬ。

 敵は事を起こす前に尻尾を出したのですから、この機に収監すればいいのです」

 それを聞くと、胡亥はぎぃっと口角を上げた。

「さすが趙高、その通りだ。

 よぉーし、思い上がった反逆者共に、朕の力をぉ、思い知らせてやるぞおーっ!!」

 胡亥は趙高が差し出してきた李斯と馮去疾の収監命令書に、鬼のような顔で力いっぱい玉璽を押した。

 なぜ趙高が既に命令書を作ってあったのか、どちらの言うことに従った方が国を治められるのか、考えることはなかった。


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