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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十六章 崩れゆく道
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(177)

 秦の滅びが、一時的に押し返される名将、章邯の登場です。

 そして、次世代の大物も。

 反乱軍の進撃に慌てふためく秦ですが、秦はこれまでの政策と趙高の専横のツケが回って来て戦う力を失っていました。そこに現れた章邯の策が、一時的に秦を救います。


 章邯ショウカン:秦末期の名将で、反乱軍相手に大きな戦功を立てた。しかし、最後は身の危険を感じて項羽に降伏してしまう。

 項羽コウウ:今は反乱軍の中にいる、後の楚の王。勇ましいが残虐で戦う事しか考えていなかったため、人望で勝る劉邦に負けて滅んでしまった。

 見かけ上平穏を保っている咸陽をよそに、東は相次ぐ反乱により大混乱となっていた。

 今や数万人の兵を従え多くの地を手にした陳勝は王を名乗り、天下の他の多くの反乱軍に我に続けと号令をかけた。

 それを受けたかはたまた自発的にか、各地の反乱軍は火に油を注ぐように勢いを増し、秦の領土を奪っていった。

 それに対し秦は中央からも軍を派遣したが、それでも抑えきれなかった。

 なにしろ、その地の民が皆反乱軍の味方をするのだ。

 反乱軍を倒しても倒しても、解放者を殺された恨みとばかりに民が新たな反乱軍になって押し寄せてくる。

 秦軍は各地で打ち破られ、反乱軍は秦を滅ぼさんと西へ進軍してきた。

 中でも周章という、秦が天下統一する前に敵国の将だった名将が大軍を率い、都を守る要所である函谷関をも越えた。

 今まさに咸陽に迫りくる危機に、秦の中枢も震え上がった。


 この報告は、さすがに皇帝である胡亥の耳にも入った。咸陽まで火の手が迫り、最悪胡亥自身も逃げることを考えねばならず、隠し切れなかったのだ。

 慌てふためいた胡亥は、泡を食って臣下たちに喚いた。

「ちょっと、おまえら何やってんの!?

 何でそんな大軍が都に迫ってんの!?一人残らず捕まえたんじゃなかったの!?この国の法治は完璧なはずなのに!!

 そうにかして、早く退治してよお!!」

 しかし、李斯たちもどうしていいか分からない。

「この周辺の兵は、もっと集められんのか?」

「集められますが、どこもこれまで既に多くの兵を集めていたせいでそれほど数が残っていません。それに、集めている時間もあるかどうか……」

「やめた方がよろしいかと。

 これ以上地方が手薄になれば、正面の大軍を防いだとて別の道から反乱軍が来たらすぐに都の周りを落とされます。

 そうなれば、我々は包囲されてしまいますぞ!」

 官僚たちは必死で意見を交わすが、出てくるのは悪い情報ばかり。

 そもそも、戦が得意な将軍があまり残っていないのだ。

 秦は天下統一してから、これからは敵がいないのだから法治さえしていればいいとばかりに、将軍たちを中央から追い出してしまった。

 軍備も予算は多いが、ほとんど領土をさらに広げるための辺境での戦いに注ぎ込んでいる。そんな遠くの兵は、すぐに呼び戻せない。

 それに輪をかけて、蒙恬の処刑である。

 蒙恬は才能と実績もさることながら、他の多くの将兵たちに慕われていた。

 その蒙恬が無実に罪で処刑されて、他の奥の将軍たちが穏やかでいられるはずがない。ある者は蒙恬をかばおうとして処刑され、またある者は危険を感じて野に下ってしまった。

 趙高の専横により、戦に必要な人材がどんどん減っていたのである。

 それは、官僚にも言えることだ。

 天下の実情を見て諫言できる者は、ほとんど趙高に煙たがられて処刑されたり官職をはがれたりしている。

 残っているのは趙高に媚びて出世しようとするろくでなしか、自分を守ることに専念して生き残ってきた者ばかり。

 そんな状態で、こんな大反乱に立ち向かえる訳がない。

 それどころか、秦に身の置き所がなくなった才ある者たちが続々と反乱軍に加わって力を振るっているのだ。

 まさにかつて李斯が始皇帝に言った、『敵に兵を貸し、賊に食を給する』状態である。

 だが悲しいかな、当の李斯は未だそれに気づいていない。

 李斯にとって正しい統治とは法を厳しく運用することであり、どうしてそうしているのにこんな事になるのか分からなかった。

 趙高が裏で好き勝手やっていても、法に表立って違反しない限りそれと気づかなかったのだ。

 その趙高はというと、この危機を前に国より自分のことを考えていた。

(何ということだ、まさかこんなに早く秦が揺らぐとは……!

 このままでは、不老不死が完成する前に阿房宮が敵の手に落ちてしまう。それであの研究が敵の手に渡ることだけは、避けねば……!)

 趙高にとって大事なのは、秦よりも己の不老不死。

 秦を守ることよりも、不老不死の研究をいかに守り抜くかばかり考えている。

 だが趙高は元々刑法の専門家であり戦のことは全くの専門外であるため、他の者に丸投げしても別に不自然ではない。

「私のような宦官に戦のことは分かりかねます。

 これまで秦を支えてきた皆様方、どうか知恵を絞っていただきたい」

 官僚たちも大半が自分の子飼いに置き換わっているのに、しれっとそう言い放つ。

 大変なのは、丸投げされた側である。戦のことが分からない官僚たちは、必死に少しでも関係がありそうな者に押し付けようとする。

「そう言えば、李斯殿のご子息が東の方で守りについておられましたな?

 そこから兵を出してもらって、挟み撃ちにしては」

 場当たりな意見に、李斯は額に筋を立てて言い返す。

「私の息子は三川にいるが、今まさに別の反乱軍と戦っている最中だ!

 そこから兵を動かせば三川が落ち、東に秦の領土が残らなくなってしまう。戦況も知らぬくせに、いい加減なことを言うな!!」

 李斯は秦を守ろうと燃えているが、これにはどう対処していいか分からない。

 李斯は秦の天下統一に大きく貢献しているが、その功績は内政と裏工作である。

 李斯が敵を倒すのに得意とする手段は賄賂による敵の離間と工作部隊による暗殺であり、これは今の戦況に有効な手ではない。

 敵のほとんどは今の秦の下で未来がない食い詰めた者たちであり、指揮官だってほぼ流れでのし上がった者である。賄賂や秦で取り立てる誘いは効きづらく、殺しても殺しても別の者が代わりになるだけだ。

 おまけに、手足となっていた工作部隊は国を見限りいなくなってしまった。

 これでは、いかに李斯と言えどどうしようもない。

 しかしそんな事情を知らない胡亥は、鬼のように李斯を叱りつける。

「おまえ丞相だろ!?父上と一緒に天下を統一したんだろ!?

 だったらあんな国でもない反乱軍ごとき、さっさと蹴散らしてよ!それとも、おまえは腰巾着だけでここまで成り上がったのかぁ!!」

 どんなにひどい言い方をされても、対策を出せない李斯は反論できない。

 ただ胡亥へのやり場のない怒りだけが溜まっていく。

 しかしこの会議が不毛な私刑会場になりかけた時、一人の将軍が進み出た。

「おのおの方、そのように他人を責めても何も解決しませんぞ!

 某に一つ考えがございます、どうかお聞きください」

 この沈みゆく秦で奇跡的に残っていたまともな将軍、章邯という男である。堂々として力強い武官の風格に、官僚たちは静かになって耳を傾けた。

 章邯は、胡亥にひざまずいて進言する。

「都の近くに兵は少なけれど、兵として使える人はたくさんおります。

 驪山陵や阿房宮の工事に使っている刑徒どもを、釈放して戦わせてはいかがでしょう。

 彼らはいくら働いても罪を許される訳ではなく、希望がありませぬ。そこで戦功次第で取り立てるとでもささやけば、死に物狂いで戦うでしょう」

 その作戦に、官僚たちは目からうろこだった。

 それまで官僚たちは刑徒たちを、しっかり管理しなければならない、決して武器など持たせてはいけない労働力としてしか見ていなかった。

 武器など持たせれば、反乱を起こす恐れがあるからでる。

 実際、始皇帝の代に驪山陵で大きな暴動が起こった。

 それに胆を冷やした李斯は刑徒たちを信用ならない不穏分子とみなし、兵として使うという発想を失っていたのだ。

 李斯は不安だったが、他にこの状況を打開できそうな手もない。

「……本当に、大丈夫であろうな?

 その刑徒どもがこちらに刃を向けてきたりは……」

「人間、希望がないから無謀なことをするのです。

 まともな手段で許される希望を与えれば、皆それにすがりつくでしょう。これこそが、人の有効な使い方というものです」

 現場を良く知っている軍人の意見に、その場はすぐにまとまった。

 章邯は総大将に任命され、胡亥は大赦令を出して刑徒たちを動員した。彼らは自分たちを虐げる秦を守るべく、出陣していった。


 結果から言えば、この作戦は大成功だった。

 戦うことと引き換えに自由の身になった刑徒たちは、ここで手柄を立てて少しでものし上がろうと懸命に戦い、反乱軍を押し返した。

 反乱軍は函谷関より西の地から追い出され、大将の周章も討ち取られた。

 その勢いで、章邯率いる囚人部隊は次々と南方の反乱軍を打ち破った。

 所詮寄せ集めの反乱軍は次々と有力な将を失い、反乱の先陣を切っていた陳勝もあえなく首を取られた。

 この大進撃に、秦の官僚たちはホッと胸を撫で下ろした。

 やはり反乱軍ごとき雑軍だ、恐れることなどない。秦は強い、そんなに簡単に滅んだりしない。自分たちは安泰だと。

 しかし、囚人部隊や民たちの胸中は複雑だった。

「ああ……秦が勝っちまった!これでまた、重い税を納め続けるのか……」

「手柄を立てれば、暮らしていける……。

 でも、俺たちが討ち取った反乱軍の中には俺の故郷の奴らも入ってたんだ!何で生きるために、同郷の仲間を殺さなきゃならねえだ!?」

「元々、牢に入れられたのは秦の決めた税を納められなかったからなのに……どうしてその秦を守るために戦ってるんだ?」

 勝利に沸いているのは一部の高官だけで、下々の民や兵士たちの胸にはやり場のない悲しみと絶望が渦巻いていた。

 一方の反乱軍は、多くの将を失いながらも絶望していない。

 凄惨な戦の跡で、一人のたくましい若者が壮年の男の亡骸を抱いていた。

「くそっ民のために立ち上がった父をよくも!!

 必ずこの恨みを晴らして、こんなふざけた天下は俺が終わらせてやる!!」

 若者の目には、秦への義憤と復讐心がごうごうと燃え盛っていた。

 抱かれている亡骸は父、章邯によって討ち取られた楚の将、項梁。そして抱いているのは息子、後に鬼神のごとき武で知れ渡る項羽である。

 秦という大樹を切り倒す若き反骨の芽は、着実に芽吹いていた。

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