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秦の崩壊が迫ってきます。
時代が動いて、新しい人物がどんどん登場します。
新たな時代を担う人たちは、不老不死とゾンビにどのように絡んでくるのでしょうか。
陳勝・呉広:秦に対する反乱の口火を切った人物。ただしすぐ死んだ。
秦の国は今や、苦しみに満ちていた。
次々と新しい法律ができ新しい税が定められ、おまけにそれを批判した者たちは次々と牢につながれて力を奪われる。
心ある者が必死の訴えを罪とされて連れていかれた後には、上にうなずいて自分を守ることしか考えない酷吏がやってくる。
作物を作っても作っても、税としてほとんど持っていかれてしまう。
食べる物がなく生活していけないのに、税を納めないと投獄される。
そして投獄された者たちは、大工事に駆り出され、命を落とすことが少なくない。
民たちは、とっくに限界を迎えていた。
このまま国に従っていたら、自分たちは生きていけない。逆らっても殺されるが、どうせ死ぬなら同じことだ。
ならば少しでも何かが変わる可能性に賭けて、やれるところまで抗ってみたら……。
そんな空気が、国中に広がりつつあった。
遠く離れた北の国境警備に送られるはずの男たちも、今同じような袋小路にいた。
目の前には、ごうごうと渦を巻いて流れる濁流。この増水して渡れない川の前で、彼ら数百人が数日間も立ち往生していた。
「畜生……これじゃあもうどうやっても期日に間に合わねえ!」
彼らを率いている兵士が、青い顔になってぼやく。
「このままじゃ、俺たちは全員斬首だ!
真面目にここまで歩いてきたのに、何で俺らまで死にに行かなきゃならねえんだよ!!」
兵士の一人が、血を吐くように叫ぶ。
そう、期日に間に合わなければ全員が斬首と法に定められている。連れてこられた民も、連れてきた兵士たちも、全員が。
たとえ遅れた原因が自然現象で、誰も悪くないとしても。
そのどうしようもない定めに、兵士たちは行き場を失った怒りを民にぶつけ始めた。
「おまえらがもっと速く歩いてっ早くここを越えていれば!!
俺にはなあ、帰りを待ってる妻も子供もいるんだよ!子供なんて、去年生まれたばっかりなんだぞ!なのに、ここで俺が死んだら……。
こんな、有象無象共がのろまなせいで!!」
兵士たちは怒りに任せて、民たちを鞭で打ち始める。
しかしすぐにその頭がガツンと後ろから殴られた。
「ふざけるな、こっちも同じなんだよ!」
「俺たちだって、何も悪いことなんかしてねえ!!」
あっという間に、多数の民たちが兵士を囲んで同じように怒りに任せて殴りかかる。当然兵士より連れてきた民の方が多いため、多勢に無勢だ。
「冗談じゃねえ、おめえらは食えるモンがあるだけマシだろ!」
「お、俺なんか……嫁の食いモンがなくて、乳が出なくて赤子が死んじまったんだ!!」
民たちも、どうしようもない状況へのやり場のない怒りを兵士たちにぶつける。むしろ民たちの方が、兵士たちよりひどい状況なのだ。
お互いにどう動いても死ぬしかない、ただ他人に怒りをぶつけるしかない地獄絵図。
その時、下級兵の一人が民たちを振り払って隊長に駆け寄り……一息にその首をはねた。
「えっ……!?」
思わぬ行動に、一瞬あっけにとられる民たち。
思わず静かになった民たちに、その下級兵は叫ぶ。
「静かにしろてめえら、こんな所で殴り合ったって誰も助からねえんだよ!どうせ目的地に着いても逃げ出しても、殺される。
それはここにいるみんな同じなんだ!!
だったら、いっそのこと……力を合わせてでっかいことやってみようじゃねえか!!」
それを聞いて、民と兵士たちは拳を下ろして顔を見合わせる。
言われてみればその通りだ。民も兵士もここにいる皆が、法により死を免れない。ここにいる誰が悪い訳でもないのに。
こんなのは、理不尽だ。なぜ自分たちがこんな目に遭わなければならないのか。
その気持ちは、民も兵士も同じだ。
その理由を、下級兵は大声で語り出した。
「ここにいる誰も悪いことしてねえのに、なんで死ななきゃならねえか……法で決められてるからだ。
ならその法が悪い!法を定めた奴が悪い!!そうだろ!?」
すると、兵の一部が震えながら言った。
「おい、滅多なことを言うな!
そんな事が官吏の耳に入ったら、すぐ牢にぶち込まれ……」
「もう死罪が決まってんのに、そんな事言ってる場合か!!」
その一言に、他の兵士たちも民もはっと目を見開いた。
そうだ、この批判が上に聞かれようがそうでなかろうが、どのみち自分たちは死ぬのだ。大人しくしても抵抗しても、死ぬ。
ならば、まだ抵抗した方が望みはあるかもしれない。
それに気づいた皆に、勇気ある下級兵は言う。
「そうだ、皆罰を受けたくないから黙ってるだけ。心の中では同じこと考えてるはずだ。
今の天下で俺らと同じような目に遭って逃げてる奴とか、生活していけなくなった奴なんか山ほどいるはずだからな。
だから、もし俺らが立ち上がったら……みんなついて来てくれると思わねえか?」
聞いている者たちは、ごくりと唾を飲んだ。
言われてみればその通りだ。自分たちの周りでも、どんどん重くなる税と厳しくなる法に潰された人の話は増えるばかり。
天下が一つになって戦がなくなったのに、今や人の暮らしは乱世の頃よりひどい。戦がない代わりに、どんな苛政を敷かれても逃げ場がなくなってしまった。
「なあみんな、どうせ死ぬなら歴史を動かしてやろうぜ!
幸いここには武器がある、人ももうこんなに集まってる。代官の館を襲うくらいなら、もう楽勝でできるだろ。
せっかくやれる力があるなら、思い切ってお上に盾突いてやろうじゃねえか!!」
下級兵が叫ぶと、周りにいた民や兵士たちは歓声を上げた。
「オォーッ!!」
「その通りだ!俺もやるぞ!!」
さっきまでいがみ合っていた民と兵士は手を取り合い、勢いよく拳を天に突き上げた。ここに彼らは、秦の支配を拒む一つの軍となった。
最初に声を上げた下級兵は、野心と生存本能にギラギラと目を輝かせて言う。
「大昔からどんな強い国だって、滅びなかった例はねえ。そんでもって、滅ぼした奴が次の王になって偉くなるんだ。
こいつを成功させりゃ、俺たちだって王侯や将軍や宰相になれるぜ!」
「ハハハ、違いねえ!」
民も兵も、秦の繁栄とは違う未来を見て楽し気に笑う。
そう、この中華では古来よりいくつもの国が興っては滅んできた。どんなに強く栄華を誇った国も、その宿命は免れなかった。
そうして新たな体制が生まれるたび、支配層は新しくなる。その時に居合わせてうまくやれば、誰だって偉くなれる。
永遠の支配なんてない。
偉くなるのに必要な種なんてない。
いつの時代も変わらず生きている民や下級兵の方が、よっぽどよく分かっている。
だからその歴史の流れを信じて、虐げられる民と下級兵たちは立ち上がった。自分たちの力で、自分たちが虐げられない世を作るために。
その中心となった二人の下級兵は、名を陳勝と呉広といった。
彼らはすぐさま秦を守るために与えられた武器を取り、秦の置いた役所に襲い掛かってその地を解放していった。
そうした反乱は、あっという間に東の地域全体に広がった。
今や陳勝たちのようにどうにもならないほど追い詰められた者たちは、天下の至る所にいた。
陳勝たちの噂が広まると、彼らは我も我もと次々に各地で蜂起した。
もうこの秦の支配下では暮らしていけない。ならば命を懸けて、自分たちが暮らしていける国を取り戻そうと。
その反乱の勢いは、堰を切ったようだった。
鎮圧しようとしても地方の兵ではまるで追い付かず、かえって鎮圧に向かわせた兵が反乱を起こす有様であった。
反乱軍は瞬く間に増え、各地で数万人の大軍ができあがった。
しかも民たちはその動きに苦しむどころか、むしろ歓迎した。
秦の役所が潰れれば、もうあんなに重い税を納めなくていい。厳しい取り立ても来ないし、投獄されることもない。
戦があっても、暮らしていけるじゃないか。
ほとんどの者が反乱軍に望みを託すほど、民の心は秦から離れていた。
そんな民たちの想いを受けて、反乱軍は各地でかつてあった国の王を名乗り、秦から領土と権力をもぎ取りにかかった。
その知らせは、咸陽の王宮にもたらされた。
「不届き者どもが、すぐに地方の長官に命じて鎮圧させるのだ!」
今だ国を守ろうと燃える丞相の李斯や馮去疾はすぐさま反応し、地方に命令を出すとともに兵が足りない地域には中央の兵を派遣した。
しかしその危機感は、胡亥には伝わらなかった。
趙高が不安がる胡亥を安心させるように、こうささやいたのだ。
「ご安心なさいませ、ただ盗賊が群れているだけでございます。
李斯殿たちが鎮圧させておりますので、今頃は一人残らず捕らえられておりましょう」
もちろん、実情とはかけ離れた嘘である。
いかに愚かな胡亥とて、国が危機に陥っていると知れば趙高の責任を問い切り捨てるかもしれない。
それを恐れた趙高は、胡亥に現実を教えなかった。
胡亥はその思惑通り、自分で調べもせずに趙高の言うことを信じた。
胡亥にとって誰よりも誠実で信じられるのは趙高だし、人間不安になると安心できる情報に飛びつきたくなるものだ。
趙高に大丈夫と言われた胡亥はすっかり機嫌を直し、また自分の威厳のことばかり考え始めた。
「むふふっ、朕の永遠の天下が崩れる訳ないもんね。
でも反乱が起こったってことは、まだ威厳が足りてないのかな?
それじゃあ、古のすごい君主みたいにすごい格式を整えて、阿房宮も早く完成させなくちゃ!そうしたら、天下も朕を認めてくれるよね?
盗賊をいっぱい捕まえたら、また働かせる刑徒が増えることだし!」
趙高の嘘にくるまれた胡亥は、何も知らなかった。
楽をして得た帝位にあぐらをかき、想像すらできなかった。
どんなに強固な支配体制にも永遠はなく、やり方を誤ればその栄華はすぐに灰となって消えてしまうことを。
永遠と思えるその玉座が礎から崩れ始めていることに、胡亥は全く気づけなかった。




