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胡亥が悪逆非道するターン。
でも胡亥に自分が悪だという意識はない、だって世間を知らないから。
それを利用して趙高はどんどん天下を私物化していく。
こういう世間知らずのお坊ちゃんへのざまぁは小説家になろうの名物だと思う。もうこの小説に「ざまぁ」のタグをつけていいような気がしてきた。
さしあたって必要なことの対処が終わると、胡亥は父と同じように己の権威を高めるための活動を始めた。
すなわち、異民族の地への侵略と巡幸である。
「先帝はこの地上全てを一つにまとめようとなさっていましたが、道半ばで倒れられました。陛下は次の帝として、この志も継ぐべきでございましょう。
本当に天下の全てを平定なされば、もう陛下の功績を疑う者などおりますまい!」
趙高がこう言ってやると、胡亥はすぐその気になった。
「なるほど、父上もできなかったことを朕ができたらすごい事だもんね!
そうしたらもう、大臣や官僚たちも朕を侮らなくなる。
それに、いくら近くの敵を絶やしても国の外から訳分かんない奴らが攻めてきたら怖いし……全世界を平定すればそんなこともなくなるね!」
不老不死になっても、国を維持できなければ意味はない。
むしろ不老不死になって敵の手に落ちたら、死なないのをいいことに何をされるか分からない。趙高も胡亥も、それを恐れた。
その恐れをなくすには、地上全てを支配下に置くより他はない。
小心な二人が不老不死になることを考えたら、もう長城程度では安心できなかった。
それに、秦は中華を統一してこんなに豊かになった。ならば地上全てを支配したらどれだけ豊かですごい国になれるかと考えた。
秦の今の力をもってすればそれができると、二人は信じていた。
始皇帝の代には元々辺境の一国だった力で中華全土を平らげたのだから、同じように破竹の勢いで地上を平定できるに違いない。
「地上全ての皇帝かぁ……それこそ、人間を超える者にふさわしいね!
朕は不老不死になって、永遠に地上を支配するぞぉ!」
そう夢を見た胡亥は、すぐさま行動に移した。
始皇帝が広げた版図よりさらに領土を広げるべく、異民族を討伐する大々的な戦争の準備を始めた。
全国から力の強い男を何万人も集め、さらに武器と馬も多数そろえた。
それらの人や物資はもちろん民間から集めるので、それらを取り上げられた民はますます働き手も物も不足する。
さらに兵士や馬を多く養うには、大量の食糧が必要である。
趙高はそれを咸陽周辺から日常的にかき集め、しかもそれを運ぶのに必要な金や食事は農民たちに出させた。
そんな事をして、農民たちが普通に暮らせる訳がない。特に咸陽周辺の民は、自分の作った作物を少しも自分の口に入れられないほど困窮した。
しかし、命じられたものを治められなければ容赦ない法による罰が待っている。
そうして罪人になってしまった民は、驪山陵や阿房宮の工事に駆り出された。
そうすると作物を作る民はどんどん減り、ますます生活できなくなって罰せられる者が増える。国力が落ちる一方の悪循環である。
しかし、それを諫める者は次々と処罰された。
そうして誰も止められぬまま、秦の国力は急速に落ちていった。
そんな状況でも、胡亥は己の権威を高めることしか考えない。
「何か官僚とか大臣とかが、よく朕のやることに反対するんだよね~。しかも、父上のやってたことを引き継いでるだけなのにさ。
ひどくない?
しかも、朕の事世間知らずとか言うんだよ」
胡亥がそう愚痴を言うと、趙高は苦笑して言った。
「まあ、世間知らずはそう見られても仕方のない面はありますなぁ。陛下は公子の頃からあまり王宮から……都からほとんどお出になっておりませんから。
先帝の巡幸に一度だけ同行しましたが、それは先帝が連れて行かれたからですし。
人々が陛下の存在を実感できていないせいもありましょう」
「そっか……どうにかならないの?
そうだ、朕も父上みたいに巡幸に行くとか!そうやって外を見に行けば世間知らずとか言われないし、民にも今は朕が皇帝なんだって分かってもらえるね!」
胡亥は、はしゃぎながらそう言った。
趙高も、ほがらかに笑ってうなずく。
「良い考えですな、それでは都の近くを巡幸なさいまし」
こうして、胡亥も父のように巡幸をすることにした。
まだ即位したばかりなのであまり長く都を空ける訳にいかず、都から近い所を短い日程で回る程度である。
それでも胡亥が本気で世の中を見ようとすれば、学ぶことはたくさんあったし苦しむ民の現状にも気づけただろう。
だが胡亥は、自分の評価を上げる事しか考えていない。
とにかく何かやって実績を作れば評価してもらえるとしか思っておらず、世の現実を見る気など皆無であった。
そのうえ、自分が出かけることで出先に負担をかけることへの配慮も、皆無である。
「この朕がわざわざ用もないのに行ってあげるんだよ。
相応にもてなされるのは当然じゃない」
皇帝だから出先が敬意を表して自分からもてなすのは当たり前で、もちろんその費用は出先の負担である。
そのくせ自分から出先に何かを下賜したり税を免除したりすることはない。
出させ、世話をさせ、ふんぞり返るだけの巡幸。
そんなだから、出先の心ある者が苦しい現状を訴えても全く話にならなかった。
「……なんかこの辺の田畑、あんまり人がいないし何も植わってないんだけど?
農民たちは怠けてんの?ちょっと領主呼んできてよ!」
たまに思っていた豊かな国と違うところに気づいて話を聞こうと人を呼んでも、呼ばれてきた領主の話は全く通じない。
「咸陽に納める作物が多すぎて、農民たちは食べる物がないのです!しかも咸陽まで運ばねばならないので、働き手がいないのです!
お願いでございます、どうか税を軽くして民の負担を……」
話を半分以上聞き流しながら、胡亥は畑を耕す牛に目を留めた。
「食べる物がない?……あるじゃん、ほらあの牛!
あれをみんなで食べれば、力がついてみんな働けるようになるよね!」
領主は唖然としながらも、必死で説明する。
「あ、あれは強い力で畑を耕すのに必要な牛ですので、食べる訳にいかないのです!それにその牛だって、最近は飼葉を咸陽の馬に取られてお腹を空かし……」
だが、胡亥には理解できない。
「はぁ?畑を耕すって……土を掘るだけなら子供でもできるじゃん。
それに牛とか馬とかが食べる草って、どこにでも生えるもんでしょ。
そんなどーでもいいことのために、国家の税を減らせって言うの?
あ、分かった!結局楽したいから屁理屈こねてるんでしょ。そんな子供でも分かることで朕を騙そうとしてさ、自分の牛守って民を飢えさせてんのおまえじゃん!」
胡亥は、農民がどうやって耕作をしているか、それがどれだけ大変なことなのか知らないし知ろうともしない。
だから食べる牛と働かせる牛の違いが分からないし、耕作用の牛がいなくなると農民と田畑がどうなるか分からない。
ただ食えるものがあるという一点のみで、逆に領主を処罰する。
「おーい、誰かこいつ捕まえて牢に入れて!
農民たちを怠けさせて私腹を肥やす悪い奴だから」
「な、お待ちください!私は決してそのような……」
皇帝の言うことに、口答えは許されない。
その哀れな領主は、あっという間に兵士たちに縛り上げられて連れて行かれる。それを見ていた民たちは唖然としているが、胡亥は意に介さない。
「ハハハッ良かったねえ、これでおまえら牛が食べれるよ!
牛を食べて力をつけて、しっかり働いてね!」
皇帝の命令には逆らえない。牛はすぐに殺されて解体されてしまった。
それどころかあの人のいい領主は処刑され、代わりに法を守って自分を守ることしか考えない別の領主がやって来た。
その村がその後どうなったか、想像するのは難しくない。
そのようなことは他の土地でも起こり、民や心ある知識人たちを震え上がらせた。
しかし世間というものを知らない胡亥に、悪いという意識はない。あるのはただ自分が天下を良くしたんだという、自己満足のみ。
天下がどうなっているかも自分がどんな無知を晒したのかも分からないまま、胡亥は胸を張って帰還した。
そんな状態でも、趙高は胡亥を甘やかし続けた。
「さすが、陛下の博識には恐れ入ります。
これで天下万民に、陛下の偉大さが知れ渡ったことでしょう」
などとおべっかを使い、胡亥を諫めようとする者たちを片っ端から処罰して財産を没収する。
こうして胡亥が無知を晒し天下の反感を買うことは、趙高にとって都合が良かった。だから止めるどころか、増長させてもっとやりたい放題させる。
(私の天下に、無駄にいい人ぶって上に文句を言う輩は要りませぬから。
こうしておけば、そういう輩を天下から一掃できるでしょう!)
趙高は、のちの自分が永遠に支配する世を見据えて、胡亥を反抗する者たちをおびき出す囮として使っていた。
こうして胡亥の代でそういう輩を消し去っておけば、自分は安心して好き勝手出来る。
さらに天下に胡亥の悪評が広まれば広まるほど、自分が帝位を奪いやすくなる。
(くくく……陛下を悪逆非道の暴君にしておけば、それを倒す私は救世主。これなら私が皇帝になる筋が通るというもの。
それに、天下を私になびく者で固めることができる!)
趙高は、既に自分の天下のための布石を始めていた。
胡亥を批判して消された者の代わりに自分の演者や縁者や食客たちを官職につけ、どんどん天下を私物に近づけていく。
胡亥には、それがさもいい事のように吹き込んだ。
「陛下が各地を巡幸され罪ある者を除いたおかげで、国は安定しております。
これからもこの調子でびしびし取り締まれば、天下に乱の種はなくなるでしょう。
名君たる条件は、新人を登用し、賤しい者の身分を高くし、貧しいものを豊かにし、隠れた人材を発掘することです。
これを盛んに行っていらっしゃる陛下は、まさに名君でございます!」
そうして、自分が好き勝手している人事を正当化してしまう。
しかしやっぱり世の中を知らない胡亥は、自分のしたことがほめられている気になってますます趙高を信頼した。
こうして天下は、胡亥が気づかぬうちにどんどん趙高のものになっていった。




