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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十四章 二世皇帝
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(168)

 始皇帝の死を目の当たりにした李斯と趙高は、どうしたでしょうか。

 不調ですら隠していたのに、死を発表できる訳がありません。


 そして、その時間は趙高が事を有利に進めるためのサービスタイムになります。

 趙高はまず、胡亥を説得します。

 翌朝も、特に何か大事件があったようには感じられなかった。

 轀輬車は一台壊れて処分したとかで五台になっていたが、そこにはいつもの皇帝用の食事が供される。

 轀輬車の周りにはいつも通り宦官が朝のしたくに必要なものを持って動き回っている。

 始皇帝の死の気配など、少しも感じられなかった。

 しばらくして予備の部品からもう一台の轀輬車が組み上がると、巡幸は何事もなかったように再び進み始めた。


 李斯と趙高は、始皇帝の死を当面隠しておこうと決めた。

 今はまだ後継者が決まっておらず、そのうえ国の中枢を担う人間が都を離れたままだ。こんな状態で始皇帝の死を公表したら、何が起こるか分からない。

 始皇帝が生きていることにしてとにかく予定されていた巡幸を終わらせ、都に帰って体制を整えてから発表すべきだ。

 そのため、二人は夜のうちに大急ぎで手を打った。

 燃やされた轀輬車に始皇帝は乗っていなかったことにして、新たに一台轀輬車を組み立てさせる。

 そして、そこに始皇帝の遺体を入れた柩を乗せた。

 さらに、昨夜あの場にいて生き残った宦官を同乗させる。

 この宦官が始皇帝の代わりに出された食事を食べ、始皇帝の判断を仰ぐふりをして仕事の決済をするのだ。

 また、これにはこの宦官を監視する意味もあった。

 昨夜の真相を知っているのは李斯と趙高以外ではこの宦官だけであり、こうして閉じ込めることで情報が漏れるのを防ぐのだ。

 それから、感染防御の意味もある。

 この宦官は昨夜始皇帝と接触したため、呪い(本当は人食いの病毒)に感染している恐れがある。

 そのため轀輬車に隔離し、発症しないか一月ほど様子を見るのである。

 こうして、始皇帝の死も感染も周りに広がることはなかった。


 そんな中、胡亥と趙高は二人きりで今後について話し合っていた。

「ねえ趙高、このまま咸陽に帰ったら……僕は皇帝になれるの?」

 そう、今一番の問題は次の帝位についてである。

 胡亥は始皇帝に可愛がられており、唯一今回の巡幸に同行している。その扱いもあり、密かに次の皇帝は自分だと思っていた。

 しかし、始皇帝は後継者を決めずに死んでしまった。

 これでは、誰が後継者になるか分からない。

 趙高は、首を横に振って言う。

「このまま帰れば、なれないでしょう。

 古来より家も国も長子が継ぐのが習わし……陛下の長子であらせられる扶蘇様は、まだ北で生きていらっしゃいます。

 陛下がお決めになっていないので、このままでは長幼の順により扶蘇様が次の皇帝になるでしょう」

 それを聞いて、胡亥は不安そうに問う。

「そうしたら……僕はどうなるの?」

 趙高の顔の憂いが、一層深くなった。

「そうなれば……胡亥様はただの平民になってしまいます」

「えっそんな……!?」

「陛下はあなた様も含め、公子のどなたにも土地をお与えになりませんでした。そのため、皇帝となる一人を除いては皆少しばかりの銭とともに放り出されてしまうのです。

 そうなってしまったら、ご自分で仕事をして生きていかねばなりません」

「ええ~!?そんなの嫌だよぉ!!」

 趙高の答えに、胡亥は悲鳴を上げた。

 扶蘇が皇帝になってしまったら、自分は一人の臣下に格下げだ。もう今の安楽でぜいたくな暮らしができなくなる。

 今まで何不自由なくわがままに暮らしてきた胡亥は、そんなの耐えられなかった。

「な、何とかならないの!?趙高!」

 胡亥は慌てふためき、趙高にすがりつく。

 趙高はそんな胡亥に、悪魔のささやきを吹き込んだ。

「このうえは、陛下があなた様を指名したことにして、あなた様が皇帝になられるより他はございませぬ。

 今、陛下の死を知っているのは我々と李斯のみ。

 先手を打ってしまえば、何も恐れることはございませぬ」

 その言葉に、胡亥は少しこわばった笑みを浮かべる。

「はは、は……そうだよね、僕が皇帝になれば何も怖くないや!指名だって、僕が父上に一番可愛がられてたんだし。

 そうしたら、兄上が生きてたって別に……」

 しかし、趙高は険しい顔で言う。

「いいえ、扶蘇様を生かしておいてはなりません!」

「ええっそうなの!?」

 その残酷な言葉に、胡亥はぎょっとした。

 皇帝になりたいとは思っていた。それに兄が邪魔になるのも分かっていた。しかしまさか、殺してしまうだなんて……。

 漠然と皇帝になって好き放題暮らすことだけ考えていた胡亥は、そこまでのことが必要だと思っていなかったのだ。

 胡亥は青ざめ、ぐっと押し黙る。

 怖くなったのだ。自分の勝手で兄を殺してしまうことが。

「ねえ……もう少し穏便なやり方ってないのかな?

 あ、兄上を殺しちゃうとかさ、さすがに悪く思われるんじゃない?そこまでやったら逆に、本当に指名されたのか怪しまれるっていうか……。

 兄上ってさ、慕ってる人たちが多いし、そいつらに恨まれるっていうか……下手に恨みを買うと暗殺とかされそうで……」

 恐れおののく胡亥に、趙高は脅すように言う。

「扶蘇様を生かしておく方が、もっと危険ですぞ!

 あなた様が皇帝になられるということは、陛下の詔を偽り、長幼の順に反するということを既にやっているのです。

 それを、扶蘇様を慕う者たちが放っておく訳がありません。

 扶蘇様が生きている限り、扶蘇様を担ぐ動きはなくなりませぬぞ!」

「うっ……でも、やっぱり怖いよぉ……血のつながった兄上を殺すだなんて!

 家族を殺すだなんて、絶対悪いことだよ。ただでさえ悪いことするのに、そこまでやったら天罰とか下りそうで……」

 弱気になる胡亥を、趙高は巧みな言葉で惑わす。

「その悪いというのは、あくまで一般論にすぎません。

 あなた様は皇帝となられるお方、一般の物差しなど気にすることはございません。

 善悪など、所詮は人が言い出したこと。役人の仕事がいろいろあるように、地方によって風習が異なるように、時と場合で変化するものなのです。

 これまでにも、親兄弟を殺して国の頂点に立った者など挙げればキリがありませぬ!」

「うーん……た、確かにそうかも……」

 揺れる胡亥に、趙高はたたみかける。

「それに、皇帝とは何人たりとも侵してはならぬ神聖な者。皇帝になってしまえば、人があなたを裁くことなどできなくなります。

 人を支配するのと支配されるのとでは、天と地ほど違いますぞ。

 あなたは、そのどちらを望まれるのですか!?

 今なら、私とあなたと李斯殿だけでそれを為せるというのに!!」

 趙高に叩きつけるように言われて、胡亥は息をのんだ。

 今なら……そう、これだけ簡単に皇帝になれるのは今しかないのだ。

 咸陽に帰って始皇帝の死を公表したら、もうこうはいかない。扶蘇をはじめ二十人以上の兄弟と、その支持者が待ち構えている。

 胡亥には、そいつらを黙らせて押し切る自信がなかった。

 それに、自分が他の公子を支持する者たちからどう言われているかも知っている。楽をするしか考えない愚か者、国のことなど欠片も考えない……確実にいい評価ではなかった。

 もし自分が皇帝になれず、そんな奴らの下で働くことになったらと考えると……身の毛がよだつ思いだ。

 絶対、そんな支配される側にはなりたくない。

 恐怖に突き動かされて、胡亥はついにうなずいた。

「分かった……兄上を殺して皇帝になろう。

 趙高、李斯を説得してくれるね?」

「お任せください!」

 趙高は、頼もし気な笑顔でうなずいた。

 その顔を見るだけで、胡亥は押し潰されそうだった恐怖がすっと引いていくような気がした。趙高に任せておけば、きっと何も問題はない。

 いつだって趙高は、自分のために何でもやってくれたから。

 偉大な父を失った今、胡亥が頼れるのは趙高ただ一人だった。


 しかし、胡亥には一つだけ心に引っかかることがあった。李斯の説得に赴こうとした趙高を呼び止め、尋ねる。

「ねえ、李斯には呪いって言ったけど……父上のあれって、地下で見た人食いの病だよね?

 どうして、父上があれにかかったの?」

 胡亥にしては、鋭い質問だった。

 胡亥は趙高と一緒に地下の実験施設を見ているので、父の身に起こったことが地下の実験体どもと同じだと気づいた。

 そして、ふと思った。今あれの存在を知っていて操れるのは、自分と趙高くらいなのに、と。

 すると、趙高は悲しそうに答えた。

「陛下は不老不死を急ぐあまり、尸解の血を体内に取り込んでいらっしゃいました。

 しかし、尸解の血に肝の不調と天然痘の病毒が重なると人食いの病となります。

 なので私も、陛下が天然痘の病毒に触れぬよう細心の注意を払っておりましたが……天然痘は悪神の祟りでも生じるもの。

 おそらく海神の遣わした天然痘により、尸解の血が人食いの病に転化してしまったのでしょう」

「そっか……それじゃあ、呪いで正しかったんだ」

 胡亥は、その説明に納得した。

 天然痘は自分が監督していた驪山陵の工事現場でも黄泉の祟りで出ていたし、それなら話の筋は通る。

 何より、趙高が自分に隠し事などする訳がない。

 趙高はどこまでも自分に尽くしてくれる、忠実な下僕なのだから。

 こうして胡亥は趙高の企みに気づかぬまま、趙高にその身を委ねた。趙高を信じ切ってしまった胡亥がその魔手から抜けることは、もはや不可能であった。

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