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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十四章 二世皇帝
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(166)

 久しぶりにゾンビ警報!

 前の話で始皇帝がどうなったか、だいたい分かりますね?


 趙高と共に始皇帝に呼び出された胡亥は、始皇帝の轀輬車に向かって信じられないものと対峙します。

 その時、胡亥の命を助けてくれたのは……。

 月の光も弱い蒸し暑い夜、胡亥は趙高に起こされた。

「うーん……何だよこんな時間に?」

「胡亥様、陛下がお呼びでございますぞ!」

 それを聞くと、胡亥は眠い目をこすりながらも起きだした。逆らう者を許さぬ父が呼んでいるというのだから、行かない訳にはいくまい。

 それに、最近父は顔を見せてもくれなかったのだ。

 久しぶりに会えると思うと、少し心が温かくなった。

 ……こんな時間にわざわざどんな話があるのか、とは考えなかった。胡亥にとっての始皇帝は、ただ可愛がってくれる父だ。

「ささ、参りましょう」

 趙高に言われるまま、急いで衣冠を整えて始皇帝のいる轀輬車に向かう。

 胡亥の胸の中には、眼光鋭く英気あふれる父の顔が浮かんでいた。今まで通りその顔に会えると思っていた。


 ……これから会う父がどんな風に変わり果てているかなど、想像もつかなかった。


 始皇帝の轀輬車に近づくと、嫌なにおいが鼻を突いた。

「うっ……何これ?」

 胡亥は、その生臭さに覚えがあった。それは、あの驪山陵の地下にある血と臓物と病に満ちた実験施設に似ていた。

 どうしてこんな所で……と思っていると、轀輬車の中からごとりと音がする。

 父が、起きているのだろうか。呼び出されたのだから、当然だ。

「お父上、ただいま参りました」

 呼びかけてみるが、返事はない。

 胡亥は迷った。いくら父子の間柄とはいえ、声をかけて返事があるまで轀輬車をのぞいてはならないと決まっている。

 すると、趙高が言った。

「内密のお話なので、周りに悟られぬよう返事はせぬとおっしゃっていました。

 万が一の場合は私が責任を取りますので、少しのぞいてみましょうか」

 趙高がそう言うなら間違いないだろう。

 内密の話とは、何だろうか。もしかしたら、自分はついに皇太子として指名してもらえるんじゃないか。

 都合のいい妄想にわくわくと胸を高鳴らせながら、胡亥は轀輬車の扉を開けた。

「失礼します、父上ぇ」


 しかし、それでも返事はなかった。

 代わりに、むわっと濃くなった生臭さが強烈に鼻を突く。

「おぇっ……な、何で?」

 なぜ一番快適でなければならない轀輬車の中が、こんなに臭いのか。胡亥は吐き気を催し、思わず着物の袖で鼻と口を覆った。

 そして、失礼だったかなと思い頭を上げて、異常に気づいた。

 轀輬車の中には、明かりがともっていた。しかし照らし出されたそこには、黒っぽい汚れがそこかしこに飛び散っている。

 始皇帝の姿は、奥にあった。

 布の塊を抱き込むように屈みこみ、もぞもぞと動いている。

「あのー、父上?」

 こちらに気づいてもらおうと声をかけ、轀輬車に上がろうと声をかけたところで、胡亥の指に濡れた感覚があった。

「んん?」

 見ると、自分が手をついたところと、自分の指にも黒っぽい汚れがついていた。こするとのびて、赤色であることが分かった。

 そして間近で漂う、鉄の臭いを帯びた生臭さ。

 胡亥にはようやく、それが何であるか分かった。

「え……血だ!」

 はっと見ると、その血だまりは始皇帝が抱き込んでいる塊につながっていた。

 いや、ただの布の塊ではない。よく見ればそこから、人間の手足が出ている。あれは、大量の血を流している人間だ。

 そんなものを抱き込んで、始皇帝は何をしているというのか。

 それに、さっきから聞こえるグチャグチャと粘っこい音は何だ。今、轀輬車の中で動いているのは始皇帝だけなのに。

「へ、陛下……一体何を!?」

 趙高の声に、始皇帝はゆっくりと顔を上げた。

 その顔を見た途端、胡亥は思わず悲鳴を上げかけた。

「ひ……ひいっ!?」

 父の顔は、威厳ある鋭気に満ちた顔ではなかった。

 始皇帝の口から胸にかけては、どす黒い血に染まっていた。目は幕を張ったように白く濁り、人の表情は失われ、ひたすら口をモゴモゴと動かしている。

 そして顔を上げたことで、隠されていたもう一人の姿が露わになった。

 抱き込まれていたお世話係の宦官は、すっかり血の気を失って動かなかった。冠は落ち、着物を大きくはだけて、始皇帝の膝に乗っている。

 露わになった首から肩にかけて、大きな傷のようなものが見えた。轀輬車を汚す血は、そこから流れたものだろうか。

 とても無礼で、意味不明な体勢だ。

 しかし、始皇帝はもっと不可解な行動に出た。

 いきなりがばっと大口を開けると、宦官の傷口に噛みついたのだ。そして、ぐちゃぐちゃと肉を食いちぎった。

 胡亥の背中を、悪寒が這い上がる。

「な、何で……人、食べて……!?」

 胡亥がそれ以上考える前に、趙高が胡亥の袖を引っ張った。

「お下がりください!様子がおかしゅうございます!」

 異変を察知した二人は、轀輬車から少し離れる。

 二人だけで近づくのは危険と判断した趙高は、すぐに声を上げて李斯と他の宦官を呼ばせた。

 すると、すぐに李斯と宦官数名がかけつけてくる。

「陛下に内密のお話があると言われて待機していたのですが、何かあったのですか?」

「おお李斯殿、それが陛下のご様子が……!」

 趙高が李斯に轀輬車の中であったことを説明するが、李斯はどうも素直に信じてくれないようだ。

 だが、そうだろうなと胡亥は思う。自分だって信じられないのだから。

 しかし、どこかでああいうのを見たような既視感もあった。

 あんな嫌な臭いが満ちている暗い場所で、あんな風に生きた人間に食らいつくおぞましい存在を、どこかで見たような……。


 瞬間、同じような光景がよぎった。

 湿っぽい土の壁と鉄格子で仕切られた場所、鎖につながれた亡者ども。

 死んでいるのに人肉への欲望だけで動いている、不死のなりそこない。


(あれ?父上、まさか……あいつらと同じに……!!)

 胡亥の中で、遠く離れた二つがつながった。

 今の父の様子は、あの地下の実験施設で見た人食い死体とよく似ている。目が白く濁り、人間に食らいついて肉を食らう。

 もし同じだとすれば、このままでは……。

「や、焼いて……轀輬車を焼いて!父上はもう死んでる!!」

 胡亥は、自分でも思わぬうちに叫んでいた。

 父があいつらと同じになったとしたら、きっとあの宦官は食われたんだ。そして、放っておけば自分たちも食われる。

 だが、李斯はいぶかしそうに胡亥をにらんで言った。

「少し落ち着かれよ。そのような事があるものか。

 とりあえず、宦官に様子を見に行かせよう」

「やめて!そんな事したら、その人が……!」

 胡亥の懇願も空しく、李斯は宦官の一人に中を見に行かせてしまう。

 轀輬車の扉を開けた途端、その宦官がいきなり中に引きずり込まれた。次の瞬間、くぐもった悲鳴が辺りに響いた。

「ぎゃっ……うぐっ……へ、陛下何を……あがっ……!」

 胡亥は思わず、耳を塞いでうずくまった。

 様子を見に行った宦官が噛まれて、食われながらも必死で礼儀正しく対応しようとしているのだろう。

 これには、さすがの李斯も眉をひそめた。

「こ、これは一体……陛下、どうなさったのですか!?」

 しばらくすると、悲鳴がやんだ。

 息をのんで見ている皆の前で、轀輬車の扉が開いてずるりと始皇帝が出てくる。その手には、途中でちぎれた人間の腕が握られていた。

 李斯が、目を疑いながら呟く。

「へ、陛下、それは……先ほどの者は、一体どう……?」

 李斯の問いには答えず、始皇帝は大口を開けて一声唸った。まさしくあの地下で聞いたのと同じ、地の底から響くような獣のような声だった。

 しかし、それでも李斯は礼儀正しく対応しようとする。

「陛下、お気を確かにお持ちくだされ!

 お、おい、陛下が血まみれではないか!早く手当てをして差し上げろ!」

 李斯の指示で、また二人の宦官が始皇帝に向かっていく。始皇帝はそれを見ると、持っていた腕を捨てて二人に手を伸ばした。

 このままでは何が起こるか……胡亥の頭の中に、凄惨な未来が浮かぶ。

 胡亥は、半狂乱になって忠臣にすがった。

「あああっ……お願い趙高、父上を止めて!

 僕を、みんなを、李斯を助けて!!」

「承知いたしました!!」

 趙高が覚悟を決めたように答え、始皇帝に向かって走り出す。

 始皇帝は今しがた捕まえた獲物にかぶりつき、食事の真っ最中だ。もう一人の宦官が泣いてやめてと訴えても、気にする素振りもない。

 趙高はその無事な宦官の後ろから体当たりを仕掛けて、そいつを間に挟んで始皇帝を転ばせ押さえつける。

 そして、帯の間に手を突っ込んで何かを抜いた。

 それは、鋭くとがった火箸だった。

「ごめん!!」

 李斯が止める間もなく、趙高は両手に持った火箸を始皇帝の両眼に突き刺した。さらに、力をこめて火箸を動かし頭の中をかき回す。

 程なくして、始皇帝は糸の切れた操り人形のように動かなくなった。

「た、助かった……!」

 胡亥は、体中の力が抜けてその場に座り込んだ。


 目の前に横たわるのは、この広大な中華を一つにまとめた最も偉大な皇帝。

 今間違いなく失われてしまった彼を前に、側近たちはなす術もなく立ち尽くしていた。

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