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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十三章 二つの滅び
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(164)

 仙薬を使ってよくなる始皇帝ですが、そんなものが長続きする訳がありません。

 呪いの正体がアレなら、対する仙薬の正体は……。


 着実に悪くなる始皇帝と、周囲が取った対応は……偉すぎると、実はこんなに不自由。

 そして趙高も、着実に己のための準備を進めていきます。この人だけが唯一全てを知っている。

 仙薬を使うと、始皇帝はたちまち調子が良くなった。心臓が力強く脈打ち、体がポカポカと温まり、腹の調子も良くなった。

「おお、さすがは仙薬じゃ!

 何と素晴らしい効果であろうか!」

 その劇的な効果に、始皇帝は目を輝かせて喜んだ。

 これで呪いを払えば、きっと自分は一年後まで生きていられる。そして徐福が持ち帰った仙薬により、不老不死になれる。

 そうなればもう、死に怯えなくていい。

 一度本当に死ぬかもしれない恐怖を知ってしまった始皇帝にとって、その喜びと解放感はひとしおだ。

 李斯も、ホッと一息ついて言う。

「良くなって何よりでございます。

 しかし、まだ油断は禁物でございますぞ。その呪いがどれほど深いものか、我々には分かりかねます。

 このうえは急ぎ都に帰り、呪いを払う儀式をして物忌みをすべきかと」

「うむ、その通りだな。

 この先は寄り道せずに、できるだけ早く都に帰るとしよう」

 さすがの始皇帝も、この恐怖には胆が冷えた。

 そのため、巡幸は今後は止まらずに咸陽に向けて帰ることにした。咸陽にたどり着けば、今よりずっと手厚い手当てや祈祷ができると信じて。


 しかし、すぐ帰らねばと思ってもすぐ帰れるかは別の話である。

 巡幸の行列は未だ、東の海岸から少し陸に入った程度のところにいる。ここから予定された道程を巡って咸陽までは、まだまだ遠い。

 そのうえ、護衛の兵や世話係や文官たちも一緒についていくため、急ぎたくてもそれほど速くは進めない。

 始皇帝が軽い馬車を乗り継いで護衛も少数にして一気に駆ければ大幅に日数を縮められようが、防備と格式の問題で却下された。

 天下の頂点に立つ者が、そんな粗末なことをしていい訳がない。

 仙薬で落ち着いたのだから、このまま巡行を続ければいい、と。

 始皇帝も、それでいいことにした。

 仙薬の効果は絶大だ、これがあれば呪いも恐れることはない。むしろいつもより気分がいいくらいだから、心配ないだろうと。

 だが、これは仙薬により気分が高揚しているのと、始皇帝自身が仙薬を信じるあまりそう感じているだけだ。

 始皇帝の体内の問題は、隠されて先送りされただけ。

 薬で温まった体の中で病毒は確実に増え、全身を蝕んでいる。

 しかし、診断技術が未熟なこの時代にそんなことが分かるはずもない。始皇帝たちはただ症状が消えたことに安心し、これで大丈夫と思っていた。


 しかし、それが甘い考えであったと、五日後には突きつけられる。

 始皇帝は朝夕と仙薬を飲んでいたが、それだけでは日が西に傾くころにはまたひどく冷えるようになったのだ。

 薬が切れてくると、あからさまに具合が悪くなる。

 同じ量の薬では効きが悪くなり、効いている時間も短くなってきた。

 呪い……病は治ってなどいない。むしろ水面下で確実に悪化している。

 それに気づくと、始皇帝は初めてこれに気づいた時よりずっとひどく慌てた。より深い絶望と恐怖に、半ば錯乱した。

「ど、どういうことじゃ!?仙薬を使えば、治るのではなかったのか!?

 このままでは、朕は……!!」

 死、という言葉は口から出てこなかった。

 言ってしまったら、認めてしまう気がして。口にしたが最後、全てが死に向かって流れだす気がして。

 言葉が途切れ口をぱくぱくさせる始皇帝に、趙高が神妙な顔で言う。

「仙薬が足りていないか……もしくは呪いが強かったのではございませんか?

 徐福殿も言っておりましたでしょう?仙人は海神を恐れて島に下りられなくなったと。

 ということは、少なくとも蓬莱の仙人より海神の方が強いということ。なれば、いかに仙薬とて完全に払える訳ではないのでは」

「ぬうう……言われてみれば!!」

 始皇帝の顔がさらに青くなり、引きつった。

 確かに徐福は、そのようなことを言っていた。海神のせいで仙人が島に戻れぬから、どうにか追い払わねばと。

 その話から、なぜ気づかなかったのか。

 仙人は所詮元人間、それに対し海神はあれほど広い魔境を治める神。その仙人の力のごく一部である仙薬で、完全に呪いを払えるものではなかった。

 その海神を侮り、自ら顔を見せに行ったのは他の誰でもない始皇帝。

 これは他の誰も責める訳にはいかない。どこまで行っても、始皇帝自身の判断の誤りでしかないのだ。

 しかし、過ぎてしまったことをやり直すことはできない。

 このうえ、どうするかだ。

「……とにかく、仙薬を増やして呪いを抑え込みましょう。幸い、まだ仙薬は十分に残っております。

 それから、少しでも他の邪気を浴びぬように、接する人間を減らしましょう。そうすれば、少しは軽くなるやもしれませぬ」

 趙高が対策を述べると、李斯もうなずいた。

「そうですな、陛下の不調を周りに悟られぬようにするにも有効でしょう。

 このような防備の薄い場所で陛下の不調が知られれば、隠れている反逆者どもが勢いづいて襲ってくるかもしれませぬ。

 このことは知らせる人間を限り、できるだけ平常を装いましょう」

 そう、始皇帝は声高に助けを求めることもできない。

 これまでに何度か暗殺未遂に遭ったように、始皇帝を恨み命を狙う者は多い。そういう輩がどこにいるか分からないのに、隙を見せられない。

 だから、平常を装うのは始皇帝も賛成だ。

 そして、それにはもう一つ理由があった。

「そうじゃ、付け入る隙を見せてはならん……道を作ってはならん……。

 これからは、『死』という言葉を朕の前で使うな!!」

 その言葉には、有無を言わせぬ圧力がこもっていた。

 始皇帝は、目に見えぬ死がひたひたと迫ってくるのが恐ろしくてたまらなかった。だからその気配を少しでも感じないように、死を思わせるものを排除しようとしているのだ。

 馬鹿げた発想だが、始皇帝はそうせずにいられなかった。少しでもそれっぽいことは何でもやって、死を遠ざけたかった。

 臣下たちも、これに逆らうことはできなかった。

 かくして、始皇帝の闘病生活はますます孤独になった。

 だが、始皇帝は少しでも死神の目を欺けるならそれでもいいと思った。自分を害する者の意志から何としても生き延びてやると、押し潰されそうな心を必死で奮い立たせていた。


 そう、始皇帝は信じていたのだ。

 自分を害そうとする者は、決して自分のすぐ近くにはいないと。


「ふほほほほ、これでますますやりやすくなりました!」

 始皇帝の見ていないところで、趙高は小躍りした。事態はどんどん、趙高の思うままに進んでいる。

 こうして始皇帝の状態を広く知られないようにしておけば、始皇帝が死んだときに知っている自分が真っ先に動き出せる。

 趙高が天下を奪える状況が、整ってきたのだ。

 趙高は、ホクホク顔で仙薬の箱を開けた。

(皆、愚かなことだ……これの正体を誰一人確かめようとしない。

 このようなもの、私が地下に命令すればいくらでも作れるというに!)

 趙高はもちろん、これの正体を知っている。

 そもそも、趙高と徐福が用意したのだから。

 仙薬の正体は、地下で開発された人食いの病の延命薬だ。工作部隊の使っていた戦の秘薬を基にした、体中を一時的に活性化させる薬。

 弱った馬に鞭を入れ続けて無理矢理走らせるように、体から無理に力を引き出して一時的に症状を抑えるだけの薬。

 ついでに精神も高揚させるが、薬が切れるとより深い恐怖と不安に苛まれ、死に際に安らかではいられなくなる薬。

 趙高はこれを仙薬と偽って始皇帝に飲ませ、最期まで真実に気づかせないつもりだった。

 それにこれを使えば、始皇帝を死ぬ寸前まである程度元気に見せておくこともできる。死期を、調節することもできる。

 そうすれば、自分に最大限有利な状況を作れる。

 もはや始皇帝の命は、そのための踏み台でしかなかった。

(……でも、仕方ありませんねえ。

 陛下が他人のいう事を聞かず、夢に溺れたのですから。ならば、最期まで不都合な真実なんか要りませんよね?)

 もうすぐ、天下が自分のものになる。

 趙高は、始皇帝のすぐ側でその死を心待ちにしていた。


 その趙高に、胡亥は何も知らず愚痴を吐く。

「ねえねえ趙高、最近父上が全然かまってくれないんだけど~。てゆーか、顔も見せてくれないんだけど~。

 僕、本当に後継者になれるの?」

 不満顔の胡亥に、趙高は自信たっぷりに答える。

「大丈夫ですとも、私にお任せください。

 あなたは必ず、天下の頂点に立たれますとも。

 もうすぐとても驚くことがございますぞ。楽しみにお待ちくださいませ!」

 胡亥は、趙高がそう言うならと怠惰に任せて信じておくことにした。

 胡亥は、何も知らない。始皇帝が不調を悟られないために、会うのを断っていることを。その父の不調が、目の前にいる趙高のせいだということを。

 そして趙高が、天下の頂点に立たせるために自分に何をさせようとしているかも。

 何もかも誰も気づかぬまま、巡幸は平常を装って進んでいった。

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