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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十二章 終の旅路
159/255

(158)

 邪魔な海神を倒すためと称して、また始皇帝にいろいろ準備させる徐福。

 その中には、最後の策に必要なものも含まれていました。


 そして、始皇帝の一狩り行こうぜ!

 海の生き物は知らない人が見ると本当に化け物に見えるものがある。

 最近、小学館の魚の図鑑についていたDVDを五歳の娘に見せたら、深海魚が怖いと泣きました。

 すぐに、その邪魔な海神を討伐する作戦が練られ始めた。

「海神の手下どもはじきに私の気配を追って、ここの沖合に現れましょう。その時に我々も船に乗って近づき、もりや弩で討ち取るのです。

 そのためには、外海の波に負けぬ大きな船と大勢の射手が必要です」

「うむ、それくらいなら時間があれば準備できるぞ」

「は、ですができれば次に月が満ちるまでに準備してくださいませ。

 あまり時間をかけると、手下どもが私を諦めて島の近くに戻ってしまい、私が再び島に渡ることもできなくなります」

 徐福が必要なものを伝えると、すぐに始皇帝から命令が下り、李斯たちがそれを具体的な指示として人や物を動かす。

 たちまち近くの村や町から漁師と大型の漁船が、沿岸の領土から軍船と海に慣れた兵士たちが集められた。

 その間に徐福は、もう一つの準備を始皇帝に伝えた。

「それで手下を減らせば、私がまた島に渡ることはできましょう。

 しかし、大事なのはそこからです。

 仙薬を多くもらうには、島の近くにいる海神の手下共も追い払わねばなりません。そのために清らかな処女童男を三千人集め、戦う訓練をつけてほしいのです」

 また処女童男、しかも前の数の三倍である。

 しかし徐福は、巧みに話に説得力を持たせて始皇帝を言いくるめた。

「ずいぶん多いのう……前送った者では足りぬのか?」

「前送った者たちはもう成長し、多くが結ばれて清らかではなくなってしまいました。おのため新しく仙人に仕えられる者が必要なのです。

 それと、できれば八歳より上の男女を多く集めてください。

 いくら清らかでも、戦えねば話になりませぬから」

 徐福がそう説明すると、始皇帝は納得した。

 前に仙人の少年少女を徐福と共に送ってから、もう九年の月日が経っている。あの時子供だった者たちも、もう立派な若者になっているだろう。

 その歳になって男と女がいれば、もう清らかではいられまい。始皇帝だって会う人を減らせと言われながら、後宮で女と遊ぶのはやめられないのだ。

 また、今回は前回と違って戦う必要がある。それなら人数は多い方がいいし、徐福はそのために訓練をつけてくれと言っているのだ。

 目的と要求を照らし合わせて、おかしいところはない。

 またすぐ始皇帝の命令が下り、官吏たちが全国に子供を買い付けにとぶ。

 三千人というとてつもない人数だったが、買い付けは順調だと報告があった。

 これも、始皇帝の圧政で人々の生活が苦しくなっているせいだ。税は上がり働き手は取られ、食べ盛りの子供を売らないとやっていけない貧民が多くなっていた。

 それでも始皇帝はそんな民の事情などそっちのけで、必要な子供が手に入ったことを喜ぶ。自分が仙人になるのに必要なものが手に入ったから。


 そんな始皇帝を見て、徐福はため息をついた。

(ひどいものだ……もうすっかり、世の中のことが見えなくなってしまった。

 最初に会った時はよく現実を見る聡明な男だと思ったが、登仙が何より優先される現実だと思い込んだらこれだ。

 ……いや、我々が思い込ませたからか?)

 始皇帝も国も、すっかり変わってしまった。

 その原因が少なからず自分たちにもあると、徐福は分かっていた。

(思えば、俺も同じようなものだったかもしれん。

 不老不死の魅力に取りつかれて己の命を懸け、その情熱のままこんなに多くの人を巻き込んでここまで来てしまった。

 あの頃の俺は見ようともしなかった……生命の理に逆らった結果世そのものが崩れる危険も、皇帝に夢を見せて力を借りる危険も……)

 自分は、悪い結果を目の当たりにして目が覚めた。

 しかし始皇帝はもう、何が起こっているかすら分からなくなっている。

 自分が全て正しいと信じるあまり、意に沿わぬことを言う臣下を排除してしまったから。もう始皇帝の周りに、本当に心ある臣下は残っていない。

(……これは、研究が完成しなくて逆に良かったかもしれん)

 徐福は、率直にそう思った。

(もしこんな奴を不老不死にしていたら、この地は下手をしたら永遠にこいつの独りよがりに付き合わされる絶望郷になっただろう。

 もっとも、こいつがいなくなってもすぐに世が良くなるとは思えんが……)

 徐福は、近くで視察という名の業務妨害をしている胡亥に目をやった。趙高が側にいるが、止める様子はない。

 もうここまで来たら、胡亥の機嫌を取る方がいいと思っているのだろう。

 おそらく、始皇帝は……そのうち趙高が何とかする。もう長くはない。

 しかしその後を継ぐのは十中八九、胡亥。あの私欲しかないような宦官の操り人形が、天下を動かすようになる。

(今より悪くなる気しかせんな。

 それがいつまで続くかは、別として)

 間違いなく、これからしばらく、秦は……中華は苦難の時代を迎えるだろう。

 徐福はもう、それに付き合う気はさらさらなかった。

 始皇帝は順調に徐福の必要とするものを揃えてくれている。三千人のそれなりに育った子供たちと外海の波に耐えられる船、そして多くの物資。

 これがあれば、自分たちは……。

 徐福は、さっそく連れてこられて木剣を振っている子供たちを見て微笑んだ。

(喜べ、おまえたちはあと少しで、こんな国とはおさらばだ。

 俺が、自分たちで好きに生きられる地に連れて行ってやる)

 あと少し、あと一手で、最後の策が完成する。この国は守れずとも人という種を守り、せめて別の地で未来をつなぐ策が。

 夢が叶う直前の子供のようにはしゃぐ始皇帝に、徐福は哀れみを隠した笑みで付き合っていた。


 そうこうするうちに、海の妖怪討伐の日がやってきた。

 始皇帝は邪魔者をこの目で見てやるとかこの手で討ち取ってやるとか言って、李斯の反対を押し切って船に乗り込んできた。

 その手には、きらびやかな衣装に不釣り合いな弩が握られている。

 すっかりその気になっている始皇帝に、徐福はもう一つ演出を重ねる。

「陛下、海の妖怪の邪気は強力でございます。

 この戦いで邪気に侵されぬよう、この仙薬をお使いください」

「おおっこれが仙薬か!!」

 徐福が差し出した薬の包みに、始皇帝はかぶりつくように身を乗り出した。まるで餌を前にした犬のような有様である。

「こちらを毎日、長く服用することで仙人になれます。

 しかし、一度服用するだけでも体内の神気を高め、一時的に疲れを除き冴えわたらせることができます。

 毒身も兼ねて、漁師共にも少し与えましょう」

 始皇帝はできることなら自分で全部飲みたかったが、さすがに毒見なしという訳にはいかない。

 戦いに参加する漁師たち十人ほどに、仙薬が与えられた。すると、ものの数分で漁師たちの様子が変わった。

「おおっ!?何だか力が湧いてくるぞ!」

「今なら、どんな敵が来ても倒せそうな気がするぜ!」

 つい今まで祟りを恐れて暗く渋い顔をしていたのに、あっという間に恐れが吹っ飛び闘志に満ち溢れた顔になった。

 特に苦しむ様子はないので、始皇帝もそれを飲む。

「こ、これが……求めていた仙薬……!」

 大事に味わって飲むも、味はそう美味いものではなかった。しかし、飲んで少し経つと体が熱くなり、言いようのない力が全身にこみ上げてきた。

(おおおっ!!何という……これが、天に近づく心地!!)

 始皇帝自身の思い込みも手伝って、効果は絶大である。

 始皇帝はその高揚に任せて、出航の命令を下した。

「ゆくぞ者ども!海の悪神に目にもの見せてやれ!!」


 大船団は、威風堂々と海に漕ぎ出した。しばらくすると一部の兵が吐き気を訴えてうずくまってしまったが、始皇帝は平気だった。

 そんなことより、初めての海上に気が高ぶって仕方がなかった。

 自分は今、周り全てを海に囲まれている。船底の板一枚下には、人間に呼吸すら許さぬ地獄が広がっている。

 ずっと内陸にいた始皇帝にとって、これは初めての感覚だった。

 そしてこんな魔境で自ら戦うことが、仙人になるための試練のようにすら思えていた。

 その試練にふさわしい敵が、波間から身を躍らせた。

「あ、あれが……!!」

 初めて見る異様な姿に、始皇帝は目をむいた。

 海から飛びだしたそれは、ひし形に近い真っ黒な凧のようだった。しかしその幅は人の背丈の倍ほどもあり、細く長い鞭のような尾を持っている。おまけに、人を余裕で飲み込めそうな大きな口を開けている。

 間違いなく、凶悪な妖怪だ……始皇帝は畏れすら覚えた。

 漁師たちにとっては、小さめの似たようなのはよく見かけるただのエイなのだが……川の魚しか知らない始皇帝から見れば化け物である。

「撃て!撃ち殺せ!!」

 始皇帝は、夢中で命令を下した。

 たちまち船団から弩の矢が発射され、戦いが始まる。それに応えるように、何匹も似たような化け物が波間を舞った。

 始皇帝も夢中で弩を構え、化け物の巨体を狙った。

 自ら前線で、こんなに敵に近づいて戦ったことはない。いつもは王は後方で、万に一つも死なないように守られていたから。

 それが今は、得体の知れない化け物がすぐ目の前にいる。船から落ちれば、あの大きな口に飲み込まれるかもしれない。

 しかし、ふしぎと恐怖はなかった。

 今まで弩など撃ったこともなかったが、しっかり力を入れて狙いを定められる。視界も神経も冴えわたり、当てられる気がする。

 始皇帝は経験がないほど集中し、矢を放った。

「去れ、悪神め!!」

 矢は、吸い込まれるように黒い巨体に刺さった。そうして動きが鈍ったところに、兵士や漁師たちがもりを打ち込む。

「やった、妖怪を、倒したぞ!!」

 始皇帝の胸を、これまでにない充実感が満たした。

 自分は妖怪に勝った、さんざん道を阻んできた悪神にこの手で鉄槌を下した。これでもう邪魔をする者はいないと、当たり前のように信じられた。

 こうして始皇帝は目に見える戦果として異形の化け物を……この時期だけ現れる大木だけのエイを数匹仕留め、意気揚々と帰港した。

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